月別: 2018年12月 Page 1 of 4

平成最後の大晦日

■20181231(月曜日:晴れ)

川口市飯塚三丁目です。このマンションが建っていた場所に、私の家族が過ごした公団住宅があったのです。私の故郷は、全て取り壊されました。心の中に残るのみです。

■いよいよ今日は大晦日。しかも平成最後の大晦日です。来年の今頃は、新しい元号のもとで新年を待っていることでしょう。

今朝の東京新聞8面、9面は平成の30年を振り返っています。その紙面を読んでみて感じるのは、こんなことが起きたのも平成だったんだ、あるいはこんなことが起きたのは、たったの14年前だったのだ、といった具合です。 例えば「冬のソナタ」の放送が始まったのが平成16年(2004年)であり、戦後初めて日本の人口が減少したのが、その翌年平成17年でした。

冬のソナタで韓流ブームが始まったのが、14年前ということになります。私自身はその当時全く興味がなかったので、世の中の喧騒からは蚊帳の外でした。 ところがそれから8年経った2012年、私も韓流ブームにハマったのです。それが韓国ドラマ「不屈の嫁」でした。 【2012年9月13日(木)放送】 第1話 「旧家の嫁」、とネットにはあります。 韓流ドラマに夢中になっている世の中の女性達の気持ちが私にもわかりました。 文化、芸術の持つ力というもののすごさに、改めて感じ入った出来事でした。それ以前から家族と韓国旅行に行ったことがありましたが、韓流ブームの前と後では、韓国に対する親近感の違いは全く別物になったほどです。

韓国ドラマ「不屈の嫁」の主題は、「愛」です。愛とは、誰かに必要とされている実感だ、と私は思います。そして人は、誰かを愛さずにはいられないし、同時に、誰かに愛されずにはいられないのです。そのことをドラマは、様々な年代の男女を通して教えてくれています。

日本と韓国は地理的にはお隣同士ですから、長い長い交流の歴史があるのです。それだけに 感情の行き違いや、争いごとが絶えなかったことは、ある意味致し方なかったとも言えます。差別の歴史があったことも厳然たる事実です。私が子供の頃には、朝鮮人に対する侮蔑の言葉を何度も聞かされたものでした。 今でもそうした差別が完全に無くなったかといえば、それは嘘になるでしょう。 しかし韓流ブームの前と後では、少なくとも明治以降の歴史の中では、全く状況は変わったと言っても決して言い過ぎではないと私には感じられます。 親近感の程度が、まるで変わってしまったのです。 韓国人の生活、あるいは文化といったものが、テレビドラマを通じて、本当に身近なものになりました。日本人も少しは学ぶべきだ、と感じる部分もあれば、日本人的には、ちょっと理解できないな、という部分もあるわけです。あって当然なのです。以前はそのことも知らずにいたのですから、知ったということは大きな進歩だと感じます。

明治以降日本は、東を見ては卑屈になり、西を見ては居丈高になる、ということを繰り返してきました。戦争に負けた後も、それは変わっていないと思います。いやむしろ、対米従属という点では、以前より強まったとすら私には思えます。 しかし今、トランプ大統領の誕生によって、アメリカによる一極支配の終焉が現実のものになってきています。 地域におけるいくつかの大国が、責任を持って地域の安定を模索していく、という世界に変わり始めているようです。いわば世界における地方分権です。日本はもちろんアジアにおける大国ですから、今までのようにアメリカだけに目を向けていれば良い時代は確実に終わろうとしています。 アジアにおける平和と安定に対して、日本は今まで以上に主体的に関わる責任が出てきたのです。 日本人の 知恵や胆力が、まさに問われるのです。人任せでは、もう立ち行かない時代なのです。日本人一人一人がその事をしっかりと自覚しなければ、国際社会において名誉ある地位を得ることはできないのです。

■さて午前中に自分の担当である大掃除を済ませました。窓拭きとお風呂の掃除です。毎年これが私の当番なのです。12時40分現在、曇り空で薄ら寒い天候です。テレビの天気予報を見ると、午後からは高気圧に覆われ青空が広がる、とのことですが今のところ青空は広がっていません。最後に一年を振り返らなければなりません。昨年の今頃も、同じように大掃除を済ませて一年の締めくくりの準備をしていたはずです。昨年の年末には、Takuの結婚式を次の年に控え、一体どんな年になるのだろうかとSunと二人で思案していました。それがあっという間に1年が経ってしまったのです。 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)が、発表されたのは一昨年の8月8日です。

