■20200108(水曜日:雨)
■今朝は、どんよりとした雲が空を覆っています。昨日の天気予報では、今日は大荒れになる模様でしたので、目覚ましを5時半に合わせて起き出してから、ビニールゴミを所定の位置まで運び、新聞を取って来てから朝食の準備を始めました。
昨日の夕飯は、すき焼き風豚鍋でした。高橋伸二先生が群馬県の名産、下仁田ネギを昨年末に送ってくださいました。昨日までにも何回か鍋を作って堪能しましたが、昨日もとても美味しく頂きました。
Sunが豚肉でないと食べられないので、牛肉を使ったすき焼きが定番なのでしょうが、こればかりは致し方ありません。高橋先生に感謝、感謝です。
■昨夜はお腹いっぱい、鍋を食べましたので、今朝は走らなかったこともあり、朝食はコーヒーとヨーグルトと、そしてこれまた高橋先生から送っていただいた、群馬の美味しいりんごをSunと半分ずつ食べました。
それから東京新聞を、じっくりと読み始めました。今朝一番興味深かったのは、文化面六面の対談特集です。「不寛容の時代を生きる」と題して、作家の高橋源一郎さんと中村文則さんが新春対談を繰り広げています。
今日はその第3回です。最初に高橋さんが、こう語っています。
今の政権で一番問題なのは、言葉が毀損されていることだと思います。日本語としておかしい。どんな質問にもまともに答えない。矛盾したことを言っても恥じない。間違っていても訂正しない。都合の悪いものは削除する。そんな言葉を毎日のように浴びていると、正常な言語感覚が壊れてくる。
また、高橋さんは、応答が欲しい、として、こうも語られています。
僕たちが公に求めるのは応答ですよね。まず返事をしてほしい。拒否でも否定でもいい。人々からの声に一切応答しない、それは、社会や政治の最悪の形態だと思います。
さらに高橋さんはこうも語られています。
不寛容の一番怖いのは、差別をする、虐待するということよりも、言葉が通じないことが当たり前になって、そのことに痛みを感じなくなることです。「こいつ、何か訳の分からないことを言っているな」で、おしまい。「そんな気持ち悪い奴はあっちに行ってくれ」ということでしょう。フランスの思想家ヴォルテールが社会の不寛容さを批判した『寛容論』を書いたのは1763年です。それから250年以上経ちますが、世界は全く変わっていないですね。あの本を読むと、まるで今日の話みたいです。
■高橋さんと中村さんが繰り広げる対談には頷くことばかりです。安倍総理の言動にとても違和感を感じているのですが、何よりも危険だと感じるのは、それをよしとしている社会の空気だと思います。
国民の多くがおかしいとも感じないのか、あるいはおかしいと感じても行動に移らないのか。両者が混在しているのだとは思うのですが、そうした社会のあり方自体がとても危険だと私は思うのです。そこに日本という社会の持つ脆弱性を、とても感じるのです。
多くの人が無謀だ、おかしいと思っても、結局はそうした流れを止めることができない、破局まで突き進んで崖から転落してしまう。ある意味では日本にはそうした大きな歴史的前科があるのです。よほど気をつけてかからないと、また悲劇を繰り返す可能性が高いのです。
おかしいと思うことには声を上げなければいけません。それは私達の愛する日本のためなのです。