■20190706(土曜日:曇)
メルボルン市内を流れるヤラ川を走る遊覧船です。
■今朝は走らずに休みました。昨日は朝10キロ以上走りましたが、さすがに一日中疲れが取れずに困りました。 木曜日は午前中、雨模様のために、外来は閑散としていました。その反動で昨日の午前中は混雑しましたが、10キロ以上走った後の仕事は、 忍耐力が切れるギリギリでした。
その代わりと言いますか、昨夜はよく眠れました。 走ったための疲労が、丁度良い睡眠薬代わりだったのでしょう。そう考えると早朝に走るのではなく、 夜に走ってお風呂に入り眠りにつく方が、熟睡できるのかもしれません。しかし夜走るのは、危険です。 暗闇の中を走るのは、車を運転する人から見ると、 ランナーを見分けるのは困難なために、とても危険なのです。 現在私が走っているコースは、それほど交通量が多いわけではないのですが、 走る方も足元が不安なのです。というわけで、当分は早朝に走るしかないようです。毎日10 km を走れば熟睡できるのかもしれませんが、今の私の体力では、それは無理な相談です。
■参議院選挙が始まりました。様々な論評が見られますが、
は、大変興味深いものです。普通に考えると、安倍総理がこれほど長く政権を維持できる理由は、見当たりません。安倍総理が振りまいているのは、よく言われるように「やってる感」に他ならないからです。つまり国民生活を豊かに、 一人一人が生き生きと生きることができるような社会を構築しようと、日夜知恵を絞っているような、ふりをしているだけなのです。次から次へと、キャッチフレーズを繰り出しますが、どれもこれも中途半端で立ち消えたものばかりです。結果として残っているのは、本当にごく一部の人にとってのみ恩恵がもたらされる政策ばかり。日本の国益は切り売りされています。残るのは焼け野原ばかりです。 それにもかかわらず何度選挙をしても、批判票が上回ることはありません。実に不思議なことです。
そんなことを思いながら上記の記事を読むと、なるほどと納得するのです。つまり多くの国民が、ウトウトと居眠りしている間に、運転手はとても危険な道を突っ走っているということです。有権者としての無力感が大きいのかもしれません。
そんな中で、「れいわ新選組」を立ち上げた山本太郎代表の演説は、魂を揺さぶるのです。昨夜の街頭演説では、山本代表の演説を聞いた蓮池透さんが、「この人のためなら死んでも良いと初めて思った」と語っていましたが、あながち大げさではないと私も感じました。普通の常識を持った人間であれば、息苦しく、弱いものが住みづらい今の社会を、おかしいと感じるのが普通です。ところが残念ながら選択肢が無いのです。魂が揺さぶられる選択肢がなかったのです。したがって何をして良いかが分からなかった。れいわ新選組は 、そんな私たちに残された「最後の砦」のように見えるのです。立ち上がって間もなく私も献金しましたが、さらに何かできることはないか考えています。
コメントを残す