2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: Page 25 of 28

箱根の休日

◆20180502(水曜日:曇のち雨)

 

釜山の街角です。海雲台海岸に至るメインストリートの様子です。

 

 

■今朝は走りました。また一ヶ月の挑戦の始まりです。毎月、毎月目標の100キロに向かって最初の1キロを走り始めるわけですが、最近はなるべく最初の走行距離を10キロにしようと心がけています。たった 1/10 なのですが、気持ちの上で 10% を超えた、という事実は重いのです。

 

というわけで、今朝は 10.32km を1時間9分21秒かけて走りきりました。私にしては上出来です。体が重くて、いつまで経っても軽くならずに辟易しましたが、年齢から来る体力の衰えなのでしょう。残念ですが致し方ありません。無理をせずに長続きすることが一番大切です。

 

■昨夜はSunとNonちゃんも帰国しました。一足お先に帰国したTakuと私は昨日から仕事でした。Tomo君が成田まで迎えに行ってくれたようで、本当にご苦労様でした。

 

最後の日には、「海東龍宮寺Haedong Yonggung Temple」を訪れたそうです。断崖絶壁に作られたお寺は見ごたえがあったようです。次回はTakuも私も行きたいものです。

 

■さて今日は仕事を終えて落ち着く日間もなく、Sunと二人で箱根へ向かいました。日も暮れて暗闇の中を運転しなければならず、途中道を間違えてしまい到着が遅れました。箱根新道を進んでしまったので、だいぶ遠回りになってしまいました。夜ですと道が分かりにくく、とても間違いやすいのです。

 

途中で切り替えて何とか修正し、宮ノ下から登る形で箱根小涌園ユネッサンに向かいました。

 

驚いたのは、小涌園前の交差点近くにあったコンビニのローソンが無くなっていたことです。箱根駅伝でもテレビ中継で登場する定番のお店だったのですが、閉店していました。宮ノ下から登ってみて、その理由が分かりました。一号線沿いの手前にセブンイレブンが開店していたのです。

 

コンビニ仁義なき戦いの様相です。あれではローソンは場所的にも敵うわけがありません。まさに方丈記の世界です。

 

 ゆく河の流れは、絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶ、うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく、とゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし。

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋(たず) ぬれば、昔しありし家はまれなり。

 

ようやく宿に到着したのは、20時を過ぎていました。さっそくお風呂に入り疲れを流してから二人で乾杯です。箱根に来たのは、もう10年ぶりになるかもしれません。順番で割り当てられた日数だけ宿泊できる会員制の施設なのですが、以前はよく私の両親が利用してくれていました。最初は父が運転して、その後は電車を利用して藤沢から温泉を楽しみに出かけてくれたものです。

 

その両親も体力の衰えから来ることも叶わなくなり、私達もご無沙汰が続きました。今回は、たまたまこのゴールデンウイークに当たりましたので、二人で来ることにしました。新緑が眩しい5月の箱根は最高です。明日からの箱根の休日を楽しみに床につきました。

 

 

 

 

 

帰国

20180430(月曜日:晴れ)

 

 

釜山空港の様子です。多くの乗客で混雑していました。

 

 

■楽しかった旅も、あっという間でした。11時の飛行機に乗らなければなりません。40分はかかると計算しました。リムジンバスで行くか地下鉄で行くか、それともタクシーで行くか悩ましいところです。

 

朝食後にフロントに行って係の方に英語で尋ねたのですが、どうも自信なさげなのです。道路の反対側に見える場所から空港へ向かうリムジンバスが出るようなのですが、心配でしたので実際に自分で確かめに出かけました。何人かの通りがかりの人に確認したところ、間違いなくバス停から空港行きのバスが出るようでした。ただし時間表がありません。

 

ということで、Nonちゃんの助言に従ってタクシーで空港に向かいました。今回の運転手さんは日本語も英語もできませんので、私にとっては意思の疎通のしようがありません。沈黙の45分間でした。それでも空港について降りる際に、韓国語でありがとうございました、と言ったところ、とても喜んでくれました。言葉とは偉大なものです。

 

さて帰りは Air Busan  便での帰国です。昼ごはんのお弁当が出ました。こじんまりした美味しいお弁当で満足でした。

 

成田空港からはバスで東京駅八重洲北口に到着。Taku が調べてくれた上野駅近くの居酒屋で、ご苦労さん会を開催しました。

 

上野駅近くの居酒屋で、何と4時間以上も話し込みました。楽しい時間でした。

 

 

 

 

釜山の旅

◆20180429(日曜日:晴れ)

 

海雲台海水浴場です。さすがに、まだパラソルはありませんでした。

 

 

