■20190426(金曜日 雨)
■昨日は昼休みにロータリークラブの例会があり、終了後に家に帰り1時間ほど休みました。さすがに昨日一日で疲れました。眠ることで溜まっていた疲れも少し取れましたので、準備をしてから走り出しました。今月の目標100キロに対して、残りが20キロを切っていますが、29日の日曜日には家を出て、成田空港に向かわなければなりませんので、残された機会は木、金、土曜日の3日だけとなります。明日の朝は雨との天気予報ですので、今日中に少しでも走っておかないと、あとが大変になってしまいそうです。
しかし走り始めてみると、蒸し暑さのためもあって、体がだるくて参りました。なんとか七kmを積み重ね、残り12キロの地点まで到達できました。土曜日中には、なんとか目標を達成し遂げなければなりません。蒸し暑さと蓄積された疲労のためもあって、疲労困憊の状態で走り終わることになりました。走り終わってシャワーも浴びずに、そのままニューウェルサンピア沼津に行き、ゆっくりとお風呂に浸かりました。体重が2キロも減っていました。たった7キロ走っただけなのに、これだけ疲れてしまうようでは、フルマラソンはおろか、ハーフマラソンですら完走は難しいと、いささか落ち込みました。
■今朝の東京新聞28面は、「社会変える 斬新な発想」と題して子供の平成を特集しています。デジタルネイティブ(下)です。 副題は「プログラミング、楽しいから」。 記事の中の IT 関連年表を見ると、平成という時代にこんなことがあったのかと驚かされます。例えば平成元年1989年に、任天堂が携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売しています。 平成四年1992年には、国内でインターネットサービスプロバイダーの設立が始まっています。そして平成7年1995年には、 Windows 95日本語版が発売されました。 Windows 95と印刷されたパッケージが家電量販店で、まさに飛ぶように売れている映像が、毎日のようにテレビの画面を飾っていました。
今思うと私にとってインターネットが最も楽しかったのが、この92年から95年の間であったように思います。インターネットに接続するための料金が、今では考えられないほど高額だったのです。当時は電話をかけて接続ポイントからインターネットにつながる形式でした。この接続ポイントまでの電話代が、今では想像できないほどの費用がかかったのです。 一番最初は東京へ電話をかけていたように思います。やがて熱海でしたでしょうか、接続ポイントがぐっと近づきましたので、接続料金もだいぶ低額となりました。 NTT の ISDN 回線が導入されたのも、このころではないでしょうか。夜の10時から朝の7時でしたか、インターネットへの接続に定額制が導入され、 だいぶ助かるようになりました。
この頃毎朝のように夢中になったのがインターネット電話でした。 今では外国にいる子供たちや友人と、インターネットを通じて会話するのは当たり前のことです。 LINE でも Facebook でも、そして Skype で世界中と通話ができるのです。しかし当時は国際電話というのは、とても高価なものでした。おいそれと、できるようなものではなかったのです。 それが無料で出来たのですから、本当に驚き以外の何者でもありませんでした。 インターネットフォーンや Web フォーンというソフトを使って、今オンラインにいる人を世界中から探して電話をかけるのです。もちろん使用される言語は英語が、 最も一般的でした。つまりはインターネットの普及で、英語が世界共通語になり始めたのです。
インターネットも元をたどれば、アメリカで開発された軍事技術の一部だったようですから、冷戦の崩壊によって解放された技術であったに違いありません。 冷戦の崩壊とインターネットの普及によって、世界はひとつになり始めたのです。