2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2024年2月 Page 1 of 3

実りある老後

■20240229(木曜日:晴れ)月間100キロ走達成

昨年11月に出掛けた富良野平野です。早朝には、もう霜が降りていました。

■うるう年の今年は、2月も29日あります。今日は最後のチャンスですので、午後からフィットネスクラブに行って最後の10キロを走り、目標の月100キロ走を2ヶ月ぶりに達成する予定です。

左足甲の痛みのために、また2月4日に横浜でマラソン大会に出場予定でしたので、1月後半は安静に努めて無理をしませんでした。そのおかげで、横浜大会も、雨と寒さの中、無事に完走でき、ほっとしました。

今年最初の大会でつまずくと、まさに出鼻を挫かれてしまいます。1年間ダメージが続きそうでした。無理をせずに正解でした。おかげで、今月は順調に積み重ねができて、日数の少ない月にも関わらず、目標達成ができそうです。

筋トレのおかげか、走り方を工夫したおかげかは分かりませんが、無理をせずに、それほど苦しく感じること無く、1時間走り続けることができるようになったのは、自分なりに大きな進歩です。

地面の上でなく、ランニング・マシーン上での走り込みですので、爽快感という点では物足りないのですが、贅沢を言っても切りがありません。雨が降ろうが風が吹こうが、どんな天候でも時間帯に関係なく走ることができるのは、フィットネスクラブの有難みです。

■今週は25日、26日と連続して、1時間走(LSD)を行いましたが、自分自身驚いたのは、走った後の夕食の内容でした。今までですとLSDの後は、それなりに消耗していますから、軽めの食事を身体は求めるのですが、今回は通常の量にプラス、少し大きめの鳥の手羽先を食べたのです。

走り終わって、なぜか無性に肉が食べたくなりました。たぶん胃腸の調子がとても良いのでしょう。食事の量が最近、少し増えたように思います。すべて、温野菜のおかげと自分では信じています。温野菜を毎朝摂り始めて、ちょうど1年が経ちました。

たまたまかも知れませんが、時を合わせて、気力も体力も目に見えて回復しています。2年前からの低空飛行状態から、ようやく脱しつつあります。駅前の広場に立って、「皆さん、体調の優れない方は、温野菜を毎日摂りましょう」と叫びたい気持ちです。

とにかく、調子が良いのですから、今の生活パターンを続けるのが正解です。また状況が変われば、その時になって考えれば良いだけの話。そうして、試行錯誤しながら、工夫しながら日々過ごしていくのが、実りある老後の過ごし方に違いありません。

腸活

■20240228(水曜日:晴れ)

9年前の我が家の河津桜。「年年歳歳花相似たり」
の言葉通りです。

■今朝も青空いっぱいの朝です。昨日も今日も、青空いっぱいなのですが、花粉もいっぱいです。花粉症で苦しんでいる人が溢れています。日本人の40%が花粉症だ、という報道がなされていました。

ネットで調べても、花粉症の増加のはっきりした原因は不明のようです。中には、腸内細菌叢の変化というものまでありました。たぶん食生活の変化、接種する食品の変化が影響している可能性は大だと思っています。

最近では、アレルギー疾患の多発に対して、衛生仮説・旧友仮説という考え方が優勢になってきているようです。免疫細胞の7割が存在する腸内環境の影響がとても大きいという指摘は、素直に納得できそうです。

■10年前には、私もひどい花粉症で、仕事をしながらティシュペーパーでは間に合わずに、タオルで鼻をかんでいました。また、寝室に花粉除去機を設置しないと、鼻水で安眠できないほどでした。ところが、ここ数年は、たいして苦しむことが無くなりました。

年齢のためかも知れません。原因はよく分かりません。楽なことだけは確かです。

■毎朝の温野菜摂取を初めて、一年が経ちました。昨年の2月6日がスタートでした。体調が良くなっているのは間違いありません。気力の回復も実感しています。一時の落ち込みが嘘のようです。

とにかく、信じて腸活を続けていくしかありません。

結婚記念日

■20240227(火曜日:晴れ)42回目の結婚記念日

昨年2月26日の富士山です。
今年はさらに真っ白な頂きです。

■さて今日は、1982年に結婚式を挙げて以来ですから、42回目の結婚記念日です。よくもまぁ、42年も続いたものです。亡くなった両親とは、自分自身は19年間しか同居しませんでしたから、連れ合いとの生活のほうが、倍以上となっています。

