2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

カテゴリー: 残日録 Page 49 of 132

古書

■20210629(火曜日:雨)

3月30日に植えたキンカンの木に花が咲きました。

■今朝は走るつもりで4時半に目覚ましを合わせておいたのですが、やはり天気予報どおり雨の朝でした。月100キロ走の目標まで、あと1回走れば到達できる地点まで来ています。

ゴールまで、もう少し。マラソン大会で言えば、エコパスタジアムに戻ってきた、とでも言えばよろしいでしょうか。もっとも、40キロ近くを走ってようやくたどり着いたエコパスタジアムでしたが、そこからのゴールのなんと遠いこと。たった400メートルほどなのですが、本当に、はるか遠くに感じられました。

あれから、もう5年が経ちました。調べてみると、昨年から今年にかけて、ほとんどのマラソン大会が中止になっています。今年の秋から冬にかけての大会も軒並み中止のようです。開催されるのは東京オリンピックぐらいのものです。

■3月30日に植えたキンカンの木に花が咲きました。昨日スタッフに教えてもらって、今朝写真を撮りました。白い五弁の可愛らしい花です。

ホームセンターから購入した際に見た説明書には、来年の2月ごろには実を付ける、と書いてありましたが、そんなに早く味をつけるものかと疑問だったのですが、こうして3ヶ月で花が咲くのですから、確かに、まんざら大げさではなかったことが実感できました。来年の2月が、とても楽しみです。

■さて、今朝の東京新聞、「昭和遠近76回」は「古書」と題して歌人島田修三さんが書かれています。副題は「高価でも全集買い集め」です。

柴生田稔(しばうた みのる)歌集『入野』おいて、柴生田さんは研究のために広範囲の全集を揃えようと、1962年当時 23,500円の全集を購入する際に妻に伺いを立てた、という内容を歌っているのです。

調べてみると、当時JRの普通旅客最低初乗り料金が10円、タクシーの基本料金が80円だったそうです。また昭和37年(1962年)当時の国家公務員の大学卒初任給は15,000円程度でした。

そうしてみると、当時の 23,500円は決して安くはなかったのです。ところが、今では古書の値段は比較にならないほど安価になっています。平成後半には、北原白秋全集40巻の値段が一万円になってしまっています。新刊時の価格からしても脱力するほど安い、と島田修三さんは書かれています。

活字離れが進む一方の時代になったのだから仕方がない、とも嘆いておられます。そして最後に、昭和は最後の本の時代だったのである、と島田さんは結ばれています。

■島田さんが書かれているように、活字離れの時代であることは間違いありません。しかし古書の値段が下がっていることの原因には、もう一つ、デジタル化の要因もあるのではないでしょうか。

凝りに凝った美しい装丁の本というのは、まことに得がたいものですが、そうした本はごく稀です。ほとんどの本は、文字を読むための本なのです。

そうであれば必ずしも、印刷物である必要はありません。むしろデジタル端末で読む方が、ずっと楽なことも確かなのです。

何年前でしょうか、デジタル書籍が出始めの頃ですから少なくとも20年以上前であることは間違いありませんが、新聞にこう書かれていました。シェークスピア全集がデジタル化され、今まで研究者が気づかなかった単語の使い方の違いが発見された。デジタル化されることによって、全文章の検索が可能になったことによるのだ、というのです。

つまり、ある単語がどのような場面で使われているかの網羅的探索は、デジタル化されたデータでは、いとも簡単なことなのです。今まで気づかなかった単語の使い方や、その違いの研究に、大きな進歩があったというのです。

確かに、その通りに違いありません。印刷された全集で、こうした研究をするのは容易ではありません。また取りこぼしも、当然多くなります。デジタル化によって、今まで不可能であった、あるいは気づかなかった視点から研究が深まることは、大いに考えられます。

全集の値段が悲しいほどに落ち込んだとしても、決して悲しむことばかりではない、と思うのは私だけではないはずです。

シビックテック

■20210628(月曜日:晴れ)

