2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2020年7月 Page 1 of 4

国の本質

■20200731(金曜日:雨)

高崎観音駐車場から見た高崎市内の様子です。

■今朝は走らずに休みました。今日は7月の最終日です。もう7月が終わり、明日から8月になります。月間目標の100キロは、もう走り終えていますので昨日、今日と休養し、明日月始めの日に頑張って積み重ねの第1歩を踏み出すつもりです。

■昨夜は静岡県眼科医会理事会が静岡市で行われ出席しました。理事会があるのだから、会場に出かけて出席するのが当たり前だ、と今までは思っていたのですが、会場に行ってみるとほとんどの理事はリモート出席、つまりZoomでの出席の形を取っており、実際に会場に来られたのはたった5名でした。

確かに浜松から来られる理事の先生方は、新幹線に乗って静岡駅までわざわざ来なければなりません。私は家から駅まで歩き、そこから東海道線の各駅停車で静岡駅まで行くのが通例です。片道で一時間以上かかりますので往復ですと二時間以上、なかなかに大きな負担です。これが家に居ながらにして会議に出席できるのであれば、その方がずっと体も楽ですし、時間の無駄もありません。

出席人数があまりに少ないと、会議を主催し進行役を務めている川村会長も寂しかろうと思って出かけたのですが、やはりこれからは時代の流れとしてリモート会議が主流になっていきそうです。

■さて、今朝の新聞を読むと、台湾の李登輝元総統が死去した、という記事が第一面に掲載されています。97歳でのご逝去です。「台湾民主化の父」と形容されています。

日本統治時代の1923年、台北県生まれ。日本時代は、岩里政男(いわさと・まさお)という名前を使用。京都帝国大学に学び、学徒出陣を経験されたそうです。1988年、台湾総統に就任。戦前から台湾に住む本省人としては最初の総統になりました。

それ以降、本格的な民主化に着手し、43年間続いた戒厳体制を最終的に終わらせ、憲法改正や終身議員の退職。立法院(議会)改選、総統直接選挙の導入などを次々に進めました。

外交面では台湾と中国を特殊な国と国の関係とした「二国論」を提起。中国は李登輝氏を台湾独立派の中心人物とみなし、さまざまな圧力をかけました。

李登輝氏が親日派であることは有名です。しかし、これだけの人物ですから彼の褒め言葉をそのまま真に受けて、日本人は舞い上がってはいけないのでしょう。李登輝氏には中国本土と向き合わなければならないという大きな仕事がありました。日本を褒め称えてくれる言葉の中には、中国政府との対比という意味で語られた言葉もあるはずです。

マレーシアのマハティール元首相も同様に親日派で有名でしたが、心の底から日本を模範と考えていたかどうかは大いに疑問です。戦前、日本がアジア諸国で行った残虐行為を彼らは実際に見ていたのです。そのことを私達日本人は決して忘れてはならないのです。

新型コロナウイルス感染対策において、戦前のインパール作戦が引き合いに出されることが多くなってきました。多くの日本兵士が戦いで倒れたのではなく、物資の確保も考えずに作戦を遂行したことによって、多くの兵士が餓死した、あの戦いです。

戦(いくさ)において最も大切な要素である兵士を大切にできない軍隊のあり方、指揮する人間たちのありようなど、今コロナウイルス感染対策を立案し、実行している人たちにも同じ過ちが繰り返されているのではないか、という危惧があるのです。「失敗の本質」が繰り返されているのです。

敗戦によって日本は生まれ変わった、と言われますが、本当にそうだったのでしょうか。危機が訪れる度に、その本質が露(あらわ)になってくるのを見るのは実に恐ろしい思いです。

生きた言葉

■20200730(木曜日:曇)

高崎観音 慈眼院です。

■今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。昨日朝走って月100キロ走の目標を達成したからです。8月1日から始まる新しい月の目標に向かって2日間の休養です。

九州地方、そして西日本では梅雨が明け、天気予報ではこれから毎日晴天が続き猛暑日も予想されています。ここ数年は夏になると猛暑日が何日も続き、記録的猛暑だという報道が繰り返されます。今年は果たしてどうなるのでしょうか。

■さて、新型コロナウイルス感染が第2波を迎えたようで、昨日は大阪でも東京と変わらない感染者数を記録しました。そんな中での政府の「Go to トラベル」が強行されています。

つまりは国内旅行に出かけなさいと補助金を出して促しているわけです。東京都発の旅行は対象から外されたようですが、どう考えても今の状況で国内旅行を税金の補助金まで使って促す時期とは思えないのですが、政府はそうは考えていないようです。

■今日の東京新聞には、「生きた言葉を50年」と題して、映画字幕の戸田奈津子さんが特集されています。戸田奈津子さんは1936年生まれ、現在84歳になられますが、字幕翻訳家として現役で、今でも年に3、4本は手掛けています。

修行の後、1970年フランスのフランソワ・トリュフォー監督作品「野性の少年」の英語版翻訳を担当しデビューを飾りました。広く認められたのが1980年。フランシス・フォード・コッポラ監督のベトナム戦争を描いた大作「地獄の黙示録」でした。この大仕事が認められ、その後は「次から次へと仕事が来た。年間50本ほど手がけた20年だった」と振り返っておられます。

しかし、最近は字幕版より吹替え版が支持される風潮もあり、また分かりやすさばかりに重きを置く傾向は日本語の素晴らしさを殺している、と思うと語られています。

声優やアイドルら人気者を起用することも多く、こうした手法は配給会社が言葉を軽んじていると戸田さんは指摘しています。

最近は映画の題名も横文字を、そのままカタカナにしただけのようなものが多く、どんな映画なのかわけがわからない、想像もつかない映画名のことが多くなってきました。その方が配給会社としては楽かもしれませんが、いささか安易に流れているように私は感じるのですが、どうなのでしょうか。

