2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 95 of 152

愚民化政策

■20190929(日曜日、曇り)

 

柿の花と実が同居しています。

■昨日の朝走って目標の月100キロ走を達成していますので、今朝はゆっくりと休みました。昨日は夕方から会議があり、懇親会もありましたので、いつもの土曜日とは違う一日でした。今日は休日当番日ですので、朝の8時から夕方の5時まで籠の鳥です。

昨日はラグビーワールドカップで世界第2位のアイルランドに日本が歴史的な勝利を収めました。ちょうど懇親会の途中だったのですが、仲間の1人が突然立ち上がり、日本が勝利した、みんなで乾杯しようと叫びました。前回のワールドカップで、日本が南アフリカに同様の勝利をおさめ、日本中が大騒動になったことを思い出しましたが、今回はそれ以上の驚きをもって迎えられたのではないでしょうか。大会前に行なわれた南アフリカとの練習試合が、期待外れの内容でしたので、正直私はあんまり期待していなかったのですが、どうやら実力は本物のようです。これでベスト8は間違いないようです。

■さて、昨日の夜から話題の本を読み始めました「三体」です。AmazonのKindle版をネットで購入しました。「三体 : 劉 慈欣 (著), 大森 望 (翻訳), 光吉 さくら (翻訳), ワン チャイ (翻訳), 立原 透耶 (監修)」。アマゾンの解説には、こうあります。

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート女性科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。

数十年後。ナノテク素材の研究者・汪淼(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体〈科学フロンティア〉への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象〈ゴースト・カウントダウン〉が襲う。そして汪淼が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?

読みたくなった時にすぐ購入できるのは電子書籍の大きな利点です。アメリカの調査では、主に電子書籍を読んでいる人は印刷された本を読む人の3倍近くの量を読んでいる、という報告もあるようです。これは実感としても納得できる数字です。まず読みたくなった時にすぐ手に入る。そして端末で文字の大きさを自由に変えて読むことができる。一つの端末で何百冊も自由に持ち運びができる。さらに若干の値引きもありますので、読む方にとっては、電子書籍には利点はあっても、あまり欠点はないように感じられるのです。

先日ある会合で大学の先輩が、kindleで読書をするのはとても楽だ、紹介してくれてありがとう、と言ってくれました。その先輩にKindleを勧めたことは、正直あまり覚えていなかったのですが、仲間が増えたようで、とても嬉しく思いました。自由に文字の大きさを変えられる点、そしてページをめくるという必要がない点など、利点を挙げていました。私もその通りだと同意しました。そして翌日ある本を紹介しました。内館牧子さんの「すぐ死ぬんだから」です。この本はゴル友の一人にも勧めたのですが、読んでくれて、「とても面白かった」と感想を述べてくれました。彼は私と同級生ですので、高齢化しつつある自分自身にも、当てはまる部分があったのでしょう。

 

 

■今朝の東京新聞の社説欄には、こうあります、「さぁ、本屋にいこう」。週のはじめに考える、です。日本中で、「無書店自治体」が増えており、国民の活字離れが確実に進んでいます。フランスではインターネット通販の影響を重く考え、小規模書店保護を目的に、ネット書籍販売での配送料を無料サービスを禁止する法案が、 数年前に議会で可決されたそうです。実にフランスらしい行動だと感じました。昨年2月に行われた全国大学生協連が発表した学生生活実態調査の結果では、電子書籍も含め1日の読書時間がゼロという学生が5割を超えており、今年公表された数字でも48%でした。これに対して、我が国政府は危機感を感じないと言うより、それを良しとしている節さえあります、と紙面は語っています。

民主主義国家では政府の役割は多々あるものの、国民の生活を安定させること、そして国民の学びたいという気持ちを可能な限り応援する、という二点が、とても重要です。人間は本能のままに生きているわけではありません。ファーブル昆虫記を読むと驚くのは、昆虫にはなんと素晴らしい本能が備わっているのか、ということです。人間にはとても真似ができません。しかし昆虫は、そのことを自覚しているわけではないのです。本能ですから。人間は、乏しい本能しか持たずに生まれ落ちてきます。あとは学び続けるしかないのです。つまり人間は、学ぶことで人間になるのです。

