■20190418(木曜日:晴れ)
■今朝は走りました。 月曜日の朝に10 km を走りましたので、疲れも残っていたのですが、今月は月末から連休ですので、走れる時に走っておかないと目標の達成が危うくなります。ということで今朝は6.08 km を走り、今月の通算距離は9回合わせて64.22 km。 残り12日で35.77 km となりました。 それにしても今朝は体が重くて参りました。とにかくゆっくりと、そして姿勢に気をつけて走りましたが、疲れがとりきれていないのでしょう。
昨夜はノンちゃんと3人でお寿司を食べました。それからSunと二人でニューウェルサンピア沼津に行って、ゆっくりとお風呂につかりました。 昨日の外来で、のんちゃんは咽後膿瘍を見つけて、市立病院に転送したそうです。3歳の子供だったそうですが、診断にたどり着くまでには、なかなか大変だっただろうな、と想像しました。小児科は大変です。痛いのだか痒いのだか、頭が痛いのかお腹が痛いのか、大人のようにきちんと伝えてくれません。本当に想像力を必要とする仕事だなと思いました。しっかりやっているようなので、安心しました。
■今朝の東京新聞には大変興味深い記事が二つありました。切り抜いて、いま熟読しているところです。一つは劇作家野田秀樹さんの「ゴーイング・マイウェイ!」。そして、もう一つは論説委員桐山桂一さんが書かれた「視点」です。どちらも新しい元号である令和について書かれています。 外務省が考えた新しい年号の英訳である「ビューティフル・ハーモニー」から、野田さんは「情緒政治の危うさ」と題して、書き始めています。
「令和」の訳に「beautiful harmony」は強引すぎる。今どき「令」が「美しい」の意味で使われるのは、「ご令息」「令夫人」ぐらいだ。「令」は尊敬語としての「美しい」で、言ってみれば、本当は「美しい」と思わないけど、上司の奥さんだから「美しい」みたいなことだ。普通の私たちには、「令」は「beautiful」ではなくて「命令」=「order」の方が自然だろう。
「この『令和』には『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ』という意味が込められている」と安倍総理が語ったことについて、疑義を呈しています。何かが分かりにくい、というのです。意味を濁らせるのは「美しく」の一言であり、試しに、この「美しく」を省くと明快になる、というのです。
そして野田さんは最後に、こう語られています。
beautiful harmony にしろ「美しく」心を寄せ合うにせよ、この「美しい国」では、どうしても「美しく」ありたいらしい。「美しい」という情緒の方に、 話を持って行きたい。だが本当は「美しい」とは危ない言葉だ。寧ろ我々「芸術」に携わる側のコトバで「政治」の世界で使われるべき言葉ではない。「美しくない」という情緒的な理由で軽々しくヘイトされては困るからだ。
ヘイトスピーチが行われている様を見ると、ここまで日本人が軽々しく、そして品性下劣になってしまったのかと、とても残念な思いがするのです。もちろん、それは安倍総理個人の責任ではないのですが、安倍政権が誕生以来、そうした品性の下劣さが、むき出しになったのは間違いありません。ひょっとしたら、おもてなしの心に溢れた「美しい」日本人の心の中に、そうした下劣さが、戦後も変わることなく同居していたのかもしれません。
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