財産

■20200729(水曜日:曇) The precious property of the city

群馬県高崎観音です。

■今朝は走りました。いつものように5時に目覚まし時計を合わせて起き出し、ビニールゴミを所定の位置に運んでから準備運動の後スタートしました。あと1回いつものコースを走れば月100キロ走の目標を達成できることがわかっていましたので、今日は楽しみでもありました。

いつものコースを6.11km走り、これで今月は15回のランで101.28kmを積み重ねることができました。

昨年12月に白内障の手術を受けたことと風邪をこじらせてしまったことが重なり、57か月連続の達成記録が途絶えました。しかし今年に入ってからはこれで7ヶ月連続目標を達成しています。

これでランニングの記録を取り始めてからの通算走行距離は9,493キロになりました。私にとっては月に1度の目標達成の嬉しいお祝いの日です。

■さて、先週は納車されたばかりのスバル・インプレッサスポーツタイプに乗って高崎まで行ってきました。高崎観音を見てきましたが、観音山観光センター駐車場に停めて、そこから歩きました。

今日の写真は、その時の様子です。駐車場から歩いて十分ほどでしょうか。道沿いには土産物屋さんが並んでいましたが、ほとんどが廃業しており、うらぶれた印象が拭えませんでした。それは新たな駐車場が観音様近くにできたために観光客の流れがすっかり変わってしまったためだったのです。

途中銅像が建っていましたが、これは矢島八郎に違いありません。調べてみると政治家であり初代高崎市長を務めた矢島八郎の銅像のようです。今は周囲に木が生い茂り矢島八郎が見下ろしている先には何も見ることができませんが、以前は高崎駅をはるかに見放すことができたようです。

雑木林になってしまった周囲を整備すれば訪れた観光客も、その見晴らしの素晴らしさを喜ぶに違いありません。貴重な市の財産が大切にされていないことに残念な思いがしました。

The precious property of the city

I ran this morning. As usual, I set my alarm clock at 5:00am and got up and carried the plastic garbage into place. I started after my prep workout. I knew that one more run on my usual course would help me reach my goal of 100 km per month, so I was looking forward to finishing the run.

I ran 6.11km on my usual course, which allowed me to accumulate 101.28km in 15 runs this month.

A combination of cataract surgery last December and a bout with a cold put an end to my 57th consecutive month of achievement. This year, however, I’ve now reached my goal for seven consecutive months.

This brings my total mileage to 9,493 km since I started keeping track of my running records. For me, today is a happy celebration of achieving my monthly goal.

By the way, last week I went to Takasaki with my newly delivered Subaru Impreza Sport Type. We went to see the Takasaki Kannon, and parked at the Kannon Mountain Tourist Center parking lot and walked from there.

Today’s photo shows the scene. It took about 10 minutes to walk from the parking lot. There were a lot of souvenir shops along the road, but most of them were closed and I couldn’t get rid of the impression that the street was deserted. This was because a new parking lot was built near the statue of the Goddess of Mercy, and the flow of tourists had changed completely.

On the way there was a bronze statue of Yajima Hachiro, which must be the statue of him. It is a statue of Hachiro Yajima, who was a politician and the first mayor of Takasaki. Now the trees around the statue are so thick that nothing can be seen beyond what Hachiro Yajima is looking down on, but it seems that in the past, one could look far beyond Takasaki Station.

If the surrounding area, which is now a wooded area, is cleared out, visitors will no doubt be pleased with the view. It is regrettable that the precious property of the city is not taken care of.

歴史

■20200728(火曜日:曇) History

高崎観音へ向かっています。

■今朝は走りました。天気予報では50%の確率で雨だったのですが、いつもの通り目覚ましを合わせて5時に起き出しました。幸い雨は降っておらず、無事にいつものコースを走りきることができました。

昨日は時刻を間違えてしまい、起き出して雨が降っていなかったにも関わらず、走ることができませんでした。その分、今朝走ることができました。

今朝はいつものコースを6.11km走り、これで今月は14回のランで95.17kmを積み重ね、月100キロ走まで残り3日で4.83キロを残すのみとなりました。あと1回いつものコースを走れば目標達成です。

今朝も、今にも降り出しそうな曇り空でしたが、湿度が高いためか走っていても体が重くて困りました。とにかくゆっくりで良いから最後まで走ろうという気持ちだけで走りきりました。走り終わって、整理体操をしていると額から汗が滴り落ちてきます。単なる脱水だけで体重は1.5キロほど減っています。脱水ですから、すぐにまた戻るのですが、暑さの中でのランニングは本当に大変です。

オリンピックをこんな時期に開催しようというのは、キチガイ沙汰という言葉がピッタリです。競技する選手を第一に考えているとはとても思えません。オリンピックは1度立ち止まって考え直した方が良い時期に来ていると思います。

■さて今朝の新聞にはある訃報が掲載されています。オリビア・デ・ハビランドさんの死去の知らせです。オリビア・デ・ハビランドさんを知っている方は少ないかもしれません。

しかしあの名作「風と共に去りぬ」でメラニー役を演じた女優さんといえば思い出される方が多いのではないでしょうか。26日パリの自宅で死去。106歳でした。

「風と共に去りぬ」の主な出演者の中で健在だった最後の一人と言われています。クラーク・ゲーブルもヴィヴィアン・リーも、とうの昔に旅立っています。

奴隷制が残っていた南北戦争以前の米国南部を描いたこの作品には、現在強い逆風が吹いています。黒人奴隷の描き方が槍玉に挙げられているのです。歴史を共有していない私たち日本人には、なかなか理解しづらい部分があります。