マイクロ・ソフトのビル・ゲイツ氏が、パソコン業界を二人三脚で支配してきたインテル社を、「たまたま列車で隣の席に座っただけ」といった趣旨の発言をしていました。

夫婦もそれに似ていると、つくづく私は思います。人生という列車の、本当にたまたま隣の席に座ったことから、それからの人生を共に歩み始めた、というのが実態です。それなりに波乱万丈でしたが、楽しい42年間でした。

こうなったら、終着駅まで乗り続けるしかありません。

■さて昨年、古希を迎えて仕事量を減らしました。1979年に社会人になって以来、週休二日での仕事をしたことが無かったのです。もちろん国民の休日の関係で、月曜日もお休みなることが、あるいは、土曜日が休日になることで連休にはなっていました。

しかし、それは例外です。そして連休を経験してみると、何と有り難いことか、身に沁みて感じます。日曜日には、なにか行事が入るか、自分で予定を組みますから、まるまる一日自由に使える機会など、本当に数少ないのです。

今年に入ってから、月曜日を休日としました。土曜日は忙しいので、無理でした。ということで、久しぶりの青空のもと、昨日は午前中9時半に家を出て、ゴルフ練習場に出かけました。月曜日なのに、思ったよりも混んでいてびっくりしました。10時から2時間練習し、家に帰ってきて昼食をとり、温野菜を作って休憩です。

さて、今月はあと4日しかないので、100キロ走までの残り20キロを、頑張って走るかどうか迷ったのですが、思い切ってフィットネスクラブに出かけた。

16時から1時間3分48秒、10.49kmを走り、これで今月は9回のランで90.53kmを積み重ね、残り3日で9.47kmとなりました。何とか目標を達成できそうな地点まで、たどり着けました。昨日に引き続いての10キロ走なので、最初は走れるかどうか不安だったのですが、走り始めてみると有酸素運動の範囲内で、十分走ることができたことに自分ながら驚きました。

午前中にゴルフの練習場で2時間ボールを打ち続けたあとで、今度は午後から10キロのLSDですから、以前ならば考えられないようなスケジュールをこなすことができたことに、これまた驚きました。

届けてくれてあった給食の昼の弁当が残っていたので、夕食は、それを食べた上に、鳥の手羽先を解凍して食べた自分の食欲に、これまた驚きました。温野菜のおかげで消化機能が、とても良好なのでしょう。あまりの食欲に、これも驚くばかりでした。

何もかにもが温野菜のおかげだとは思いませんが、本当に以前とは比較にならないほど、体力が戻り気力も伴っています。

好事魔多しと言いますから、調子に乗らないことが大切です。無理をせずに、休む時はしっかり休まなければダメです。

夢のハワイ

■(月曜日:晴れ)

昨年3月5日の名古屋城の梅林です。

■今朝は久しぶりの青空です。昨日は終日雨でしたので、その青さは格別です。

昨日は、午前中にフィットネスクラブに行き、1時間2分46秒、10.30kmを走り、これで今月は8回のランで、80.04kmを積み重ねました。残り4日で19.96キロメートルのところまで来ました。

うるう年とは言っても、2月ですから、通常の31日の月と比べると、2日短いので最後の追い込みが大変です。

昨日は、1時間走り込みましたが、それほど苦しくなることも無く、走り続けることができました。こうして積み重ねていくと、少しずつ力がついていくようです。

昼には、Nonちゃんもやってきて一緒に昼食をとることができました。よもやま話に花が咲きましたが、なかなか会うことは難しいのですが、話していると楽しい時間が過ぎていきます。

もうすぐ2ヶ月が終わってしまいます。1年の6分の一が過ぎてしまうのです。本当にあっという間です。一日一日を大切に生きるしかありません。

■さて以下の記事を読むと、日本は自分が若かった時に、まるで逆戻りしているように感じます。

★ハワイやグアムが「高根の花」に
…日本経済の衰退で「国内旅行がやっと」になった日本人

諸外国の物価が日本に比べて高いことは、テレビでも放映されています。記事の中にもある通り、身の回りの物価が上がっていると言っても、まさに桁違いの上昇ぶりです。

私が子どもの頃は、クイズ番組で優勝すると「夢のハワイ」へ旅行に行けました。私が初めてハワイを訪れたのは、1995年のことです。ネット調べてみると、

1995年4月19日、ドル円は1ドル79.75円を記録しました。これは1973年に変動相場制が導入されて以来の円の最高値でした。

現在1ドル=150円程ですから、80円で買えたものが、今では150円出さないと買えない、ということです。逆に米ドルを1ドル持っていれば、同じ1ドルで、日本に来れば倍近い量の買い物が可能です。安い日本の再来です。

