■20190123(水曜日:晴れ)

サホロスキー場の様子です。この先が急坂になっています。スピードを落としてください、という警告です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日おっかなびっくり走ってみましたが、一日経っても体の変調をきたすことはなかったので、ほっとしています。それでも昨日は熱発がおさまり落ち着いたばかりでしたので、午前中は体もだるく走るのを再開するのが少し早すぎたかなと心配でしたけれども、熱も再発することは幸いありませんでした。

世間でもインフルエンザが猛威をふるっているようで、先日は小学校4年生がインフルエンザ脳症で亡くなったとの報道もありました。子供の身体というものは、とても強いようでいて、意外と脆い部分があります。日本では七五三という習慣がありますが、これは多分、幼小児期を無事に切り抜けて、元気で育つことがとても難しかった時代の名残なのでしょう。7歳まで元気で育つことが、いかに難しかったかということです。

我が家も3人の子供達が、それぞれ色々病気をしましたけれども、なんとか無事に元気で育ってくれたことを本当に嬉しく思っています。当たり前だと言われれば、その通りなのですが、病気だけでなく事故で命を落とすことも決して小児期には稀ではないのです。

■今朝の東京新聞読者投稿欄には、とても考えさせられる投稿がありました。題名は、「自由な試作を育む姿に感動」です。港区に住むSさんは、自分自身が小学校低学年の頃、初めての詩の授業でこう書いたそうです。


「山に登った 石がパラパラ落ちた」


授業の後半になって担任の先生がSさんの詩の全文を黒板に書き写しました。本人は褒められるのかとウキウキしていると、

この詩は全部最後が『た』で終わっている。こういう詩はダメな詩だ。書いてはいけない。

と、生徒たちの前で担任の先生が述べたそうです。Sさんのこころが担任の言葉でどれだけ傷ついたか、私には痛いほど分かるような気がします。黒澤明監督をはじめ、偉大な芸術家と呼ばれる方の自伝を読むと子供の頃、担任の先生に褒めてもらった一言がいかに大きな力となったかがよく分かります。もちろん逆の作用を及ぼしたことも多いはずです。残念ながら、そうしたことに気づきもしない教師というのは、決して少なくないと思われます。

日本の教育は、残念ながらあまりにも画一的なので、少しでも枠を外れてしまうと伸びるよりは潰れてしまう方がずっと多いはずです。アメリカの教育が全て良い訳では勿論ありませんが、少なくとも人と異なる才能を持っている人にとっては、ずっとチャンスが多いと思われます。これからはそうした才能を持った人をいかに育てていくかが大切なのですが、今のままでは残念ながら難しいように思われます。