しかし考えてみれば日本にも同じような歴史があったはずです。例えばアイヌの人達に対する、和人といわれた本土の人々が行ってきた行為は決して褒められたものでもありません。きちんと捉え直すべき日本の歴史ではないでしょうか。

人様の歴史を取り上げて非難するのは簡単ですが、どの国の、どの国民にとっても痛みを伴わない歴史というものはないはずです。その歴史に、どれだけ真摯に向き合うことができるかが、その民族の気高さというものではないでしょうか。

History

I ran this morning. The weather forecast was for a 50% chance of rain, but as usual I adjusted my alarm and got up at 5am. Luckily it wasn’t raining and I was able to run my usual course safely.

Yesterday I got the time wrong and even though it wasn’t raining when I got up, I didn’t get to run even though it wasn’t raining.

This morning I ran 6.11km on my usual course, which means I’ve now accumulated 95.17km in 14 runs this month, with only 4.83km left to run 100km a month with 3 days to go. One more run on my usual course and I’ll have achieved my goal.

It was cloudy this morning as well, as if it was about to start pouring. The humidity was so high that my body felt heavy and uncomfortable even though I was running. I just wanted to run slowly to the end. After the run, sweat dripped from my forehead as I did some organizing exercises. I’ve lost about 1.5 pounds of weight just from mere dehydration. Since I’m dehydrated, I’ll be back soon, but running in the heat is really hard.

Crazy is the right word to describe the idea of holding the Olympics at this time of year. I can’t believe that they are putting the athletes who compete first. I think it is time for the Olympics to stop and reconsider.

By the way, there was a death notice in this morning’s newspaper. It was the news of the death of Olivia de Havilland. Not many people may know Olivia de Havilland. However, many of you may remember her as the actress who played Melanie in the famous film “Gone with the Wind”.

She died on July 26 at her home in Paris at the age of 106.

She is said to be one of the last of the main cast of “Gone with the Wind” to be alive and well. Both Clark Gable and Vivien Leigh died long ago.

The film’s portrayal of the pre-Civil War American South, where slavery remained in place, is currently facing strong headwinds. The way black slaves are portrayed is being spearheaded. It is difficult for us Japanese, who do not share the same history as the rest of the world, to understand this.

But if you think about it, Japan must have had a similar history. For example, the actions of the mainlanders, the so-called “Japanese”, towards the Ainu people are not something to be admired. I think this is a history of Japan that needs to be properly reconsidered.

It is easy to criticize other people’s history, but I believe that there is no history that does not bring pain to the people of any country. The nobility of a people is how seriously they are able to face that history.

子どもの自立

■20200727(月曜日:雨) Child independence

高崎観音です。

■昨夜は激しい雨と雷に襲われました。静岡県では各地で土砂崩れや冠水が続出しました。激しい雨のために、東名高速道路並びに新東名高速道路の一部が通行止めになりました。

東名沼津インターチェンジと富士インターチェンジ間の下りも通行止めになりましたが、排水処理が追いつかず愛鷹パーキングエリア付近で冠水が発生したためだったようです。昨夜の7時頃には、高速道路から降りてきた車で国道一号線バイパスが大渋滞になっていました。

一昨日、高崎から圏央道、東名高速道路を通って帰ってきましたので、1日ずれていたら大変なことになっていたかもしれません。

■天気予報では今朝も雨が降り続くはずでしたので、今朝は走ろうとは露とも思っていませんでした。6時に目覚ましをかけていたのですが、どういうわけかいつもどおりの5時に目が覚めてしまいました。

しかも起きた時刻を6時と勘違いして、そのまま朝食をとり終わり、こうして今パソコンに向かう段になってようやく1時間時刻を間違えていることに気づきました。もう、あとの祭りです。

目が覚めた5時台には雨は降っていませんでした。黒い雲が空を覆っているものの、所々青空も見ることができる、そんな天候でした。走ろうと思えば充分走れました。昨日のような土砂降りに遭うこともなかったはずです。

今さら言っても仕方ありません。あと2回分の積み重ねが必要です。なんとか今週中に頑張って切り抜けなければいけません。

■さて昨日の東京新聞「家族」欄では音楽事務所代表、高島弘之さんが家族を語っています。現在86歳になられる高島さんは、2017年に奥様を病気で亡くされています。その時の心境を語られています。『自分の人生、半分持っていかれたような感じです。自分の人生を否定されたような気さえします』。

そして、ダウン症の長女についても語られています。長女が誕生した頃は医師もあまりダウン症について詳しくなく、妻に対して今では死語になった、知能が低いという意味の言葉を言い放った後、「20歳までしか生きられない生きた人形と思ってください」。それを聞いた奥様は、その場で失神したそうです。

そして、高島さんは現在57歳になられる長女との関わりについて一つの後悔を語られています。

非常に残念に思うのは、ダウン症は程度によっては才能を発揮する方も多いことを知らなかったことです。最初に医師から言われた言葉があったので、僕は長女に特別な教育は施さなかった。

自分が書家のような家系に生まれたことを考えれば、長女にも書道を習わせてあげていたら違った生き方があったかもしれない、と今にして思えば残念に思うのです。

■1人の親として、この高島さんの言葉は私にも理解できます。親が子どもになによりも願うのは、自立した生活を送ってほしいということです。いつまでも子どもたちに寄り添って生きていられるわけではありません。親が先に旅立つのは当然のことだからです。

いくら助けてあげたい、何とかしてあげたいと思っても、それはできない相談です。子どもたちが自分たちの力で自分の人生を切り拓いていってほしいと願うのは、親の自然な気持ちです。

結局、親が子どもたちにしてあげられることは、子どもたちが自立できるように背中を押してあげることだけなのです。子育てが終わって、つくづくそう思います。

Child independence

Last night we were hit by heavy rain and lightning. There were many landslides and floods in many places in Shizuoka prefecture. Part of the Tomei and Shin-Tomei expressways were closed because of the heavy rain.