したがって人間らしい社会を作るためには、一人ひとりが学び続ける必要があります。学校は、そうした観点から生み出されたものでしょう。学校を終えたら、それで終わりではもちろんありません。いやむしろ、それは新たなスタートなのです。学校とは、学ぶとはどういうことなのか、どうしたら学ぶことができるのか、学ぶためにどうしたら良いのか、ということを学ぶ場のように思います。あとは試行錯誤を繰り返しながら、一人ひとりが一生をかけて自分自身を作り上げていくのです。その過程が人生そのものです。

ところが今の政府は、真逆の施策を推進しています。教育予算を削り続け、奨学金はサラ金化させ、非正規雇用を際限なく増やし、技術・技能を身に付ける暇を働く人々に与えない、などなど。国民の学ぶ意欲を後押ししているとは、 どう考えても、 ありえません。

なぜ国民の代表である政府が、国民を学べない状態に留めおこうとするのか。国力を衰退させるだけですから、普通に考えると、ありえないことです。もし考えられるとすると、そうした状態に国民を留めおくほうが、政府にとって都合が良いからです。政府といえば聞こえは良いのですが、要するに権力を握った人々にとって、ということです。

なぜでしょう。もし多くの国民が学び続け自分自身の頭で考え始め、いまの世の中はおかしい、違った政策を政府は取るべきだ、と考え始めるとどうなるか。今の政権与党は確信犯ですから、違った政策を実行するためには、政権交代しかありえません。それが与党が 最も 恐れる事態です。そうなると、取るべき施策は明らかです。愚民化政策です。

毎日の生活で精一杯の状態に国民を押し込める。 本を読ませない。テレビばかりを見るように仕向ける。古代ローマ時代以来、繰り返されてきたことに違いありません。そうして権力を握った人々は、自分たちと仲間の間で、甘い汁を吸い続ける。災害で国民が苦しんでいる中でも、税金を使ってお花見の会を、堂々と開催する。文句を言う国民には、隣の国がミサイルを発射して攻めてくるかもしれないぞ、と恫喝する。誠に見事としか言いようがありません。これが戦後政治の総決算なのでしょう。

自分ひとりが投票に行っても、何も変わるわけがない。だから選挙も棄権する。そもそも選挙の際に、何が問題になっているのか、与党は明らかにしようとしません。7月の参議院選挙でも、選挙が終わって議席の激変が起こらなければ、消費税が10%に増税されることを、政権与党は、なるべく語ろうとしません。増税が選挙の争点にならないことなど、普通ではありえないことです。

社会保障の安定財源として消費税は絶対に必要だ、と政権与党幹部は選挙後に、しきりに語っています。しかし実際には、社会保障の財源として利用されている 消費税は 、ごく僅かなのです。本当のことを、彼らは語りません。マスコミは政府に習えです。争点のはっきりしない選挙では、投票率は上がりようがありません。争点は曖昧にし、投票率を挙げない。自分たちは組織票でガッチリ票を積み上げる。これでは議席配分に変動が起こることは、まずありえません。

狙い通りです。実に見事ですが、これも民主主義国家での出来事なのだと思うと、とても複雑な心境です。ホモ・サピエンスが農業を始め社会を作り始めて、1万年以上が経過しています。その間に、試行錯誤の結果たどり着いたのが、いまの民主主義国家制度です。いまのところ代替できる制度は、無さそうです。

今の政治に足りないのは国民に対する愛だ、と山本太郎さんは語っています。私も、そう思います。いまの政権与党には、最大多数の国民を幸せにしようという、そうした愛がありません。私利私欲のためにのみ、政治を行っています。信じられないのですが、それが現実です。

以下の記述が 日本でも当てはまるとは、思いたくもないのですが、ひょっとすると、世界共通なのかもしれません。

「人類のすべての行為は悪であり、悪こそが人類の本質であって、悪だと気づく部分が人によって違うだけなのではないか。人類がみずから道徳に目覚めることなどありえない。自分で自分の髪の毛をひっぱって地面から浮かぶことができないのと同じことだ」

