■20180826(日曜日:曇)
■今日は一日ゆっくりとしようか、出かけようか迷いました。8月最後の日曜日です。でも結局家で、のんびりすることにしました。とにかく暑いのです。以前のように酷暑とは、さすがになりませんが、それでも十分暑いのです。幸い曇り空ですので、午前8時5分現在気温は、それほど上昇していないようです。
テレビもラジオもかけていませんので、静かな中でのひとときです。新聞をゆっくりと読みながら、残しておきたい記事を切り抜きました。先日切り抜いておいた記事は重しを敷いてしわを取っておきましたので、スキャンにかけました。そしてエバーノートに保存しました。昔は切り抜きを不要の広告の紙に貼り付けて整理していましたが、紙は劣化しますので時間の経過とともに読むのが困難になっていきます。
自分が旅立った後に、こうしたデジタル遺産をどうするか、という問題があります。もちろん使用料を払ってデーターセンターに保存しているわけですから、旅立てば誰かが引き継がない限り、消去されて終わりです。整理が不要だ、といえば合理的ですが、魔法のように跡形も無くなってしまうのも、ちょっと寂しい気がします。
自分の父親は、こんな資料を集めていたんだ、こんな内容に興味を持っていたんだ、と子どもたちがしみじみと振り返る時間を持って欲しい、と願ったりもするのですが、忙しい中ではかえって邪魔のようにも感じます。綺麗サッパリ消え去るのが、江戸っ子の流儀ではないですが、飛ぶ鳥跡を濁さず、とも言えます。
多少の遺産を残して、少しばかり有難がってもらう程度が、ちょうど良いのかもしれません。多くを残せば喧嘩の元になります。それぞれが自分の力で生きていけるだけの教育は付けたつもりですが、棚ぼたというものは誰にとっても有り難いものです。それがもとで諍いが始まっては本末転倒です。でも世の中は、本末転倒に溢れています。
■今日の新聞記事の中では、日曜日ですから、やはり読書欄です。「中江有里さんの三冊の本棚」では、副題としてーー「女らしく」って何ーーと題して、三冊の本が紹介されています。一冊目が「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」です。もちろんまだ読んでもいないのですが、私が思い出したのが、「高峰 秀子 (著) わたしの渡世日記」です。朝日新聞社 (1976)です。私が23歳のときです。ネットによれば、
その高峰秀子が文庫本で2冊800ページにおよぶ自伝を書きたいように書いたのだから、おもしろくないはずがない。当時の「週刊朝日」の名物編集長だった扇谷正造がくどいて書かせた。
と、あります。連載中にも評判になり、ラジオ番組で司会者との対談が放送されていました。毎朝ラジオを聞きながら朝食を準備するのが日課だった母のお陰で、学校へ出かける前に朝食を取りながら、そんな放送を聞いた記憶が今でも残っているのです。2015年12月31日に旅立った母ですが、新聞の日曜版の読書欄の記事を読みながら、過ぎ去った母との日々を思い出す、ということも、まるで連想ゲームですが、貴重なひとときです。
しかしながら、この本の表紙を飾る有馬稲子さんの若かりし日の写真の、なんと魅力的なこと。「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグといえば、的外れでしょうか。ショートカットの髪型は、1957年封切り当時、セシルカットとして大人気だったそうです。
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