2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

カテゴリー: 残日録 Page 40 of 132

もっと議論を

■20220120(木曜日:晴れ)

2015年、7年前にSunと二人で出掛けたクラブメッド・サホロの様子です。ゴンドラに乗って最高峰地点に来ました。延々とスロープが続きます。

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨日走りましたので、今日は休養日です。1月20日は大寒です。暦通り今朝も冷えました。リビングが板張りである我が家は、日差しがない時間帯には、とにかく冷えます。

昨夜は医師会の勉強会がありました。診療機関における抗生剤の使用状況を調査するための新しいプロジェクトが立ち上がったのですが、医師会への協力要請があり、概要が説明されました。

Zoomでのウェビナーでしたが、厚生労働省からの委託事業だそうです。食卓テーブルの上にパソコンを置いて参加したのですが、寒くてまいりました。

■さて、今朝の東京新聞文化面では、総合研究大学院学長の長谷川眞理子さんが「日本の子どもは おとなしい もっと議論しよう 社会のために」と題して書かれています。

長谷川さんによれば、とにかく日本の子どもたちは、欧米諸国に比べて大人しいのだそうです。

日本の国の基準では、保育士1人が受け持つ0歳児の数は、おおむね3人まで、一・二歳児は6人まで、3歳児は20人まで、4歳児は30人までと決められているそうです。3歳児が20人、4歳児が30人というのは、もう絶対無理だとしか思えないと、長谷川さんは書かれています。

日本では子どの達が、皆で手を繋いで歩き、車など全く来ない静かな場所でも、みんなで一斉に手を挙げて道を渡っていますが、欧米ではこういう光景は見たことがない、と言われています。

また、中学校や高校の修学旅行でも、鉄道の駅に、思春期の子だもたち100人程が綺麗に整列しているのは、ごく普通のことですが、長谷川さんが友人たちに聞いてみると、ヨーロッパでは絶対に無理だそうです。バスを借り切って、みんなを乗せていくことはあるが、公共交通機関を使うことはないのだそうです。

思春期といえば精神的にとても難しい時期で、攻撃性も高まるし、自己アピールしたいという感情も高まっています。そんな子ども達が、きちんと並んでいるのは日本特有の光景のようです。

さて、大学になるとどうなるかというと、日本ではご存じの通り、欧米の学生に比べて大変静かで、手を挙げて質問したり、発言したり、議論をすることはとても稀です。

日本財団が行っている、18歳意識調査というものがありますが、2019年の調査結果を見てみると、諸外国と日本の若者を比較して、国や社会に対する意識の違いが鮮明になってきます。

例えば、「社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論しているか」という質問では、イエスと答えた日本人は、たった27.2パーセント。他の国々は、だいたい70から80%。一番少ないのは韓国の55%だが、日本はそのまた半分に過ぎない。

要するに、大学のゼミばかりでなく、どこでもあまり議論していないのです。長谷川さんは、こう書かれています。

これは大変良くない状況ではないか。まずは立場や意見の違いを大前提にし、意見を言い合う時には喧嘩にもなるのだが、それを乗り越えてより良い社会を築いていくのが個人の幸せのためでも、社会の活力のためでもあると思うのだが。

長谷川さんのおっしゃる通りだと思います。そして、その最たるものが日本の国会ではないでしょうか。

岸田文雄首相の施政方針演説に対する、各党代表質問が昨日から始まりましたが、首相の答弁は従来の方針を説明する姿勢に終始し、議論になっていないのです。

予算委員会などでの質疑を聞いていても、安倍政権以来感じるのは、要するに議論になっていないのです。議論しようという気が、そもそもないようにすら思えるのです。

日本の政治が劣化したと言われて久しいのですが、議論もしないで、より良い政治、より良い将来が日本にもたらされるのでしょうか。本当に暗澹たる思いにならざるを得ません。

色々な組織に所属してみて思うのは、口は災のもと、という格言が、どの組織でも一番間違えのない行動規範だということです。

長谷川さんが学長を務める、総合研究大学院ではどうなのでしょうかと、ちょっと聞いてみたい気持ちに駆られました。

死ぬこと以外はかすり傷

■20220118(火曜日:晴れ)

2015年、7年前にSunと二人で出掛けたクラブメッド・サホロの様子です。ゴンドラに乗って最高峰地点に来ました。

■今日はゆっくりと休みました。昨日走りましたので、今日は休養日です。昨年11月に体調を崩してから、連日走ることは止めました。間隔をあけて体調と相談しながら、走り続けることにしたのです。