平成天皇が考えに考えた末の結論としてお話になられたことだと思いますが、多くの国民が共感し、納得したに違いありません。いよいよ来年5月には新しい天皇が即位し新しい元号が始まります。日本も新しい時代に突入するわけです。私自身も生まれを問われた時には、昭和28年生まれです、と答えることが多いのですが、カルテなどの公文書を取り扱う立場からすると、公文書の記載には西洋暦を用いて欲しいと思っています。変更に多大の費用と時間が必要になるからです。現在ではコンピューターを始め情報技術なしでは社会生活が成り立ちません。その中に元号を取り込むのは、必ずやってくる変更の時期考慮すれば、膨大な労力と費用の面から、西洋暦を用いても決して罰があたることはないと私は考えています。常に国民のことを第一に考えておられる平成天皇も、きっとそのようにお考えではないでしょうか。

■今年は、まず1月にAyaちゃんに会うためにオーストラリアへSunと二人で出かけました。

(1) オーストラリアの旅

4月の連休には、韓国へ四人で出かけました。

(2) 釜山への旅

そして7月にはTakuの結婚式がありました。

(3) Taku の結婚式

8月にはSunと二人で九州旅行に出かけました。

(4) 九州旅行

10月には、今年もベトナム支援の旅に出かけました。

(5) ベトナム支援の旅

12月には、Takuと一緒にお伊勢さんマラソンを走りました。

(6) お伊勢さんマラソン

■こうして振り返ってみると、今年も色々なことがありましたが、楽しい一年であったことは間違いありません。 昨年からNonちゃんが静岡に戻ってきてくれましたので、時々一緒に食事をすることができるようになったのは、大きな喜びでした。その一方、Takuが結婚したことで新しい家庭を持ち、以前のように気軽に一緒に出かけることが出来なくなったことは、少し残念でした。

新しい役割としては、静岡県東部眼科医会会長を仰せつかりましたので、6月と9月に主催する勉強会の準備に追われました。専門医制度の認定を受けなければなりませんので、いくつかの書類を本部に提出しなければなりません。会場の予約や設定などもあり、思っていた以上に負担になったことは確かです。また順天堂静岡病院が主催される勉強会などでは、座長を依頼されることもあり、そうした面の精神的な負担も新たに発生しました。 それでも何とか大過なく務めることができたのは本当に有り難いことでした。前任者の花崎先生や山秋先生が、懇切丁寧に指導してくださったことが一番の要因だったと思います。

■いま午後10時40分。あと一時間と少しで新しい年となります。Sunと二人で紅白歌合戦を見ながら、HDDからブルーレイディスクにダビングしている昔のビデオを楽しんでいます。子ども達が小さかった頃のビデオです。1988年頃からのビデオが残っています。ちょうど30年前のものです。あっという間の30年でした。

午前0時からNDKのBSで映像の世紀を再放送します。それを録画したいのですが、ビデオレコーダーのHDDは満杯の状態ですので、ブルーレイディスクに録画しようと思ったのですが、一つの番組しか録画の予約ができません。そうなるとHDDの中の番組をブルーレイディスクに移動し、HDDの中を整理して空き容量を増やすしかありません。その作業に、かなりの時間を取られています。何とか0時までに終われば良いのですが。

祈りの旅

■20181230(日曜日:晴れ)

川口駅前から実家のあった飯塚三丁目へ向かう道路です。半世紀前には、大きな燃料研究所があり、そこを迂回しないと駅まで行けなかったのです。今は一直線の道路が走っています。

■いよいよ平成30年も明日一日を残すのみとなりました。昨日で仕事も終わりましたので、今日はゆっくりと休んでも良かったのですが、月100 km 走の目標がまだ達成されていませんので、今朝は走りました。 目標達成まで10 km 強残っていましたので、今朝は6時に目覚ましをかけて起きだし、6時半から走り始めました。この時間になれば明るくなり始めますので、ペンライトを持たずに安心して走ることができます。普段ですと仕事の関係で、この時間のスタートでは安心してゆっくり走ることができませんが、今日はもう仕事はありませんので、のんびりとゆっくりとペースを刻みました。結局12.47 km を走り総計が102.26 km となりました。 これで46ヶ月間連続月100 km 走を達成したことになります。統計を取り始めてからの走行距離が、通算7,596 km となりました。今年も無事に一年間しっかりと目標を達成することができたことを、とても嬉しく思っています。

