2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2019年5月

レシート

■20190510(金曜日:晴れ)

 

s_20190510

ご覧のように、ピンクに見えるWestgate Park 内の Salt Walter Lake です。

 

■今朝は走りました。昨日の朝も走るつもりで目覚まし時計を5時に合わせていたのですが、元気が出ずに、めげてしまい走れませんでした。昨夜は早めに休み、今朝はしっかりと5時に起きだすことができました。10.79 km を走り、今月の通算距離は31.33 km、残り21日68.66 km の所まで来ることができました。 1時間13分18秒もかかっていますので平均ペースはキロ当たり6分47秒ということになります。このペースで走り続ければ、フルマラソンを走っても、5時間以内に完走できる計算です。もちろんそんなわけには、いきません。 フルマラソンで5時間を切るのは私にとっては、今のところレベルの高すぎる目標です。今日は体の前傾と、地面からの反発力を利用した走り方を心がけました。まあ少しずつ気長にやるしかありません。

 

■さて大型連休を利用して行ってきたメルボルン旅行のまとめをしているのですが、買い物や食事の時にもらったレシートをスキャンして保存しました。これを見直してみるとお店の名前や一つ一つの商品の値段が分かって、ある意味とても貴重な記録となることに気づきました。 どこで何を買ったとか、どこで何を食べたとか、よほどのことでない限り覚えていません。 メルボルンでは物価がとても高いと感じましたが、レシートを見ることで正確に日本と、かの地の違いが把握できます。これからも旅行した際は、こうした記録をこまめに残しておこうと決めました。

 

気力

■20190509(木曜日:曇)

Geelong のママが作ってくれた手作りのお菓子です。甘すぎず、とても美味しいのです。
Geelong のママが作ってくれた手作りのお菓子です。甘すぎず、とても美味しいのです。

■今朝は走るつもりで5時に目覚ましをかけていたのですが、めげてしまいました。オーストラリアへの旅行の疲れも、たまっているのかもしれません。起きだして走り出す気力が出ませんでした。

去年からの冬の気候に体がなかなか適用できずに困っています。年齢による適応能力の低下に違いありません。布団に入って眠る時と、起きだすまでの間に、同じ掛け布団では体が適用できないのです。今は薄手の羽毛の掛け布団と、薄手の毛布の2種類を寝ている間の体の調子に合わせて掛け替えています。寝入りばなは少し暖かめの掛け布団とし、夜中に一度暑すぎて目が覚めると薄手のものに替えて、さらに明け方になると冷え込みますので、もう一度暖かめのものに替えるという段取りです。昔はこんな面倒なことはしなくても、十分よく休むことができました。年を取るというのは本当に大変なことです。

フルマラソンへの挑戦を始めて、もう6年以上が過ぎました。2013年3月に初めての大会である駿府マラソンハーフの部に出場しました。それからの記録を見ると、毎月のように何らかの大会に出場していました。ところが今では年に2回しか出場していません。どうして毎月のように大会に出場する気力があったのか、今では不思議に感じるほどです。 何事もそうでしょうが、何かに取り組み始めた頃が、一番面白いのは当然です。 6年前と比較すれば体型も体の組成自体も、随分と変わったことは間違いありません。 体脂肪率も下がりましたしウエストも締まりました。 ところが気力の方も、下降してしまったのです。

この6年間の間に、子供達には様々なことが起こりました。それぞれが一人前の社会人として、巣立って行ったということです。家庭も持ちました。親としての重荷というか責任も、ずっと軽くなって、単純に考えれば、その分のエネルギーを他に回せるはずなのですが、逆に全体のエネルギーがしぼんでしまったように感じるのは皮肉です。

朝の静けさ

■20190508(水曜日:晴れ)