The downhill road between the Tomei Numazu interchange and the Fuji interchange was also closed, but this was due to flooding near the Ashitaka parking area as the drainage treatment was not able to keep up. Last night at around 7:00 pm, the National Route 1 Bypass was jammed with cars coming off the highway.

The day before yesterday, we came back from Takasaki via the Ken-O Expressway and the Tomei Expressway, so if our return trip had been delayed for a day, we might have been in trouble.

I had set my alarm for 6:00 a.m., but somehow I woke up at 5:00 a.m. as usual.

Moreover, I mistakenly thought I woke up at 6 o’clock and finished my breakfast, and now I’m on my way to the computer, only to find out that I got the time wrong for an hour. It’s all over now.

When I woke up at five o’clock, it wasn’t raining. There were black clouds covering the sky, but I could see blue skies in some places. If I wanted to run, I could run enough. We didn’t have to deal with the downpour like we did yesterday.

It’s no use saying that now. I need to build up for two more runs. I have to do my best to get through this week.

By the way, in yesterday’s Tokyo Shimbun “Family” column, Mr. Hiroyuki Takashima, the representative of the music office, talked about his family. Mr. Takashima, who is now 86 years old, lost his wife to illness in 2017. He talks about how he felt at the time. ‘I feel like my life was taken away from me, half of it. I feel as if my life has been denied to me.

He also talked about his first daughter, who has Down syndrome. When his eldest daughter was born, the doctors didn’t know much about Down’s Syndrome, and after saying the now-deadly word to his wife, meaning low intelligence, he said, ‘Think of her as a living doll who only lives to be 20 years old.’ When his wife heard this, she fainted on the spot.

And Takashima shared one regret about his relationship with his eldest daughter, who is now 57 years old.

What I regret very much is that I didn’t know that many people with Down’s syndrome are gifted in some degrees. I didn’t give my eldest daughter any special education because of what the doctor first told me.

Considering that I was born into a family of calligraphers, I now regret that if I had allowed my eldest daughter to learn calligraphy, her life might have been different.

As a parent, I understand what Takashima said. The thing that parents want most for their children is for them to live an independent life. Parents can’t live with their children forever. It is natural for parents to leave before their children.

No matter how much parents want to help their children and do something about it, it is not possible to counsel them. It is natural for parents to want their children to take charge of their own lives on their own.

In the end, all parents can do for their children is to push them to become independent. That’s what I’ve come to realize now that parenting is over.

韓国式対応 

■20200726(日曜日:雨) Korean-style measures

宮崎県高千穂神社です。

■今朝は走りました。いつものとおり5時の目覚ましで目を覚まし起き出して準備の後、玄関を出ました。その時は本当に少しだけ雨がぱらつく程度でしたので、何とか小一時間天気がもってくれるものと期待して走り始めました。

ところが走り出して20分ほどすると本格的に雨が降り始めました。気温が低くありませんので、ずぶ濡れになったからといって風邪を引く心配はありませんので、その点は気が楽でした。

結局いつものコースを少し短めに5.85kmを走り、これで今月は通算13回のランで89.05kmを積み重ね、月100キロ走まで残り5日で10.94kmのところまで来ました。5日間で11キロ弱ですから、いつものコースを2回走れば目標達成できます。今のところは順調です。

とにかく雨ばかり降る毎日です。金曜から土曜にかけて高崎に行ってきましたが、青空の下群馬の山々を見ることができなかったのは残念ですが、それは贅沢というものです。大した雨にも降られず、ドライブも順調に楽しめて、無事に帰ってこられたのですから、文句を言えば罰が当たります。

■さて今朝の東京新聞朝刊には、気になる記事がいくつも載っていました。

一つ目は「新型コロナインタビュー」です。東京都医師会の尾崎治夫会長がインタビューに答えています。政府の対策への評価は、との記者の問いに尾崎会長は以下のように応えられています。

(感染者集団を見つける)クラスター対策が悪いわけではないが、感染が拡大して限界を迎えた。韓国は大量検査と施設収容が一体となって対策が機能していた。

欧米の真似はするが、アジアの国から学ぼうとしないのは日本の良くないところだ。クラスター対策のチームとは別に、検査と入院体制の拡充に重点的に取り組むべきだった。

さすがは尾崎会長です。今朝の新聞内の別の欄「コロナを生きる」でフランスの経済学者・思想家であるジャック・アタリ氏がインタビューに答えています。その中でも韓国の対応を評価しています。

韓国は2015年に流行した中東呼吸器症候群(MERS)を教訓に疾病管理本部を強化し、流行後の管理体制を整備した。今回の対策の成功例といえる。

感染実態を把握する検査とマスク着用を徹底し、感染者が出た際には行動確認をする。ロックダウン(都市封鎖)ではなく、韓国式対策をしていれば、各国は経済的、人的にも被害を抑制できたろう。

と述べて、韓国の対策を高く評価しています。

残念ながら日本のマスコミは意地でも韓国の評価をしたくないかの如く、的確な現状を報告することは稀です。

さすがにマスコミですので、ネトウヨのように他国をコキ下ろして自己満足に陥るようなことはありませんが、正しく評価していないという点では五十歩百歩なのです。

いつになったら日本は真に変わることができるのでしょうか。東を見ては卑屈になり、西を見ては居丈高になる。そんな姿勢は明治以来、少しも変わっていません。

コロナ後の多極化した世界のもとで変化できる最後のチャンスが回ってくるかもしれません。

Korean-style measures

I ran this morning. As usual, I woke up at 5:00am with my alarm, got up and after getting ready, I went out the door. It was really only a little bit of rain at the time, so I started running, hoping that the weather would hold up for an hour or so.