ネット上での集計を見てみると、今年は180回、通算1246.04 km を走りました。最も多く走ったのが3月で、107.71 km。 最も少なかったのが2月で、目標ギリギリの100.64 km でした。 1年間にわたってしっかりとした統計を取り始めたのが、2015年からですか、この四年間の統計を見てみると、最も多く走ったのが昨年2017年の1357.33 km です。 こうして統計を見てみると、今年は昨年よりも少なかったことがわかります。今年はTakuが仕事について時間が取れずに、一緒にマラソンに参加することが昨年のようにはできませんでした。昨年は千歳マラソン、立川シティマラソン、そしてお伊勢さんマラソンと3回一緒に走ることができましたが、今年はお伊勢さんマラソンの一回だけでした。これは致し方ありません。私自身も参加したマラソンは、千歳マラソンとお伊勢さんマラソンの2回だけでした。残念ながらフルマラソンは一度も参加することができませんでした。高野コーチと一緒に走るのを本当に楽しみにしていたのですが、残念ながら私の今の実力では、一緒にフルマラソンを走るのは、なかなか難しそうです。

■さて東京新聞に連載されている、「象徴のうた 平成という時代」は、 細胞生物学者であり、また歌人でもある永田和宏さんが書かれています。 今回の副題は「再生への願い 国民と共に」です。被災地への天皇・皇后両陛下の旅の様子を綴られています。 平成23年の元日には天皇陛下の御製(ぎょせい)五首、皇后陛下の御歌(みうた)三首が発表されています。天皇陛下はこの五種のうち四種で、そして皇后陛下は三種全てで東日本大震災をお詠みになっています。

津波寄すと雄々しくも沖に出でし船もどりきてもやふ姿うれしき 天皇

「生きてるといいねママお元気ですか」文に項(うなじ) 傾し幼な児眠る 皇后

皇后陛下の御歌は、津波で両親と妹を亡くした4歳の少女が「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」と手紙を書きながら、その上にうつぶして寝入ってしまった新聞写真をご覧になっての一首である。寄る辺のない幼児が蒙(こうむ)る悲劇に、国民の目線で同じように悲しみを共有しようとされる姿勢が感動を生むのであろう、とあります。

翌平成24年5月には仙台市訪問に際して、その数日後にエリザベス英女王の即位60年行事のため訪英の予定があったのですが、両陛下の負担を思って、奥山恵美子仙台市長はあえてこの時期においでにならなくても、もっと後でもと提案したそうです。それに対して

英女王の招待ももちろん大事ですが、被災地を訪問せず訪英するという判断はありません。被災地に行かずに海外に行くことはないと陛下はお考えです」という返事が宮内庁から届いたという『祈りの旅』

記憶しておきたい言葉である、と永田和宏さんは書かれています。永田さんの脳裏には、この順番を間違えているのではないか、と思える政治家の行動があったに違いありません。そんな政治家がのさばっている現状を許している国民のありさまは、まさに国家の危機に違いありません。

波乱の前兆

■20181229(土曜日:晴れ)

川口市立西公民館です。無くなった実家から川口駅に向かう時に、いつも前を通りました。その頃は、周囲で一番大きな建物でした。

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜の天気予報では今朝の冷え込みは一段と強まるとのことでしたので、掛け布団を厚めのもので寝ました。通常ですと夜中に一段薄めの掛け布団に替えるのですが、今朝はそれでは寒くて、 再度厚めの掛け布団に替えたほどでした。 東北、北陸、北海道では大雪のようです。まさに年末寒波です。

今年最後の取引である大納会を迎えた東京株式市場は、7年ぶりの前年割れで終わりました。 昨年の大納会終値と比べた年間下落率は12.1%であり、この下落率は、東日本大震災があり約17パーセント下落した2011年以来の率でした。下げ幅の大きさではリーマンショックで6448円下落した2008年(下落率では42%下落)以来となりました。来年に向けて波乱の予兆でしょうか。

田中宇の国際ニュース解説 無料版 2018年12月28日は、激動の国際情勢を的確に分析しています。アメリカの単独支配を終わらせ、世界を多極化しようというトランプ大統領の隠れた意図を暴いています。シリア、イラク、そしてアフガニスタン。これからはアメリカ単独でなく、こうした国々を安定させていく役割を果たすのはロシア、中国、そしてイランであることを示唆しています。日本のマスコミ、例えば NHK では、シリアの内戦を終結させたのはアメリカである、との報道がなされていますが、事実は全く異なるようです。しかしこれは NHK に限らず、トランプ大統領がフェイクニュースだとして盛んに非難するアメリカのマスコミも同様のようです。

