■20200820(木曜日:曇)
■今朝は走るつもりで目覚まし時計を4時半に合わせていたのですが、走る元気はありませんでした。夏バテだと思います。自分では疲労困憊という感じはしないのですが、夕方仕事が終わってからの疲れや食欲の低下などを考えてみると、やはり夏バテに違いありません。
ランニングもその原因の一つですが、今年は新沼津カントリークラブの競技委員を仰せつかった関係で、例年になくゴルフ場に出かけています。これほど数多くゴルフ場に出かけたことは私の人生の中で初めてです。
以前でしたら、せいぜい月に一回、多くても月に1.5回ほどだったのですが、今年は新型コロナウイルス感染のために、あらゆる会議や勉強会が中止になり、日曜日が空くようになりました。今まででしたら出席できなかったゴルフの会に出かけられるようになったのです。
まあ、それも今年いっぱいの話だとは思うのですが、今はその機会を捉えて上達のための練習を積み重ねるべき時だと思っています。
■今朝の東京新聞には興味深い記事が掲載されています。「幸せなら手をたたこう」作詞 木村利人さんのお話です。1964年に坂本九さんが歌ってヒットした「幸せなら手をたたこう」に関する逸話です。
この歌を作詞したのは61年前フィリピンを訪れた学生だったのです。旧日本軍による加害の歴史への贖罪の念と「苦しみや悲しみを乗り越えて命を尊び、日本人を受け入れてくれた地元の人々に応えたい」との思いがきっかけだったそうです。
この学生は早稲田大学名誉教授木村利人さんで、木村さんは大学院生だった1959年4月から2ヶ月間、農村振興のボランティアとして YMCA からフィリピン北部のルソン島に派遣されたそうです。
終戦から12年。当時のフィリピンでは根強い反日感情や戦争の傷跡が残っていました。「アジアで正義の戦いをしていると教わったが、加害者だと初めて知った」。自分の無知を恥じ罪悪感を覚えたそうです。
木村さんはフィリピン人のボランティア仲間と地域には無かったトイレを設置し運動場を整備。礼拝で聖書を読み平和について語り合いました。市を訪れた戦後初の日本人として地元のラジオ番組に出演。二度と戦争をしないために日本が新しい憲法を制定したことを紹介し少しずつ人々の警戒心を解いて行ったそうです。
ある夜フィリピン人のボランティア仲間が木村さんに言いました。「日本人を殺してやろうと思っていたが間違っていた。過去を許し、戦争しない世界を作ろう」。木村さんは感極まり涙しました。
その翌日に聞いたフィリピンの子供達が歌う民謡が耳に残りました。日本への帰途の貨物船でその民謡に歌詞をつけました。それが「幸せなら手をたたこう」だったそうです。
帰国後フィリピンでの経験を語り仲間に歌を披露すると歌声喫茶でも歌われるようになりました。歌声喫茶でこの歌を聞いた坂本九さんの強い希望でレコードになったそうです。
■誰にとっても過去と向き合うことは辛いことも多いはずです。しかし過去をきちんと精算しない限り未来に進むことはできません。出てくるのは言い訳ばかりになってしまいます。
そして同じ過ちを繰り返す可能性が高いのです。本当に戦争を知る世代の方々がこの世を去った時に、果たして日本は同じ過ちを繰り返さずに、新しい国際秩序の中で平和を築いていくことができるのか。私はその点に関して大いに危惧しているのです。