(『三体』(劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶 著)より)

自分から行動する

■20190927(金曜日、晴れ)

 
夜明けの東の空です。月が朝日をお出迎えです。

■今朝は走らずに休みました。昨夜は眼科の勉強会があり開会の挨拶と座長を務めました。東京から2人の先生をお招きして、講演をしていたのです。翌日からの診療にも役立つ貴重な情報を提供していただきました。講演の後は懇親会もあり、親しくお話をしていただき講演会では聞けない実際的な経験や情報を頂き、大変参考になりました。ホスト役というほどではありませんが、取りまとめ役として一応皆さんに気を使わなければなりませんので、それなりに疲れました。これであと残るは11月の勉強会と世話人会の開催のみとなりました。一つずつ確実に実行していくしかありません。

■さて今朝の東京新聞朝刊第1面には、こうあります。「木村46歳、新王位」。将棋の豊島将之王位に木村一基九段が挑戦していた、第60期王位戦7番勝負の最終第7局が行われ、後手番の木村が110手で勝ち、初の王位を獲得したというニュースです。木村九段は46歳3ヶ月での初タイトル獲得となり、有吉道夫九段が持つ最年長記録37歳6ヶ月を大幅に更新しました。「中年の星 7度目の正直」とも題されています。木村九段の言葉です。

負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう。

なかなか勝てない、遅咲きの木村9段が、その過程で生み出したのが、苦しい局面を粘り強く耐え忍ぶ「受け将棋」だったそうです。私達にとっても学ぶことはとても多い話のように、私には感じられました。

■今朝の新聞で一番心に残ったのは、実は購読者からの投稿欄「発言 若者の声」の中の一節でした。投稿主は、川崎市に住む高校生16歳の女性です。彼女は高校生になり、自分の存在価値に疑問を持つようになっていたそうですが、図書委員会の執行部に入り、その一員として、文化祭の展示やビデオ鑑賞会の運営などを経験、それを通し自分のいる意味を見つけられるようになったそうです。「自分から行動する」ことが自分の自信に変わっていった、と彼女は書かれています。そして最後に彼女は、こう書かれています。

本年度、私は図書委員長となった。読書の楽しさや図書室の良さをみんなに感じてもらえるよう、本と人をつなぐ架け橋となっていきたい。

なぜこの記事に目が止まったかといえば私も同様の経験をしていたからです。三十年近く前、沼津西ロータリークラブに入会させていただきましたが、受け身一方で面白みを全く感じることが出来なかった自分でしたが、社会奉仕委員長になった時に、ある企画を立案・実行しました。それは地域に住む視覚障害者の方、そして共に生活する盲導犬を例会に招待し、視覚障害者の方が日常生活で遭遇する生活上の困難さを、お話ししていただいたのです。本当に驚くことばかりでしたが、私自身そして会員の皆様にとっても、有意義な時間を作ることができました。

そのように自分から行動することで、ロータリークラブの意味あるいは楽しさを実感することができたのです。その経験が、彼女の投稿に目を止めた原因だと思います。いくつになっても、どんな組織の中でも大切なことは、自分から行動することだ、という彼女の指摘は、誰にとっても大切な点に違いありません。

 

空疎

■20190925(水曜日:晴れ)

道の駅「びえい丘のくら」です。

■ゆっくりと今朝は休みました。起きた状態で今朝も走ろうかと思ったのですが、さすがに疲れが溜まっていたようです。無理をしても致し方ありません。幸い今月は良いペースで積み重ねが出来ていますので、特段のことがなければ、今週中に目標の月100 kmを達成できるはずです。

毎月、毎月、目標を達成することを最優先に考えて計画を立てていますが、いつまで続けることができるのか、正直不安になってきました。記録が途絶えてしまうとすると、その原因として一番考えられるのは、なんと言っても、病気や怪我です。

今年の8月で66歳になりましたから、持病の一つや二つがあっても、決しておかしくはありません。皆さん、多分そうだと思います。一病息災という言葉があります。持病の一つぐらいあった方が、かえって体を労って長生きできるという意味のようです。