まだまだ、日本製品の品質は高いとは言っても、安かろう悪かろに向かっているのは間違いありません。賃金が上がっていないので、殆どの日本人が30年前に比較して、貧しくなっているのです。

その原因を、その多くの日本人が自分が頑張っていないからだ、と誤解している点が、一番の問題点なのです。なぜなら、そう考えている限り、自分たちがまともな生活ができる環境は、永遠にやって来ないからです。

経済政策が間違えているのです。間違った治療法を選択しながら、回復しないのは患者の努力が足りない、と医者が言っているようなものです。有権者が一刻も早く、その点に気付かない限り、まだまだ下り坂は続きそうです。

凡人の知恵

■20240225(日曜日:雨)

昨年3月に受けた人間ドックの個室です。
コロナ禍で外出禁止でした。

■今朝も雨の朝です。とても静かで、心穏やかな時間が過ぎていきます。今朝は、いつもより1時間、目覚ましを遅くしました。半で押したように、6時に合わせて起きていたのですが、日曜日だけは特別でも、バチは当たらないでしょう。

せっかちというか、落ち着かないというか、勝手に言えば勤勉なのでしょう。じっとしていると、時間がもったいないと感じて、落ち着きません。テレビのバラエティー番組を観ていると、本当に時間を無駄に過ごしていると、腹が立つほどです。

高齢者と話していると、今日は一日中テレビを観ていた、と話す方が結構います。自分もあと10年したら、そうなるかも知れません。テレビは一方的ですから、ただただ情報を受け取るだけです。

こうして毎日ブログを綴っていて、何の意味があるのか疑問に思うことも、もちろんあります。ただ経験的に、こうして乏しい脳細胞から言葉を絞り出す作業を繰り返していると、いざという時に役に立つことを実感しています。

つまりは、言葉に詰まってしまう状況で、ピンチを切り抜けられるのです。挨拶をしなければいけない場面、会合などで議事進行を円滑に進めなければならない時など、社会の中で生きていくには、言葉はいわばエンジンオイルのようなものです。

■自分が、とっさの判断力に乏しいことは、中学生の頃から身にしみていました。こんな事がありました。

中学生の頃、なぜか廊下に消火器が泡を立てながら転がっていたのです。誰かが誤って、蹴飛ばしてしまったのかも知れません。何人かが呆然と眺めていました。たまたま通りかかった私は、なんとかして泡の噴出を止めようと、その場で色々試みたのですが、どうにもなりません。

そこへ同学年のK君が通りかかって、その消火器を窓の外へ放りだしたのです。つまり、泡の噴出をその場で止めようとするのではなく、外へ出すことで、廊下への泡の散乱を見事に食い止めたのです。

私は、本当にびっくりしました。そんな解決方法があったことに、驚いたのです。同時に、K君が輝いて見えました。とっさに、そんな解決策を思いつき実行できる、その能力に羨望を感じました。そして、とても自分が惨めでした。

そんな経験は誰にでも、一度や二度はあるかも知れません。まさにコロンブスの卵なのですが、思い付かなかったのです。とっさの機転、あるいは瞬発力に私は乏しいのです。

ですから、十分な準備をすることが自分には必要だと、身にしみて心に刻んできました。繰り返して準備をしていく中で、少しは機転も利くようになったかも知れません。

これからも惨めな思いをするでしょうが、それはそれで前向きに考えて行くしかありません。それこそが、凡人の生き抜く知恵です。

危ない、危ない

■20240224(土曜日:晴れ)

昨年3月6日に、人間ドックの病室から見た、
大学のグラウンドです。

■今朝は、久しぶりの青空です。ここのところ雨雲ばかりでした。最高気温も10度に届かず、真冬並みのところもありました。

昨日は休日当番日でしたが、あの雨と寒さでは、ついでに診てもらおうという人は、あまりいませんでした。余った時間で、皆さんへの御礼のメールなどを書くことができました。