トランプ大統領によって世界は戦争の混乱に巻き込まれるのではないかとする報道がなされてきましたが、事態はむしろ逆の方向に進んでいます。ロシアの役割がいかに大きいかは、日本の報道を見る限りは、まるで理解できません。それが日本の現実なのです。

■まもなく、午後1時になろうとしています。今年も無事に1年間の診療を終えることができました。四月から静岡県眼科医会副会長を拝命し、色々な行事を取り仕切らなければなりませんでした。その準備のために様々な書類を提出する必要があり、とても煩雑なことに辟易した1年でした。今までは前任の先生方がしてくださった訳ですが、自分でやってみると、その大変さがよくわかりました。

なんとか致命的なミスは犯すことなく1年を終えたことを本当に安堵しています。来年になると一月から講習会の開催が続き、そのためのスライドの準備などが待っているのですが、とりあえずしばらくはそのことを忘れて、少しのんびりしようと思っています。

今年はなんといっても子供達が、それぞれの家庭を持ったことが一番の出来事でした。7月の21日には、Takuの結婚式が大宮で行われました。今年の夏は歴史的な猛暑で、出席してくださった皆さんも大変でした。そんな中での開催でしたが、式は心のこもった、とても良い出来だったと親バカながら感じました。そして最後の親としてのお礼の挨拶が、私にとってはハイライトでした。何ヶ月も前から原稿を準備し、何度も何度も予行演習を繰り返しました。当日は原稿を読むことなく諳んじて挨拶をするつもりでいました。

来賓のお名前に始まって間違えてはいけない部分ばかりでした。4分強の長さでしたが、原稿を見ることなく、挨拶するのは決して容易なことではありません。それでも、いざその場になってみると思ったよりも冷静に落ち着いて、挨拶することができたのは自分でも驚きでした。練習の賜物であると同時に、ロータリークラブで鍛えられてきたお陰だと感謝しました。のんちゃんに頼んで、スマホでビデオ撮影をしてもらいました。このビデオは私の一生の財産になりそうです。

驚いたのは、私の後に挨拶したTakuのお礼の挨拶でした。実に堂々とした落ち着いた話っぷりには、父親として大変驚きました。自分自身のことを考えても、あの年齢であれだけの挨拶をすることは、自分には出来なかったと思います。人前で挨拶をするなどという機会は、そもそも私にはありませんでした。その点は本当にロータリークラブのおかげだと感謝しています。

沼津西ロータリークラブ十代目の会長、そして静岡第3分区のガバナー補佐などを歴任させてもらいました。その度に、ついて回るのが挨拶です。どんな短い挨拶においても、きちんと原稿を作り推敲を重ねる癖をつけました。そのおかげで、今回の結婚式での挨拶も、無事に乗り切れたと思っています。場数を踏んできた成果が、あの日の落ち着いた、自分の心持ちだったのでしょう。それは自分にとっても本当に驚きでした。冷静に挨拶をしている自分を見つめる、もう一人の自分がいたのです。

派遣村

■20181228(金曜日:晴れ)

川口の実家が元あった場所です。この通りで吉永小百合さんが映画のロケをしていました。

■今朝は走りました。目覚ましが鳴る前の4時半頃に目が覚めてしまい、ここで寝てしまうと、リズムの関係で次に目が覚めるのは6時近くになってしまいますので、思い切って起き出しました。 7.06 km 走り通算89.78 km 残り3日で10.21 km となりました。天気予報では幸い、大晦日まで早朝に雨が降ることは無さそうですので、今のところ、なんとか目標を達成できそうです。朝方の冷え込みを考えて、昨夜は眠る時には厚めの掛け布団にしたのですが、夜中に暑さのために目が覚めてしまいました。 結局薄手の掛け布団に替えて熟睡することができました。

昨日はSunと二人で日帰り温泉に行ってゆっくりとお湯に浸かり、その後、施設内で一杯やりました。歩いて3分ほどのところにありますので、飲んだ後でも安心して、家に帰ることができます。昨日はSunが、御殿場の病院で漢方の先生に診てもらいました。ストレスのためでしょうか、最近めまいに襲われることが多くなったようで、Nonちゃんの勧めに従って診察を受けたのです。色々調べてもらった上で、漢方薬を2種類飲み始めることになりました。年をとると色々な不都合は出てくるものです。私自身も同様です。先日は24時間心電図の検査を受け、不整脈などの異常がないかをチェックしてもらいましたが、幸い異常は見つかりませんでした。動悸の原因が、はっきりしなかったのですが、精神的なストレスも原因なのかもしれません。

