2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: マラソン Page 5 of 9

十勝山脈

■20190114(月曜日: 晴)

南千歳駅に入るスーパーとかち号です。

■今年は千歳駅周辺のホテルに2泊し、サホロリゾートホテルに一泊しました。12日土曜日の夜は千歳駅の目の前にある JR イン千歳に宿泊し、翌日13日の朝 スーパーとかちに乗って新得駅まで行き、ホテルの送迎バスでお昼前に到着しました。 軽く昼食をとってから、早速スキーを楽しみましたが、リフト4時間使い放題、という券を使い切ることができませんでした。2時間も滑っていると目一杯の状態になってしまいました。少し早めに戻り、ゆっくりとお風呂に浸かって疲れを取りました。ホテルで夕食のバイキングを取り早めに床に入りました。

今日は10時頃から滑り始め、少し早めにゴンドラステーションにあるレストランで昼食をとりました。私はかき揚げうどん、そしてSunはラーメンでした。どちらも十分美味しく食べることができました。12時が近づくと、多くのスキーヤーが集まってきました。昼食を終えてから私は、1000 M の高さまで登りました。ここから降りるのはなかなか勇気がいります。昨日も一度登って、晴天でしたので写真を撮ろうとしたのですが、どういうわけかスマホが誤作動を繰り返して、写真を撮ることができませんでした。Sunの iPhone も同様に誤作動していたようですので、あまりの寒さにおかしくなってしまったのかもしれません。ということで今日はもう一度挑戦です。何しろ昨日も今日も雲ひとつない晴天でした。1,000 M から見下ろす十勝平野と山々の美しさは格別です。今日はリフト1日券を購入していましたけれども、考えてみれば4時間券でも十分だったと思います。 14時にはゲレンデを離れてホテルに戻り、お風呂に入って着替えて、15時10分の送迎バスに乗って新得駅に向かいました。スーパーとかち号に乗って、千歳駅に逆戻りです。

14日の夜は千歳ステーションプラザ内にある千歳ステーションホテルに泊まりました。 以前Takuと一緒に千歳マラソンを走った時に、その後の昼食をガストで取ったのですが、そのガストが入っていたビルが千歳ステーションプラザでした。駅から外へ出ることなくたどり着けるのは、雨や雪が降っている時には大変助かると思いました。こちらは大浴場がないので、 JR イン千歳のようにゆっくりと大浴場につかるということはできませんでしたが、どちらも一長一短のようです。6月に千歳マラソンに参加するとなると、どちらのホテルが良いだろうかとSunと 二人で相談しました。Takuが参加するかどうかわからないのですが、とりあえずホテルは予約しておかないと、当日は大変な数の観光客がやってきますので、ホテルを取るのはなかなか困難なのです。

14日の夜は千歳ステーションホテルにチェックインし、18時前にはホテルを出て、居酒屋「山の猿」に出かけました。以前千歳マラソンにTakuと一緒に参加した時にも、ここで夕食をとったのです。北海道は、とにかく食の宝庫です。新鮮な食材を、次から次へと味わうことができます。何度来ても飽きることがありません。2時間ほどゆっくりと食事してから、ホテルに戻りました。行くときはホテルから居酒屋まで、かなり遠いように感じたのですが帰りはあっという間でした。とにかく寒いのです。地面は凍っていますので、注意しないと転倒しかねません。おっかなびっくり一歩一歩前に進んで無事にたどり着くことができました。6月に千歳マラソンに参加するために訪れた時には、道路は凍結しているなどということはもちろんありません。 ホテルに帰り、ゆっくりとお風呂に浸かってから休みました。その頃からもう、首が張って、軽い頭痛も起きていました。不吉な予感がしていました。

雪景色

■20190113(日曜日:晴れ)

千歳の日の出です。ホテルの窓から撮りました。右手にあるのが、千歳駅です。

■今朝は7時に目覚まし合わせて起床し、ホテルの一階にあるレストランで朝食を取りました。北海道の食材は、どれをとっても新鮮で美味しいことに、いつも驚きます。昨夜の居酒屋では、春菊のサラダに驚きました。春菊がパリパリしているのです。新鮮なのでしょう。