その決断のおかげもあってか、あれ以来体調を崩すことはありません。やはり無理をしてはいけない年齢になっているのでしょう。

本当に寒い毎日が続いています。それでも、静岡県のありがたさでしょうか、十分な日差しがありますので、強い風さえ吹かなければ、それほど寒さは感じません。

密閉された陽射しの入る部屋の中では、昼間であれば、冬であることを忘れてしまいそうなほどです。しかし日が傾いてくると、寒さがどっと襲ってきます。あっという間に冬に逆戻りです。

■さて、今朝の東京新聞「生きる」欄では、「広がるお寺の掲示板」を浄土真宗本願寺派僧侶・江田智明さんが書かれています。

「中国で思わぬ人気、競争社会の若者に勇気」と題されています。

江田さんは2018年から毎年「お寺の掲示板大賞」を開催されています。ところが同年の10月に、中国のネットサイトで、お寺の掲示板大賞が話題になっている、と報道されたことに驚かれています。

日本在住の中国人の方が、日本の書き込み内容を中国語に翻訳されて、中国のサイトに投稿されたようです。コメント欄の中で、どのお寺の言葉が一番良いかを中国人同士が議論していたのです。

それらを読む限り「死ぬこと以外はかすり傷」(広島県・超覚寺)という言葉が話題を呼んでいたのです。

知り合いの中国人に、なぜ人気が集まっているのか、と尋ねてみたところ、14億人の人口を抱える中国は、現在日本とは比べ物にならないくらい激しい競争社会になっていて、特に若い人は失敗が許されない風潮にあるようです。そうした中で、この言葉が良い意味で、勇気づけてくれるものではないかというのが、その友人の見解でした。

江田さんは、古来短い格言が大好きな中国人の気質にぴったりフィットしたのでしょうか、とも書かれています。

また江田さんが、かつてヨーロッパで仏教を伝える試みをされた際に大きな困難を味われたそうですが、こうしたお寺の掲示板の短い言葉をドイツ語や英語に直接翻訳しても、なかなか西洋の人に伝わるのは難しいのではないか、とも書かれています。

江田さんは大学時代に中国思想の専門家から、漢字文化圏という言葉を教わったことを思い出しています。中国の人達に、日本の掲示板の言葉が直接通用したのは、漢字文化圏の影響が少なからず作用しているのではないか、と強く感じたそうです。

現在、政治などの問題を挙げて、中国は特異な国であるという認識を持ってる人が多いかもしれないけれども、同じ漢字文化圏の下で長く生活してきた国民同士、共有しているものが実はたくさんあるのではないか、ということを、このお寺の掲示板大賞を通じて発見できたことは、個人的に大変嬉しかったことだ、と江田さんは最後に書かれています。

とても大切な発見だと私も思いました。

超過死亡

■20220115(土曜日:晴れ)

2015年、7年前にSunと二人で出掛けたクラブメッド・サホロの様子です。ホテルの前でスキーを履いて、そろそろとゲレンデに辿り着きました。

■今朝は走らずに休みました。昨日走り、今朝も走ることはできそうだったのですが、昨夜は体調がイマイチでしたので、無理をせずに休養日としました。

9月と10月、悪天候が続き、走る機会が少なかったにも関わらず、無理をして月100キロ走を達成しました。そのためかどうか分かりませんが、11月に入って体調が一気に悪化しました。食事が取れなくなったのです。

気のせいか、あれから体力の低下を痛切に感じるようになりました。もちろん一番の原因は加齢なのでしょうが、今になって思うと、実は新型コロナウイルスワクチン接種の影響かも知れないと、心配になってきました。

調べてみると4月22日と5月13日にワクチンを接種しています。体調の変化が出現したのは、接種してから半年弱となります。2回目の接種後に、発熱と強い倦怠感に襲われましたが、それとはまた異なる反応機序なのかもしれません。

新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年と、ワクチン接種が進んだ2021年を比較してみると、2021年1月から9月までの日本における死亡者数は、前年よりも6万人も多いという結果なのです。「超過死亡」です。

もちろん様々な要因が重なっているのでしょうが、コロナウイルスワクチンが私たちの免疫力を低下させ、それ以前でしたら助かったかもしれない疾病によって亡くなっている可能性が高い、という指摘は決して無視できないと思うのです。

具体的に、私の身の回りの方でもワクチン接種後に、体調を崩されて亡くなった方は、1人や2人ではありません。因果関係を証明することは、もちろん不可能ですので、結局のところよくわからないということで、マスコミも報道することはありません。