メルボルン市内のセブン・イレブン店です。
メルボルン市内のセブン・イレブン店です。

■今朝はゆっくり休むつもりで目覚まし時計を6時に合わせていました。ところが5時少し前に目が覚めてしまいましたので、そのまま起き出すことにしました。昨日走りましたので、今朝は走らずに、そのままビニールゴミを所定の位置まで持って行き、新聞をとって戻りました。30分ほどゆっくりと新聞を見てから、朝食の準備を始めました。いつものように一杯のコーヒーと、一枚の食パンを焼き、その上に納豆を乗せて食べるのです。もう一品はヨーグルト作成機で増やしたヨーグルトです。

テレビもかけずに、ひんやりとした朝の空気と 、ことりとも音のしない静けさの中で読む新聞はまた格別です。朝刊にひと通り目を通すと、世の中では本当に色々なことが起こっていて、様々な問題が解決されなければならないのだ、ということが実感できます。もちろんネット上の記事を読んでいても、世の中の動きが分かりますし、新聞など読まなくても、と思いがちなのですが、こうして朝の静けさの中で読む新聞は、一種の精神安定剤のように私には思えます。少し早起きして時間を作れば、誰でもがそうした思いを抱くのかもしれませんが、なかなか忙しい毎日の中では難しいことなのかもしれません。実際自分も、そうした思いを実感できるようになったのは、つい最近のような気がします。私は恵まれているのでしょう。大したお金がかかるわけでもなく、それほど多くの時間が必要なわけでもないのですから、たいしたことではない、と言えば言えるのですが、 なかなか難しいことなのかもしれません。

一日は誰にとっても24時間しかありませんので、その中で時間をどのように割り振るか、というのが一番の個性なのかもしれません。個性的に生きろ、と世間ではよく言われますが、何も難しいことなのではないのです。24時間をどのように生きるかが、その人の個性なのではないでしょうか。朝の静けさの中で新聞を読んでいると、そんなことを感じます。

バイリンガル

■20190507(火曜日:晴れ)

朝日を受けてヤラ川を進むボートです。
朝日を受けてヤラ川を進むボートです。

■今朝は久しぶりに、いつものコースを走りました。 4月28日以来ですので9日ぶりということになります。今朝は8.29 km を走り、今月の通算は20.53 km、 残り54日で79.46 km となりました。相変わらず体の重さを感じてしまうのですが、6月には千歳マラソンが待っています。完走できるかどうか、いささか心配です。まあとにかく続けるしかないのですから、爽やかな天候が続いているうちに積み重ねるしかありません。

オーストラリアから帰ってきて、大型連休も終わり、いよいよ今日から日常生活の再開です。今日は外来も混雑するはずですので、とにかく忍耐強く一日を送るしかありません。そして昼休みのラジオ英会話も、また再開しなければなりません。何もかにもが日常生活の再開です。

メルボルンに行ってみると、とにかく様々な国から様々な人々が集まっていることが容易にわかります。 肌の色は様々ですから一目瞭然です。Benのお兄さんの奥さんがモーリシャス出身であることを知りました。19歳の時にメルボルンに移住してきたそうです。モーリシャスではフランス語が公用語だったので、それまではフランス語が母国語でした。 ですので英語は外国語として学んだことになります。いわゆるバイリンガルですので、そういう方には私はいつも同じ質問をします。夢を見ている時には何語を使っているのですか、という質問です。彼女も今では日常生活では、ほとんど英語を使っているはずですから、単純に考えると英語のような気がしますが、質問を受けてにっこり笑った彼女が答えたのは、意外にもフランス語のことが多いという答えでした。 この辺りは、日本語でしか生活したことのない私には、想像できない領域です。

連休の終わり

■20190506(月曜日:曇)

メルボルンの夜明けです。
メルボルンの夜明けです。

■さて長かった10連休も今日で終わりです。 長い人では4月27日の土曜日から休みに入っていますが、私は4月28日の日曜日からの連休になりました。今年の連休の最大の出来事は、何と言ってもあやちゃんの結婚式でした。昨年はたくの結婚式が7月にあり、まだまだ先だ先だと思っていたら、あっという間に結婚式がやってきました。とにかく暑い夏でしたが、つい昨日のことのように思い出されます。