■昨夜は午後から釜山への旅に向かいました。成田空港から釜山国際空港へ飛びました。行きはJAL便、帰りはAir Busan 便です。

 

 

28日(土曜日)、成田空港にて明日からの釜山の旅の安全を祈りました。

 

■朝は7時に起きて8時から朝食です。ホテルのレストランでバイキングでした。ホテルは、Shilla Stay Hotel 。黒を基調とした落ち着いた作りのホテルです。Takuと私は、528号室でした。

 

旅の様子は、釜山の旅 へ、どうぞ。

 

 

 

帰国

20180106(土曜日:晴れ)

メルボルン空港に飾ってあるパンダの像です。陶器製でしょか。

 

■今朝 0時45分発のJAL便でメルボルンを発ちました。昨夜は9時にホテルのフロントで待ち合わせて、迎えの車で空港へ到着。出国手続きを済ませて無事にメルボルン空港を後にしました。以前SunとNonと三人でジーロングのパパのところにお邪魔し、帰りにママに空港まで送ってもらいました。入場口は覚えていたのですが、入ってから搭乗口まで行くのに、あんなに長くショッピング街を通り抜けたことは覚えていませんでした。とにかく長いのです。しかも搭乗口への案内がありませんので、本当にこのまま進んでよいのだろうか、と不安になりました。

でも、それでよかったのです。予定通り朝の8時35分に成田空港に到着しました。メルボルンでは25度だった気温が、成田ではマイナス3度との放送。さすがに飛行機を出ると寒さを感じました。行く時にはパンパンに詰め込んだキャリーバックも、お土産を入れても帰りは13キロ程度になりましたから、20キロ近く軽くなった計算です。

空港からはバスに乗り東京駅へ向かいました。これは便利です。私は始めて利用しました。料金は1,000円です。満員でした。到着は東京駅八重洲北口、新装なった大丸百貨店から歩いて2分ほどのところです。以前よく通った丸善へ向かう小道へ曲がるところの少し先でした。新装大丸百貨店は外からは始めてみました。あまりに立派なことに驚きました。

大学時代に、この地下街にある割烹店で孝平ちゃんと二人でバイトをして、そのお金で夏、金沢へバス旅行をしたことがありました。思い出の場所です。

八重洲北口で切符を買って、すんなりと新幹線入り口から入ることができました。電車の中で、今回の旅を思い出していました。メルボルンの気候は、ちょうどハワイのようでした。日差しは強いものの日陰に入ると心地よいのです。ひんやりするほどでした。いったい雨はいつ降るのだろうか、と思われる毎日でした。

Eureka skydeck 88 から見た限りでは、高い山は見当たりませんでした。調べてみるとオーストラリアで最も高い山は、

コジオスコ(コジオスコ山、Mount Kosciuszko)2,228m は、オーストラリアの山で、オーストラリア大陸の最高峰(七大陸最高峰)である。

とあり、2千メートル以上の山は、7つしか無いのです。コジオスコ山はメルボルンとシドニーの中間あたりの海岸沿いにあります。ここには雪が降りそうですが、湧き水にメルボルンが恵まれる、という話は無さそうです。ジーロングのパパのところは水は自給自足。雨水を溜めて生活していました。シャワーも殆ど浴びないようでした。それがNonちゃんがホームステイした時の一番のストレスだったようです。

こうして無事に家に辿り着きました。本当に過ぎて見れば、あっという間でした。二日間Ayaちゃんと一緒に過ごすことができたのは、本当に良い思い出になりました。何気ない営み。一緒に食事をして、一緒に動物園に行って、一緒にトラムに乗って。大したことではないのですが、一時一時が愛おしいのです。以前は毎日家庭で、そのように過ごしていたはずなんですが、今となっては貴重なひとときなのです。

とにもかくにも娘に幸せになって欲しい、という父親の単純な願いに過ぎません。本当に、いとおしいのです。幸せを願うしかありません。

Ayaちゃんとの別れ

20180105(金曜日:晴れ)

メルボルン動物園のキリンです。

■今日もAyaちゃんに付き合ってもらいました。メルボルン動物園に行きました。トラムを乗り継いで到着です。駅前にはゴルフ場が広がり、カートを引いたゴルファーがプレイを楽しんでいました。のんびりしたものです。

 

[metaslider id=2174]

 

[metaslider id=2188]

 

■さて見学も終わり昼食を取りに、またトラムに乗りました。夕方からはバイトがあるため、Ayaちゃんとは食事を取ったらお別れです。最初に目指した日本食のお店は、まだ年始のお休みでした。ぶらぶら街を歩いた後に、タコスの店を選んで入りました。

 

昼食を取った街の様子です。

 

食事後にトラムに乗ってホテルに戻りました。Ayaちゃんとは、ここでお別れです。夕方からはバイトが待っています。長い時間よく付き合ってくれました。異国での生活は、本当に大変だと思います。目標があっての生活とはいえ、精神的にも辛いことが多々あるはずです。若いからこそ乗り越えることができるのでしょう。父親としては、何もしてやることができません。ただただ信じて応援するしかありません。

■さてホテル前で分かれてから、トラム駅のベンチで、これからどうするかSunと相談しました。帰る途中にあった美術館へ行ってみよう、と決まりました。無料トラムなら乗り放題ですので、気軽に出かけることができます。

ところが無料トラムに乗ったのですが、一駅で無料区域を外れました、という放送があり、慌てて降りました。そこから歩いてホテルに戻る途中にビクトリア州立図書館がありました。ホテルは午前中にチェック・アウトしてあるので、部屋の鍵が無いとトイレにも入れません。そんな時でしたので、図書館は渡りに船でした。さっそく入ることにしました。

当初はトイレを利用させてもらった後、玄関ホールで昼寝でもしよう、と思っていたのですが、せっかくだからと中に入ってみました。入ってみて、その壮大さに驚きました。

 

[metaslider id=2203]

 

楔形文字の説明です。いかに貴重な資料かが分かります。

 

■夜の9時に迎えの方がホテルに来てくれ、空港まで送ってくれることになっていました。ホテルの内部は冷房が効きすぎていて寒いのです。長くは待てませんでしたので、ホテル前のトラム駅のベンチで時を待ちました。行き交う人々を眺めるのも興味深いものでした。何しろ同じような人が一人としていないからです。アジア系の人の多さにも驚きました。

しかし一番驚いたのは今日たまたま動物園で会ったアフリカ系と思われる家族の皆さんでした。体型が凄いのです。あまりのスタイルの良さに目が点になってしまいました。ちょうど動物園で見たキリンが、そのまま人間に変身したような感じ、と言えば分かりやすいでしょうか。美しいのです。人間離れした美しさ、というのでしょうか。本当に驚きました。

さて21時になりました。フロントで20分ほど前から待っていたのですが、一向に迎えが来ません。パンフレットを見ると、10分以上来ないようなら電話してください、と書いてあります。15分待っても来ませんので電話で確認しようかと思った、その瞬間、ドアから入ってきた日本人らしき中年女性と目が合いました。資料を持っていたので、そうかなぁ、と感じたのです。案の定、迎えの方でした。

話を聞くと何度かフロントには来ていたようです。ただし名前を呼んで確認することもしていないので、仕事する人間としては失格です。相手がこちらを確認していくれるだろう、と勝手に思い込んでいるのでしょうが、どう考えても手抜き以外の何物でもありません。

さっそく車に乗って空港に向かいました。23時発ですので時間は十分あります。順調に到着することができました。ビジネスクラスは手続きも簡単なように思えました。パスポートを機械に入れて顔写真を撮って照合するようです。今回初めての処理法でした。あっという間に終わりました。

特別ラウンジを探しましたが、とても分かり難いところにありました。女性係員に尋ねたのですが、この方向です、と言ったきり取り付く島もありません。勝手に探せ、といった塩梅です。何とか辿り着き飲み物を探しました。トイレに入るとシャワー室があり驚きました。スマホの充電をしようと思ったのですが、プラグが合いません。受付に戻って話をすると説明してくれました。USB接続タイプなのです。

オーストラリアは電源のプラグタイプが日本と異なり三ツ口になっています。線路のような二本足タイプの日本のプラグは使えません。ホテルでは変換器を借りることができました。10ドルするそうですが無料で借りることができました。昔は変換器を持参していたのですが、最近はベトナムでも韓国でも必要になってことがありません。油断していました。

やがて時間になりラウンジを後にしました。

■飛行機に乗ってからは、眠剤を飲んでいたこともあり、座席を完全ベッドタイプにして眠りました。こんなに真っ平らになるとは知りませんでした。

Ayaちゃんとメルボルン

20180104(木曜日:晴れ)

Eureak skydeck 88 から見たメルボルンの街並みです。

 

■昨日は夜の11時過ぎにメルボルンに着き、手配してくれてあった迎えの方の車でホテルに到着しました。The Swanston Hotel   です。目の前がトラムの駅( Burke Street Mall: Stop 10) という便利な場所でした。朝9時前にあやちゃんがホテルに迎えに行きてくれ、そのまま一日今日は付き合ってくれることになっています。トラムから降りてきたAyaちゃんとは、一年ぶりの再会でしょうか。

 

Aya ちゃんとは一年ぶりでしょうか。元気そうで安心しました。

 

[metaslider id=2079]

 