新千歳駅から南千歳駅に行き、乗り換えました。ここからは8時26分発スーパーとかち号に乗り、新得駅まで一直線です。快晴です。車窓からは雪に覆われた北海道の大地が、延々と続きます。ただ残念なのはJR北海道の車輌の窓は汚いのです。気候の関係で汚れが酷いのでしょうか。景色は最高なだけに、とても残念です。

JR北海道の特急列車スーパーとかち号に乗り、1時間半ほどで新得駅に着きました。雲一つない、まさに快晴の天候です。新得駅の一つ前の駅トマム駅には、星野リゾートからの迎えのバスが駅前に止まっていました。人気があるのでしょう、結構な人数のお客さんが電車から降りていました。

新得駅に着いたのが10時頃。サホロリゾートからの無料送迎バスが出るのは10時10分でした。私も含めて四名のお客さんが乗り、十分ほどでホテルまで着きました。以前クラブメッドに宿泊し、スキーを楽しんでいた頃には、帯広空港まで飛行機で行き、そこから送迎バスで1時間半ほど掛かりました。

さてホテルに10時半に着きましたが、部屋に入れるのは13時からとのことなので、少し休憩してから夕食の予約やスキーのレンタル、昼食のことなどを考えながら時を過ごしています。

レストランで軽く昼食をとりました。私は十勝名物豚丼、Sunは、ざるそばをいただきました。そして12時半からゲレンデに出ました。1年一か月ぶりのスキーです。スキーウェアを着て、レンタルスキーを履いて、ゲレンデに向かうまでに何と労力のかかることか。スキーを始める前までで、すでにバテ気味でした。

それでも一旦ゲレンデに立って滑り始めると、一度取った杵柄でしょうか、体が滑り方を少しずつ思い出してきました。何度かリフトを往復し準備運動も終わった頃、決断をしました。ゴンドラに乗って一番上のゲレンデまで行くことにしたのです。昼食後に乗ったゴンドラで、たまたまオーストラリアからの観光客と同席になりました。5人乗りだったのですが、家族3人、そして一人の中国人と私という組み合わせでした。オーストラリアの方は11日休みを取って観光に来られているようです。きっとクラブメッドに泊まって、こうしてスキー場に来ておられるのでしょう。とにかくオーストラリアの方は豊かです。金銭的にも時間的にも。たいていの方が2週間ほどの休暇を取ってやって来られます。日本では、なかなか考えられないことです。資源も豊かで国自体が豊かなのでしょうが、 働く者の権利が、しっかりと守られているように思います。少なくとも日本の現状とは少し違うようです。

長めの列に並び、ゴンドラに乗ってみると、外国人の方ばかりでした。オーストラリア人が三名と中国人が一名でした。前に座ったオーストラリア人と話し始めました。11日の長期休暇を取っているとのこと。話が弾みました。Ayaちゃんに会うために、五月にメルボルンに行く予定です、とお話しすると、大変興味深そうに、言葉を選びながら、会話が弾みました。

こうして久しぶりにゲレンデで滑ってみると、長い時間滑り続ける事が、体力的に難しい事に気付きました。ゴンドラで山頂まで行き、最上級者コースをおっかなびっくり滑った後に、時計を確認すると、まだ2時間も経っていないことに愕然としました。今日はリフト券を4時間コースにしましたが、これでは4時間は、とても筋肉が持ちそうにないことに気付きました。ということで、もったいない気もしたのですが、怪我をしないように無理をせず3時には上がる事にしました。

上がってみると、Sunも少し前にホテルに帰っていました。膝に負担がかかってしまったようです。着替えを済ませ風呂に向かいました。風呂では冷水浴と温水浴を繰り返し、乳酸の吸収を促し疲労回復を目指しました。効果があると良いのですが。

格差

■20181226(水曜日:曇)

