■20190406(土曜日:晴れ)
■今朝はゆっくりと休みました。 昨夜は夕食後に時間が取れましたので、録画してあったルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「山猫」を最後まで観ることができました。イタリアのシチリアを舞台にした映画です。シチリアの歴史を知っていれば、より深く映画を理解できるのでしょうが、残念ながら私にはその知識がありません。ただ私の一番の愛読書である、「地中海のほとり」に、シチリアの歴史に触れた一章があり、とても興味深く読みましたので、全く予備知識がない、というわけでもなかったのです。
ヴィスコンティ監督自身が貴族の末裔だったそうです、自分自身が消えゆく階級の一人であった、という背景が色濃く映画の中に出ています。 何百年にも渡る貴族たちの家系が持つ重みが、ひしひしと感じられるのです。 そして時代は、その貴族たちを舞台から葬り去ろうとしているのです。 新しく勃興する階級、そして消え行く階級。いつの時代にも、そしてどこの国でも繰り返されてきた歴史の一部です。 一つの階級が消え去るということは、一つの文化が消え去るとも言えます。
彼らが長い時間をかけて築き上げてきた文化。それは衣装であったり、絵画であったり、料理であったり、ダンスですらあります。そうした消えゆくものへの哀惜が色濃く感じられるのです。 長い長い年月をかけて築き上げられた、こうした文明の重圧が、アメリカ社会には無いのかもしれません。 それがアメリカ社会の素晴らしい点でもあり、 同時に難しさなのかもしれません。
そんなことを強く感じた映画でした。