■今朝の東京新聞24面平成クロニクル(年代記)は、2008年の年越し派遣村を特集しています。「使い捨て」不況で表面化、とあります。2008年(平成20年)9月、米国の投資銀行の破綻をきっかけに世界規模の金融危機「リーマン・ショック」が起き、日本でも失業者があふれました。派遣村のメンバー達は、役所が閉まり職探しや生活保護申請もできない年末年始に失業者らを路上で死なせるな、と立ち上がったのです。 派遣村の村長を務めた湯浅誠さんは、雇用保険や生活保護などセーフティネットが機能せず、一度転ぶと底へ落ちる「すべり台社会」に警鐘を鳴らし続けています。

派遣村は国の規制力が効かなくなった結果。平成の初めの20年間、日本にないとされた貧困を派遣村が可視化した。

と指摘しています。 本来違法だった派遣労働に通訳など十三業務限定で風穴が開いたのは1985年。財界の意に沿って穴はみるみる広がり、規制緩和を叫ぶ小泉純一郎内閣の下で製造業への派遣も解禁されました。非正規雇用は急増し、格差が拡大したのです。フランスでの黄色いベスト運動や、アメリカでのトランプ大統領の誕生など、世界中でグローバリゼーションに対する異議申し立てがなされています。冷戦が終わり世界がひとつになり、平和の配当が世界中の人々にもたらされるのだと単純に信じていた人々の失望が、こうした運動を引き起こしているのです。我々は今こそ立ちどまり、普通の人々が普通の幸せをつかめるような社会を作り上げるには、どうしたらよいかを真剣に考え直す時に来ているのです。

IWC脱退

■20181227(木曜日:晴れ)

荒川土手沿いの風景です。遥か遠く京浜東北線の鉄橋が見えています。

■今朝はゆっくりと休みました。2日続けて走りましたので、疲れが溜まってしまったのかもしれません。昨夜は走るつもりで準備は整えたのですが、朝5時に目覚ましが鳴った時には 起きだすのは辛い状態でした。あと3回分の距離が残っていますが、なんとか目標を達成できると思っています。幸い天候の方は何とかなりそうです。今朝のニュースでも東北や北海道では寒気の南下によって、風と雪が強まるようですが、災害や事故が起きないことを祈るばかりです。

さて今朝の東京新聞一面には、「日本 IWC 脱退表明 来年7月30年ぶり商業捕鯨」とあります。政府は26日、クジラの資源管理を担う国際捕鯨委員会(IWC)に脱退を通告し、来年7月から30年ぶりに商業捕鯨を再開すると表明した、と書かれています。私は1953年昭和28年生まれですので、学校給食でクジラをごちそうとして食べた記憶があります。 貴重なタンパク源だったのです。 そうした記憶を持つ世代からすれば、商業捕鯨を再開しクジラが今よりも容易に手に入り食卓に登ってくれれば、と単純に考えそうですが、もちろんそんな簡単な話ではありません。今後は多様な食文化の尊重を世界に訴える構えである、と記事にもありますが、この点もそれほど綺麗事だけでは済まないようです。

日本が主要な国際機関から脱退したケースは戦後ほとんど例がなく、極めて異例の措置、と記事にもある通り、 国際連盟からの脱退を連想する方も多いのではないでしょうか。なぜ今この時期に決断したのか、詳細はよく分かりません。商業捕鯨が再開されたと言っても、漁獲量が急激に増えるわけではないようですし、そもそも消費量は増えるかどうかも不明です。昔と違い、牛肉その他のタンパク源が溢れている現状において、鯨の肉がどれほど消費されるかはいささか疑問です。せっかく捕獲しても、消費されないのでは、命をないがしろにすることになります。 今後どのような展開になるのか、注視していく必要があるようです。

格差

■20181226(水曜日:曇)