荒川運動公園です。中学時代、よくここを走りました。

■今朝も走りました。6.39 km を走り今月の総計が82.72 km となり、残り5日で17.27 km まで到達しました。昨日に続いてのランニングなのですが、今朝は着地の際に今までよりもつま先側に重きを置いて走ってみました。先日のテレビの番組で初心者の走り方をコーチが診断していたのですが、踵(かかと)から着地し、しかも腰よりも前の位置で着地しているためにブレーキがかかってしまい、無駄なエネルギーを消費している、という指摘がありました。なるほどなと思い、今朝は少し工夫してみました。そのせいか足の運びが少し楽になった気がします。フルマラソンとなれば、とにかく42キロ以上走らなければなりませんので、少しでも無駄なエネルギーの消費を抑えて体の負担を減らさないと、なかなか完走するのは大変です。

■昨日は日経平均が世界経済鈍化への警戒から、前週末比1010円の急落で2万円を割りました。田中宇さんの分析にもありましたが、いずれバブルが崩壊するだろう、という指摘は正鵠を射ていると思っていたのですが、弾けるのが思ったよりも少し早かったようです。中央銀行の買い支えによる株価の上昇は、いずれ反転することは素人でもわかることなのですが、 それがいつやってくるのか、時期を特定するのは専門家でも難しいようです。

ある人の指摘によれば、日本人の個人資産はリーマンショックの後でも、 かなり増大しているようです。しかしその中身を分析してみると、個人資産を増やしている人々は上場企業の株を大量に持っており、会社からの配当金で潤っている、というのが実態のようです。リーマンショック以降、日本の企業は内部留保を増大させる一方、労働者への支払いは増やしてはいないのです。増やしたのは配当でした。従って勤労者の賃金はむしろ低下しているのですが、全体としてみると日本の個人資産は増大したという統計になるのです。 貧富の格差が固定し、社会層が二極化したとはよく言われることですが、実態は上記のごとくなのです。上場企業の株を大量に持っている人というのは、ある意味昔からのお金持ちということです。 やはり勤労世帯が安定する、つまりは普通の人々が普通に働き、普通に家庭を持って、安心して暮らせるというのは、社会にとって最も大切な安定剤ではないでしょうか。

社会の中間層をいかに増やし、いかに安定させるかということが、政治の一番の仕事ではないかと私は思っています。それがそのまま社会の安定につながるからです。グローバリゼーションの名のもとに、一部の人々のみが極端に豊かになる社会というものは、結局のところ長続きしないのです。対立と、そして暴力が蔓延してしまうのです。 我々は今こそ立ちどまり、自分たちの社会を、これからどうしていくべきなのかを、しっかりと考える必要があるのです。

W杯初出場

■20181220(木曜日:晴れ)

北海道トマムリゾートへ向かう送迎バスです。

■今朝は走りました。6.13 km を走り、これで今月は通算70.19 km となりました。残り11日29.80 km のところまで来ました。あと5回いつものコースを走れば目標達成です。24日の月曜日が振替休日ですので、そこで LSD を敢行して最後の鍛錬の日としようかと思っています。 12月2日に参加したお伊勢さんマラソンで初めて感じたのですが、自分自身の筋肉、お尻や太ももの筋肉で、しっかりと両脚を前へ前へと運ぶという感じが実感できたように思います。もちろん急に筋肉がついたわけではありませんので、これまでの練習の成果に違いありません。自分自身の持つ駆動力とでもいうのでしょうか、前に進む力が付いたと実感したのです。 もちろんそれは自分自身の中での比較であって、 まだまだ全然足りないのですが、確実に少しずつ進歩しているという実感は、とても嬉しいものです。

■今朝の東京新聞「この道 川淵三郎」は、「ジョホールバル」です。 日本が初めてワールドカップ出場を決めた1997年11月16日に行われた、マレーシアのジョホールバルでのイランとの対戦の様子が書かれています。川淵さんはこのフランスワールドカップ杯アジア地区第3代表決定戦を、自宅でテレビ観戦していたそうです。 ウズベキスタンから帰国後、胆石発作に何度も襲われ、胆嚢摘出手術を受けて、退院したばかりでした。 このイラン戦では終了2分前、中田英寿選手が放ったミドルシュートを、相手ゴールキーパーがはじき、そこへつめていた岡野雅行選手がスライディングするようにして放たれたシュートが見事イランゴールに吸い込まれました。川口さんはこう書かれています。