夕食後は、久しぶりに筋トレに出掛けましたが、いつもの半分ほどで切り上げました。2日前の夜は懇親会もあり、いつもより睡眠時間が2時間ほど短かったので、早めに寝て疲れを取ることを優先しました。

そのおかげか、昨夜の睡眠は「84点。91%のユーザーより上」というのが、睡眠診断アプリのお告げです。合計睡眠時間は7時間13分でした。2回、目が覚めているのが、減点対象です。致し方ありません。

■さて、いつもの知恵袋「田中宇の国際ニュース解説」です。今回は期待していた取りでした。テレビでは、プーチン大統領への疑惑と非難で溢れています。

★田中宇:ナワリヌイ死去の裏読み
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年2月22日

ウクライナに関する報道も、NHKを筆頭に、田中さんが指摘される一方的な内容が、垂れ流されています。誰かの指示に従って、そうしているかのごとくです。

日本のマスコミは、自分の頭で考えて報道していることは、ほとんどありませんから、もう慣れましたが、世界的にみても同様のことが起こっているようです。

そんなマスコミの報道を鵜呑みにして、正義漢ぶっている人が多いことに、大変驚きます。学歴も高く、社会的にも認められた地位にある人々、特にリベラルであることに誇りを持っている人々に、こうした傾向が強いようです。

トランプ前大統領やプーチン大統領に対する嫌悪感を、露わにする人々です。そうした人々は、この二人とは異なり自分は、自由・平等・博愛に溢れた立派な人間なんだ、と叫んでいるように見えます。

椿三十郎の言葉通り、「危ない、危ない」です。正義感に溢れているように見える人間ほど、危ないものはないのです。そのことが、よく分かったという意味では、新型コロナウイルスやウクライナ紛争は、とても教訓に溢れていました。

これからも、田中宇さんの分析を注視していく予定です。

嵐の後

■20240223(金曜日:雨)天皇誕生日

昨年3月に、子ども達が準備してくれた、
VIP用の人間ドック食です。

■今日は、めでたい天皇誕生日ですが、生憎の雨模様です。そして私は、休日当番日として、一日籠の鳥です。

昨日は、午後からフィットネスクラブに行って走り、49分54秒、7.77 キロを積み重ね、今月は合計7回のランで、69.74 キロとなりました。あと30キロで目標達成です。なんとかなりそうです。

昨夜は東部眼科医会長として、最後のお仕事でした。4月からは後任の先生にバトンタッチです。長い6年間でした。最初は訳も分からず、本当に五里霧中でしたが、なんとか無事に役割を終えることができ、ホッとしています。

ちょうどコロナ禍でしたので、今までとは違った対応が求められ、あたふたした事もあったのですが、もう遠い昔のような気もします。

昨夜は、講演の後に久しぶりに懇親会も開催し、多くの先生方と直接顔を合わせることができたのは、嵐が過ぎ去ったことを実感できた一時でした。

■さて、もう仕事の時間です。8時から17時までぶっ通しですので、無事に終わることを祈るのみです。

順番

■20240222(木曜日:雨)

昨年3月5日に、Ayaちゃん、そしてBenと
一緒に食べた名古屋の「ひつまぶし」です。

■今朝も雨です。昨日は、いつもと順番を入れ替えて、早朝に筋トレをし、夕食後にランニングをしてみました。昨夜は33分47秒、5.54kmを走り、これで今月は6回のランで、61.97kmを積み重ねました。目標の月100キロ走までは、残り7日で、38.03km残しています。

昨夜は8時前にフィットネスクラブに到着したのですが、ランニングマシーンがすっかり塞がっていました。新型のガッチリ系のランニングマシーンは4台あるのですが、4台とも使用されていて、昨夜は古いタイプのランニングマシーンで走りました。

作りがチャチなのか、足を運ぶごとに液晶モニターが、ガタガタと音を立てることには、少しイラつきました。それでも、時速7キロから始めて順調に30分間、特に苦しく感じることもなく、走ることができたのは大きな成果です。最後の5分間は時速8キロに、スピードを上げて走りました。

この程度の速度で30分走ることは、毎晩でも実行可能なようにすら感じました。天から頭を引っ張り上げられているイメージというか、骨盤を後ろ上方に引っ張り上げているようなイメージで走ると、足がスムーズに出るようです。前傾姿勢が、きちんと保たれるためでしょうか。