ワクチン接種が始まる前に国は、補償をしっかりすると宣言していましたが、現状では結局泣き寝入りというのが、実情ではないでしょうか。原因を詳しく調べてもいないのです。

新型コロナウイルスも変異を重ね、今のオミクロン株に至って、感染性は増強しても、毒性はかなり低下していると考えるのがウイルス学の常識のようです。以前、出現した新型コロナウイルス、SARSやMARSも同様の経過をたどり、今では話題に登ることはありません。

果たして現在の新型コロナウイルスCOVID-19が、どのような経過を辿っていくのかを注意深く見守るしか無いようです。

■さて、午後になっていつも愛読している田中宇さんの記事が配信されてきました。一人でも多くの方に読んで欲しいのでしょう、無料版になっています。

田中宇の国際ニュース解説 無料版 2022年1月15日

[ 田中宇:コロナワクチンもうやめて ]

これから日本でも、第3回目のワクチン接種がされようとしています。上記の田中さんの記事を読めば、今はその時期でないことは自明ですが、多くの人々が、暗示にかかっています。

ワクチンを打たないと重症化して、人工呼吸器をつけられる羽目になるかもしれない、という恐怖感です。毎日、毎日テレビから垂れ流しにされている情報は、そう告げています。

子どもたちにも、ワクチン接種が推奨されています。親御さんたちも接種会場に、子どもたちを喜んで連れて行っています。今後時間が経って、重大な変化が起きないことを祈るばかりです。

健康二次被害

■20220113(木曜日:雲り)

2015年、7年前にSunと二人で出掛けたクラブメッド・サホロの様子です。ホテルの前で準備運動中です。

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨日走りましたので、今日は休養日です。目覚ましを6時に合わせておきました。30分ほど前に目が覚めたのですが、そのままうとうとと布団の中で休んでいました。こうした時間は本当に心地よいものです。

■今朝の東京新聞には、新型コロナウイルス禍によって高齢者を中心に外出を抑制した影響で、健康に被害の懸念が高まっていると、筑波大学の久野教授(健康政策)が警告されています。

健康二次被害とは、外出自粛による運動不足や社会参加の機会が制限されることで、基礎疾患が悪化するリスクが高まったり、認知機能が低下することです。

久野先生によれば、筋肉は40代以降、年に1%ずつ量が減るそうです。そして「何もしないと、フレイル(虚弱)の状態から寝たきりになる可能性が高まる。ウィズコロナの中でも、混雑する場所や時間帯を避けて身体の活動量を維持すべきだという呼びかけが弱かった」と指摘されています。

やはり一番大切なのは、自分の免疫力を落とさないことです。ワクチンの前に自己免疫なのです。そうしたウイルスなどから身体を守る防波堤でもある免疫は、あまり激しい運動をしても、また運動不足でも低下してしまうそうです。感染症対策という面でも、やはり適度な運動は極めて大事なようです。

さらに人との交流が減ると会話も不足してきます。すると認知機能の低下も見られるようです。「会話は、相手の言うことを瞬間的に理解してやり取りする。地域の活動なども少なくなり、そうした脳の活動が減少した。認識機能が低下していくと、やがて認知症になる。

低下しているうちはまだ戻せますが、認知症になると戻らないんです」と久野先生は説明しています。

そして最後に、笑顔の大切さを訴えています。子や孫と交流してほしいと呼び掛ける中で、こう語られています。「会えたら絶対に笑顔になりますよね。笑顔は脳の活性化にも繋がるので、ぜひ一緒に過ごしていただけたらと思います」。

この記事の題は、こうです。「運動・笑顔・会話で免疫力アップを」どうやら、これに尽きるようです。

うそ書ける時代

■20220111(火曜日:雨)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。

■昨日の天気予報では、ギリギリ間に合うかもしれないと思ったのですが、残念ながら雨でした。5時に目覚ましをかけて起き出し、走るつもりだったのですが、何時頃からでしょうか、眠りながらも雨音に気付き始めました。

目覚ましが鳴ってから窓を開けて確認したのですが、やはり雨でした。それでもスッキリと目が覚めましたので、もう一度寝てしまうと後が辛いので、そのまま起き出しました。

火曜日ですので、生ごみを所定の位置まで運び、新聞を取ってリビングに戻りました。5時少し過ぎでしたが、もう何人もの方が、生ごみを運んで来ていました。皆さん早起きなのです。

土・日・月曜日と三連休の方も多かったかもしれません。穏やかな天候に恵まれましたが、オミクロン株の流行で、いつものようにはいかなかったようです。

■さて、今朝の東京新聞には興味ある記事が、いくつも掲載されています。その一つが24面に掲載されている、「こちら特報部」です。

「うそ書ける時代 すぐそこに。戦争再び招かぬため。正しい歴史 生涯探究 半藤一利さん没後1年 語録からの遺言」。

半藤さんが日本の近現代史で、とりわけ重要だと指摘した神話があります。

日露戦争後、軍が公表したのは、日本が世界の強国である帝政ロシアをいかに倒したかという『物語』『神話』としての戦史でした。海軍、陸軍大学校の生徒にすら本当のことを教えていなかった。

日清、日露戦争までは国家も軍も合理的判断ができ、その後は無謀な戦争の時代に突き進んだという、「坂の上の雲」の中で司馬遼太郎さんが描く、私達がよく知る、あの歴史観です。

昭和の自滅は、さらに原因を突き詰めれば、明治維新後の近代国家づくりにたどり着く、と半藤さんは考えていました。

国作りを始めたとき、プロシア(ドイツ)かぶれの山形有朋や周りの官僚が軍事国家体制をつくる。明治憲法が発布されるより十年も先にです。

もし大久保利通が暗殺されていなければ、こうならなかった。英米仏を歴訪し、軍事を政治の統制下におくシビリアンコントロールを大久保は学んでいましたから。

だからこそ、権力を縛る現行憲法には、近現代史の教訓が集約されている、と半藤さんは評価されてきました。「前文には日本が生きていくための理想が描かれ、条文は理想を実現するための手段」。

憲法九条の改正については変更することで、国家の全部が変わってしまい、失うものがすごく大きいと危惧し、このように説かれています。

大事になるのは『(国民の)軍隊からの安全』。クーデターを起こせるのはどこの国でも武器を持つ軍隊だけでしょ。そういう問題を抜きにして9条を改正し、強力な軍隊を持って国際社会のイニシアチブを取りたいなんて日本民族の悲劇ですよ。

そして、半藤さんはこうも語られています。

間もなく戦争体験者は皆死んでいく。うそも書ける時代がすぐそこまで来ているということです。せめて、なるべくうそが混じらないものを残しておかないと。歴史は書かれない限り、歴史にはならないんです。

亡くなる直前まで、次世代に向けての気がかりを表した、半藤さんの言葉があります。「反省しないのではない。知らないんですよ。」

私たちに残された、重い言葉です。

組織文化

■20220110(月曜日:曇:成人の日)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。商店街もにぎわっています。

■今日は成人の日、休日です。昔は成人の人は1月15日だったように記憶していますが、いつの頃からか連休になるように変更になりました。休日で休む私のような仕事の場合、それはそれで助かります。

しかし現在では、働く人の4割が非正規社員ということで、いわば日給・月給のような形で働いていますので、休日が必ずしも、ありがたいわけではないようです。

働ける日数が減れば収入も減るわけですから、休日が増えればありがたいと単純には言えない面があります。同じ給料がもらえるのであれば、休みが多い方が良いに決まっていますが、そうした環境にある方は次第に、少なくなってきています。社会全体が大きく変わり、ゆとりがなくなってきています。

■さて、今日の東京新聞には、さまざまな興味ある記事が載っていますが、6面では「あの人に迫る・勝ち残るために組織を変革せよ・中竹竜二チームボックス代表取締役」が語られています。

書き出しの部分はこうです。

「変化の激しい時代の中で、勝ち続ける企業や組織に求められるものとは。企業のリーダー育成を手がける「チームボックス」代表取締役の中竹竜二(48)さんは、目には見えない「組織文化」の変革こそが大切だと説く。

早稲田大学ラグビー部監督時代、部員から「日本一オーラがない監督」と言われながら母校を二度、全国優勝に導いた。常勝への第一歩は、自らの弱さを認めることだという。」

この記事を読んで感じたのは、これは何も企業における組織文化だけの問題ではなく、日本という国全体に当てはまることではないかという思いです。

変化の激しい時代、国際社会で勝ち残っていくために日本企業に求められることは何か、という記者の質問に対して、中竹さんは、こう答えています。

「グローバル化では資本や資源を持った企業が勝つので、安易にそこの競争に乗らないこと。自分たちの価値を定義し、文化を大事にすることが大切だと考えます。

経営者はもちろん、一般の社員も、自分たちの組織の価値は何かを考える機会を作っていくことが求められている。組織文化の変革は時間のかかる作業ですが、根気よく続けることですね。」

日本の社会が大きく劣化しているように見えます。戦後、勢いだけで突き進んできた時代を経て、変化に対応しきれていないように思うのです。

そんな時に、国民一人ひとりが、自分の頭で考え、どう行動すべきなのかを、中竹さんは教えてくれているように私には思えるのです。

■今日は休日です。穏やかで部屋の中にいる限りは、暖かな日和です。部屋の掃除をしたり、布団を干したりしながら、たまたまテレビで再放送を見ました。「おらが春」です。

おらが春〜小林一茶〜

初回放送日: 2002年1月3日

15 歳で故郷・北信濃から江戸へ奉公に出された小林一茶(本名・弥太郎)(西田敏行)は、葛飾派の俳諧師として、江戸で活動していた。相撲番付ならぬ俳人番付では、小さく下のほうに載る程度の活躍だったが、富津の名主の奥方・花嬌(かたせ梨乃)には慕われている。花嬌が亡くなり、父・弥五兵衛(財津一郎)が倒れた、という知らせを聞いて一茶は帰郷し、妻をめとり、子を授かるが、生家との確執は続き、妻や子を次々亡くし…。

20年前の作品です。どの俳優さんも若いのに驚きます。それにしても、壮絶な小林一茶の人生です。そして、すごいエネルギーです。51歳にて故郷(柏原:長野県信濃町)に戻り、ようやく安定した生活を始め、何と52歳で最初の妻を迎えます。

しかし最初の妻との間に生まれた子供4人は夭折し、妻にも先立たれます。そしてネットによれば、

再婚相手との結婚生活は早々に破綻し、身体的には中風の発作を繰り返し、64歳の時に3度目の結婚をするものの、65歳で亡くなる数カ月前には火事で自宅を焼失するなど、後半生も不幸続きの人生であった。また一茶は弟との遺産相続問題などが尾を引いて、故郷柏原では必ずしも受け入れられず、一茶自身も故郷に対して被害意識を最後まで持ち続けた。

1828年1月5日に亡くなっています。豪雪地帯である故郷柏原を読んだ句は、決して誇張ではないそうです。

これがまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺

人への投資

■20220107(金曜日:曇)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。

■昨日は東京でも4年ぶりの大雪ということで、テレビでは新宿辺りの様子を盛んに報道していました。ここ沼津でも、昼頃からパラパラと降り始め、夕方まで雪が舞っていました。途中からは雨に変わりましたが17時頃からは雨も止み、幸い積雪になることはありませんでした。

昨夜はロータリークラブの新年会でした。久しぶりに、みなさんで集まって食事をとりながら歓談する機会が出来ました。ついでもらった焼酎を、私は久しぶりに3杯ほどお湯割りで飲んだのですが、気持ちは良かったのですが、いささか飲みすぎたようです。

夜中に動悸がして困りました。軽い排尿障害も出る始末で、自律神経のバランスを取るのが、本当に難しくなってきていることを実感します。

ということで、今朝は走らずに6時までゆっくり寝ました。午前7時28分、ようやく青空が覗いてきたようで、南側の窓に朝日が当たっているのが分かります。今日は晴天になりそうです。

■さて、今朝の東京新聞三面には、「アイヌ通史」を邦訳した英国人研究者マーク・ウィンチェスター(42)さんが、「この人」の欄に登場しています。

英国南部の自然豊かな村で生まれたウィンチェスターさんは、8歳で空手を始め、武道への憧れから日本全体に興味を持つようになったそうです。英国の大学で恩師の歴史社会学者リチャード・シドル氏の下で日本の人種差別を研究しました。

その後、一橋大学大学院に進学し、知人から邦訳を熱望されたことも後押しし、国立アイヌ民族博物館に勤務する傍ら、恩師シドル氏の著書の邦訳「アイヌ通史」を出版されました。「研究するならとことん向き合い、多くの当事者が読める言語で」と語っています。

記事は最後に、こう書かれています。「偏ったイメージを押し付けられながらも、主体的にアイデンティティを確立すべく苦闘してきたアイヌの思想を追い続けたいと意気込む。北海道白老町在住。」

こうした海外の日本研究者が、私達日本人が気づかない、さまざまな視点から分析してくれることは、とても大切なことです。こうした多くの研究者を抱擁できることが、文化国家であることの一つの証に違いありません。

以前どこかの本で読んだことなのですが、英国では優秀な人物ほど歴史や哲学といった分野に進む、といった内容がありました。21世紀の今は、果たしてそれがそのままなのかどうか分かりませんが、英国の懐の深さをうかがわせる逸話ではないでしょうか。

今の日本は、人への投資をあまりにケチりすぎです。人しか財産のないこの国で人への投資を怠れば、あとは貧しい、貧相な国になることは誰にでもわかることですが、今の政治を司っている人達には理解できないようです。本当に残念なことです。

91年ぶり

■20220106(木曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。

■いつの頃からか、三階でWi-Fiが繋がらなくなりました。いままで特に問題はなかったのですが、パソコンで繋がったり、繋がらなかったりと訳が分からなくなりました。TP-Link社製のWi-Fiルーターを交換しなければいけないのか迷いました。電波が壁などに遮られて、届きにくいようです。ルーターの位置を、いまの診療机の下から棚の上に移しました。

それだけでも遮るものが減って電波の到達度が変わるようです。それでも安定して三階で接続することは難しいので、次の手段を取ることにしました。

結局メッシュネットワークを導入しました。次世代向けメッシュネットワークシステム・無線ルータTP-Link Deco M4 11ac/n・Wi-FiシステムWiFiルーター無線LANルーター 2ユニットです。

一階のWi-Fiルーターと一台目を接続、そして二台目を三階に置いたのです。結果は正解でした。しっかりとした接続を維持できています。

■さて、今朝の東京新聞三面には、とても印象深い記事が並んでいます。一つは「ソニーEV参入へ・春に新会社、競争激化」。そして、その下には「トヨタ 米で初の首位、21年に新車販売 GM 以外91年ぶり」とあります。

トヨタ自動車が1月4日発表した2021年の米新車販売台数は、前年比10.4パーセント増の233万2,262台となり、米ゼネラル・モーターズ GM を上回って米国市場で初めて首位となった。

米メディアによると、国外メーカーが年間販売台数でトップになったのも初で、GM 以外の首位は1930年以来。

と発表されています。まさに歴史的な出来事です。

GM は半導体不足や供給網の混乱で、昨年9月以降に北米の多くの工場が生産停止に追い込まれたことが響き、12.9パーセント減の221万8,228台でした。トヨタがアメリカにおいてトップになったのです。

1950年代から60年代にかけて、日本の車がアメリカに輸出されるようになりましたが、現実的には受け入れられることは難しかったのです。NHKで以前特集を組んでいましたが、初期の頃には高速道路を走っていた日本製の車のボンネットが、いきなり開いた映像が映し出されていました。要するに安かろう悪かろうの典型的商品だったのです。

1970年代、排ガス規制法案の成立によって、状況は大きく変わりました。アメリカの自動車会社はハナから無理だと相手にしなかった、排ガス規制を見事クリアしたのが日本の車だったのです。そしてプリウスを筆頭に、ハイブリッド車がアメリカを席巻しました。日本車は、壊れない車の代名詞になったのです。そして、2021年にトヨタが、ついにトップに立ったのです。

しかし、時代は今大きな曲がり角に立っています。ソニーが電気自動車に参入すると発表したのです。この同時に並ぶ二つの記事が、まさにそれを象徴しています。

これからの10年、どのような展開が待っているのか。自動車自体に、それほど興味のない私でも、時代の展開は興味深々なのです。

■午前11時頃から、ここ沼津でも何と雪が舞い始めました。午後2時38分現在、窓の外は雨のような霙のようなものが、しきりに降っています。東京でも雪のようです。

ロータリークラブの新年会が、街中でありますので、今夜は出かける必要がありますが、この天候では家を出るのが、本当に億劫です。木枯らしが吹き荒れるのも、辛いですがみぞれ混じりの天候も外出するには同様です。致し方ありません。

■さて午後からは、この天候では出かけることもできませんので、購入してあった精密機器用保護フィルムClearView社のProtectiveFilmをChromebookに取り付けました。有機EL画面ですので、画面を痛めるのが怖かったのです。

スマホと違って13.3インチと大きいので、取り付けも気を使います。取扱説明書は分かりやすいとは言えず、はたと考え込んでしまいました。どの面を取り付けて、どの面を外すのかが、どの面も同じように透明で、とても分かり難いのです。

それでも何とか無事に取り付けを終えたようで、混入した空気も無事取り除けたようです。これで安心して画面にタッチできます。マウスで指示しても良いのですが、スマホのように指で作業する方が、ずっと楽な場合も多いのです。

一旦スマホの作業に慣れてしまうと、パソコンで作業をしていても、ついつい指が画面に向かってしまうことが多くなります。慣れというのは恐ろしいものです。

壁を越えて

■20220104(火曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。市場に行きました。

■昨日で三が日も終わり、今日から仕事始めの方も多いはずです。私は1日だけ休暇を伸ばし、仕事始めは4日からとしました。仕事柄、年末は忙しいのですが、年始は暇なのです。

昨日は2人で箱根駅伝を最初から最後まで楽しみました。調べてみると、10年前の2012年に、Takuと3人で箱根へ出掛け、小涌園のカーブの所で選手を応援しました。ちょうど宿が取れたのです。

あの時は2日の往路では3人で応援に行ったのですが、3日は雪が降ってSunだけが歩いて宿から出かけ応援に行きました。

もう、あれから本当に10年が経ってしまったのです。家族の様子も、すっかり変わりました。それぞれが自立して家庭を持ち、Sunと2人だけの生活が当たり前になってしまいました。

それでも元日には、NonちゃんとTomo君とおせち料理を食べ、正月を祝いましたし、昨日はTakuからビデオ電話が入り、MasatoやYukoさんの元気な顔を見ることができましたので、とても嬉しい元旦でした。

年末年始の帰省ラッシュで道路は大混雑になりますから、今年は日をずらして、Taku一家とは月末にみんなで会うことにしました。それまで風邪を引かずにお互い身体を大切にしよう、と話して終わりになりました。

■さて、今朝の東京新聞には、「出自の鎖 強みにした・隠さず就活 福祉の道へ」。厚労省職員・高橋未来さんが、「壁を越えて」欄に登場しています。

高橋さんは3歳から名古屋市で暮らした後、家庭内暴力のため、9歳から18歳は東京都渋谷区の児童養護施設で育ちました。静岡大学卒業後、2020年厚生労働省に入省。現在は血液対策課に勤務されています。

家庭では物心つくと、父親が家族に暴力を振るっていました。自分の下にはきょうだいが2人いて、家はとても貧しかったそうです。父親の暴力から逃れ、子供達は母親とも離れ保護所に一時入りました。

子供たちは夜毎、親を求め部屋の隅で膝を抱えて泣いていましたが、高橋さんは違いました。「ここの方がまともな暮らしができる」。

18歳まで施設で過ごし、100年以上続く施設の歴史で初めて大学に進学しました。高校時代のアルバイトで貯めた100万円を手に、静岡大学へ。家賃700円の壁一面カビの生えた学生寮で、待ちに待った20歳を迎えました。

「成人し後見人も必要ない。ようやく自由になれる」。しかし、就職活動をするたびに、新たな壁にぶつかりました。緊急連絡先、身元引受人、実家の住所などなど。当初は正直に施設について書類に書き、面接で語ったそうですが、企業側は理解できなかったようです。

最終面接に残ったインフラ系大企業の人事担当者は、内定には保護者の承諾書が必要だ、と言い、取れませんとうつむく高橋さんに、「あなた、大学まで行かせてもらって、育ててもらって、親に相談せずに就職先を決めるの?親への感謝が足りない」。

頭が混乱し、帰りますと言い残し、内定を辞退、そのまま休学したそうです。

施設から離れ、新しい自分として、強く前向きに生きていくんだって、希望を持って生活していたのに、22歳でまた、壁にぶつかって。やっぱり私は逃れられない運命なんだって。ショックだった。

その後、高橋さんは厚生労働省の面接試験では、施設で過ごした自分の半生をありのままに語り、採用されました。現在、血液対策課に勤務しています。

「貧困、生活保護、母子家庭、家庭内暴力、様々経験した私は福祉分野で役に立てると思うけど、いつまでも過去に縛られるつもりはない。今の仕事も楽しいから」。厚生労働省は、ナイスです。公務員の大切さを再認識させられました。

誌面ではこれからも、困難な状況に人はどう向き合い、どんなことを感じながら乗り越えるのかを、年齢や性別、国籍など様々な壁に挑む人達を紹介する、と最後に書かれています。次回の連載が楽しみです。

山月記

■20220101(土曜日:晴れ)

富士宮の墓地から見た元日の富士山です。最高の青空でした。

■さて、新しい年が始まりました。2022年(令和4年)です。

昨夜はSunと2人で日帰り温泉に行って、お風呂に入ってから一杯飲んで帰ってきました。当初は、韓流ドラマ「イ・サン」の録画ビデオを見ながら焼き芋を作り、出来たてを高齢者一人住まいの知り合いの方に届けて温泉に行く予定だったのですが、なんと機械のスイッチを入れるのを誤って忘れていました。