ところが今度はあやちゃんの結婚式が5月の連休に行われると連絡があり、これもまだまだ先だと思っていたのに、あっという間にその日が来てしまいました。ベンとは昨年の1月のメルボルン訪問、そしてたくの結婚式と2回会っていましたので、おおよその人柄は掴めていたのですが、やはり娘の連れ合いとなると見方も変わってきます。ただ会うたびに彼の真面目さと言うか、きちんとした人柄が感じられるので、 あとは信じて二人の幸せな未来を願うしか、親としてはできることはありません。あやちゃんにとっては、オーストラリアでベンと暮らすのが、一番幸せなことに違いないと思えてきました。

オーストラリアという社会が日本とどのように違うのかは、もちろん私には詳しく知りようもありません。 ただ私の感じた違いは、その気候の違いととても似ているように思われたのです。多分オーストラリア全体がそうなのでしょうが、メルボルンではとても乾燥しています。メルボルンから電車で1時間ほどのところにあるジーロングに住むジョーンズさんにお話を聞くと、オーストラリアでは自然災害といえば、落雷による火災だというのです。カリフォルニア当たりであれば、山火事となるのでしょうが、オーストラリアには山らしい山はありません。せいぜい小高い丘程度のものなのです。テレビで見るアフリカの草原に迷い込んだのではないかとすら感じてしまうのです。見渡す限り草原、ブッシュというのでしょうか、雷によってそこに火がついてしまうのです。日本では雷といえば、当然雨がつきものです。夏にしろ冬にしろ、雷といえば雨です。 ところがここオーストラリアでは、雷といえば火事なのです。 日本と比較すると、ほとんど湿気がないようなものなのです。ですから夏に気温が40°を超えたとしても、日陰に入れば、そよかぜさえ吹けばとても涼しく感じるようです。真夏でも風によっては寒くて海に入れない日もある、と添乗員の方がおっしゃっていました。

多分人間関係の違いも、この湿度の違いに似ているところがあるように私は思うのです。 それぞれが意識として独立し、他者に対してあまり干渉したり、妙につるんだりすることもないのではないでしょうか。日本ではどうしても、同調することを強制される、という雰囲気があります。自分はそうは思わなくても、なんとなく雰囲気と言うか、周囲の空気がそのように同調することを強いるのです。そうした同調をあまり気にならない人にとっては、日本は住みやすい国かもしれません。しかしながらそうした空気に合わせることが精神的にとても苦痛な人が当然いてもおかしくありません。そうした人たちにとっては、日本という社会は、とても住みにくいと私には思われるのです。

他者へのこうした暗黙の強制といったものが、良い方向へ働くことも、もちろん多々あるのですが、一旦誤った方向へ進め始めた時に、 その方向はおかしいと声を上げたり、矯正しようとする試みには、とても大きな壁が横たわっているように感じます。 戦後生まれ変わったかに見える日本ですが、諫早湾の干拓事業や、辺野古湾の埋め立て事業などを思う時、 この国はおかしな方向だと薄々感じてはいながらも、後戻りすることがとても苦手な国だということを痛感するのです。 一旦走り出した方向を止めることができるのは、未だに玉砕しか無いとすら感じるのです。新しい時代である令和に入っても、正直私は、この国の未来にとても暗いものを感じざるを得ないのです。この国にまず必要なのは経済改革ではなくて、精神的なカウンセリングではないかとすら私に思えます。

帰国

■20190505(日曜日:晴れ)

オーストラリアの交差点です。繁華街でない限り信号無しで安全に往来しています。
オーストラリアの交差点です。繁華街でない限り信号無しで安全に往来しています。

■メルボルン空港発のJAL774便で、日本に戻りました。現地時間0時05発、日本時間8時30分到着です。現在一時間の時差がありますの、到着時には時計は9時30分となっています。入国手続きやWiFiルーターの返却が無事に終わったのが9時30分。ちょうど沼津駅行きの長距離バスが空いていました。いま発車を待っているところです。10時半出発の京成電鉄の長距離バスがありました。沼津北口に止まってくれます。何しろ思いキャリーバッグがありますので、階段の上り下りは大変なのです。バスで行くことができれば、これほど楽なことはありません。時間はかかりますが、今回の場合は急ぐわけでもありませんので、バスにしました。

