■20180816(木曜日:雨)
■今朝はゆっくりと休みました。二日続けて走りましたし、ここは休養が必要でした。午前7時4分現在、激しく雨が降っています。台風の影響で九州だけでなく、東日本も観測史上に残る大雨になりそうです。
■東京新聞記事「象徴天皇と平成 下 第六部 戦争と平和」を読むと、終戦当時軍国少年だった平成天皇が人間として、どのように成長されてきたかを窺い知ることができます。昭和天皇の子として戦中、戦後を生きた平成天皇にとって、思いは複雑であったに違いありません。
戦後73年は、いわば平成天皇の人間としての成長の73年でもあったと思います。そして行き着いた思いが、「平和希求 背中で語る」であったのです。即位後は戦後50年の長崎、広島、沖縄、60年のサイパン、70年のパラオなど慰霊の旅を、陛下は続けましたが、元宮内庁幹部は、こう語っています。
花を手向け、頭を下げる姿を示すことで、国民に忘れてはいけないと背中で語った。
象徴天皇としてどうあるべきか、ということが、もちろん第一義的な課題であったに違いありませんが、平成天皇という一人の人間が、過去とどう向き合い、そして未来に向かってどうあるべきか、という重い課題と格闘した73年でもあったはずです。そこには誠実で真摯な人間像が浮かび上がってきます。
近代以降、平成は戦争のなかった初めての時代でした。それだけ日本は、明治以降戦争に次ぐ戦争に明け暮れていたのです。国際情勢の変化が一番大きな要因ではあるのでしょうが、戦争という手段が永遠に消え去ったわけではありません。
平和というのは戦争を始めるより、よほど強い精神力を持ち続けないと維持できないものです。
冷静に彼我の違いを判断し、無謀な行動を取らない、という基本中の基本を、日本人は忘れがちです。貴重な戦力となるはずの若い兵士を、特攻という手段で失うことを選ぶ精神状況。それを止められない日本という国が持つ、いわば空気の存在。このあたりは、岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」に書かれているとおりです。
そして私が心配するのは、いまだにあの当時の精神状況が、根本的に解決されていないように見える点です。被害者意識と夜郎自大的な精神、日本の素晴らしい面の一部だけを過度に強調することで、こうした歪んだ精神を満足させる行動の数々。とても不思議に思えるこうした言動に、実は多くの日本人が酔いしれている、というか、精神的に逃げ込んでいる、とすら私には思えるのです。
そうすることで、現状は素晴らしい、決して自分たちは間違っていないのだ、と思い込み心の安定を得ようとする。こうした行動では、しかしながら問題を解決することはできません。先送りしているだけです。そして、いつかまた暴発しかねないのです。そのことを私は、本当に心配しています。
杞憂であってくれればよいのですが。