一緒に見ていた妻と次女、3人で抱き合って涙を流した。生涯でこの時だけだ。

この文章だけからでは、涙を流したのがこの時だけなのか、妻と次女三人で抱き合ったのが、この時だけなのか、判別しにくいのですが、たぶん後者なのでしょう。 こんなところにも川淵さんのユーモアのセンスが出ているように感じます。

この文章を読みながら、実は私もこの試合を見ていた記憶が蘇りました。中田選手が放ったミドルシュート、そして岡野選手が、確かに滑り込むようにして放ったシュートが決勝点になった、あの場面です。自分の頭の中でビデオテープが再生されているよう でした。あの日から、もう21年以上の時が流れたのだなあと、この文章を読みながら振り返ることができました。 もちろん私自身はその瞬間、妻や娘達と抱き合ったわけではありませんでしたが。

今もなお、バスケットボールリーグの統一問題などで手腕を発揮している川淵さんの行動力には、敬服するばかりです。昨日もアイスホッケーリーグのクラブチームが、親会社の業績不振から廃部になることが発表されました。企業の支援はもちろん不可欠なのでしょうが、やはり企業におんぶに抱っこだけでは、健全な地域スポーツの確立は難しいのでしょう。川淵さんの出番は永遠に尽きないのではないでしょうか。

映画の中のゴルフ

■20181216(日曜日:曇)

富士山もすっかり雪化粧を済ませました。

■今日は新沼津カントリークラブのBクラス月例。植松さんと一緒に参加しました。一緒にラウンドしてくれたのは、北畠さんと鈴木悠児さんでした。鈴木さんとは、ちょっとした因縁があるのです。

 

2012年に新沼津カントリークラブの会報原稿を頼まれました。「ゴルフ想うことども」という欄です。 先輩の友人が最初に頼まれたのですが、どうもあまり文章を書くのはお好きでないようで、私にお鉢を回してきました。大学の先輩の依頼ですから断る選択肢はありませんでした。それに以前から、この題名で文章を書いてみたいと思っていたのです。題名は「映画の中のゴルフ」です。

 

日本の映画の中でゴルフが主題となって描かれている場面を私は思い出せません。ましてやゴルファーが映画の主人公になっていることはないはずです。 日本ではスポーツのヒーローといえば、やはり野球選手でしょうか。 そもそもプロスポーツとしては長い間、日本では野球しかありませんでした。でもアメリカでは違います。ゴルフの選手が主人公になっていることが、ちょくちょくあるのです。 ゴルフが描かれた四つの映画を私は取り上げました。「地上より永遠に」、 「ボビー・ジョーンズ(救聖とよばれた男」、「グレイテスト・ゲーム」、「バガー・ヴァンスの伝説」です。

 

映画「地上より永遠に」の中で、主人公のモンゴメリークリフトが壮絶な死を遂げたのが、ソニーオープンでお馴染みのワイアラエ・ゴルフカントリーのバンカーの中だったのです。鈴木さんは若い頃仕事でハワイに出かけ、このゴルフ場でプレーをしたことがあったそうです。懐かしくその頃を思い出されて、私にわざわざハガキを下さいました。全く存じ上げなかった方からの葉書に大変驚きましたけれども、読ませていただき、私も大変感激いたしました。それ以来のお付き合いです。良い意味での、古き良きジェントルマン・ゴルファーです。クラブの評議委員として、月例や理事長杯で役員をされていた時に、お話をさせていただいたことはありましたが、一緒にプレイをしたのは、たぶん初めてだと思います。年齢のために、今ではさすがに力強いというプレイではありませんが、美しいフォームから打ち出される玉は、人柄をそのままに表しているようです。このような方と一緒にゴルフをするのは本当に楽しく、また嬉しいものです。自分もまた少しでも、このような方に近づきたいものだと思うからです。

 

先月友人の坂口さんから桑田泉プロのレッスンを見て勉強すると良い、というアドバイスを受けフォームを改造しました。まだ一か月も経っていないのですが、桑田プロの話されていることは、私にとってはとても、理にかなっているように思えたのです。そこで無謀とは思いながらも、思い切ってフォームを変えてみたのですが、当然最初はうまくいきません。同じホールで続けて三発も OB を出したりしました。それでも今日はようやくレッスンの要点が飲み込めてきたようです。 下半身の主導に従ってクラブを振り切る、という感じが少し分かってきました。どうしても上半身と下半身のバランスが悪いのです。バラバラなのです。 それでも今日のプレイを通して考えてみると、フェアウェイをとらえることが以前よりも多かったように思います。もちろんミスショットはたくさんありました。 OB も出しました。でもフォームを改造してからの、あの乱れ方から比べれば、格段の安定だと思います。少し楽しみになってきました。

