2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

カテゴリー: いいたい放題

理解しえぬ孤独

■ いいたい放題 → 解説

 2004年度アカデミー外国映画賞を受賞した、「みなさん、さようなら」のドゥニ・アルカン監督のインタービュー記事を読みました。病に倒れた歴史学者の父のため、かつての仲間たちが証券ディーラーをしている息子を呼び戻す。父は筋金入りの社会主義者。息子は父に反発し、万事金で解決する合理主義者。息子に父が残す言葉は、「お前みたいな息子を育てろよ」。しみじみした家族ドラマかと思いきや、原題は 9・11 報道のコメントを引用した「蛮族の襲来」。監督の言葉。「蛮族とは境界の向こうにいる存在。父にとり息子は、息子にとり父は蛮族。どちらがより野蛮かを比べてもきりがない。どっちもどっちというところから、相互理解が始まる」。

 冷戦が終わり、二一世紀こそは平和の世紀になるかと思いきや、むしろ地域紛争は増加するばかり。文明の衝突が現実の物となりつつあります。戦争とは、基本的には経済戦争であるわけですが、そんな旗印では人々は熱狂しない。一方が自由と民主主義を持ち出せば、かたや聖戦を持ち出しての応戦。平和を樹立するために、と言って戦争をしてきたのが人類の歴史なら、21 世紀になっても、相変わらず人類のやっていることには、何の変わりもありません。

そんな昨今、しみじみと心に滲みる言葉に出会いました。それは、今は亡き評論家・福田恒存氏の著書、「私の幸福論」の一節。「男女に限らず、人と人とは、たがいに理解しえぬ孤独に堪えるべきものです。理解するばかりが愛情ではない。理解しえぬ孤独に堪えることも愛情です。愛情があれば、その孤独に堪えられましょうし、また相手の孤独を理解しうるでしょう。」

 ミュージシャンとして、そしてひとりの人間として、さまざまな曲や行動を通して、「ラブ&ピース」を訴え続けたジョン・レノン。福田氏のこの言葉を知って初めて、私はジョン・レノンの目指したものがなんだったのか、理解できたような気がします。異なる時間を生きてきたそれぞれの人間達が、お互いを理解しえぬその孤独に堪え、乗り越えるのが愛の力。その孤独に堪えられなくなった時に、人は戦争を始めるのではないか。この言葉を知った時から、私にとって「ラブ&ピース」は、決して単なるお題目では、なくなったのです。

律する言葉

■ いいたい放題 → 背景

 日本民間企業の父と呼ばれる渋沢栄一は、若き頃家業の養蚕と製藍を手伝っていたのですが、幕末尊王攘夷運動に飛び込むことになります。国を憂えて出奔する彼を、論語の一節を引用して父親が諭した話は有名です。その言葉に父親は思いを託し、栄一青年もその言葉の中に父親の思いを受け取めることができたのです。

 昨今多発する子どもたちの事件や先日の駐輪場でのストーカー殺人事件の犯人を知るにつけ、この国ではもはや、親が子を諭し、子が自分を律する際の言葉を失っている、と私は判断せざるを得ないのです。

 戦前の教育勅語への反動からか、会社に入り社訓を暗唱させられるまでは、若者は自分を律する言葉を獲得するチャンスすら与えられて来なかったのが、戦後日本の常態でした。これは考えてみれば大変異常なことです。かつてのような、ほとんどの国民が農民であった時代には、それでも良かったかもしれません。なぜなら、農民は常に自然と対話し、自然の前では謙虚にならざるを得ないからです。ところが物が溢れ、土と切り離された生活を送る現代の我々が謙虚になるためには、大震災や火山の噴火が繰り返し必要になってしまうのです。キリスト教徒やイスラムの人々のように、唯一絶対神との絶え間無い対話を通して自己を律する、という文明を持たなかった我々日本人には、この問題は極めて大きな重荷のように、私には思えます。

 そんな現代において、世界的奉仕団体ロータリークラブの唱える基本理念の一つである、以下の「四つのテスト」は、大いに力を持つのではないでしょうか。

★言行はこれに照らしてから、
【一】真実か どうか?
【ニ】みんなに公平か?
【三】好意と友情を深めるか?
【四】みんなのためになるか どうか?

 それぞれは、ごくありふれた言葉で綴られています。それでいてそこには、生きていく上で必要な規範が過不足無く含まれています。まさに先人の智慧の結晶です。

 21世紀に向かう日本が克服しなければならない大きな課題の一つが、この心の問題です。この四つのテストが、広く家庭や教育現場で利用されれば、今のような殺伐とした心の荒野に、少なくとも何がしかの道標が築けるのではないか、そう私には思えるのです。

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