私の場合は母の体質を受け継いでいるようで、黙っているとLDL、つまりは悪玉コレステロールが上昇してきます。食事の管理はもちろんですが、やはり運動を続けていないと、善玉と悪玉のバランスが悪くなってしまいます。

体質ですから、こればかりは文句を言っても始まりません。付き合っていくしかないのです。ということで、還暦でフルマラソン、を目標に走り始め、現在まで月 100 kmの目標を自分に課しているのです。そのおかげに違いないのですが、今のところ特に支障をきたすこともなく、自分なりに元気で毎日を送れているのは本当にありがたいことです。

■さて、新しく環境大臣に就任した小泉進次郎氏の発言が話題になっています。耳触りは良いのですが、内容があまりに空疎なことに、みなさん気づき始めたのです。もちろん今に始まった事ではありません。小泉進次郎氏は昔から、小泉進次郎氏なのです。

今朝の東京新聞本音のコラム欄では、文芸評論家の斎藤美奈子さんが「空疎の連鎖」と題して、小泉進次郎氏の発言を取り上げています。

私の中で30年後を考えた時に30年後の自分は何歳かなと、発災直後から考えていました。だからこそ私は健康でいられれば、30年後の約束を守れるか(以下略)。

空疎、空虚、意味不明と斎藤美奈子さんは切り捨てています。私もその通りだと思いますが、大切なのは、このような政治家から連発される言葉を聞いて、喜んでいる私たち自身の心の在り方を、見直すことではないでしょうか。

いまの地獄のような世の中を作ってしまったのが政治であれば、そんな世の中を変えることができるのも政治だ。

と言っているのは、れいわ新選組代表 山本太郎さんです。今という時代を同じように生きている2人の政治家の、発言の間に横たわるこの深い溝を、私たちはしっかりと認識した上で投票行動を取らなければならないのです。

階級社会

■20190923(月曜日:雨)

懐かしの「北の国から」の舞台です。

■昨夜から雨が降り続いています。台風17号が日本海に抜けて、北上中のようです。これから北海道は大雨になるかもしれません。

昨日は沼津西ロータリークラブのゴルフコンペがありました。最近は皆さんの都合を勘案して土曜日に開催されることが多く、私はなかなか参加できませんでした。当然のことだと思います。次の日が休みであれば疲れも取れますし、気持ちの上でも随分と楽です。通常の日曜日ですと次の日は仕事ですから、なかなかのんびりできません。これからは色々な組織の催し物は、土曜日に集約されていくかもしれません。ほとんどの方が、週休2日制だからです。

ただし地域の公的病院が土曜日休診ですので、自分たちが休診にしてしまうと街は無医村の状態になってしまいます。したがって私のような開業医は、土曜日を休むことができる日は永遠に巡ってこないでしょう。世の中の流れですから、致し方ありません。

 

■さて、今朝の東京新聞朝刊の「東京エンタメ堂書店」では、作家の江上剛さんが、「就職氷河期世代のために」と題して3冊の本を紹介されています。

1冊目は「進む分断化、恐ろしく」と題して「橋本健二著『 新日本の階級社会』講談社現代新書」を紹介されています。橋本氏によれば、日本社会はもはや『格差社会』などという生ぬるい言葉で形容すべきものではない。それは明らかに『階級社会』なのである、と指摘し、実証しているのです。今まで、階級社会の底辺は労働者階級だったのですが、非正規労働者の増加で「階級以下」の存在、「アンダークラス」が形成され、労働者階級が分断されたというのです。

2冊目は「生活の厳しさ、克明に」と題して、『非正規クライシス』(朝日新聞出版)を紹介されています。世の中は人手不足だと叫ばれながらも、2017年度、非正規労働者は2036万人となり、全労働者の37.3パーセントにもなっています。安倍総理が自慢げに語る雇用が増えても、その実態は収入の少ない非正規が増えているだけで、社会も安定しないし、消費も上向かない。この本は非正規労働者の実態を克明にルポしており、その生活の厳しさに胸が痛む、と江上さんは書かれています。