 

 

統率力

■20181214(金曜日:晴れ)

2017年の伊勢神宮です。

■今朝は、よく晴れています。そして冷え込みました。三階から見ると、愛鷹山の向こう側に雪化粧をした富士山が、朝日に輝いています。昨日はSunと久しぶりに、歩いて5分の日帰り温泉に行き、ゆっくりと温まってから一杯やりました。残り少なくなった今年を振り返って、家族や仲間に起こった色々なことを語り合いました。平成30年は、我が家にとっても節目となる、本当に思い出に残る一年でした。あともう少しで、また新たな年が始まります。

 

■東京新聞「この道」欄は、川淵三郎さんです。今日の題名は「加茂監督」でした。ドーハの悲劇から、いく人かの代表監督を経て、加茂周監督に行き着くまでの経緯を書かれています。短い文章の中ですので、その中だけで判断するのは、もちろん早計に違いありませんが、それでも文は人なりですので、川淵さんの人柄がうかがい知れる内容だと思います。 正直と言うか、飾らないと言うか、自慢話にだけ終わるのではなく、その時々で自分の至らなかった点などを率直に書かれている点に、とても好感が持てました。

 

多くの人をまとめて新たな仕組みを作り上げるというのは、とてつもないエネルギーが要るに違いありません。川淵さん一人の力ではもちろんないのでしょうが、その中心にあって多くの人を統率する川淵さんの人間としての魅力の一端が十分に分かる内容です。

 

 

中傷CM

2017年の伊勢神宮おはらい横丁です。

■今朝は走りました。ただし寒さのためか、昨日も走った疲れのためか、起き出すのにとても苦労しました。つまりは布団の中で、ぐずぐずとなかなか床を離れることが出来なかったのです。とにかく冷えました。この冬一番の冷え込みではなかったでしょうか。夜中に一度起きて掛け布団を、もう一枚追加した程です。 通常よりは15分ほど起きだすのが遅くなりました。もういいか、とも思ったのですが、今日は天気が下り坂。明日の朝は雨の予報ですので、今朝は走っておかないと後が大変になります。ということで今朝も6.10 km を走り、総計45.59 km 残り20日で54.40 Km となりました。2018年そして平成最後の年の師走ですから、目標の100 km を、しっかりと走り切らなければいけません。

今朝の写真は昨年平成29年にTakuと一緒に、初めてお伊勢さんマラソンに参加した時の様子です。走り終わってから二人で伊勢神宮を参拝し、その日は伊勢志摩のホテルに宿泊したのです。もうあれから1年が経ちました。その間に、Takuは仕事を始め、そして7月には結婚式を挙げ、新しい家庭を持ったのです。平成最後の年、まさに大きな人生の転機でした。そして1年後の平成30年度お伊勢さんマラソンには、Takuと二人きりでなく、YukoさんとSunと四人で伊勢神宮にやってきました。1年の月日を実感しました。

■今朝の東京新聞「太郎の国際通信」は大変興味深い内容です。先日亡くなったジョージ・ブッシュ(父)氏が、レーガン政権の副大統領として大統領選挙に立候補した時の事を書かれています。木村太郎さんが1988年当時の、この大統領選挙を集配取材し始めた頃には、民主党のデュカキス候補が圧倒的にリードをしていたのですが、9月に再び米国で取材を再開した時には、ブッシュ候補が逆に大差でリードしていることに大変驚いたそうです。その支持率の逆転に大きく影響したのが、あるテレビテレビ CM だったのです。この CM は米国の選挙で相手候補を中傷する「ネガティブ・キャンペーン」の中でも最も「えげつないもの」として知られるようになったそうです。