荒川運動公園です。中学時代、よくここを走りました。

■今朝も走りました。6.39 km を走り今月の総計が82.72 km となり、残り5日で17.27 km まで到達しました。昨日に続いてのランニングなのですが、今朝は着地の際に今までよりもつま先側に重きを置いて走ってみました。先日のテレビの番組で初心者の走り方をコーチが診断していたのですが、踵(かかと)から着地し、しかも腰よりも前の位置で着地しているためにブレーキがかかってしまい、無駄なエネルギーを消費している、という指摘がありました。なるほどなと思い、今朝は少し工夫してみました。そのせいか足の運びが少し楽になった気がします。フルマラソンとなれば、とにかく42キロ以上走らなければなりませんので、少しでも無駄なエネルギーの消費を抑えて体の負担を減らさないと、なかなか完走するのは大変です。

■昨日は日経平均が世界経済鈍化への警戒から、前週末比1010円の急落で2万円を割りました。田中宇さんの分析にもありましたが、いずれバブルが崩壊するだろう、という指摘は正鵠を射ていると思っていたのですが、弾けるのが思ったよりも少し早かったようです。中央銀行の買い支えによる株価の上昇は、いずれ反転することは素人でもわかることなのですが、 それがいつやってくるのか、時期を特定するのは専門家でも難しいようです。

ある人の指摘によれば、日本人の個人資産はリーマンショックの後でも、 かなり増大しているようです。しかしその中身を分析してみると、個人資産を増やしている人々は上場企業の株を大量に持っており、会社からの配当金で潤っている、というのが実態のようです。リーマンショック以降、日本の企業は内部留保を増大させる一方、労働者への支払いは増やしてはいないのです。増やしたのは配当でした。従って勤労者の賃金はむしろ低下しているのですが、全体としてみると日本の個人資産は増大したという統計になるのです。 貧富の格差が固定し、社会層が二極化したとはよく言われることですが、実態は上記のごとくなのです。上場企業の株を大量に持っている人というのは、ある意味昔からのお金持ちということです。 やはり勤労世帯が安定する、つまりは普通の人々が普通に働き、普通に家庭を持って、安心して暮らせるというのは、社会にとって最も大切な安定剤ではないでしょうか。

社会の中間層をいかに増やし、いかに安定させるかということが、政治の一番の仕事ではないかと私は思っています。それがそのまま社会の安定につながるからです。グローバリゼーションの名のもとに、一部の人々のみが極端に豊かになる社会というものは、結局のところ長続きしないのです。対立と、そして暴力が蔓延してしまうのです。 我々は今こそ立ちどまり、自分たちの社会を、これからどうしていくべきなのかを、しっかりと考える必要があるのです。

足るを知る

■20181225(火曜日:曇)

サホロリゾートでのスキー教室です。

■今朝は走りました。昨日は連日のゴルフでしたが、夕食はのんちゃんと3人でお寿司を食べました。楽しいひと時でした。 週末から連休にかけて走るのをサボってしまいましたので、今日は五日ぶりに6.13 km を走り総計76.33 km となり残り6日23.67 km となりました。 残り6日で四日間いつものコースを走る必要があります。土曜日か日曜日には LSD をしないといけないようです。

12月22日の東京新聞「筆洗」欄は、カルロス・ゴーン容疑者が、特別背任という新たな容疑で、再逮捕された事について触れています。その書き出しは、こうです、

ことわざは「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」と言っている。出世しても、富を得ても、人は畳半分か一枚分しか必要としないし、それ以上占めることもできない。一度に食べられる量にも限りがある。足るを知れ。欲を戒める教えだろう。

ゴーン容疑者は18億円を超える損失を日産自動車に付け替えたなどの疑いがあると言われています。 事実ならば、悪質な会社の私物化です。私的な投資による損失の額にも驚かされます。 まさに底なしの欲望です。 際限がなくなる人の欲望というものの恐ろしさを、つくづくと感じざるを得ません。

理念

■20181224(月曜日:晴れ、時々雨)

サホロリゾートのスキー場です。

■今日は昨日の天皇誕生日の振替休日でした。ゴル友の坂口さんから誘っていただき、昨日に引き続いて新沼津カントリークラブで二人きりでプレイしました。私を新沼津カントリークラブに誘ってくれたのも坂口さんでした。私が学校医として、そして坂口さんが校長先生として勤務されていた頃に知り合いました。どういうわけかウマが合い、坂口さんもまだ入って間もない頃の新沼津カントリークラブに入りませんかと誘ってくれたのです。