沼津には予定より早く着きました。道路が空いていたようです。14時前には家に着くことができました。荷を解いて片付けをして、その間にカップラーメンを二人で分けて食べました。このスープ味が恋しいのです。とは言っても今夜は鶴ちゃんと四人での夕食会ですので、食べ過ぎは禁物です。

違いを超えて

■20190504(土曜日:晴れ)

1956年のメルボルンオリンピックのメイン会場です。
1956年のメルボルンオリンピックのメイン会場です。

■昨日は本当に忙しい一日でした。中華レストランでの夕食会を終えて宿に帰り、床に入ったのが12時近くでした。娘の結婚式に出席した後なのに、いまいちピンときません。戸惑っているというのが正直な心境なのでしょう。

さて今日はベンが、オーストラリアンフットボールの試合に招待してくれました。 オーストラリアンフットボールの試合は以前ジーロングのジョーンズさんのお宅で、テレビ観戦したことが一度あります。その時はルールもわからず、ただ見ていただけなのですが、今日はベンのお母さんと話しながら、ルールも少しずつわかるようになりました。

ローマオリンピックの前の大会がメルボルン大会だったことを、お母さんのお話で思い出しました。1964年の東京大会の前の大会がローマオリンピックであり、あのマラソンのアベベ選手が素足で走り、金メダルになったあの大会だったのです。私たちはその前の大会が、メルボルン大会であったことを、つい忘れがちです。今日オーストラリアンフットボールの試合が行われた会場は、収容人員10万人を超える、メルボルン大会のメイン会場だったのです。ベンのお母さんが、私に話してくれました。

私などの記憶では、オリンピックはローマ大会から始まっています。その前の大会である、メルボルンはどうしても見落としがちです。ローマ大会でのアベベ選手の激走が、あまりにも印象が強いためなのかもしれません。

今日は曇りがちで、時々雨が降る天候でした。気温も低く、競技場で見ていても少し寒いほどでした。ベンが買って持ってきてくれたビールを、それでも2杯も飲んでしまいました。スポーツ観戦をしていると、ついつい夢中になって、体温も上がってしまうのかもしれません。試合結果は残念ながら、ベンの応援するチームは、メルボルンのチームに負けてしまいました。ルールがよくわからない中での観戦でしたが、教えてもらいながら、少しずつわかるようになったので、最後まで楽しく観戦することができました。

1時間半ほどで試合も終わり、皆さんと別れてホテルに向かいました。しばらくはこれで、Ayaとも会うことはできません。末永く仲良く暮らしてほしい、と願うのみです。

少し早めの夕食でしたが、色々迷った挙句、ホテル近くの日本食の居酒屋に入りました。食事を注文し食べ始めてみると、内容的にも量的にも、とても良心的で美味しく食べることができ満足でした。午後7時半頃にホテルに戻り、9時に予定されている、添乗員さんのお迎えを、待つばかりとなりました。

午後9時少し前に添乗員さんが来られて、一緒に車でメルボルン空港まで、送ってもらいました。預ける手荷物が重量オーバーで、追加料金を取られてしまいました。次回の旅行時にはキャリーバッグを新調して、こうしたことのないように工夫しなければいけません。手続きも無事に完了し、搭乗ゲートの8番に着いて、今こうして入力しているのは午後の10時10分です。出発までは、まだ2時間弱ありますので、長い長い待ち時間となりそうです。

今回の旅行はAyaの結婚式に出席する為でしたが、ベンの家族の皆さんとも会えて、本当に安心しました。他人同士が違いを乗り越えて、仲良く暮らすのは並大抵ではありません。まして国が違えば、難しさは格段に高くなります。2人が力を合わせて、違いを乗り越えて幸せな家庭を、ぜひ築いて欲しいと心から願った旅行でした。