■さて、まずはあやちゃんの家に寄って、Sunと二人でカバンに詰め込んで日本から運んだ 31kg 分の日本食を届けました。トラムの駅からカバンを引きずって、家までは10分ほどありましたが、なかなかの重労働でした。でも喜んでくれたあやちゃんの顔を見たら疲れも吹き飛びました。

でも入国の際は心配でした。なぜならオーストラリアは植物などの持ち込みに、とても厳しいからです。もろもろの持ち込み禁止物が書類に列記されています。飛行機の中の説明でも、その厳しさが強調されていました。申告書に正直に書き込みました。

空港では別のコーナーに連れて行かれて質問をされました。何が入っているのか、という質問です。正直に答えて説明すると、意外や意外、カバンを開けようとしてにも関わらず、それを制して通過して良い、と言われ、ほっとするやら、肩透かしを食らったような心境でした。

それから今度は市場の見学と昼食です。Queen Victoria Market です。Federation Square の中にあるのでしょうか? トラムを乗り継いで到着しました。

 

[metaslider id=2088]

 

[metaslider id=2099]

 

 

 

 

フィッシュ・アンド・チップスを食べました。美味しかったです。

 

[metaslider id=2110]

 

■さて無事に昼食も取り終わり、メルボルンの街を一望できるユーレカ・スカイデッキ88に向かいました。日本でも放映されたメルボルン街歩きの中でも紹介されていました。

ユーレカ・スカイデッキ88はネットによれば、

ユーレカ・スカイデッキ88へようこそ! 南半球で一番高いこの展望デッキはメルボルン市街地にある297メートル (975フィート)を誇る超高層ビル、世界的に有名なユーレカ・タワーの88階にあります。

ユーレカ・スカイデッキは、メルボルンで最も見晴らしの良い展望台で、市街とその周辺地域の全景を360度眺望することができます。当タワーのエレベーターは南半球一の速度、秒速9メートルを誇っています。またここは、世界初のエッジ体験、88階の側面からせり出すガラスキューブの中に入るとまるで地上300メートル近い高さに宙吊りになったようなスリル体験が味わえる唯一の場所でもあります。

メルボルンの中心を流れるヤラ川の河岸、サウスバンク地区に位置する当タワーへは、徒歩、自転車、バス、自動車、およびメルボルンの広範な公共交通機関網 (電車、トラム、路線バスのご利用情報は Metlink をご検索ください)でおいでいただけます。

88階からはメルボルン・クリケット場(MCG)、フリンダース・ストリート駅、アルバート・パーク湖、ポート・フィリップ湾、ダンデノン丘陵およびその遠景が望めます(備付けのビューファインダーや無料の双眼鏡をご利用になれば、さらに展望が開けます)。

 

と、あります。ガラスチューブにも入りました。ところが周囲はガラスに囲まれているためか、恐怖感が全然ありませんでした。上海でTakuと登った環球ビルを思い出していました。あそこで見た足元の光景も、こんな感じでした。

見晴らしを楽しんだ後、ヤラ川河畔を散策しました。その様子は隅田川を思い出させました。川は茶色がかっていましたが、硬質という違いもあるかもしれませんが、ベンによれば汚染もかなりあるようです。昔は泳ぐこともできたそうですが、さすがに今でも無理とのこと。どこの国も一緒です。

この旅で気になったのは、若い人のホームレスが、ここかしこにいたことです。そしてお恵みを、と器を置いていました。川沿いにも、そしてホテルの玄関脇にもいました。アメリカでも、こうした傾向は同じで社会的に大問題になっているようです。経済のグローバル化は極端な格差を産んでいて、いずれ臨界点に達するのは時間の問題のように私には思えました。

 

[metaslider id=2119]

 

さて、お土産を買うためにスーパーに寄ってもらいました。どこにでもある光景なのですが、レジに並んだ自動精算機の列に驚きました。日本でも自動になってきている、とはSunの言葉でしたが、私は驚きました。20台以上の精算機が並んでいる光景には始めて出くわしたからです。少なくとも日本やベトナムでは見たことがありませんでした。

これでは必要な人手が減るはずです。AIの発展で職を失う人が急増する、とは最近記事でよく見かけるタイトルですが、この光景を見ると、まんざら大げさでもない、と実感しました。人手不足だ、と言われる反面、確実に人手が機械に置き換わっています。10年後が、どうな世界になっているのか想像もできません、

 

[metaslider id=2120]

 

■さて一旦Ayaちゃんと分かれて、私たちはトラムに乗って、メルボルン大学に向かいました。トラム駅の目の前にあり、のんびりと散策がてら構内を歩きました。Wikipedia ネットによれば、