一足早く坂口さんは B クラスから A クラスに進級し、私も半年ほどでしょうか遅れて A クラスに昇級しました。私の入会したての頃のハンディキャップは24でしたから、15から参加できる A クラスに昇級するのは結構大変でした。でも若かったのです。一生懸命に取り組み練習もして、進歩も今よりもずっと早く、 15のハンディに到達しました。しかし寄る年波には勝てず、今年から B クラスに転落してしまいました。相変わらずAクラスで活躍している坂口さんは、もう手の届かないところに行ってしまったようで、とても残念でした。

今日は一緒にプレイしながら、色々教えてもらいました。言われていることが一つ一つ的確で、なるほどと納得することばかりでした。さすがは元校長先生です。 教えることが、とてもお上手でした。 基本的なアドレスから、難しいアプローチの打ち方まで、本当に勉強になりました。早く次の月例に参加したくなりました。

■東京新聞「この道 川淵三郎」第63話、「Jの理念」は、とても考えさせられる内容でした。川淵さんが古河電工に入社して間もない頃に聞いた話です。富士通の岡田完次郎社長の逸話です。会議でかなりの利益を上げたというグループ会社社長の報告に対して、岡田社長は、こう語ったそうです。「儲けた、儲けたと言っているけど、それは世の中のためになったのか?」この話は、 Jリーグを立ち上げ、その理念を定める際の下敷きになったそうです。

「何のために Jリーグをやっているのか」突き詰めればこれが理念だ、というのです。 3項目ある Jリーグの理念のうちの二つ目に掲げてあるのが、「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」 。川淵さんはこう書かれています。

「理念では儲からない」という議論が出るに及んでは不愉快さが募った。「儲けるために Jリーグをやってるんじゃない」

もちろん経営的に成り立たなければ継続することはできません。それは一番大切な一丁目一番地であることに間違いはありません。しかしそれだけで終わってしまえば、それは単なる金儲けでしかありません。 川淵さんは理念と経営の二兎を追い求め、その両方を成功させた稀有な社会運動家と言っても良いかもしれません。

天皇誕生日

■20181223(日曜日:曇、時々雨)天皇誕生日

サホロリゾートのスキー場。出発点です。

■今日は平成最後の天皇誕生日です。平成天皇は85歳になられました。激動の昭和が終わり、平成天皇が即位されて、30年が経過したのです。日本国民それぞれが、自分自身の平成史とも言うべき30年があったと思います。ここ沼津にクリニックを開いて来年で、ちょうど30年になろうとしています。 その30年の間に3人の子供達は、それぞれ一人前に成長していきました。2018年、平成30年に、それぞれの子供達が所帯を持ったのです。我が家にとっては、まさに激動の一年でした。

今朝の東京新聞一面には、感謝の会見16分、と題して天皇陛下のお言葉を掲載しています。

平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵

と、題されています。平成天皇の真の心からの言葉に違いありません。昭和20年戦争が終わった時には軍国少年だったと、平成天皇はご自分で述べられています。そうした経験があったからこそ、平成の世に平和な時代が来たらんことを、きっと誰よりも心から願っていたに違いありません。全身全霊を尽くして国民のために毎日を過ごされてきたのです。私たち日本国民は、こうした天皇陛下を身近に見ることのできる幸せを、つくづくと感じるのです。やはり日本人にとっては天皇陛下は、誠に特別な存在なのです。

歴史の一時期、国民と天皇との間に、今とは違った不幸な一時期があったことは否めません。 しかし平成の世になって、平成天皇のお力で、天皇制は見事に蘇り国民の間に、象徴天皇として深く根付いたと私は感じています。政党の中には、この事を認めない勢力がありますが、 どんなに立派なことを主張していても、残念ながら国民の多数の支持を得ることは難しいと私は思っています。

■さてそんな天皇誕生日の1日、今日はロータリークラブの大の仲良し、久松さんと植松さんの3人でプレイをしました。ゴル友の坂口さんから教えてもらった、桑田泉プロのレッスンを熱心に学び、少し積み上げた練習の成果が出るかもしれないと望んだのですが、残念ながら思ったほどの結果は今日は出ませんでした。でも以前とは全く違うスイングができたと自分では思っています。それがまだまだ、しっかりと根付いていないために結果がばらついただけだと自分では考えているのです。 今の道のりをまっすぐ進めば、きっと良い結果が待っていると自分では確信しています。

年齢による筋力の衰え柔軟性の衰え、そうした体の変化に合わせたスイングをしていかないと力は下降線をたどるばかりです。何事も前向きに少しずつ鍛錬を積むことで、自分自身成長できることを、とても楽しみにしています。生きている限りは成長しなければ面白くありません。アドラーの言う、優越性の追求です。

24時間心電図

■20181222(土曜日:雨)冬至

北海道、サホロリゾートです。ここがスキーの出発点です。

■今朝は暖かな朝でした。6時に目覚ましをかけて起きだして、その原因が分かりました。新聞を取るために玄関を出たところ柔らかな雨が降っていたのです。

知り合いの先生に勧められて、昨日の昼休みに病院で先生の診察を受けてから、24時間心電図の検査を始めました。この冬に入ってから、時々動悸に襲われるようになったのです。仕事をしている時やマラソンを走っている時には、決して気になることはないのですが、朝方の3時頃に何度かそうした動悸に襲われました。気持ちが悪いのです。ふだん心臓の拍動などを感じることは、まず無いのですが、心臓の高鳴りをリアルタイムで感じるのは気持ちの良いものではありません。苦しくなるわけでもなく、ゆっくりと大きく深呼吸を何度かすると、自然に治るのですが、何かの病気が隠れていてはいけないので、先生の助言に従って、検査をすることにしました。

四つの電極を胸に貼り付けて 心電図を24時間計測するのです。機械自体は 5×7 センチほどの大きさです。 鬱陶しいとも、邪魔になるということもありませんが、お風呂に入れないことと、ランニングができないことが欠点です。昨日の午後1時10分頃から計測を始めましたので、今日仕事を終えてお昼ご飯を食べ終わった頃に、ちょうど終了でしょうか。

さてお邪魔した病院は、高齢者向けの病院なのですが、確かに高齢者で溢れかえっていました。子供が一人もいないのです。小児科がないのですから、当たり前といえば当たり前なのですが、明るい気持ちには、とてもなれませんでした。夕食をとりながら、Sunと今日の出来事を色々話したのですが、その中で、私たちの住むこの自治会では、来年新しく小学校に入学する子供が、たった一人だというのです。 確かに家の周囲を歩いていても、子供に出くわすことは、ほとんどなくなりました。私達の3人の子供が小学校に通っていた頃には、この地域にも多くの子供達がいたのです。子供たちの笑い声や叫び声が、よく聞こえてきたものでした。そんなことを思い出しながら考えたのは、やはり少子化対策を本気で考えないと日本の未来は暗い、ということでした。

Globalization といえば聞こえは良いのですが、言葉を変えて言えば中産階級の崩壊です。 普通の人が普通に仕事をしていれば、家庭を持って親になることは、以前にはそれほど難しいことではありませんでした。派遣労働者が全労働者の4割に迫ろうかという現状では、安心して家庭を持つことは、極めて難しくなりつつあります。 1億円の年収を持つ人を一人作るのか、年収500万円の人を20人作るのか、社会の選択が迫られているのです。もちろん全員が同じである必要もないし、そんなことは出来もしません。 しかし今の社会では、あまりに両極端に振れ過ぎているのです。

能力主義と言えば聞こえは良いのですが、どうも私には強欲主義と思えて仕方がないのです。「世界中の金持ちが考えていることは、いつも一緒だ。もっと金持ちになることだ」という言葉があります。なるほどうまいことを言うものだ、と感心するのは私だけではないはずです。今こそ私たちの社会を、どのような社会とすべきなのか、一度立ち止まってきちんと考える必要があると強く感じたのです。

■さて仕事が終わり昼食を取り終わって、ほっと一息つきました。朝食で飲み残したコーヒーがあったことに気づき、温め直して飲みました。30分ほど昼寝をとることにしました。目覚ましにも気づかず、気づいてみると14時になっていました。24時間心電図の終了です。昨日指導してもらった通りに機器を外しました。火曜日に病院に届けて、結果を解読してもらえば、問題があったかどうかが判明します。

昨夜はいつもの通りに、仕事は終わってSun と一緒に夕食を取り終わったのが、18時30分過ぎでした。そして床に入ったのも、いつもの通り22時30分過ぎ。今朝は走る予定はありませんでしたので、6時に目覚ましを合わせ、目覚ましとともに起きだしました。新聞を取ってきて、お湯を沸かしコーヒーを入れて、Sun が用意してくれたベーグルを半分と、納豆ひとパックを食べて朝食としました。9時からは診療の開始です。12時過ぎには無事に終わりました。なんということのない、いつもの通りの土曜日でした。

Page 1 of 4

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén