■20181006(土曜日:晴れ)
富山にある中川園長先生のご自宅です。
■今朝は走りました。爽やかな朝です。でもテレビを見てみると、長崎の五島列島では台風25号の接近で大荒れの天候です。同じ日本とは思えません。想像もできません。結局、他人事なのですね。台風が近づいて風が吹き荒れないと、実感できません。
今朝は 6.10km を走り、総計 23.02km を積み重ね、残り25日で 76.97km となりました。今月も何とか目標の100キロを達成しなければなりません。
■昨夜は寝る前の読書に、「すぐ死ぬんだから」を再読し始めました。木曜日に、もう一冊の内館牧子本「終わった人」を読み終えて、もう一度読み直したくなりました。終活三部作、と言いたいところですが、まだ上記の二冊しか刊行されていません。内館牧子さんのことですから、いずれもう一冊を出されるのではないでしょうか。
インタビューの中で内館牧子さんは、品よく老いるために必要なものは何か、と問われて、「美意識」と答えています。「すぐ死ぬんだから」の主人公が、その具体像を示しているように思える、とインタビューした記者は書かれています。
なるほど、主人公は鼻っ柱が強い、というのか、他者の意向を叶えるために行動することをしません。自分をしっかりと持ち、他者の思惑に振り回されることがありません。気持ちが良いというか、清々しいというか、こうできたら気持ちが良いだろうな、と思えます。しかし実際に行動するのは大変です。まず人に好かれないはずです。日本では目立つことは、ご法度なのです。
就活スーツが典型です。他の国では、どうなっているのか、私には知識が無いのですが、画面一杯に映る同じような就活スーツを着た学生たちが、この国を大変良く象徴している、と私には思えます。それを苦痛と感じる人には、この国は住みづらいかもしれません。自分らしく行動することができないからです。その点、アメリカは懐が深いのでしょう。人と違っていることが、むしろ求められるからです。それも大変だ、とすぐ他者に迎合しがちな私などは思ってしまいます。
まぁ、どちらが優れている、ではなくて、それぞれが違う、ということです。そう思えば腹も立ちません。我慢できない人も多いかもしれませんが。
■世間では今日から三連休。午後7時17分現在、道路を隔てた団地では、祭りが行われているようで、盆踊りの音楽が流れてきています。自治会ごとに開催する時期が異なり、私の住む自治会では以前は地域の夏祭りと合わせて開催されていましたので、花火を見ながら一杯やる、ということが可能でしたが、今では時期をずらしたこともあり、全く縁のない行事になってしまいました。
子ども達がすっかりいなくなりました。子ども会も存亡の危機です。私たち夫婦が友人夫婦と子ども会の役員をした時には、みんなで劇を創作して、市民文化センターで上演されたこともありました。その時に出演した子ども達も、その後に様々な道程を歩んでいるようです。本当に、「 Time flies. 」です。
「すぐ死ぬんだから”(内館牧子 著)」を読んでいて、この部分に頷きました。
“外見が若くなり、変わると、精神が若くなる。心持ちが変わる。きれいになることの力を、この十年でどれほど感じたか。
外見がもたらす力はバカにできない。”
主人公が語る言葉を実感できるわけではありません。しかし日々接する高齢者を見て感じるのは、「どうせ、すぐ死ぬんだから」と思い始めると、どこまでも落ちていく、ということです。身なりを構わなくなり、とことんだらしなくなります。見ている方も気分が悪くなるほどです。どうせ、すぐ死ぬんだから、と達観してしまった人には、何を言っても馬の耳に念仏なのでしょう。
でも、まだ死んではいないのです。死んでもいないのに、もう投げやりになってしまうのは、大変もったいない事です。生きている限りは、周りの人間を少なくとも不愉快にだけは、させてはいけません。面倒くさくなってしまうのです。もう、どうでも良くなってしまうのです。気持ちは分かります。しかし自分は決して、そうならないつもりです。
病気で意識が無くなってしまえば、自分をどうすることもできません。でも今のところは自分の思い通りに自分は動けるのです。その間は投げやりになってはいけません。
娘の前ではメタボな自分を晒してはいけない。やはり私には、これしかないようです。