この CM では、まずブッシュ候補の顔写真が現れ「ブッシュは死刑を支持する」と言い、今度はデュカキス候補の写真と共に、「デュカキスは死刑に反対するだけでなく殺人犯に週末の仮出所を認めた」。すると、いかにも怖そうな黒人の顔が現れる。それはデュカキス候補がマサチューセッツ州知事時代に、同州最高裁が週末仮出所を認めた、殺人罪で終身刑になったある黒人男性(ウイリー・ホートン)であり、その仮出所中に男女を襲い、男性を刺し女性をレイプした、と訴えたのです。ここで画面がデュカキス候補の顔に戻り、こう訴えたのです。「デュカキスの犯罪対策は凶悪犯に週末の出所を認めることだ」。

同氏が30日に亡くなり全米が喪に服したが、木村さんはこのテレビ CM のことが思い出されて、同氏をたたえる米マスコミの報道がむなしく思えてならなかったそうです。そう思ったのは木村さんだけでなく、ある保守派の論客が、こう寄稿しました。

ブッシュ氏は(無能とされた)デイヴィッド・スーター最高裁判事の任命したり、不必要な(湾岸)戦争を始めたり、増税しないと言いながら増税しただけなのに、今や聖人のようにあがめられている。(中略)しかし、ブッシュの最高の瞬間はウイリー・ホートンの CM だったのだ。

この寄稿によってブッシュ大統領の影の部分に光を当てることは、今の米国政治の教訓とするためにも必要だと思う、と木村さんは書かれています。米国は懐の深い国なのです。

統合

■20181210(月曜日:曇)

伊豆にらやまカントリークラブから見た駿河湾です。

■寒い朝でした。昨夜は冷え込みが予想されたので、新たに掛け布団を一枚余計に用意しました。眠り始めは良かったのですが、とちゅうから今度は暑くなりすぎて外しました。それでも、さすがに朝方の冷え込みは厳しかったようです。床を抜け出すのが、なかなか億劫で時間ばかりが過ぎていきます。えいや、とばかりに、起き出しましたが、布団の中は、やはり心地よいものです。

ということで、今朝は 6.13km 走り、総計 39.48km 残り 21 日 60.51km となりました。今月は日曜日に出かけることが多くなりそうなので、LSDの機会が最後の最後になりそうです。何とか、それまでに積み上げておかないと、最後に継続していた月100キロ走が途切れかねません。油断大敵です。

■現在使用しているエプソンのランニング・ウォッチは、記録によれば2014年の11月から記録を取り始めました。合計4回28.35 km が最初の記録です。そして翌月の2014年12月には84.02 km を走っています。初めて月100 km を超えたのは2015年3月に記録した100.38 km です。2014年11月からですから四年余り使用していることになります。 私もいくつかの製品を使ったことがあります。例えば Garmin 社製のランニングウォッチを、この EPSON 社製のものの前に使用していました。それぞれ良い点、悪い点がありました。 Garmin 社製のランニングウォッチは、とても人気がありますし走った様子を示す地図が Google 社製の地図を使用しています。一方 EPSON 社製のランニングウォッチは Microsoft の地図を使用しています。エプソンは、いつものことながら Microsoft べったりなのです。二つの地図を比較してみると分かりますが、マイクロソフトの提供している地図は Google 社製のものに比べて、ちゃちなのです。それだけは、いただけないと思いました。

たださすがに EPSON 社製の製品は作りがしっかりしていますので四年以上経った今でも、きちんと使えることができます。こうした製品の多くのものは充電するために取り付けるアダプターの接触が悪くなって使用できなくなることが多いように思います。結局記録を取り出すことができなくなって使用できなくなるのです。こうして四年以上走った記録を EPSON 社のサイトに記録を残していますので、例えば他のメーカーの製品を新たに使い始めると記録の集計が途絶えてしまいます。 つまりは囲い込まれているという状態です。もちろん EPSON の製品を使い始める前の記録も表計算に残してありますので、厳密には記録が無くなってしまうというわけではありません。 しかしできることなら記録をそのまま続けるほうが楽には違いありません。