However, about 20 minutes after I started running, it started to rain. The temperature wasn’t low, so I didn’t have to worry about catching a cold just because I was soaking wet, which made me feel better.

I ended up running 5.85km, a little shorter than my usual course, which brings my total for this month to 89.05km in 13 runs, bringing me to 10.94km with 5 days left to run 100km per month, which is just under 11km in 5 days, so I only need to run my usual course twice to achieve my goal. So far it’s going well.

Anyway, it’s been raining every day. I went to Takasaki from Friday to Saturday and it’s a shame I couldn’t see the mountains of Gunma under the blue sky, but it’s a luxury. It didn’t rain much and we enjoyed the drive and came back safely, so if we complain about it, we’ll be punished.

■By the way, there were a number of articles in this morning’s Tokyo Shimbun that caught my attention.

The first was an interview with the new corona. The first one is an interview with Mr. Haruo Ozaki, chairman of the Tokyo Medical Association. In response to a reporter’s question about his assessment of the government’s measures, Dr. Ozaki answered as follows

“It’s not that there’s anything wrong with the cluster measures (to find infected populations), but the spread of infection has reached its limits. South Korea’s countermeasures were functioning well, with mass testing and institutionalization working in tandem.

It’s not good for Japan to imitate the West but not learn from other Asian countries. We should have focused on expanding our inspection and hospitalization systems separately from the countermeasure teams for clusters.”

That’s what Chairman Ozaki is all about. In another column in this morning’s newspaper, “Living the Corona,” French economist and thinker Jacques Atari gave an interview. Among other things, he spoke highly of South Korea’s response.

He said: “South Korea took lessons from the 2015 Middle East Respiratory Syndrome (MERS) epidemic to strengthen its disease control headquarters and put in place a post-pandemic management system. This is a successful example of the measures taken.

Inspections to ascertain the actual status of infection and the wearing of masks were strictly enforced, and action was confirmed in the event of a case of infection. If we had taken the Korean-style measures instead of using lockdowns, we would have been able to limit the damage in terms of both economic and human resources,” .

The Japanese media rarely, if ever, accurately report on the current state of affairs, as if they don’t want to evaluate Korea at all.

Unfortunately, the Japanese media rarely report accurately on the current state of affairs, as if they do not want to give credit to South Korea.

As one would expect from the mass media, they don’t fall into the trap of self-congratulating other countries, as they do in the case of Nettoyo, but they are a hundred steps ahead of us in terms of not assessing the situation correctly.

When will Japan truly change? Looking to the east, we become obsequious, and looking to the west, we become stubborn. This attitude has not changed a bit since the Meiji era.

This may be Japan’s last chance to change in a post-Corona, multipolar world.

笑顔

■20200725(土曜日 雨)

宮崎県高千穂神社の境内です。

■今朝は7時に目覚ましを合わせて起きました。朝食は通常でしたら一階のフロアーで食べるのですが、コロナウイルス感染の問題から、おにぎりを持ち帰って部屋でも食べられるようになっていました。

でも一階のフロアーも、それほど客数はいませんでしたので、隅の方で2人で食べて問題はありませんでした。

午前中に顧客が一人来るということでTakuも事務所に出かけているという連絡が入りましたので、まずは事務所の方に行って駐車場でTakuに連絡を入れました。しかし仕事中で携帯に出られない、ということでしたので、11時前に事務所を離れ、Takuの家に向かいました。

近くのスーパーで昼ごはんの材料を買い込んで家に到着したのは11時15分頃でした。YukoさんとMasatoが迎えてくれました。Masatoは前回見た時よりも、ずっと大きくなって元気でした。それを見て安心しました。離乳食を一生懸命食べていました。あやすと笑顔も見せて本当に可愛い限りです。

12時半頃Takuも帰宅して、みんなで昼食をとりました。

本当に楽しいひと時を過ごすことができ、13時30分頃、帰宅の途に着きました。雨がぱらついてはいましたが大したこともなく本当に幸運でした。帰りはちょうど反対ですので、高崎インターチェンジから関越道、そして圏央道を経て海老名JCTまで行き、そこから東名高速道路で、愛鷹スマートインターチェンジまで、無事にたどり着きました。途中狭山パーキングエリアで休憩しました。昨日もここで休憩をとって高崎へ行きましたが、帰りも同様に休憩を取りました。

まだインプレッサの運転席に慣れていないためか腰が重くなってきて休みが必要でした。座席の位置や高さを色々調整して、なんとか自分に合う形がないか試行錯誤中です。Sunはプリウスよりずっと乗り心地が良いと言っていますが、私はまだ慣れていないようです。微調整が必要のようです。

ただ来る時にお店で教わったエンジンブレーキの調整の仕方が大変役に立ちました。高速道路でも殆どブレーキを踏むことなくエンジンブレーキだけで車間距離を上手に保つことができたのは大変楽でした。

家に無事着いたのが16時30分頃。さすがに疲れました。インプレッサに装備されている高速道路での自動運転装置をまだ使用していませんので、本当は今回よりもずっと楽にドライブができたはずなのですが、まだまだ不勉強で充分活かしきれていません。またビデオを見て勉強してみましょう。