昨日走ったときに撮りました。近所家の庭に咲いていました。

■昨日は日本眼科医会代議員会があり、9時から12時半までびっちり会合でした。考えてみれば、2年前には泊まりがけで東京へ出掛けた訳ですが、昨年は中止、そして今年は、オンライン会議となりました。

天候は幸い、土砂降りにもならず、今にも降り出しそうな空模様でしたが、結局夕方まで降りませんでした。そこで15時から走ることにしました。

あと2回走れば、月100キロ走の目標を達成できる地点にまで来ていましたけれども、明日から天候が崩れそうですので、気温も低い今日走ってしまう方が賢明だという、Sunのアドバイスもあり、思い切って走りました。

久しぶりに昼間走ってみて、まず驚いたのは、最初の1キロのペースの速さです。いつもですと朝の5時から走るのですが、最初の1キロは遅い時には8分ぐらいかかっていますが、今日はキロ6分30秒ほどでした。

朝起きたばかりの時は、体がまだ寝た状態ですので、その程度のペースになってしまうのです。日中ですと、アイドリングが済んでいるような状態なのでしょうか。と言って、ずっとベースが、どんどん早くなるわけではないのです。昨日の昼間のペースは1キロあたり6分25秒でした。

これで6月21日から連続して、7日間毎日走ったことになります。記録を調べてみなければわかりませんが、多分初めてではないでしょうか。1日当たりの走行距離は大体6キロですので、長くは走っていません。ですので連続して走ることが、できたのでしょう。

月100キロ走まで残り2日で、5.39 キロとなりました。あと一回走れば、目標達成です。

■さて、今朝は起きて見てビックリ仰天です、なんと青空の朝です。湿度も低く、まるで5月の爽やかな五月晴れのような青空です。梅雨は、いったいどこへ行ってしまったのでしょうか。

湿度が高く、ジメジメした天気の日が、今年の梅雨はほとんどありません。フローリングの板敷の床もサラサラしていて、本当に梅雨だろうかと疑問に思う毎日です。

■今朝の東京新聞には、「シビックテック」という言葉が紹介されています。シビック(市民の)とテクノロジー(技術)を掛け合わせた造語。市民や非営利団体などが、情報技術(IT)を駆使して、行政サービスや地域、社会の抱える問題を解決していく取り組み。「新時代の公共」として注目され、世界各国に広がっている、とあります。

新型コロナウイルスの世界の感染状況など、最新の情報を提供する、米ジョンズ・ホプキンズ大学の特設サイト、東京都の感染や検査のデータを分かりやすく示す、東京都の感染症対策サイトなどが、こうした取り組みで行われています。

これらは、いずれも情報技術に優れた市民たちの手で作られ、行政や社会が抱える問題をITを駆使する市民の協力で解決しようとするシビックテックの試みです。世界に広がりつつある新しい民主主義の取り組みを追ってみました、と紙面には書かれています。

特定の行政機関や一企業が運営するのでなく、多くの市民たちがボランティアとして運営に関わることで、透明性を確保しているのです。プログラムを公開するオープンソースという形をとっています。これからの社会を変えていく上で、大きな武器になると私は感じています。

甲の得は乙の損

■20210627(日曜日:曇)

昨日の朝の空です。今朝は曇り空ですが、いまのところ雨は降っていません。

■今朝はゆっくりとお休みました。先週は6日連続して朝走りましたので、久しぶりの休息です。1週間どうも胃の調子が思わしくなかったのですが、疲れが溜まっていたのでしょう。

以前、北海道旅行した際に、急性胃腸炎に襲われましたが、私の場合は疲れが溜まると胃腸に出るようです。

昔、昔は扁桃腺炎を起こして熱発していたのですが、開業する前に扁桃腺を摘出してもらいましたので、それ以降は熱発することはなくなりました。本当に楽になりました。

ただし、今度は胃腸に負担がかかるようです。なんだか、いつも胃にものが詰まって滞ってるような感じ、とでもいうのでしょうか。何度も消化薬を飲まないとスッキリしない、という感じが続きました。

それもなんとか、今朝休養をとって少し楽になったようです。

■さて、昨日は仕事を終えてから、体調が良ければそのままゴルフの練習にでも行こうかと思ったのですが、さすがにあの暑さの中では止めました。

17時から20時までオンラインによる全国代議員会がありましたので、パソコンと睨めっこの3時間超でした。今朝も9時から12時半まで2日目の会議です。いつもでしたら東京のホテルに泊まって、大会議室で200人以上が一同に集まって会合をするのですが、昨年はコロナ禍のため中止、今年はオンライン会議に変更となりました。

つまりは、それだけの交通費や宿泊費などの経費が会にとっては節約できたのですが、鉄道会社やホテル側から見れば、売り上げが消失したということです。

甲の得は乙の損、とはよく言いますが、コロナ禍において、今まで当たり前だと思っていた支出がなくなってみると、今まで気づかなかった点に気づくのです。そして、大切だと思うのは、コロナ禍が収束しても、以前のように戻ることは、まずありえないということです。

かなりの部分をオンラインで済ますことができることに、多くの人々が気づいてしまったのです。その流れを完全に元に戻すことは、100%不可能でしょう。

そうした前提のもとに、社会を組み立てていかなければならないことは当然です。しかし、残念ながら今まで染み付いてしまった常識を拭い去るのは、本当に難しいことです。崖っぷちまで追い込まれないと、舵を切れないのが、集団体制である日本の弱みかもしれません。

矩を踰えず(のりをこえず)

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■20210619(土曜日:曇時々雨)

一昨年出かけた千歳JAL国際マラソン、青葉公園の青空です。

■今朝は走らずに休みました。天気予報では、今日は朝から一日中、雨とのことでしたので、残念ながら積み重ねは来週になります。

ここ一週間ほどは、走らなかった朝の朝食を変えました。これまでの組み合わせと異なり納豆ミックスは食べないことにしました。つまり、コーヒーとくるみパン一枚、そして果物という取り合わせです。今朝の果物はアンズとブドウ、そして友人から頂いた自家製の搾りたての牛乳をコーヒーに入れて飲みました。コーヒー牛乳です。

自家製の搾りたての牛乳ですから、頂いたその日に鍋で30分ほどコトコトと煮ることで、熱処理をして殺菌しました。とても味が濃いのです。市販の牛乳とは、だいぶ違います。

それを凄く美味しいと感じるか、ちょっと濃すぎると感じるかは個人差があると思います。私は乳製品は好きですので、ソフトクリームも大好きですし、朝くるみパン一枚を食べる時には、バターを塗ってトーストしています。本当によく噛んで食べるくるみパンは、甘くてとても美味しいのです。

そんな私ですが、市販の牛乳に慣れていると、いただいた牛乳は、さすがに、いささか濃厚すぎて、勝手が違います。ということで、コーヒー牛乳として飲む分には、ちょうど良い感じになりますので、自分にはこれが合っているようです。

以前、家族で北海道旅行をした際に、北海道名産の乳製品をこれでもかと食べたのですが、帰ってきて血液検査をしてみると、案の定、悪玉コレステロールがドカンと上がっていました。体質です。

■最近、特に感じるのは、食欲の衰えです、というか、胃の消化機能の衰えでしょうか。少し多めに食事を摂ると、胃が持たれてしまいます。そんなことは、昔からそうだったのかもしれませんが、とみに最近そのことを痛感します。

ですから、もう少し食べたいな、と思うところで止めることが、気持ちよく食事を終えることにとって、一番大切になってきました。でもこれはなかなか難しいのです。

聖人君子でもない限り、こんなことはできないのかもしれません。病気にでもなって、手術でも受けたのなら止むを得ませんから、いやでもそうするのでしょうが、少なくとも今の私には、なかなかの難題です。

孔子様もおっしゃったように、「七十にして 心の欲する所に従へども 矩を踰えず(のりをこえず)」と、なりたいものです。これは、「70才の時には、ついに心のままに行動しても礼儀や規則などに外れることがなくなった」ということのようですが、さらに礼儀や規則だけでなく、食欲があってもおかしくないと私は思うのですが。

連れ合い

■20210618(金曜日:曇)

昨年6月16日の蓮の花です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝は走りましたし、夜は講演会の司会と進行を務めなければならず、精神的に疲れました。

オンラインでの講演ですので、回線の具合が悪化して、途中で講演が途切れてしまう可能性も十分あります。回線が5Gになれば、そうしたことは起きないのかもしれませんが、現在の回線状況では、講演をしてくださる側の状況や、そして受ける側の状況もありますので、無事に終わることは必ずしも、保証されている訳ではありません。

最後まで気が抜けないのです。また、演者のパソコンの調子が悪くなってしまうこともあり得ますし、現実にそうしたことは時々起きます。何しても無事に終わってほっとしました。

■昨日はのんちゃんの誕生日でしたので、お祝いのメールをLINEで送りましたが、返事をもらってとても嬉しく思いました。

健康で生活してくれていれば、それ以上望むことはないのですが、子どもたちそれぞれが、仲良く家庭を営んでくれることを祈るばかりです。

連れ合いとはよく言ったもので、一人で歩む人生も、もちろん素晴らしいことはいっぱいあるのでしょうが、連れ合いと共に歩む人生を選択してしまった以上、一緒に歩んで良かったと思える一生を送りたいものです。

現在、そう思える自分がとても幸せだと思いますし、子どもたちにもそうした思いを持って一生を送ってほしいものだと切に願うのです。

子育て

■20210616(水曜日:曇)

紫陽花には、やはり雨が似合います。この花も雨で生き返りました。

■今朝はゆっくりと休みました。天気予報でも、今朝は3時から6時まで雨の予想でした。5時半に目覚ましを合わせて、ゆっくりと寝ていました。昨日走ったためもあるのか、疲れもいささか溜まっています。

昨日の朝はいつもより5分だけ長く走りましたので、1キロ弱、距離も増やすことができましたけれども、それが疲れたと関連しているのかどうか、経過を見てみないとわかりません。

■昨夜は少し時間が取れましたので、Sunが録画してくれてあった、北の国からスペシャル「初恋1987年」を見ました。残念ながら、テレビ放映している時には、北の国からを私は見ていませんでしたので、昨夜はビデオを見ながら、あーこれがあの北の国からかと、納得していました。

『北の国から』(きたのくにから)は、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマのシリーズ。原作・脚本は倉本聰。主演は田中邦衛。

連続ドラマとして「金曜劇場」枠で1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00 -22:54に放送された後、ドラマスペシャルとしてシリーズ化され、8編のドラマスペシャルが1983年から2002年まで放送された。

北海道富良野市(主に麓郷地区)を舞台に、北海道の雄大な自然の中で田中演じる主人公・黒板五郎と2人の子どもの成長を21年間にわたって描く。


父親役の田中邦衛が子育てに悪戦苦闘をする様子を描いています。率直に感じたことは、子育ては誰もが初めての経験だということです。

20年後になって振り返ってみれば、ああすればよかった、こうすれば良かったのかな、と少しは良い考えが浮かぶのかもしれませんが、そのまっただ中にいた当時は、ただただ毎日のことで精一杯だったのです。

それでは、もし自分がもう一度20年前に戻って子育てができるとしたら、もう少しマシな父親を演じることができるのかと問われれば、答えは否でしょう。

自分という人間は変わっていないし、あれよりほかに、できることはなかったように思います。自分が子育ての中で取ってきた行動基準といえば、子供たちを信頼し、応援することしか親にはできない、という信念です。それはもちろん、子育ての中で親として悪戦苦闘しながら身につけた信念です。

子供たちが自分に悟らせてくれたのでしょう。結局のところ、ある先生が言われていたように、子供と育って親になる、ということでしょうか。

クロアリ

■20210614(月曜日:雨)