ただ最近はいわゆるスマートウォッチと呼ばれる製品がたくさん発売されています。私の左腕にも装着されているのですが、心拍数、睡眠の質を含めて、様々な情報を取り出して集計してくれます。これはランニングウォッチにはない機能なのです。最近のスマートウォッチの中には、ランニングウォッチ的な機能も持ち合わせている製品がありますので、私のようにランニングの記録を残したいという人も、スマートウォッチだけでランニングの記録も、健康状態のチェックも、両方できるようになってきています。これから、この二つの分野の製品は多分統合されていくのではないでしょうか。技術の進歩は 製品分野の消滅につながるのです。

学習障害

■20181124(土曜日:晴れ)

 

川口市の浮間ゴルフ・クラブハウスです。土手の反対側にコースがあります。子供の頃、関東オープンゴルフが行われ、陳清波プロが優勝したことを覚えています。

 

 

■今朝は不安の内に夜が明けました。胃炎を心配していたからです。午前中に19キロ走り、昼休み床屋へ行き、本屋さんに寄って、「すぐ死ぬんだから」を購入して、そして午後からはゴルフの練習に行き、夜はSunと一緒にお風呂に行き、その後ゆっくりと一杯やったのです。充実した一日でしたが、調子に乗って食べ過ぎ、飲み過ぎで急性胃炎を起こすのが、私の弱点です。

 

北海道旅行にSunと行った時に最悪の発作を明け方に起こしました。土曜日に二人で樽前山に登ったのです。頑張り過ぎと疲れも溜まっていたのでしょう。日曜日の明け方、下痢、嘔吐で七転八倒の苦しみでした。日曜日でしたので、ネットで当番医を探して治療してもらいました。点滴を二本、1,000cc してもらい、帰りの飛行機にもギリギリ間に合いましたが、もう大丈夫だろうと空港でお水をほんの少し口にしただけで、帰りの飛行機の中でトイレに駆け込み、腹痛に苦しみ通しでした。

 

誰しもきっと体の弱点があるのでしょう。疲れが溜まると、そこへ来るのです。以前の私なら扁桃腺炎を起こして高熱に苦しんだはずです。開業する前に勤務していた大学病院で扁桃腺を摘出してもらいました。それからは嘘のように高熱発作を起こすことが無くなりました。が、今度は胃腸炎を起こすようになりました。調子に乗るな、というお告げなのでしょう。

 

昨夜は不安な一夜でしたが、スマートウォッチによれば、「睡眠の品質は良い」、深い眠り2時間20分、浅い眠り2時間30分とあります。自分自身としては何だか寝付けない一夜で、ほとんど寝ていないのではないか、と錯覚しているのですが、実はきちんと寝ていることが分かります。実際寝覚めてみても、疲労感はありません。嫌な夢をみて、寝覚めても徒労感ばかりが残っているかのごとく感じていても、どうやらきちんと寝ているようです。スマートウォッチを購入してみて、睡眠判断ソフトで調べてみて良かったことは、その事が分かったことです。多少寝付けなくても慌てることはない、焦ることはない、ということが分かりました。

 

■今朝の東京新聞のこちら特捜部の記事には考えさせられます。「学習障害の子に、こう配慮を」です。知的な遅れはないものの、読み書きや計算などの特定の分野に困難がある学習障害(LD)の子は、40人学級に1−2人いるようです。周囲が少し配慮すれば問題なく学べるが、保護者が学校側に配慮を求めても「前例がない」と及び腰の対応になりがちです。

 

入学試験で答案用紙に書き込むのが苦手となると、時間内に試験を終えるのは難しくなります。ワープロ使用を認めてほしい、と交渉しても、学校側の返答は「特別扱いはできない」「他の学校で前例はありますか?」と拒否や戸惑いとなりがちです。学校側の困惑もよく分かります。

 

せっかくの才能を潰してはしまわないか、と私などは心配してしまいます。こうしたLDの子どもたちの中には、すごい才能を持っている子も多いのです。日本では学校に余裕が無いので、どうしてもお役所的な対応がなされてしまいます。国民の持つ才能をどれだけ活かせるチャンスを提供できるか、という点からの検証も、これからは、とても大切なことのように思えます。日本は人材しか資源が無いのですから。

 

 

 

憧れ

■20181112(月曜日:曇)

 

川口駅西口から見た東口の様子です。

 