1853年に設立され、2005年5月に創立150周年を迎えたメルボルン大学は、世界大学ランキングでもトップクラスにランクされ、同国の高等教育と研究分野において非常に重要な役割を果たしている。創立以降、計17名のノーベル賞受賞者(内、卒業生の受賞者は8名)[3] [4]や、首相3名・司法長官4名等々の歴史的人物を数多く輩出している。2005年タイムズ誌の世界大学ランキングによると、メルボルン大学はオーストラリア国内で1位、また世界ランキングで19位にランク付けされた。[5]また2010年のQS社の世界大学ランキングでは総合ランキングで世界38位、雇用者評価で世界9位にランク付けされた。[6] 医学分野では特に評価が高く、2014年タイムズ誌の世界大学ランキング(Clinical, Pre-Clinical&Health)でメルボルン大学は16位[7]にランク付けされている。

同大学はオーストラリア国内のネットワークだけでなく、米国に位置するアイビーリーグ校と呼ばれる大学や他さまざまな世界有数の大学の交換留学プログラムなどを含めて、共同研究や人的交流を推進しており、専門分野において多岐にわたる研究は、学術的にも世界的に非常に高い評価を受けている。[8]約3万5千人の学生のうち、8千人を超える優秀な留学生が世界100カ国から集まっている。また、同校の位置するメルボルンはロンドン、ニューヨーク、パリに次ぐ多さで世界の学生が学ぶ、有数の国際学術都市である。

1992年までRMIT大学に学位を認定していた。

1997年に同大学がイニシアティブを執りUniversitas 21という研究に力を注いでいる大学間(デリー大学・香港大学・シンガポール国立大学・グラスゴー大学・早稲田大学等々)での単位交換や教授及び学生などの相互交流により、世界の大学の国際的ネットワークにも貢献している。

日本の交換留学プログラムの主な提携大学は、東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学、東京外国語大学、慶應義塾大学、大阪市立大学、上智大学、同志社大学、立命館大学、日本女子大学、学習院女子大学等。

 

 と、あります。ノーベル医学生理学賞を6名もの方が受賞しているのに驚きました。建物はレンガ造りのものが多いようで、落ち着いた雰囲気はイギリス譲りでしょうか。我が家の孫の誰かが入学してくれるかな、と二人で話したのはご愛嬌でした。

 

[metaslider id=2133]

 

■さて夜はAyaちゃんの彼氏 ベン・ローソンさんと四人で会食です。予定していたレストランが、何箇所かお休みで、散々アチラコチラを訪ね歩いた末に日本食居酒屋さんに辿り着きました。日本人女性が店員さんとして働いていました。料理は、まぁまぁでした。日本料理は寿司を始め、とても人気があるようです。ベンも日本食は大好物だそうで、生魚も納豆も食べることができることに驚きました。

日本には何度か旅行をしたことがあり、北陸、金沢、富山にも行ったことがあるそうです。中国、インドネシアにも旅行しており、アジアに対する偏見は少ないようです。メルボルンの街を歩いて感じるのは、とにかく様々な人種の人々が行き交っている、ということです。日本の様に、同じ服装をし同じような顔つきをした多くの人間が黙々と歩いている、という光景は、メルボルンでは見られません。本当に多種多様です。

そんな中でもアジア系の人々の数の多さが目立ちました。

 

[metaslider id=2146]

 

■こうして楽しかった一日も終わりました。ベンとは当然のことながら英語を通しての意思疎通ですので、思うようになりません。それでも誠実で、真面目な彼の性格の一端を知ることができたことで一安心しました。文化の違う人間が一緒に暮らすというのは、本当に大変なことです。当たり前が当たり前でないからです。

もっと英語を学ばないといけない、という実感をあらためて持ちました。

オーストラリアへの旅

20180103(水曜日:晴)

成田空港もお正月飾りです。

■昨日はノンちゃんが来てくれて、三人で夕食を取りました。楽しいひと時でした。いつまで、こうした時を過ごすことができるか、悩ましい問題です。

■いよいよ今日からAyaちゃんに会うためにオーストラリア、メルボルンに向かいます。

午前三時半に起きて沼津駅北口へ向かいました。成田空港バスに乗るためです。午前四時半出発です。

あやちゃんへのお土産、日常品や食料ですが、総受重量が 31 キロにもなりました。電車ですと荷物を運ぶのが、とても大変そうですのでバスを選択しました。

高速道路も帰省の車で大混雑かと思いきや、肩透かしで、順調に走り予定より早く、7 時には成田空港第二ターミナルに到着しました。

北ウイングのカウンターで旅券をもらい搭乗手続きに向かいました。手続きの開始が7時30分に始まったばかりなのでしょうか、長蛇の列でした。

現地での万が一の事故に備えて保険に加入し準備万端です。

成田空港ではサクララウンジという特別な部屋で寛ぐことができます。夕食として私は特性ビーフカレーを食べました。ただ品揃えは思ったほどのこともなく、Sunはがっかりしていました。同様の特別室がメルボルンにもありましたが、こちらにはシャワー室があって驚きました。出発の手続きを終えて、11分05分出発ですから、午前8時51分現在、食べ終わっても、まだ十分な時間があります。