自分では入れたつもりだったのですが、入っていなかったのです。結局ビデオを見終わってから再度スイッチを入れて、45分待つことになりました。いつもは50分間、焼き芋機をかけているのですが、そんな事情で出掛けるのが遅くなるために、5分短くして45分でセットしました。

ところが意外と、この最後の5分が重要だったのです。さつまいもの芯の部分にまで、まだ完全に熱が通っていませんでした。結局、もう10分間熱を加えなければならず、できたてを包んで届けた後、家に帰り急いで温泉に向かったのは17時過ぎでした。

日帰り温泉ザブーンは大混雑でした。普段は女性風呂もそれほど混んでいないようですが、Sunの話では、ほぼ満杯の状態だったようです。併設されている食堂もほぼ一杯で、多くの方が来られて食事を楽しんでいました。

昨夜は大晦日限定の年越しそばを、最後に頼みました。温かい天ぷらそばです。900円でした。

帰ってきてテレビのスイッチを入れて、紅白歌合戦を見始めたのが、19時を過ぎていました。結局、最後まで紅白歌合戦を見て、ゆく年くる年を確認して床につきました。

私自身はテレビを聞きながら、ホームページの改定作業に当たりました。年に一度デザインを更新しています。

今朝は目覚まし時計を7時に合わせました。こんなことは元日だけです。今朝は走る予定もありませんでしたし、床につくのも遅かったので、この時間になるまでゆっくりと休みました。

■さて、今朝も新聞を取ってリビングに戻ってきました。元日の新聞というと、昔は普段の10倍はあるのではないかという程の厚みがあったのですが、現在ではそんなこともありません。広告がいつもよりもかなり多いのですが、新聞自体はテレビ欄が厚いものの、昔のように元旦特集のようなタイプのものはなくなりました。

ネットの影響が大きいのでしょうが、新聞の役割というものが、ここ20年ですっかり変化してしまいました。もう20年ほど前になるでしょうか、ロータリークラブのゲスト演者として、静岡新聞東部支局長の方に話をしていただいたことがあります。

インターネットの黎明期で、自分自身も夢中で取り組んでいた頃でしたので、支局長さんに、新聞に与えるインターネットの影響を尋ねてみたのですが、支局長さんからは期待していたような回答は得られませんでした。もっとも、時間もありませんでしたから、ありきたりの返答しかできなかったのでしょう。

あれから20年で、世界中の新聞が坂を転げ落ちるように衰退に向かっています。アメリカでは、名門と呼ばれる多くの新聞社が買収されています。

■さて、今朝の東京新聞26面「こちら特報部」は、中島敦の特集です。山月記で有名な作家・中島敦です。

「今年は寅年・・・虎が出てくる物語の名作」「山月記・なぜ今も魅了?」「中島敦没後80年・高校教科書掲載260回超」とあります。

山月記は私も何度も読みました。

中島氏は1933年に東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教師として働きながら、執筆活動に励みましたが持病の喘息が悪化し、1942年12月に33歳の若さで、ほぼ無名のまま亡くなっています。

1949年、山月記を収めた「中島敦全集」が毎日出版文化賞を受賞し、広く知られるようになりました。山月記が高校の教科書に掲載された回数は、2019年までに260回を超え、これは夏目漱石の「こころ」や芥川龍之介の「羅生門」よりも多いそうです。

山月記の魅力を、高校の国語教師を約20年間務めた作家・北村薫さんは、こう言われています。

若い頃に理想を抱いても現実にぶつかって自尊心が傷つく物語には、多くの人が共感する。

高校生もテストの点数や進路に悩むなどし、誰しもが大人になる過程で思うようにならない悲しみを抱える。そうした若者の心に入りやすい。

いわば『青春の文学』なんです。

きっと誰もが通る道なのでしょう。自分自身に照らしてみれば、叶った夢もあり、叶わなかった夢も当然あります。そうは言っても、こうして自分自身の人生を振り返って総括してみれば、幸運だったとしか言いようがありません。

まずは、事故や病気で早死することはありませんでした。なんとか古希に近い歳にまでたどり着いています。70歳は古希、つまり古来稀なりということなのでしょうが、そこまでたどり着ければ幸運なのでしょう。

家族にも恵まれ、子供達も今のところ親より先に旅立つことはなさそうです。それだけでも感謝しなければいけません。何より一番辛い苦しみ、悲しみとは、子供に先立たれることだからです。

とにもかくにも、年始にあたって、今年も一年間、事故や病気に気を付けて、無事に大晦日までたどり着けるように、毎日を送ることが何よりだと感じています。

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