3冊目は「児童虐待死の原因にも」と題して、朝日新聞取材班著『増補版 子どもと貧困』(朝日新聞出版)を取り上げています。非正規労働者の増加の影響は、社会的に最も弱い部分である子供に対しても当然影響しています。日本は先進国でも子供の貧困比率が高い国なのです。相変わらず子供虐待死の報道が減りませんが、これも貧困が原因である、と江上さんは書かれています。

 

■この3冊の江上さんによる書評を読むと、現在の社会が抱える多くの問題の根底に、非正規労働者の増加による貧困の問題があることが分かります。小泉内閣以来、強力に推し進められてきた、規制緩和による派遣労働者の増加は、派遣会社に巨大な富をもたらしたものの、多くの国民は貧しくなる一方である、という事実です。

働く人の人件費は単なる経費コストであるという経営者の考えが徹底されてきているのです。こうした経営方法は、まるで焼き畑農業のように、私には思えます。結局は人々を貧しくし、社会を不安定にし、未来にわたって継続可能な社会を構築するという政治の持つ本来の目的とは、まるで真逆の方向に進んでいるように思えるのです。小泉政権以来の新自由主義と名付けられた政治の進む方向は明らかに間違っているのです。

一刻も早くこうした方針を転換していかないと、日本社会は暴力に満ち、いっときも気を許せない、不安な社会になることは、火を見るより明らかです。時間は残されていないのです。野党の皆さんに、悠長な議論にふけっている暇はないのです。一刻も早く政権交代をしないと日本は永遠に立ち直れない社会になってしまいます。1人でも多くの国民がその危険性に気付かなければなりません。

認知不協和

■20190919(木曜日:曇り)

「北の国から」の家に向かう途中のクイズです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は終日雨の一日で気温も上がらず、空調を使うこともありませんでした。のんちゃんが以前から飼っていたウサギのペット、ダラが手術を受けることになり、動物病院で昨日手術を受けました。大変な一日だったようです。人間に換算するとかなり高齢のようで、色々病気が出てくるのも致し方ないんでしょう。一日も早く元気になってもらいたいものです。

■さて東京新聞に連載されている「一心不安・現代日本人の個と孤」の昨日の原稿は「すっぱいぶどう」でした。イソップ寓話の一つ、あのすっぱいぶどうです。あらすじは、こうです。お腹を空かせたキツネが、おいしそうに実った葡萄の房を見つけました。食べようとして懸命に飛び上がりましたが、高いところにある葡萄には、何度跳んでも届きません。とうとうキツネは「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみを言って去って行きました。

この話のように自身の考えと現実の状況が矛盾する時に、新たな信念や考えを持つことを心理学では「認知不協和」といいます。著者の名古屋大学教授、川合信幸先生があげる、分かりやすい例が喫煙者の言い訳です。

喫煙者が「喫煙する」と「喫煙で癌になりやすい」という二つの矛盾を抱えた時に、それを解消するには禁煙するか別の信念を持つかのどちらかを選ばなければなりません。禁煙すれば一番良いのですが、それは大変なので、「喫煙者でも長寿の人もいる」、「肺がんよりも交通事故で死亡する確率の方が高い」という理屈を作ったり、断片的な事実を信じることで矛盾を解消しようとする行為です。

イソップの「すっぱいぶどう」の教訓は、負け惜しみを言うな、ということでしょう、と川合先生は書かれています。でも、なんとかとハサミは使いようでして、この認知不協和も、上手に使えば不快な気持ちをやり過ごせるかもしれない、と川合先生は書かれています。例えば

「みんなと一緒にいたい」。でも「仲間外れにされる」なら、「あの人たちは、わたしが仲良くすべき人ではない」と信念を変えてしまえば矛盾は解消します。届かない葡萄に無理に飛びついて怪我をする必要はないのです。

と最後に書かれています。いじめ問題で苦しみ自殺にすら追い込まれかねない、学校での状況を考えると、こうした考えはとても大切ではないかと私には思えるのです。

テレビ

■20190917(月曜日晴れ)

