■20190516(木曜日:晴れ)

 

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Melbourne 市内の The Tea House です。

 

■今朝は走らずに5時15分に目覚まし時計を鳴らしました。昨日の朝は10 km 走りましたので、今朝は無理をせずに休養です。風もなく、ひんやりとした空気に包まれた爽やかな朝です。昨日は新聞を読んでいて、二人の方が亡くなられたことを知りました。女優の京マチ子さんと、米国を代表する歌手そして女優であったドリス・デイさんです。京マチ子さんといえば、私にとっては映画「羅生門」でした。その妖艶さは強烈な印象を与えました。

 

一方ドリスデイさんについては、ヒッチコックの映画に出演されていたのを何度か観ました。

 

1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。

 

映画の中の彼女は、健康的で明るく朗らかな、まさに戦後アメリカを代表する、理想的な女性像だったように思います。ところが十歳の時に両親が離婚し、彼女自身も生涯に4度も結婚しているのを知ると、そう単純でもないようです。今朝の東京新聞筆洗には、 彼女の生涯が書かれていました。

 

12歳の時には父親が家を出て行った。寂しい生活にも夢があった。ダンサーになる。幼い時からレッスンを受けてきた。 大きな街へ出て、ダンスで生きると決意する。悲劇は出発の前夜に起きる。少女が乗った車が列車に衝突し、大切な脚に大けがを負う。ダンサーの夢を諦めた。長い入院生活の中で一つの楽しみに出会った。ラジオから流れる音楽である。自分もそれに合わせて歌う。上手に歌える。今度は歌手を目指そう。やがて少女は米国を代表する歌手、そして女優となる。

 

大ヒット曲『ケ・セラ・セラ』は、小さな娘が母親に質問をし、それに対して母親が答えるという歌詞でした。私は大きくなったら美人になるかしら、私は大きくなったらお金持ちになるかしら、といった具合です。 それに対する母親の答えが、ケ・セラ・セラ(なるようになるのよ)、というわけです。確かにその通りに違いありません。未来のことなど分かりようがないのです。アドラー心理学を広く知らしめた大ベストセラー「嫌われる勇気」に書かれてあった印象的な部分には、こうあります。

 

過去に起きたことなどは今の自分には何の関係もない。未来のことなど分かりようもない。人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

 

だから、アドラーの言うように、「いま、ここにスポットライトを当てて、ダンスを踊るように生きていく」しか無いのです。ドリスデイも、きっとそのように生きたに違いありません。