家から高崎まで往復すると大体450キロでした。行く時に満タンにしていきましたので給油の心配はありませんでした。モニターを見ていると燃費が時々刻々と変わっていき、帰ってきた段階ではリッターあたり14キロ台になっていました。高速を飛ばしての後ですから、この辺が最高値なのかもしれません。

高崎で撮った写真を家に帰ってきて見直してみると、その中で一番鮮やかに、また良い笑顔が撮れていたSunとMasatoの写真を、スマホの新しい壁紙に設定しました。私が撮ったのですが、実に良いタイミングでシャッターが切れています。本当に良い写真です。

高崎観音

■20200724(金曜日:曇)

宮崎県高千穂神社です。

■今朝も走りました。いつも通り5時に目覚ましが鳴り、しばらくうとうとしてから起き出して、生ごみを所定の位置に運び、準備運動ののち走り出しました。今朝はいつものコースを6.31km走り、これで今月は12回のランで83.19kmを積み重ねました。月100キロ走まで、あと残り7日で16.80kmの地点まで来ました。

■今朝は走ったのち、早めに昼ご飯を済ませ12時少しすぎに家を出ました。群馬県高崎市までドライブするためです。孫のまさとに会うためです。

ところかいざ出発する段になって慌てました。ETCカードをインプレッサが認識できないことに気付いたのです。私のカードも、すんのカードもダメでした。困りました。愛鷹スマートICから東名に乗れません。

困った末にスバル沼津店に寄って、その場で直してもらおうと決めました。店に行って訳を話すと、店の方がこう話されました。

「裏表を反対に入れてみましたか?」

そうだったのです。正解はカードを裏返しに差し込む必要があったのです。納車の時に説明を受けたようにも思いましたが手遅れです。ついでにエンジンブレーキの切り替えの方法を教わりました。ハンドルの手元で段階的に強さの調整ができることを知りました。さすがはスバルです。

■さて愛鷹スマートICへ急ぎました。無事に東名に入り、海老名インターチェンジで圏央道に乗り替え、八王子、高尾を経て埼玉県に入りました。高崎に到着したのは東名に乗ってから2時間45分後でした。

まずはたくが務める法律事務所に向かいました。高崎観音のすぐ近くです。事務所に到着して駐車場に車を止めてホット一息です。記念写真を撮った後、高崎観音に向かいました。440円の有料駐車場に止めた頃からパラパラと雨が降り始めました。

たいへん驚いたのは、駐車場から観音様までの道すがら、廃屋のような廃業した土産物店が並んでいたことです。まさか新型コロナウイルスが原因とは思えませんでした。観音様に到着して原因が分かりました。

観音様により近い場所に新しい駐車場ができていたのです。それによって観光客の流れが全く変わってしまったのです。あまりの衰退ぶりに驚きましたが、理由が分かり納得しました。

駐車場から高崎市内を一望した後、宿へ向かいました。東横イン高崎駅西口店です。チェックインして部屋に入り、しばらくして夕食に向かいました。ネットで見つけた地元の居酒屋さんを予約しました。歩いて10分足らず。ところが到着してみると満席ですとのこと。致し方なく別の店を探しました。

ホテル近くにモンテローザ系の3店舗が軒を連ねていました。「目利き銀次」という新鮮な魚が売りの店でした。新鮮で美味しくて量も多く満足でした。いつものごとく二人で、ああでもないこうでもない、と話しながらあっという間に時が過ぎました。

ホテルに帰って、早めに休みました。ただし、すんは冷房が嫌だということでスイッチを切って休んだのですが、私は朝方体温が上がり動悸がして目が冷めました。今の私には、やはり体温管理が難しいようです。

アマチュアリズム

■20200723(木曜日:雨)

宮崎県高千穂神社境内です。

■今朝も走りました。5時の目覚ましと共に目が覚めましたが、起き出すのに十分ほどかかってしまいました。準備して玄関を出てスタート地点に向かうまでにパラパラと雨が降り始めました。

それでも、これまでの経験からこの天候であれば、本降りにはならないだろうと判断し準備運動もそこそこにスタートしました。今日もいつものコースを6.08km走り、今月は11回のランで残り8日で23.12kmのところまで来ました。あと4回いつもの距離を走れば目標を達成することができます。なんとかなりそうです。

昨日から蒸し暑い天候に変わりました。火曜日に新しい空調が無事に取り付けられましたので、水曜日からは蒸し暑い夜にも爽やかな空間をリビングでも満喫することができています。寝るときも昨年交換した空調のおかげで熟睡できているようです。それにしても、昨日から急に蒸し暑さが酷くなりました。

今日は海の日で休日です。土曜日も含めれば4連休となります。いつもの年でしたら、まさにミニ・ゴールデンウィークだったに違いありませんが、新型コロナウイルス感染が一段と勢いを増している今の状況では、とても喜んで旅行に出掛ける気分にはなりません。

しかも梅雨が長引き殆どの地域で鬱陶しい天候が続いている現状では、旅行に行こうという気にはなりません。私達夫婦も予定では九州に出かけて天草、高千穂峡、そして鹿児島空港から帰ってくる予定だったのですが、全てキャンセルしました。

友人に尋ねてみると皆さん予定は立てていたものの、キャンセルされた方が多いようです。ここ静岡では東京ほど新型コロナウイルスが蔓延しているわけではないので、こそこそ出かける必要もないのですが、やはり九州や北海道の方にしてみると、東京も神奈川も静岡も、あまり違っては見えないのかもしれません。天草の宿泊予定の民宿の方からは、あんまり来て欲しくない、という応対を受けたようです。

■さて本来でしたら明日のスポーツの日が、東京オリンピックの開会式となる予定でした。昨夜は録画してあった1964年東京オリンピックを記録した、市川崑監督の「東京オリンピック」の前半を観ました。

1964年当時、私は11歳ですから小学校5年生でしょうか。正直ほとんど覚えていません。例えば開会式の前日大雨で多くの方がてるてる坊主を作って翌日の晴天を祈った、というエピソードも知りませんでした。

記録映画で見る限り、まさに抜けるような秋の青空の下、開会式が行われました。古関裕而さん作曲の行進曲の下、世界中の人々が国立競技場を行進したその様子を見ると、やはり胸が熱くなり目が潤むのは日本人として当然でしょう。

あの映画から55年が経っています。オリンピックを取り巻く環境も大きく変わりました。分かりやすく言えばアマチュア主体の大会からスポンサー主体の大会に変わったと言えます。

昔は経済的に不自由のない人達が選手として参加していたのですが、それではスポーツを楽しみ、オリンピックに参加できる人数は限られてしまいます。

先日イギリスの映画「炎のランナー」を観ました。あれは1920年代のパリオリンピックを舞台にしていますが、ケンブリッジ大の学生が主人公になっています。その一人がプロのコーチについて指導を受けている事に対して、ケンブリッジ大学の役員が異議を唱える場面があります。スポーツ選手はアマチュアでなければならなかったのです。

今では考えられません。企業がスポンサーとして資金を提供し、選手たちがそれによって競技に打ち込める環境ができたことは良いことです。しかし何事も行き過ぎると弊害が出てくるものです。

オリンピックはいわば商業資本に乗っ取られたと言えなくもありません。アマチュアリズムが正しいわけでもありませんが、金まみれのオリンピックが良いわけでもありません。

オリンピックがもし今開会したとすれば、蒸し風呂のような天候の中で競技は行われます。選手たちにとって望ましい環境とは絶対に言えません。つまり選手たちのことは二の次なのです。マスコミは選手第一のようなことを言っていますが、現実的には選手達は単なる駒でしかありません。

冷戦終了後の近代国家が新自由主義者に乗っ取られたように、オリンピックもロサンゼルス大会以降、金まみれの商業主義者に乗っ取られたと言っても過言ではありません。

今一度、立ち止まって考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

■朝走り、休憩ののち早めの昼食を取ってからドライブに出かけました。7月20日に納車が済んだ、インプレッサ・スポーツを初めて運転したのです。いろいろな車に乗りましたがスバルの車は初めてです。

スバルの車を愛好する人達をスバリストと呼ぶそうですが、アメリカではスバルのSUVといわれるタイプは、とても人気があります。スバルはほとんどの売上をアメリカで稼いで会社を維持しているようなところがあります。

昨日はSunと2人で戸田まで運転しました。往復で50キロ超でしょうか。414号線を南下し、17号線から127号線に入り山を超えて、峠で右折し18号線で戸田に入ります。

途中にあった三津シーパラダイスはイルカのショーが有名ですが、昨夜の NHK テレビで生放送していました。沼津はラブライブサンシャインの舞台として大変有名になりましたが、舞台となった長井崎中学校は、このシーパラダイスの近くにあります。

以前Sunと二人で学校まで車で見学に行ったことがあります。途中オタクらしき2−3人の男連れのグループが歩道を歩いているのを見ましたが、皆さん熱狂的なファンのようです。

さて、初めてインプレッサを運転した印象は、とても軽快だったということです。戸田までの 127 号線は、かなりきつい登り道だったのですが、それでもアクセルを踏み込むということは、ほとんどありませんでした。

10年前のプリウスと比較しては可哀想なのですが、以前はあの程度の山道であれば、かなり踏み込まないと十分な走りができなかったのですが、スバルはそんなことはありませんでした。とても軽快な走りには、とても満足しました。

ただし下り坂に入った時にエンジンブレーキがあまり効きません。今までの車ですとドライブモードの下に L モードがあってエンジンブレーキを効かせたい時には、そちらに移動させていたのですが、インプレッサの場合そのLモードはありません。

つまりずっとDモードのままで走り続ける形になります。もちろんそれでもエンジン・ブレーキがかかるのですが、昨日の山道程度の下り勾配になると、やはりブレーキを何度も踏まないとスピードが出すぎて危ない状態になります。この辺は何かうまい方法があるかもしれませんので、ディーラーの方に確認してみようと思っています。ブレーキは、なるべく踏みたくありません。

Sunが乗っているスペーシアでは、L モードにするとかなり強くエンジンブレーキが効きますので、急な坂道でもブレーキを踏むことなく運転することができます。軽乗用車とは同列に話はできないのですが、なんとかうまい方法はないものか調べてみたいと思っています。

インプレッサ・スポーツは2000ccです。車の大きさも大きすぎず小さすぎず、とても可愛らしくて気に入っています。スバルと言えば、アイサイトです。つまり安全装置がとても先進的だということです。まだ使ったことはないのですが、乗っていて安心材料の一つです。

機能性衣料品

■20200722(水曜日:雨) Functional clothing

宮崎県高千穂峡です。

■今日は走ることができませんでした。いつもの通り5時に目覚ましを合わせて目が覚めたのですが、聞こえてきたのは雨の音でした。カーテンを開け外を見ると庭の木々にも、そして道路にも雨が打ち付けています。仕方ありません。もう目覚めてしまいましたので、寝室を出てリビングに降りていきました。目覚ましを掛け直して1時間ほどウトウトと横になっていました。今朝は走っていませんので、朝食はコーヒー一杯とシュークリーム一つでした。