北の国からの世界です。

■今朝はさすがにゆっくりと休みました。昨日は本当に久しぶりに LSD を敢行し来月のハーフマラソンに向かって1歩前進しました。とにかく暑い一日でした。一昨日の日曜日は同様の天候の下、マラソンの予選レースである MGC が東京で行われましたが、選手たちはさぞ暑さに参ったことだと思います。昨日は朝の5時半から2時間と少し走りましたが、時間帯的にはまだまだ暑さはそれほどではありませんでしたが、MGC はまさに暑さが募る時間帯に行われています。想像するだけで、めまいがしそうです。さらに来年の東京オリンピックは今よりも1ヶ月も前、つまりもっと暑さが酷い時期に開催される訳ですから、選手にとっては命がけになりかねません。

オリンピックが、これほど選手を軽々しく扱うようになったのは、いったいいつからのことなのでしょうか。1964年の東京オリンピック開会式は10月10日でした。まさに秋晴れの青空の下、オリンピックは開催されたのです。どうも、ロサンゼルスオリンピックからというのが通説のようです。経済的に行き詰まり、開催地がなかなか決まらなかった当時、商業資本を大胆に取り入れ開催されたロサンゼルスオリンピックから、テレビやマスコミの思惑に沿って、開催時期も決定されるようになりました。オリンピックの開催が決定されると、妙にはしゃいだ様子の芸能人たちや、選手たちがテレビの画面に頻出するのですが、とても奇妙に私には感じられるのです。

テレビの影響というのは、とても大きいと思います。テレビの一番の効能は何も考えずに時間を過ごせることです。友人達と話していて、「忙しいので時間がない」と言われる機会が多いのですが、これはいささかマユツバです。その人がテレビを見ない、という生活を送っているのであれば、本当に自由な時間がないのだと思いますが、そういう方は極めて稀です。

一日あたりどれだけの時間をテレビに費やしているかは、もちろん現役世代と退職した高齢者とでは全然異なるはずです。時間がないと言って困っている人は、テレビのスイッチを切れば良いのです。おそらく1日2時間以上、新しい時間が生まれるはずです。限られた時間しかない貴重な一生の中で、テレビに時間を費やすのは、本当にもったいないと思います。貴重な時間に値する番組は、もちろんあるのですが、極めて稀です。

恐らくテレビとどう付き合っているかを確認するだけで、その方の人となりのかなりの部分を知ることができるような気がしてきているのです。大宅壮一さんは、さすがに慧眼の持ち主だったようです。

一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。

恐怖

■20190913(金曜日:曇)

北海道 富良野駅の様子です。

■昨夜は静岡県東部眼科医会放談会をプラザヴェルデで開催しました。一般演題6題、そして千葉大学から緑内障を担当されている、白戸先生にお越しいただきました。先生のお話では千葉県では緑内障を専門に診療されている病院が少なく、患者さんが千葉大学付属病院に集中する傾向があるようです。ということは、多くの患者を一手に抱えて先生は大忙しの毎日という事態になります。

緑内障の治療は効果の高い多くの点眼薬の出現によって、昔と比べて大きく変わりました。また疫学調査やOCTなどの新しい検査機器の登場によって、緑内障自体が以前考えられていたよりも、ずっと頻度の高いものであることも分ってきました。実際に現在では中途失明の原因として、緑内障が第1位の原因疾患になっています。40歳以上では5%に、そして70歳以上では10%以上の罹患率があると考えられています。診療していると、高齢者のほとんどに、緑内障性の変化があるように思えてくるから不思議です。

点眼薬でコントロールができない症例は手術が適応となります。以前は緑内障の手術というと手術自体が大変難しいと同時に、術後管理が大変でした。しかも、白内障の手術のように、手術の後にまるで別世界のように物が綺麗に見えるようになる、ということは緑内障の手術ではありません。それ以上病状が進まないようにするという目的での手術だからです。患者さん自身も緑内障の手術を希望しないことが多く、手術を勧める立場の私達も、大変迷う場合が多いのです。

しかし、最近は手術の方法も様々に工夫、改善され、患者さんにとっての負担も、かなり軽減されました。白戸先生のお話をうかがい、手術に踏み切るタイミングを見極めることが、これまで以上に大切だということを教えていただきました。大変勉強になった有意義な放談会でした。

先生は昨夜のうちに千葉にお帰りにならなければなりませんでした。会場の終了後には、大学時代の仲間の先生と歓談されるということで、私は会場でお別れして帰宅の途につきました。またゆっくりお話できる機会があれば、と願っています。

■台風15号のお話も伺いましたが、一軒家にお住まいの先生は、ちょうど台風が真上を通過したようで、一瞬風がピタリと止んだ後に、猛烈な風が吹き荒れ、家が吹き飛んでしまうのではないかと恐怖を感じたそうです。風速が50Mを超えたようですから、その恐ろしさは言葉では言い表せないものだったに違いありません。

違い

■20190911(水曜日:曇)

芦別市にある三段滝です。涼しげでした。

■今朝は走らずにゆっくりとお休みました。千葉では未だに電気が復旧せずに、猛暑の中大変な苦労が続いているようです。特に病院では停電していると、適切な医療を行えずに、スタッフの皆さんが大変苦労していることが容易に想像できます。東日本大震災の際は、寒さに被災者がうちひしがれましたが、今回は猛暑の中ですので、これもまた大変です。私達の生活がいかに電気によって支えられているかを痛感します。

NHKスペシャルで映像の世紀という番組を放送していましたが、20世紀は映像の世紀であると同時に、電気の世紀でもあったかもしれません。

■さて、安倍総理が内閣を改造し、新しい大臣の顔ぶれも決まりました。小泉進次郎氏も男性としては史上最年少の入閣となったようです。環境大臣に就任したようですが、活躍を祈るばかりです。先日、小泉氏のある講演会の様子をYouTubeで見ることがありました。毎日新聞の主催した講演会で演題名は、人生100年時代だったように思います。その語り口は優しく、確かに人を引き付ける天性のものを持っていると感じました。

ただ、小泉氏の講演を聞いていると、ああ、そうですか、の一言で終わってしまいそうなのです。まるで、BGMを聴いているような思いなのです。聞いていて、強く心を惹かれるとか、感動するといった心の動きは全く起こりません。耳障りがとても良いのです。邪魔にならないのです。ある意味、何時間でも聴いていられるかもしれません。疲れないからです。

しかし、逆な言い方をすれば、あまり内容がないのです。したがって自分の頭で考える必要は、ほとんどありません。ただ聞き流していれば良いのです。テレビのバラエティ番組に似ているかもしれません。バラエティー番組は要するに暇つぶしです。時間が流れる、それだけが目的の番組です。小泉氏のお話から私が感じたのは、まずそんな点でした。

その裏返しとも言えるのが、山本太郎氏の演説です。山本氏の演説は聞き流すわけにはいきません。自分自身の頭でしっかりと受け止めて、そして考えなければならないのです。そして、文字通り感動するのです。その力は本当にすごいとしか私には言いようがありません。もし1度も、山本氏の演説を聞いたことがないのであれば、是非YouTubeでご覧になることを勧めます。時間の無駄だったと感じる人は、恐らくほとんどいないはずです。そして、小泉氏が語る世界と山本氏が紡ぎ出す世界の違いに心底驚くはずです。

2人とも日本の現状を語り、我々がどう行動すべきかを語っているのですが、まるで別世界の話をしているように感じるからです。小泉氏の語る世界は、まるでメルヘンの世界のようなのです。そこには何の問題もなく、そこに生活している人々の悩みと言ったら、今日の夕飯のおかずは、お肉にしようか魚にしようか、そうした迷いしかないようにすら感じるのです。一方、山本太郎氏の語る世界の住人は、まるで真逆です。社会の中に自分の居場所を見つけることが困難であり、毎日の生活と必死に闘っている人達なのです。