結婚式

■20190503(金曜日:晴れ)

AyaとBen の結婚式が行われたお役所です。
AyaとBen の結婚式が行われたお役所です。

■今朝は朝7時に起きて走ることにしました。ホテルを出てトラムの駅まで行き、そこからトラムの路線に沿って走っていたつもりだったのですが、どういうわけか、コースを外れてしまいました。サザンクロス駅まで行って戻ってくるつもりだったのですが、いつまで走っても駅が見えてきません。これは道を間違えたのだな、と気づき方向を変えました。不思議なもので、大した距離を走っているわけでもないのですが、一旦街の中に迷い込んでしまうと、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのです。最後はグーグルマップのお世話にもなって、なんとか戻ることができました。6.3キロを走りました。貴重な積み重ねです。

この原因は後になって分かりました。反対方向に走り出していただけなのです。これでは目的地に到着できないはずです。

■帰って来てシャワーを浴びて、駅の中にあったスーパーで昨夜買っておいた、お寿司とサラダと、オレンジを二人で食べました。サラダは315グラム。本当にごった混ぜで、牛のためかと思えるほどの品数でした。

二人のための祝いのカードに書き添えを済ませ、あとは時間になったらトラムの駅に向かうだけです。こちらで行う結婚式というものが、どのようなものか想像もできませんので、その時を待つばかりです。

■13時にトラムの駅で待ち合わせることになっていました。駅で降りてしばらくすると、Ayaがやってきました。美容院に行き、見違えるように綺麗になって登場です。3人で指定の待ち合わせ場所に行くと、やがてBenがやって来ました。四人揃って公証人のいる役所に向かいました。

結婚式といっても、公証人の前で宣言を読み上げるだけのもので、特段趣向を凝らしたものでもありません。出席者は親族のみ。滞り無く終わりました。ベンのご両親、兄弟、姉妹が集まってくれました。こちらではこれが一般的のようです。式が終わってからは、みんなで隣にある公園に行き写真を取り合いました。綺麗な公園なのです。記念撮影にはうってつけです。

それからレストランに行き、二時間ほどでしょうか、みんなで歓談しました。兄妹の皆さんも久し振りでしょうし、私は英語で話すことには躊躇せざるを得ないので、楽しいはずのパーティーも、いささか難行苦行の思いと言った方が、実態を正確に言い表していました。それでもベンのお兄さん夫婦と歓談できたのは収穫でした。奥様は19歳までモーリシャス島で育ったとの事で、公用語はフランス語でした。英語も学校では習っていたようですが、こちらの来て英語を外国語として学び直さなければいけなかったそうです。

今ではもちろんバイリンガルという事になるのですが、わたしがいつも興味を持っていたのが、夢を見るときにどちらの言葉で夢を見るか、という疑問です。彼女の場合はフランス語でした。英語の発音は、どちらかと言えば日本人のものに近いので、むしろ私たちには聴き取りやすい程でした。もうすぐ二歳になる女の子のなんと可愛いこと。

お兄さんとは、スポーツの話題で盛り上がりました。オーストラリアにはオーストラリアンフットボールと呼ばれる、独特のスポーツがあります。私たちから見ると、サッカーとラグビーのごちゃまぜのようなスポーツです。これがオーストラリアでは、とても人気があるそうです。以前ジーロングのジョーンズさん宅にお邪魔した際に、一度テレビで見せてもらいました。ルールはさっぱり分かりませんので、何をしてるかは理解できませんでした。お兄さんは、それ以外にも沢山のスポーツしたようです。バスケットボールが一番好きだったようですが、怪我をして現在は休養中とのこと。

お仕事は物流関係の分野のようで、日本でいうと日本郵政株式会社の様な会社に聞こえました。parcel が多いと言っていましたから、郵便の部門ではないようです。オンラインショップの発達と実店舗の消滅は、どこの国も同じようです。現在宿泊しているホテルがあるのは、メルボルンでも中心地に近いので、立派なお店が文字通り所狭しとヤラ川沿いに立ち並んでいます。昼も夜も一日中多くの人でごった返しています。オンラインショッピングなど、どこ吹く風といった様子ですが、確実に変わってきているようです。

■さて一旦ホテルに帰り、着替えをしてから再度ヤラ川沿いの中華レストランに向かいました。

歓談

■20190502(木曜日:晴れ)

ジーロング駅の今朝の様子です。
ジーロング駅の今朝の様子です。

■さて、今日で零和も掴め二日目を迎えました。今現地時間朝の7時45分ですが、ようやく夜も明けて明るくなりましたが、こちらは冬に向かっている時期ですので、夜明けがとても遅く感じます。足元を気にせずに安心してジョギングするとすれば、今の時期ですと7時ぐらいが良いように、こちらでは思います。季節の関係、そして緯度の関係もあるのでしょう。何しろオーストラリアはダウンアンダーなんです。

昨夜はAyakaとベンと4人で日本食を楽しみました。18時30分にサザンクロス駅改札近くで待ち合わせて、予約していた飲食店、花菱 Hanabishi に向かいました。19時から21時近くまで、本当に楽しく語らうことができました。もちろんベンとの会話は英語になりますので、難行苦行、四苦八苦となるのは致し方ありません。でも昨年7月にBenがたくの結婚式に出席するために来日してくれた頃に比べれば、自分なりにかなりストレスが減ったように思います。毎日昼休みに聞いていた、ラジオ英会話の時間が、役に立ったのでしょう。

何をそんなに話し合ったのかと思い出してみると、多くはさもない、ささいな事だったように思います。誕生日は8月31日生まれですから私と同じ8月生まれ。姉と兄の三人兄弟の末っ子であるところも、私と全く同じ。話は盛り上がりました。ご両親も、その前の世代もオーストラリア生まれとのこと。ただ、母方の祖父でしたか、アイルランドからの移民と言われていたように思います。

なぜそんなことが気になったかというと、今日Sun と一緒に市内見物をしていて、セントパトリック大聖堂を訪問していたからです。建物がとても歴史がある立派なものであったことは言うまでも無いのですが、玄関前の広場に銅像が建っていました。近づいてよく見てみると、オコーナーとアルファベットで書かれていました。そうです、オコーナーといえばアイルランド系の名前の特徴です。家に帰って少し調べてみる必要があるようです。

市内を歩いていて、ある建物を見つけました。メルボルン大学医学部付属眼科、耳鼻科病院です。こちらでは公的な社会保険で賄われる医療費には、眼科と耳鼻科と、そして歯科の費用は含まれないとのこと。つまり、この3科にかかった時の費用は、ほとんど自費診療ということになります。とても高額のようです。オーストラリアにおける歯科医師の収入が、日本のそれと比較して圧倒的に高額であることが、マスコミで話題になるほどです。いつしか日本でも、そんなことが起きることがないように祈るばかりです。■九時半にサザンクロス駅で列車に乗りました。みどりの窓口で往復切符を二枚買ったのですが、係の人の話を聞いてもどのプラットフォームでのたら良いかが聞き取れませんでした。プラットフォームは16Nというところまではわかったのですが、その16Nが、どこにあるのか、二階に登ってその奥に、と言われたことしかわかりませんでした。案内板を思案げに覗いていると、現地の方が親切に教えてくれて事なきを得ました。50分ほどでしょうか、列車に乗って、ジーロング駅に到着しました。その手前の駅が北ジーロング駅でしたので思わず焦りましたが、隣の座席に座っていた現地の方に確認したところ、ジーロング駅ではないよ、と教えて貰って安心しました。駅を出て駅前の広場で写真を撮り、今ジョーンズさんが来るのを待っているところです。予定よりも1本前の列車に乗りましたので、20分以上早く駅に着いています。途中雨が降っていましたが、現在10時36分ですが、雨も上がり少し青空も見えていきました。風は冷たいのですが寒いということはありません。幸運です。さて今日一日どうなりますことやら。列車はほぼ十分おきぐらいに、メルボルンとの間を往復しているようです。オーストラリア16ドルの往復運賃でした。マイティーと呼ばれる、スイカのようなカードで無事に問題なく購入出来ました。途中で係の方が来てカードをチェックしていました。十分なチャージがされているのかどうか、チェックしているのでしょう。

パパとママが、到着時刻よりも少し遅れて駅に迎えに来てくれました。エミリーの家によって新しく買った家のようですが、そこで子供達に会って車で近くに観光客目当てのチョコレート工場、ちょうどハワイで行ったようなチョコレート工場に立ち寄って、ご馳走してもらいました。

夕食はポテトチップスとフィッシュアンドチップスと鶏の唐揚げでしたが、油っこい物ばかりで日本人には辛い内容でした。

でも子供たちがみんな集まってくれたのには本当に驚きました。エミリーは今仕事を休んでいて子育てに専念中。子供を預けると一日で一人140ドルかかるということで、とても預けて仕事をする事は経済的に合わないようです。英語での会話は骨の折れる作業でしたが、持参したWiFiルーターとポケトークおかげで、かなり救われました。a Japanese secret weapon と私は勝手に命名していましたが。しかし本当に英語は聞取りが大変です。毎日練習あるのみです。

フォードの現地法人に勤めているパパも人員整理にあってしまい、今夜のシフトが最後とのこと。明日からの仕事が、どうなるかは行ってみないと分からないということでした。40人ほどの従業員が整理されるそうで、誰に仕事が残って誰がお払い箱になるのか、未だに連絡が無いのもこの国の特徴でしょうか。

ただパパは経済的な知識がしっかりしていて3箇所に不動産を持っているようで、今開発ブームで土地も家も値上がりしているとのこと。駅に降りてびっくりしたのはビルが建設中だったことです。住宅地の開発も盛んで今まで牧場だった所が住宅地に変わっていました。どんどん土地が値上がりしているようです。メルボルンへの宅地開発ということです。

夜の7時20分の電車に乗ってジーロング駅を出発しました。サザンクロス駅に着いたのは夜の8時35分頃。二階にあるスーパーマーケットでサラダと巻物と果物を買って、今トラムを待っているところです。夜のちょうど9時。雨がパラついていますが、幸い止んできました。トラムに乗ってcasino駅で下車。いつもの道をヤラ川沿いに歩いて五分ほどでホテルに到着です。気疲れのする一日でしたが、来て良かったと感じたジーロングでの一日でした。

あすはいよいよ、Ayaちゃんの結婚式です。

新しい時代

■20190501(水曜日:曇り)

メルボルンのコンビニで見かけたサンドイッチです。一つ7ドル、550円ほどでしょうか。
メルボルンのコンビニで見かけたサンドイッチです。一つ7ドル、550円ほどでしょうか。

■さて、今日からは新しい時代が始まりました。令和です。昨日はあやちゃんと一緒に1日楽しく過ごしました。平成最後の1日でした。日本では大騒動だったと思いますが、ここメルボルンでは何事もないように、日常が過ぎ去っています。

今朝は6時に目覚ましを合わせて起き出しました。そしてメルボルンの街を40分程走りました。ヤラ川の川沿いを、ゆっくりと走ったのです。6キロを積み重ねました。今日から、また100キロの積み重ねに向かって、毎日を送らなければなりません。

先月は体調不良と旅行のために、危うく連続月100キロ走の記録が途絶えるところでした。なんとか連続記録を途絶えさせることなく、今月を迎えることができました。一旦途切れさせてしまうと、糸が切れた凧のようになってしまいます。続けることが何よりも大切なのです。

さて今日も一日、歩き回った一日でした。まずペンギンを見る事が出来ると聞き、セントキルダービーチに向かいました。トラムで20分ほどでしょうか。ところが着いてみて現地の人に聞いてみると、日中は魚取りにベンギンは出掛けていて、見ることは無理だと知りました。

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