食事をした三階のダイニングルームが混雑しているのに驚きました。コーヒーを飲み終えても、午前9時2分ですから、まだ二時間以上余裕があります。

窓際の暖かい席に移動して、こうして入力しています。昨夜は冷え込みも弱く、厚手の布団や毛布では暑いほどでした。日本は冬ですがオーストラリアは真夏ですので、衣類が真逆になります。

あやちゃんへの荷物に悩みます。オーストラリアは持ち込みが厳しいからです。特に食料品がうるさいようです。植物は無いのですが日本食の食材がどうなのか。現地に行ってみないと分かりません。

今の時期、大変混雑していて、オーストラリアへの航空券も、ノンちゃんが何とか取ってくれた今回のものしか手に入りませんでした。現地には実質二日しか居ることができない、忙しない旅程なのですが、致し方ありません。

■午前10時23分、71番搭乗口に到着。案内があり、気流の関係でシートベルト着用が必要なので、搭乗前にトイレに行っておいて下さいとのこと。

窓の外には青空と何機もの白い機体が並んでいます。11時00分、離陸予定です。メルボルンへは10時間ほどの旅。現地時間夜の11時過ぎに到着予定です。さすがに歳のためでしょうか、長い飛行は辛いので今回はビジネスクラスにしました。

離陸後は、ゆったりとした座席を堪能しました。行きは昼間ですので、あまり寝てしまうと現地に着いてからが眠れなくなります。映画を見たりスマホに録画したNHK韓国語講座のビデオを観たりして過ごしました。思ったよりは短い時間に感じました。

メルボルン国際空港には予定取り23時過ぎに到着。気温は20度以上ですので寒い日本とは大違いです。到着後に関門の持ち込み検査がありましたが、正直に申告したのが良かったのか、思いの外あっさりと通してくれました。バックの中を検められることもなく、すんなりと入国できました。

入国も無事に済んで玄関に向かうと、手筈してくれてあった迎えの方が来ていました。オーストラリア人の女性と結婚して現地に住み着いた、とのこと。埼玉県川越市の方で埼玉の話で話が弾みました。道路工事の箇所が多く、進入禁止やら一方通行やらで、ずいぶんと遠回りをしましたが、無事にホテルに到着。チェック・インも終わり部屋に入りました。

駐車の関係で裏口から入りましたので、夜でもありホテルの様子は分かりませんでした。Wi-Fiがありますのでスマホでメールだけ確認して、床に入りました。もう夜中を過ぎていました。明日はいよいよ、あやちゃんと会って、こちらでの短い滞在が始まります。

 

旅の終わり

20171224(日曜日 曇り)

帰りの機内から見た富士山です。

■今日で楽しかった北海道スキーの旅も終わりです。昨夜はホテルにある居酒屋さんで楽しい夕食でした。カウンター席が僅かに空いているだけの状態で、辛くも滑り込むことが出来ました。海外からの観光客で一杯なのです。十時には眠りにつき、目覚ましの鳴る7時半まで、のんびり寝ました。さっそく朝風呂に向かいました。小じんまりしたお風呂でしたが、十分温まりました。

 

そのまま昨日夕食を取った居酒屋で、今度は朝食です。やはりほぼ満員の状態で、店員さんが申し訳なさそうに、中国の方と同席でも良いですか、と尋ねてくれました。結構ですと、もちろん答えて同席しました。残念ながら中国語はさっぱり駄目ですので会話は出来ませんでした。一見新婚旅行のカップルのようにも見えました。和食を頼みましたが美味しかったです。ご飯と味噌汁をお代りしてしまいました。朝食も終わり、9時15分ホテル発の送迎バスで新千歳空港へ向かいます。8時40分現在、最後の後片付けをしています。

 

新千歳空港を飛び立って、すぐに見えたゴルフ場です。北海道のゴルフ場は、いま冬休みです。

長野県の上空のようです。画面上が日本海です。

駿河湾に出て旋回し、右手に富士山を見ながら空港を目指しています。船が一艘見えています。

 

■10時35分新千歳空港発のANA便で戻りました。ボーイング733でしたが、ぱっと見たところ3割程度しか乗客がいませんでした。これで採算が取れるのか心配になりました。便が廃止されるのが一番困るからです。富士山静岡空港からは北海道へ、新千歳空港と丘珠空港へ飛んでいます。今年は、そのどちらも利用しました。