2人の紡ぎ出す世界のどちらが本当の現実を描き出しているのかと問われれば、どちらも間違ってはいないのでしょう。現実の裏と表、そのどちらに焦点を当てるかの違いです。どちらも現実なのです。これからの日本をより良い世界にするためには、どちらを応援すべきなのか、それは自分の頭で考えるしかないのです。

風速50メートル

■20190909(月曜日:曇ときどき晴れ)

芦別市にある三段滝です。

■台風10号は早朝に三浦半島を通り千葉市に上陸しました。980ヘクトパスカルと千葉市に上陸した台風の中ではかつてないほどの強さです。そして記録した最大瞬間風速が50メートルを超え、これも観測史上最も強い風が吹いたようです。各地で停電が発生し午前6時の段階で復旧していない地域も多いようです。交通機関の乱れは身近な電車やバスのみならず、高速道路や航空機にも及び、通勤時間帯とも相まって、今日の首都圏は大混雑になるようです。

ここ沼津では午前6時を過ぎる頃から雨も止み、所々に青空が見えるようになってきました。 夜の間に台風が通過してくれましたので、ここ沼津では、幸いにも、どうやら大きな被害は出なかったようです。 自然は私たちを優しく包んでくれることも多いのですか、度を外れると、やはり恐怖を覚えるしかありません。風速50メートルという状態が、まさにそうした恐怖そのものです。

風そして雨などの自然現象を、映像の中に見事に取り込んだのが黒澤明監督だと言われています。 ほとんどの 作品を白黒で撮影した黒澤監督は、雨のシーンで特別な工夫をしていたそうです。羅生門や七人の侍の中で、雨として降らせる水の中に墨汁を混ぜていたというのです。 もう一度作品を見てみると興味深いかもしれません。

 

無意識の植民地主義

■20190906(金曜日:晴れ)

北海道立夕張東高等学校記念塔です。校歌が刻まれています。

■今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。昨日は暑さの中、午後から少しゴルフの練習をしました。朝夕は大変過ごしやすくなってきましたけれども、昨日も日中はまだまだ気温も高く、強い日差しの下で運動していると熱中症になりそうでした。さすがに疲れてしまいました。

 

先日 YouTube で、あるゴルフのレッスンを見ました。 ゴルフスイングでは、そのトップの位置において、手首の位置とクラブヘッドの位置が、今まで思っていたものと、全然違っていたのに驚いたのです。剣道で考えてみるとわかりやすいのですが、面前に構えた竹刀を、まっすぐ真上に振り上げ、そのまま相手に向かって真っ直ぐ振り下ろす。当たり前のことです。一番上に来た時に、へそと手首と竹刀の先が一直線になるわけです。

 

ゴルフのスイングにおいても同じなのだと誤解していました。レッスンによれば、ゴルフでは手首が頭の上に来た時に、クラブヘッドは一直線上ではなく、むしろ90度右側に折れ曲がっているのが正解なのだそうです。 一直線上に来るようにトップからダウンスイングに入ると、 クラブヘッドのシャフトよりの底の部分にボールが当たってしまい、スイートスポットでボールを捉えることができなくなるというのです。

 

昨日はサンドウェッジでのアプローチで、このレッスンを試してみました。最初はきちんとボールに当たらずに諦めかけたのですが、 スイングのイメージとして手でボールを打とうとするのではなく、今までよりも真下にスイングする、つまり手で地面を叩くようなイメージでスイングすると、クラブヘッドが立ち上がり、綺麗にボールをとらえることができることに気づきました。

 

まぁ、始めたばかりですので、多分実際にやってみると、ミスショットの連発に違いないのですが、何か少し糸口をつかんだような気がして嬉しくなりました。つまりは成長できる可能性を見つけられたということです。どんな小さな、つまらないことでも良いのです。自分が今までよりも成長できるかもしれないと想像することは、とてもワクワクして心踊るのです。 老け込まないためには、この気持ちが一番大切なのだと思います。私の好きなゴルフの名言に、以下のものがあります。まさに人生も、このとおりだと思うのです。

 

いつかは幸運が訪れることを期待して、努力を続け、ボールを打ち続けなさい。

─ ボビージョーンズ ─
  (アメリカゴルファー)

 

 

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