■20240123(火曜日:晴れ)

ベトナム枯葉剤被害者支援の旅に出掛けていた時、定宿だったバクザン省のホテルです。

■昨夜は睡眠診断アプリによれば、目覚めた回数は2回、合計睡眠時間7時間8分、総合点数は75点でした。5時48分に浅い睡眠から目覚めました。爽やか、とまでは行かないものの、気持ちの良い目覚めでした。

昨日は、朝一番のスタートで親友とラウンドしましたし、中華料理店で久しぶりにタンメンを食べました。塩味の古典的なタンメンです。

タンメンを食べると、私は高校の夏休みを思い出します。家では空調が無いために、暑くて勉強ができませんでした。そこで、自転車で15分ほどのところにある、川口市立図書館に毎日出掛けました。

9時から始めて、12時になると地下にあった食堂で、タンメンを食べたのです。55年近く前ですが、タンメンは120円程度だったように記憶しています。そして17時まで、また机に向かいました。

懐かしい思い出です。あの名作「キューポラのある街」では、自転車に乗って私が図書館へ通った、陸橋が登場します。下を走っているのは京浜東北線でした。

映画には、その京浜東北線が何度か登場します。もう一箇所、京浜東北線を見ることが出来たのが、荒川の土手でした。中学校の校舎とグラウンドの間を荒川の土手が遮っていました。

映画の中で、その土手の上を自転車に乗って走ったのが、吉永小百合さんでした。映画はネットによれば、

『キューポラのある街』(キューポラのあるまち)は、1962年(昭和37年)4月8日に公開された日本映画である。日活の助監督だった浦山桐郎の監督昇格デビュー作。

公開されたのは、私が9歳の時ですが、この映画を何歳で初めて観たかは、定かではありません。その後、何度もビデオで観ているので、混同しているのでしょう。

それにしても、幼年期というのは、誰にとっても人生のパラダイスに違いありません。今になって思い返そうとしても、大した出来事があったわけでもないのですが、暖かい布団の中で、ぬくぬくと時を過ごしているような、そんな安らぎがあります。

両親のお陰で、大した苦労もすることがなかったのでしょう。また映画を、見直してみましょう。新たな発見があるかもしれません。