 

地方空港は便利です。乗り降りにも時間がかかりませんし、駐車場はたいてい無料です。利用しない手はないのですが、便が少ないのです。富士山静岡空港からは北海道以外には、福岡、鹿児島、そして沖縄に飛んでいるだけです。便数も少ないので旅の日程が限られます。そのあたりが辛いところです。

 

2時間強で到着。空港を出たのが13時頃でした。東名高速道路を飛ばして家に着いたのが、15時前でした。北海道では冬至のためもあったのでしょうが、15時頃には暗くなってしまうのに驚きました。天気予報では今週は北海道は低気圧の発達で大荒れになるとのこと。

 

兎にも角にも楽しい旅でした。ケガもなく無事に家にかえることができたのが一番です。富士山静岡空港について驚いたのは、その暖かさでした。日本は広いのです。満足、満足でした。

 

天皇誕生日

20171223(土曜日:晴れ)

今日のゲレンデは気温のためか重かったのです。

 

今日は天皇陛下の84回目の誕生日。お元気そうです何よりです。長い長い皇室の歴史の中で平成天皇は、新しい天皇像を確立したという意味で、いわゆる中興の祖的な存在になられるに違いありません。新しい憲法のもと、新しい天皇像はどうあるべきか、という点に一生を捧げられたように思えます。平成天皇の姿勢を一言で集約すれば、国民ファースト、と言えます。国民の安寧を何よりも望まれ、全身全霊を持って、その実現のために毎日を送られた、と私には思えます。

 

一部の政治家が唱えるファーストは、結局のところ、自分ファーストに堕してしまった事を思うと、平成天皇の素晴らしさが、改めて実感できます。こうした人間天皇を持つことのできた私たちは本当に幸せです。強くそう感じます。

 

■昨日は一年ぶりのスキーでした。普段のランニングで鍛えていたおかげか、思ったよりは落ちついて滑ることができました。冬休み前の金曜日ということもあったのでしょうか、ゲレンデは閑散。おかげでゆったりと滑ることが出来ました。

 

今回もサホロリゾートを利用していますが、電車に乗ってこちらに来る時に驚きました。サホロリゾートに行くには新得駅で降りてバスに乗ります。JR線では一つ手前の駅がトマムです。そのトマム駅の駅前には、あの有名な星野リゾートやクラブメッドの送迎バスが待ち構えていました。クラブメッドは新たに施設を買収したようです。サホロとトマムの二本立てです。トマムは海外特にオーストラリアからの観光客がとても多いのです。

 

クラブメッドでは子ども達が列を成してスキーのレッスンを受けています。今年の夏はニセコにも行きましたが、あまりの賑わいと多くの建設中の瀟洒な建物に驚きました。海外の方が来日してくれるのは本当に素晴らしいことです。民間レベルでの交流が深まるほど安全保障の面からもプラスです。安全保障というと軍隊や兵器が議論されますが、人の交流こそが最強の安全保障なのです。

 

■今日は10時にゲレンデに行きました。ホテルから送迎バスでゴンドラステーションに到着。第六リフトからスタートです。今日は何としてもゴンドラに乗ってサホロ岳の頂上、海抜千メートルに行くつもりでした。午前中は曇り空で、これでは頂上に行っても綺麗な写真は撮れそうにありませんでしたので、準備運動代わりの滑走に努めました。

小雪がちらつく天候でした。

 

11時半からゴンドラステーションで休憩し筋肉の疲労回復に努めました。小一時間休んでから、いよいよ最後の滑走です。私はゴンドラに乗って頂上に行きました。同席したのは帯広の方でした。車でスキー場まで来るとのこと。十一月にはタイヤをスタッドレスに交換したようです。冬の運転は怖いと、しきりに話されていました。

 

頂上は残念ながら霧に包まれ、滑り始めた時には、数メートル先が見えない状態でした。その為もあって急斜面で転んでしまい、さらには道を間違えるところでした。何とか急斜面を戻って、緩やかなコースを進むことが出来ました。長いコースを最後まで滑走して疲れました。頂上コースは一度で止めました。

サホロ岳1,000メートルから滑走しましたが、気温が上がり雪が重くなり、霧も重なり往生しました。

 

午後一時半にはゲレンデから引き上げスキー用具を返却しました。そして温泉にゆっくり浸かって、四回も温冷水浴を繰り返しました。15時15分の送迎バスでホテルを出発。新得駅には15分で到着。列車を待ちました。スーパー十勝に乗って新得駅から南千歳駅までは、一時間半ほど。私はスマホに録画してあるNHKハングル講座を復習しました。南千歳駅で乗り換え千歳駅に到着。ホテルに入ったのが18時過ぎでした。夕食はホテルの一回にある居酒屋に決めていました。ネットの書き込みもまずまずの店です。

 

北海道の新鮮な食材を満喫しました。北海道の地酒も堪能しました。お刺身の盛り合わせの美味しかったこと。来年の千歳マラソンに参加できるかどうか、Takuの連れ合い次第でしょうか。

 

千歳駅近くのホテル内の居酒屋にて。十分美味しい食材をいただきました。

やはり北海道の食材は格別です。何度来ても、そう思います。

 

冬至

20171222( 金曜日:晴れ)

特急スーパー十勝です。南千歳から新得駅まで乗りました。1時間半ほどです。

■ 今朝は新千歳空港内のエアターミナルホテルで迎えています。 昨日は診療が終了して 14時23分頃家を出ました。 東名高速道路愛鷹スマートインターチェンジから 高速に乗り、 吉田インターチェンジまでまっしぐら。 途中 工事区間があり渋滞しましたが、 家を出て ほぼ一時間半で富士山静岡空港に到着しました。

 

16時30分発 ANA 便で新千歳空港に向かいました。 予定よりも15分ほど早く18時少し過ぎに 到着しました。 空港内にある ホテルですので、 空港内を 10分ほど歩き フロントにたどり着きました。ホテルはEカウンター近くにあります。 何度も利用しているのですが、 たどり着くのには右往左往です。

 

一休みしてから夕食を取るために 部屋を出ました。 飲食店街の店で ビールと 北海道の美味しい食事をいただきました。 ホッケの焼き魚を食べましたが、その大きさに驚きました。食事後一旦部屋に戻り、 空港内にある温泉施設に向かいました。 ゆっくりと湯船に浸かり 疲れを取りました。 コンビニでアイスクリームを一つ買って部屋に戻りました。

 

もちろん部屋は暖房が効いていますが、 普段暖房なしで寝ているものですから、 体温管理がなかなか難しいのです。Sunは 寒くて眠れなかったようですし、 私はむしろ暑くて寝苦しいほどでした。

 

■さて若干寝苦しかったのですが、十分な睡眠は取れたようです。六時半に目覚ましを掛けておきました。途中二回目が覚めてお手洗いに行きました。最後に起きたのが四時半頃。それからは少し寝付けずに、うなされる内容の夢でしたが、目覚ましの音に救われました。ホテルのレストランでバイキングの朝食を取り、部屋に戻って後かたづけを済ましてチェックアウトしました。

 

JR新千歳駅8時15分発の電車で、まず南千歳駅まで行き、8時26分発スーパー十勝一号に乗り換えました。新得駅には十時前に着きました。

新得駅の改札口です。すっかりお馴染みになりました。

新得駅前でホテルの送迎バスを待ちました。前回同様素晴らしい青空でした。

新得駅の駅舎です。美しい青空です。

 

10時10分発のバスで十勝リゾートホテルに向け出発。乗ったのは私たち二人だけでした。 15分ほどで到着しました。ホテルに到着し早速チェックイン。 部屋は610号室でした。 今年は1月のスキーに 訪れました。 泊まったのは 同じこのホテル。 部屋に入り 一息ついてから、 さっそく スキー一式を借りるために部屋を出ました。

 

ホテルのフロントです。海外からの多くの観光客が訪れていました。

 

スキー を借りて ゲレンデに向かいました。 ホテルからは 道路を隔てて 向かい側に リフト乗り場がありますので、 3分もあれば リフトに乗り込むことができます。ところが ハプニングが待っていました。Sunの借りたスキー板と 靴のサイズが合ってなかったのです。 通常は借りる際に必ず一度 靴をはめてみて サイズの違いを確認するのですが、 今回の担当者はそれをしなかったのです。 私も確認した方が良いと思ったのですが信頼して ゲレンデに向かったのは間違いでした。 ゲレンデで会ってないことに気づきもう一度 ホテルに戻りました。

 

無駄な時間を浪費しました。 それでも 青空が見える天候のもと ゲレンデを滑るのは最高の気分です。 ただ1時間も滑っていると 疲労もあって、 それ以上滑り続けるのは 難しくなってきました。 そこで ゴンドラ駅にある休憩所で 温かいココアを飲んで30分ほど休みました。 生き返りました。

 

ようやくゲレンデに到着。ほぼ一年ぶりのスキーです。サホロの雪は、やはり格別です。

 

結局2時間ほど滑りホテルに戻り 温泉にゆっくり入ることにしました。 温泉では 温冷浴法を3回繰り返し筋肉痛の発生予防を行いました。17時からの夕食に備えて、 15時57分こうして更新しています。

 

スキーを終えてお風呂に入って、待望の乾杯です。

Page 25 of 28

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén