■20190523(木曜日:晴れ)

 

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今回投宿したPan Pacific Melbourneホテル・フロントです。

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨日はさすがに疲れました。朝10 km を走り、仕事も無事にこなしましたが、さすがに疲れが蓄積してしまい、一日中気だるい思いをしました。早々に床に入り休みました。そのおかげか、今朝は気持ちも少し軽やかになりました。

 

今日は最後の学校検診です。午前中休診にして、二つの小学校を回る予定です。そして昼休みにはロータリークラブの例会があります。今日はいつも司会役をしているSAAの土屋さんが、仕事の関係でどうしても出席できず、副SAAの私が代役を務めなければなりません。今日の例会には、静岡第二グループの山口ガバナー補佐がお越しになりますので、粗相のないように会の進行をしなければなりません。いろいろありそうな1日になりそうです。

 

■5月20日付の東京新聞社説では、「民主主義を学ぶために 市民裁判員10年」と題して書かれています。 市民の司法参加は現代では先進諸国で広く行われており、米国の陪審制、西欧の参審制などがあるようです。

 

刑事裁判に市民の感覚を反映させる目的で、2009年5月21日に導入されたのが裁判員制度だ。二十歳以上の有権者から選ばれた市民6人が、裁判官3人とともに審理する。殺人や強盗致死傷など最高刑が死刑又は無期懲役・禁錮か故意に被害者を死亡させた事件だ。

裁判員は操作結果の追認ではいけないし、真実を見抜く眼力も欲しい。プロ裁判官と違い、市井の人として、それぞれの良識を活かしたい。

 

最後に社説は、こう結ばれています。

 

19世紀のフランスの政治思想家トクヴィルは米国の陪審制についてこう記した。

「人民の審判力を育成し、その自然的叡智を増やすように役立つ〈中略〉無料の、そして常に公開されている学校のようなものである」

 

単なる裁判ではなく、民主主義を養う人民の学校であると看破したのです。長い歴史を持つ陪審と比べ日本はまだ10年しか経っていません。この制度を、民主主義を成熟させる良き学校としたい、と社説は結んでいます。

 

私もまさにその通りだと感じています。こうした時にいつも思い出すのが、映画「12人の怒れる男」です。 英語の勉強にもなると思い、字幕には英語のセリフが出てくるようにデジタル処理したファイルをスマホに入れておき、時間が取れた時には繰り返し観るようにしています。 とてもよくできた映画だと、何度見ても思います。縁もゆかりもない、全く見知らぬ者同士である12名が一箇所に集まり、陪審員として議論を戦わせるわけです。 それぞれ異なる背景を持ち、異なる人生を歩んできた個性ある12名の議論の様子は、まさに人民の学校そのものなのです。12名は、それぞれ名前も知りません。映画の一番最後の部分、not guilty の結論が出て全員が裁判所を出ていく場面で、陪審員の一人が、ヘンリー・フォンダ演ずる陪審員に、 名前を尋ねる場面があります。お互い名前を伝えあって、そして別れるのです。ただ、それだけです。裁判員を務めることになった方には、ぜひ一度この映画を観てもらいたいものだと私は思います。