3階の部屋にクロアリが発生して驚きました。どこから来たのでしょうか。

■雨の朝です。昨日は曇り空ながら、なんとか持ちこたえた日曜日でしたが、今朝は朝から雨です。でも考えてみれば、今は梅雨の真っただ中ですから、雨で当然なのです。

目覚ましは、一応合わせたものの、雨の音に合わせて、少し長く眠りました。雨もまた良しです。

ただ、ここ1週間ほど大変困ったことが起きています。アリの発生です。最近まで、あまり使っていなかった、三階北側の狭い部屋を、パソコン部屋として使い始めたのですが、クロアリが発生してびっくりしました。小さな虫が大量に、うごめいているのを見るのは、決して気持ちの良いものではありません。

昨日はホームセンターに行って、アリ退治の殺虫剤を買ってきて、ちょうどこの部屋の下に当たる外壁際に、粉状のアリ除去剤を散布しました。

この家も建築してから、もう30年以上が経ちます。一時雨漏りがひどく、本格的な補修作業をして、その点は治まったのですが、あちらこちらに、知らないだけでがたが来ているのでしょう。

新車も買ったその瞬間から、中古車になるのと同じように、新築の家も住み始めた途端に、中古住宅になってしまいます。あとは朽ち果てるのを待つのみです。人間と同じでしょうか。

とにかく物を増やさないことが大事だと、つくづく思います。いずれ、片付けなければならないのは、分かり切っているからです。そして、その時が、そう遠くないことも、頭では理解しているのです。

■今日、関東地方が梅雨入りしました。東海地方は1ヶ月前に梅雨入りしていますので、ずいぶんと遅い様に感じますが、それは単なる錯覚です。例年より7日だけ遅い梅雨入りです。東海地方が5月16日でしたから、こちらが早すぎたのです。

AIとロボ

■20210611(金曜日:晴れ)

我が家の庭に、毎年大きな花を、たくさん咲かせます。エンジェルス・トランペットでしょうか?

■今朝は4時半に目覚ましを合わせてあったのですが、起き出すことができませんでした。3日続けて走りましたので、今日は休養日です。生ごみを所定の位置に運び、いつもの朝食をとりました。

昨日はすんと二人で日帰り温泉に行って、生ビールを楽しみました。一日中暑かったので、やはりビールが美味しいのです。最近では従業員の外国人の方とも仲良くなって、話をするようになりました。

ネパールやスリランカの方が多いようです。私の町でも外国人の方がとても増えてきました。家族で住んでいる人も多いようです。いわゆる技能実習生と立場の人達でしょうか、パキスタンの方も多いようです。

知らないのに日本も他民族国家になっているようです。人手不足を補うために致し方ない面もあるのでしょうが、将来に禍根を残さなければ良いのですが。

■今朝の東京新聞には、「過酷な草刈り ロボに任せて」と記事が出ています。また「お会計も非接触 AIレジ」と題して、人工知能を活用して、複数の商品を瞬時に認識できる、無人レジのシステムを開発した、と京セラが発表しています。

やはり日本の向うべき道としては、安易に安価な労働力に頼るのではなく、人工知能やロボットを駆使して、付加価値の高い労働を創造していくことしか、生き残る道はないと私は考えています。

安い人件費で大量の商品を製造するというと、すぐ中国が頭に浮かびますが、現在ではどこよりも多くのロボットを導入している国が、中国であることも事実なのです。

中国は、人工知能やITを駆使して、急速に省力化を進めています。侮っていては、足元をすくわれます。今こそ、しっかりと未来を見据えて、議論すべき時なのです。

米中関係と日本

■20210604(金曜日:雨)

足立美術館の庭です。今回は青空のもと、鑑賞することができました。

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜は7時からオンラインでの講演を聞きました。友人のフリーアナウンサー、高橋恵子さんから連絡を頂き、ズームでの講演を聞いたのです。講演内容と演者は、以下のとおりです。

今の中国を知る~2021年全人代と外交、首脳会談の解読から見る~「米中対立の行方と日本」

朱 建栄(しゅ けんえい、チュー・チエンロン、1957年8月3日[1] – )は、中華人民共和国出身の政治学者。東洋学園大学グローバル・コミュニケーション学部教授。専門は、中国の政治外交史・現代史に関する研究、東アジアの国際関係に関する研究。日本華人教授会議代表を歴任(2003年1月 – 2013年4月)。