■昨夜は沼津医師会の理事会がありました。2年任期ですので新しい執行部が決まり、理事会と共に終了後は記念写真を撮りました。前回撮ったのが2年前ですから、あっという間に2年が過ぎ去った訳です。

■昨夜は理事会に出席する前に、ららぽーと沼津に立ち寄りワークマンプラスで先日購入したズボンを受け取りました。裾直しを頼んであったのです。十日ほどかかりましたが、この辺りはさすがにユニクロのように一時間もかからないうちに出来上がるというわけにはいきません。

購入したズボンは 4 Dパンツというのでしょうか、伸縮性に優れ動きやすさが売りです。ナイロンとポリウレタンで出来ているようです。今こうして着用してみると、確かに圧迫感がありません。肌触りもさっぱりしていますし、少しサイズ的にピチピチのような気もしますが、仕事着にも遊び用としても充分使えそうです。

作業用の製品からスタートしたワークマンが、今や流行の最先端のような製品を次々と発売し、ネットで大変な話題になっています。値段も確かに安いのですが、ただ安いだけではもう消費者の心を掴むことはできません。プラスαがとても大切です。機能性がやはり鍵です。

ユニクロはその点で優等生です。ヒートテックに代表される、機能性食品でなく機能性衣料品とでも呼ぶべき商品開発に邁進しています。人はそのプラスアルファにお金を喜んで払うのです。メガネショップのジンズの社長さんが、インタビューに応じた中でユニクロの柳井会長の言葉を紹介していました。どうも経営者として指導を受けているようです。ただ安いだけではダメだ、ということを柳井会長は強調されていたようです。誠にその通りだと思います。

ユニクロは次から次に付加価値をつけた製品を開発しています。その開発力は、さすがに凄いものです。その昔は、ユニクロの製品を着ているのは些か恥ずかしいというか、少なくとも高級品ではありませんでしたので、人に進んで公言するような商品ではありませんでしたが、いつの日からそんなこともなくなりました。

ユニクロの製品を着ているから恥ずかしいなどと思う人は、もう誰もいません。ユニクロの商品企画力が、そうさせたのでしょう。これはどの業界でも目指すべき方向として、経営者は心に留めるべき点です。

■さて、昨日は延期された東京オリンピックまで1年ということで、国立競技場で世界へのメッセージショーが開かれたようです。あの池江璃花子選手が世界に向けてメッセージを発信しました。

白血病という思いもしない病に襲われ、本当に打ちのめされたと思いますが、そこから見事に立ち上がり練習を始めた彼女の言葉には、とても重いものがあります。

しかし、新聞の第1面は新型コロナ、国内感染最多922人とありますように、新型コロナウイルス感染は終息するどころか、むしろ爆発的に広がる可能性を示しています。

一年後とはいえ、いまのところオリンピックを開催するのは、かなり困難なことは国民の間での共通する認識となりつつあります。何が何でも開催したい関係者が藁にもすがる思いで池江璃花子選手に出演してもらったのでしょうが、彼女の素晴らしさをもってしても、不安を拭い去るのは難しそうです。

むしろ大会関係者の不純な思いというのが見え隠れして、選手第1の基本理念から遠く離れてしまっていることを、国民は見透かしているのではないでしょうか。

要するに私服を肥やすための利権の大会になってしまっているのです。本当に悲しいことです。政府の打ち出す理解不能な施策がことごとく、一部の人々の利権のための施策になっていることに国民は辟易としているのです。

Functional clothing

■I couldn’t run today. As usual, I woke up with the alarm set at 5 o’clock, but what I heard was the sound of rain. Opening the curtains and looking out, it is raining on the trees in the garden and on the road. There is no way. I was already awake, so I left the bedroom and went down to the living room. I set the alarm clock one hour later and lay down with my sleep. I didn’t run this morning, so I had a cup of coffee and a cream puff for breakfast.

■ Last night there was a board of directors of the Numazu Medical Association. Since it was a two-year term, a new executive department was decided, and a commemorative photo was taken with the board after the end. The last time I shot it was two years ago, so two years passed by in no time.

Last night, before attending the board meeting, I dropped in at LaLaport Numazu and received the pants I bought the other day at Workman Plus. I asked for a hemming. It took about 10 days, but it can’t be completed in less than an hour like Uniqlo.

The pants I bought are called 4D pants. It has excellent elasticity and is easy to move. It seems to be made of nylon and polyurethane. Now when I try to wear it like this, there is certainly no pressure. It feels good on the skin and feels like it’s a bit small in size, but it seems to be usable as work clothes or for play.

Workman, who started from working products, has released a series of cutting-edge products that are now in fashion, and has become a hot topic online. The price is certainly cheap, but it is no longer enough to win the hearts of consumers. Plus α is very important. Functionality is still the key.

Uniqlo is an honor student in that respect. Uniqlo is working hard to develop products that should be called functional clothing, not functional foods, such as HEATTECH. People are willing to pay for that plus alpha. In the interview, the president of the glasses shop Jins introduced the words of Chairman Yanai of UNIQLO. As a manager, he seems to be receiving guidance. It seems that Chairman Yanai emphasized that just being cheap is not enough. I think that is true.

UNIQLO develops products with added value one after another. Its development power is truly amazing. In the old days, wearing UNIQLO products was a bit embarrassing, or at least not proud. It wasn’t a product that people would be willing to profess, but it has disappeared from some day.

Nobody else feels embarrassed because they are wearing UNIQLO products. The product planning capabilities of UNIQLO may have made that possible. This is the direction that managers should keep in mind as the direction to be pursued in any industry.

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