■20220518(水曜日:晴れ)
■今朝も走りました。昨日に続いて連日のランニングです。こんなことは本当に久しぶりです。避難生活も少し軌道に乗ってきましたので、時間の管理ができるようになってきました。
今朝は40分36秒、6.07kmを走り、これで今月は4回のランで23.70kmを積み重ね、目標の88キロまでは、残り13日で64.30kmとなりました。
2日続けて走った記録を探してみると、なんと前回は昨年の9月に3日続けて走ったのが最後でした。体調を崩してからは、臆病になったのか、慎重になったのか、とにかく続けて走ることは避けてきました。
しかし今日、今朝は天気も爽やかで、体調も良かったのでしょう、すんなりと起き出して走ることができました。それにまとめて長い距離を走ることはやめました、とにかく6キロでいいからゆっくりと走ろうと決めれば、精神的にもそれほど負担にはなりません。とりあえず、このペースで続けていこうと思っています。
■さて、今朝の東京新聞文化面には、亡くなられたサッカー日本代表元監督のイビツァ・オシムさんについて書かれています。ノンフィクションライターの木村元彦さん「オシムさんを悼む 民族差別に厳しい視線」。
私も木村さんが書かれた「オシムの言葉」を読みました。その中の、この言葉を紹介しています。
言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。
これはオシムさんの体験から出てきた言葉だ、と木村さんは書かれています。1990年代のユーゴスラビア紛争の端緒は、各民族の政治家によってナショナリズムがあおられたことで始まったのですが、サッカーがそれに利用されたのです。オシム監督はそうした経験から、このような言葉を語られているのです。
ウクライナでの紛争を報道している内容を聞いていると、果たして専門家と呼ばれる人々が、きちんとした分析をされているのかどうか、とても疑問に思われると共に、テレビ報道の内容が、いかにも浅薄であることにただただ驚くばかりです。