■20181219(水曜日:晴れ)
■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝しっかりと休みましたので、今朝は休養です。昨夜は、今年最後の沼津医師会理事会でした。沼津医師会は70週年を迎えました。沼津市、裾野市、清水町、長泉町の二市二町を統括しています。それぞれの地域から開業医の代表が月に一度集まって、地域医療活動について相談しています。学校保健、救急医療の問題、在宅医療の問題などなど、本当に問題は多岐にわたり、医師会というものが、どれほど地域医療に関わっているか、ということが参加してみるとよく分かり、今更ながら驚きます。先日医師会の忘年会も終わりましたので、今度皆さんと会えるのは、来年の新年会ということになります。一年間ご苦労様でした。
■今朝の東京新聞「伝えたい 失語症と向き合って」は大変興味深く、また考えさせられる内容でした。副題は、「言葉は救いの力を持つ 教え子の励まし 復職の支えに」と、あります。失語症とは、脳梗塞や交通事故などで脳の言語中枢が損傷して起こる障害であり、日本失語症協会によると人の話を聞いて理解する、話す、読む、書くなど言葉に関わる全機能に支障が出てコミュニケーションが困難になる。全国に約50万人いるとされます。
3年前に脳梗塞のために失語症となり、懸命なリハビリの結果、今春、教壇に復帰した国語教諭の馬渕敬さんを取り上げています。 馬淵さんは「国語の教員として最も大切な」言葉を失ってしまいました。
話そうとしても言葉にならない。自分や妻、小学生だった長女と長男の名前も言えなかった。テレビで字幕を見ても意味が分からず、本も「文字が書いてあるだけ」。愕然とした。検査すると、聞いた言葉を理解する力は残されていたが、「話す」「書く」「読む」ことが理解できなくなっていた。「ハンカチ」「はし」などの単語は理解できても、「ハンカチを、はしの上に置いて」と文章になると全く分からなかった」。一か月後の退院時、話せた言葉は「はい」「いいえ」「すみません」の3語だけ。医師からは「復職は無理」と言われた。
その後、言語聴覚士らと懸命のリハビリが続きました。現状をフェイスブックに書き込むと、教え子の皆さんからたくさんの手紙やメッセージが届きました。その中に自分がかつて生徒に送った言葉があったそうです。「困難は分割せよ」。井上ひさしさんの小説「握手 」の一節です。馬渕さんが授業で引用し「困難は分割して、一つ一つ片付けていく。きっとその困難は終わるはず」と教えていました。教え子からの手紙には「先生が言っていたように必ずうまくいくから」と綴られていました。
言葉を理解したり、話したりすることが難しくなる失語症。意思疎通が難しいため、仕事を失ったり、引きこもったりする人も少なくありません。国は、意思疎通を支援する人材の育成を都道府県などの必須事業にし、今年から全国で研修が始まっているようです。失語と向き合う当事者や家族、支援者らの思いを伝える、と記事は結んでいます。
馬渕さんの経験は、同様の困難に苦しむ多くの失語症の患者さんの励ましになると感じました。しかし残念ながら、3年間の猶予を与えられる患者さんは、現実には極めて少ないのではないでしょうか。もしも患者さんが派遣社員であれば、退院と同時に路頭に迷うことすら起こりかねないはずです。 それは独立事業主である私にも当てはまることです。もし自分がその立場になれば、誰も代わりのいない自分には、明日からは失業の二文字が待っているのです。 誰もが安心してリハビリに取り組める社会になって欲しいと心から願うばかりです。