■昨夜は講演会を聞きました。サンウェルぬまづで、沼津国際交流協会主催の講演会「中国文化講座 2017 新語で読み解く中国事情」が開催され、私も参加しました。
講師の工学院大学 孔子学院院長 高橋恵子さんは、地元沼津の出身で、群馬テレビのアナウンサーを振り出しに、北京放送局のアナウンサーを経て、本年の4月から院長に就任されました。
FM沼津で番組を持たれていた時に、私も二度出演させていただき、そのご縁で参加いたしました。
内容は、現代中国の様子を言葉を通して分かりやすく、そしてとても楽しく語られたましたが、本当に飽きることがなく、あっという間の1時間半でした。
高橋さんも述べられていたように、明治時代になり西欧近代文明が怒涛のごとく押し寄せてきた時に、私達の祖先は英語をそのまま使用することなく、「政治」や「哲学」という新しい言葉を発明し、日本語での新しい概念を学ぶことを可能にしました。これは日本人が一体化して近代化するために、たいへん大きな力を発揮したのです。
現代でも近代化しようとする発展途上国が、新しい概念を学ぶために自国語でなく英語でしようすると、手っ取り早いようでも、結局は国民が理解できる層とできない層に分裂し深刻な問題を引き起こしています。
昨年Sunと一緒に北京に行った時に、ホテル近くのコンビニに入りました。玄関脇のガラス戸には、中国人利己的便利店、と書いてありました。なるほど。何でもかんでもカタカナで済ませてしまう日本人は、いずれ言語的想像力を枯渇させてしまうのではないか、と私は危惧しています。きちんとした咀嚼を経ずにいい加減なまま、新しい概念を移植し続けていると、いつの日か、本当に日本人は曖昧な日本人になってしまうのではないでしょうか。
ところが、高橋さんに質問してみると、何と中国でも今は状況が少し異なるようです。怒涛のように押し寄せるデジタル世界の新語に対して以前は中央で検討会を開いて、統一して使用する用語を作成していたのだが、最近は音をそのまま文字乗せてしまい、マイクロフォンという、音をそのまま音声的に近い文字に置き換えて使用する場合も出て生きている、というのです。
詳しいことは中国語が分からない私には理解できないのですが、そうだとすると、中国も日本同様意味を深く考える前に、文字に置き換えてしまう、という大変安直な作業をしてしまっていることになります。
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