■20190629(土曜日:曇)

 

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いつもお世話になっているニューウェルサンピア沼津です。我が家から10分ほどです。四季を通してお世話になっています。

 

■今朝もゆっくりと休みました。いよいよ明日で6月も終わりです。月曜日からは新しい月が始まります。つまりは、また一から積み重ねを始めなければなりません。その前には十分休息を取っておかないと、初日にしっかりとした走りが出来ないのです。

 

さて今朝の東京新聞には興味深い記事がありました。「父親も一緒に夕食「トモショク」運動 滝村雅晴さん」、という内容です。 滝村さんはこう語っています。

 

父親が、働きながら、当たり前に夕食を家族と一緒に食べられるような世の中にしたい。

 

2012年、当時8歳の長女を病気で亡くされました。闘病の最後は点滴で栄養を取るのみだったそうです。

 

家族と食事ができる機会は有限。食べてもらう相手がいて、ともに食卓を囲めることがいかに幸せか、娘に教わった。

 

16年前に長女の誕生を機会に料理を始め、会社人間だった自分が、家族のために料理を作り、片付けまでする「パパ料理」を広めようと起業され、「パパ料理研究家」として指導や講演に全国を飛び回っておられます。

 

この記事になぜ目が止まったかと言うと、正確な記録はないのですが、20年近く前に、ロータリークラブの公式雑誌である、ロータリーの友誌に「 夕食の時」と題して、父親も家族と共に夕食を取るべきだ、と投稿したことがあるのです。その意図するところは、上記の滝村さんの思いと一緒でした。まさに家族と食事ができる機会は有限なのです。

 

そう思うきっかけとして、ヨーロッパ中世史がご専門の木村尚三郎先生が書かれた「家族の時代 ヨーロッパと日本(1985)」という本を 読んでいたのです。 その中で木村先生は確か「company 」という言葉について、 com・pa・ny [ com(一緒に)panion(パン)を食べる仲間 、というのが元々の意味なのだ、と説明され、家族とは食事を共にする人々のことなのです、と言われていたのです。

 

当時はまだモーレツ人間が社会を闊歩していた時代です。雑誌に原稿が掲載され、いく人かの友人から電話をもらいましたが、ある人からは仕事で忙しく夕食を家族と共にすることなどできるはずがないだろうと、憤りに近い口調の電話をもらった際には大変驚きました。その方の人間性を初めて知った気がしました。とても懐かしい思い出です。