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。2日続けて朝走りましたし、昨日は埼玉県川口市で行われた中学校時代の同窓会に出席し2次会に行ってカラオケまでしましたので帰宅が遅くなりました。月100 km 走の目標達成までは、まだまだ遠いのですが、ここは一回ゆっくり休み、また明日からの積み重ねをすることにしました。

 

 

■昨日はゴルフを欠席してまで出席することにした、同窓会に出席するために、まずは原駅 9 時 39 分発の電車に乗って三島駅まで行き、新幹線に乗り換えました。ちょうど三島駅に止まるひかりに乗れたのは良かったのですが、超満員で自由席では座席が一つも空いていませんでした。こんなことは初めてでした。急ぐ旅でもなかったので、こだまにすれば良かった、と後悔しましたが、良い勉強になりました。新横浜駅までは立ちんぼでした。

 

 

京浜東北線で川口駅まで行き予定通りたどり着くことができました。Kouheiちゃんとの待ち合わせまで、1時間近く時間があったので駅から歩き始めました。西口で降りて一直線の道を歩き始めました。幅があり、ゆとりのある歩道を歩きながら、かつて住んでいた団地のあった場所に向かいました。途中、川口市立西公民館を発見して驚きました。昔、家から駅に向かうときに歩いて5分ほどの所にあったとても大きな建物だったのです。ところが今では周りに高層ビルが建ってしまい、目立たない存在になってしまったのです。もちろん昔のままではなく、何度か建て替えられたに違いありません。それでもあまりの目立たなさに拍子抜けがしたほどでした。

 

 

以前団地として住んでいた場所に、その後に建った高層マンションを写真に収めました。マンションの前の道路を挟んで建てられたビルには、医療モールがあり、整形外科小児科、そして皮膚科が同じビルの中に開設されていました。団地に住んでいた頃、3歳頃から19歳までですが、二階の窓から道路越しの風景をよく見たものです。その頃には、まだ畑があり、キャベツを栽培していて、モンシロチョウが湧くように飛んでいたことを覚えています。そして、その医療モールの横の細い横丁を入っていくと妙仙寺というお寺がありました。小学校の頃、夏休みにはこの寺の境内で山ほど蝉を取ったことをよく覚えています。

 

 

その横丁で、映画の撮影が行われたのです。吉永小百合さんの映画です。キューポラのある街でスターになった吉永さんが、浜田光夫さんとコンビを組んで撮影されていたシリーズ物でした。妙仙寺の塀の上に登って、たくさんの野次馬に混じって撮影風景を見ました。はっきりと脳裏に焼き付いています。

 

 

さて、街をぶらぶら歩き荒川の土手の方へ向かいました。ある交差点にたどり着くと標識がありました。浮間ゴルフ、こちらと書かれてあったのです。ゴルフハウスは荒川の土手の手前にあり、土手を越えて荒川の河川敷にゴルフコースが広がっています。階段を上り、土手まで登ってみました。

 

 

土手に登って真西の方向を見ると、そこには母校、川口市立西中学校はあるのです。残念ながらそこまで行く時間がありませんでしたので、荒川沿いの写真を東西にわたって何枚か撮りました。東の方向を見れば、京浜東北線の走っている鉄橋が見えるのです。その風景は映画「キューポラのある街」でも登場しています。

 

 

時間も押し迫ってきましたので、慌てて土手を下り、また駅に向かって歩き始めました。駅へ向かって歩いて少し路地に入った所に川口市立飯塚小学校のあることが分かりました。以前Sunと歩きながら見つけた、あの頃のままでした。二宮尊徳像も当時のままに設置されていましたが、50年前とは向きが逆になってるように思いました。かつては小学校の校舎玄関脇にグラウンドを見つめるように立っていたのです。朝礼がある時には、かならず尊徳さんが、みんなを見つめていたのです。

 

 

さて、時間も押し迫ってきたので急いで駅に向かいました。考平ちゃんの携帯に電話をして三、四分遅れることを詫びました。こうして、待ち合わせの時間の12時よりも5分弱遅れて辿り着きました。場所は川口駅東口前にあるビルの玄関にある時計台の下です。無事待ち合わせも終わり2人で同窓会の会場に向かいました

 

 

 

 

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