日本では、マスコミが報じる内容はかなり偏ったものが多く、欧米側というか、アメリカの意向に沿った内容がほとんどです。したがって、現在進行中の現実を、どう捉えるかという時に、一面からしか物事を見ることが難しくなります。

もちろん、昨夜講演していただいた、朱建栄先生の解説というのは、現在の中華人民共和国政府の意図を反映していることは間違いありませんので、これもまた一面的といえば一面的かです。しかし、それは私たち日本国民の多くが、見逃している一面なのです。

米中対立からもたらされるものが、アメリカ一極支配の継続なのか、あるいは、米中による多極化に至るのか。今は、その過渡期にあるのでしょうか。

以前でしたら、多極化など想像もできなかったのですが、現在では決して荒唐無稽とは言えません。その時、日本がどのような立場で国際社会を乗り切っていくのか。朱先生はドイツのメルケル首相を見本として、日本は米中の架け橋になるべきだと話されていました。

しかし、日本政府にその思いがあったとしても、果たして日本国民が、そのようなある意味、屈辱的な立場に耐えられるのかどうか、私は難しいと感じています。

あの無謀なアメリカとの戦争もそうでしたが、指導者たちは、それが無謀であることを当然理解していたのですが、いわば憎悪の火を灯されてしまった多くの国民が、臥薪嘗胆に耐えきれなくなって、むしろ煽る側に回ってしまった事が、雪崩を打った原因の一つなのです。

中国の風下に立つことを、日本国民が精神的に受け入れることができるのかどうか。日本人にとって必要なのは、冷徹な国際情勢分析ではなくて、精神的カウンセリングではないかと、いつも思うのです。

蓬餅(よもぎもち)

■20210602(水曜日:曇)

松濤館でのお出迎えの生花です。

■今朝は走るつもりで、目覚まし時計を4時半に合わせてあったのですが、その前に目が覚めてしまいました。そのまま起き出して、準備をすればよかったのですが、もう少し休もうと寝入ったのが仇になりました。

結局今日は走らずじまいで終わってしまいました。やはり連日走るのは、ちょっと辛いかもしれません。

■さて、昨日の東京新聞10面では、「昭和遠近、短歌に見る時代相」では、歌人である島田修三さんが「蓬(ヨモギ)餅」と題して書かれています。副題は、「おやつは自家製だった」となっています。

中村規子の歌集『かざぐるま』(1981年)からの一首を引用され、病む作者のために、母親が蓬餅を手ずから作ってくれている場面を示しています。

病みて臥す 冬のまひる間 コトコトと 蓬(よもぎ)をすりて 餅作る母

島田さんのご家庭でも、自分が小さかった頃には近所の多摩川の土手に行って、草むらからの新芽を摘み、祖母が餅を作ってくれた様子を書かれています。祖母の作る餅は一種の縁起物でもあったろう、と島田さんは書かれています。

明治生まれの祖母や、大正生まれの母は、子供のために、おやつを手作りしてくれました。早春の頃にはかき餅、晩秋や冬には、しばしば麦こがしを食べました。それから、春秋のお彼岸には、母親が大量のおはぎを作ってくれました。

そして、日々のおやつの主役は、おむすびでした。学校から帰って、お腹が空いたと言うと、母親は朝炊いたごはんの残りで、おむすびを握ってくれたそうです。昭和の子供のおやつは、ほとんど自家製だったのであると、最後に島田さんは結ばれています。

私が子供の頃のおやつは、何だったのだろうかと思い出してみると、食堂の棚にしまってあった、煮干をよく食べたことは覚えています。煮干しが好きだったのです。

を摘んできて、母が餅を作ってくれたことも覚えています。今ではコンビニやスーパーへ行けば、何でも揃っていますので、手作りすることは、あまりないでしょう。よし悪しは別にして、それが時代の変化なのです。

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