ランニングフォームが以前よりも改善されたおかげで、楽に走れているようです。走ることが以前よりも楽になってくると、さらにまた走りたくなるから不思議です。良い循環に入っているのかもしれません。

■筋トレとランニングの順番を変えて、睡眠がどうなったかというと、合計睡眠時間は、7時間39分、総合点は83点で、「87%のユーザーより上」とはスマホの睡眠アプリの診断です。

3回目が覚めましたが、睡眠の質は良好です、との判定です。自分でも、熟睡感がありました。この方が、より良い睡眠になりそうな気がします。しばらく、この順番で続けてみましょう。

そして、なんとか月100キロ走も達成したいものです。

退職

■20240221(水曜日:曇)

天草・カトリック崎津教会裏の入り江です。

■今朝は冷えました。そのためか、5時前に目が覚めました。そのまま、もう一度眠っても良かったのですが、冷えたためか少し動悸がするのです。そこで、起き出してフィットネスクラブに行って筋トレをしました。

外へ出てみると、小雨がぱらついています。傘を持って出掛けました。早朝にフィットネスクラブに出掛けるのは、本当に久しぶりです。最近は、夜ばかりでした。以前、会話を交わした早朝常連さんの青年が、声を掛けてくれました。「最近、来ませんでしたね」。

そう言われてみて、そうだったな、と気付きました。最近は、6時に起きるのが常態化しています。以前のように、5時前に起き出して、走るということは無くなりました。

それが良いことなのか、そうでないのかは分かりません。どのように、一日の時間割を組むのが、自分の今の体にとって良いのかは、試行錯誤するしかなさそうです。

今夜からは、夕食後にランニングを30分して、風呂に入って休む計画です。それで熟睡できると良いのですが。

■さて以下の記事は、会社勤めをしたことのない私には、実感として理解できませんが、友人たちを見ていると、切実なのだろうと想像できます。

【定年後の歩き方】「定年になると、思った以上にやることがない」
元営業のエースの酒びたりの日々、食道がん発覚で見えた第二の人生
~その1~

主人公は、60歳で退職しています。私の父もそうでした。2019(令和元)年の健康寿命は男性72.68歳、女性75.38歳ですし、日本人男性の平均寿命は81.05歳です。

つまり、60歳で定年退職すると、あと12年間は仕事無しで、元気な毎日を送る必要に迫られます。これは結構きつそうです。無為に過ごすには、24時間は長すぎるのです。

自分自身の60歳の時には、まだ子ども達は自立していませんでしたから、働き続けるしかありませんでした。最後の一人が仕事について自立したのが6年前でしたから、64歳だったその時が私にとっての一回目の退職チャンスでした。

独立事業主ですから、止めようと思えば、いつでも可能ではあるものの、その後の自分と従業員の生活を勘案すると、まだまだ時期尚早です。いわゆる、ソフトランディングが賢明そうです。

悩ましい課題です。

身体との対話

■20240220(火曜日:曇)

地域の公園です。子ども達が小さい頃は、
子ども会活動など、様々な活動を行いました。

■昨日は一時間のLSD ( Long Slow Distance ) を行いましたが、そのおかげか、今朝はよく眠れました。途中、目が覚めたのは、一度だけでした。スマホの睡眠診断アプリによれば、合計睡眠時間は5時間40分、総合点数は74点、33%のユーザーより上、とのことですが、実感としては熟睡感がありました。

途中の目覚めが1度だけだったのが、やはり大きく貢献しています。途中覚醒を減らすために、ということもあって、フィットネスクラブに行き始めたのですが、大村崑さんのCMのように、筋トレで一度も途中覚醒が無くなった、とはなっていません。

夕食後に今は、筋トレをしていますが、それをランニングにして、筋トレは他の時間帯に回したほうが、睡眠の質を上げることができるかも知れません。その場合は、走る時間を30分程度にして、睡眠の状態をまず確認するのが良さそうです。

■2月18日(日曜日)に、この冬初めて、寝ている間の空調を使用しませんでした。朝方の冷え込みによる、室温の変動に自律神経が対応できずに、ここ数年間、動悸に苦しんできました。

いろいろ循環器系統の検査を受けたのですが、問題はありませんでした。つまり原因は分からずじまいだったのです。ある時、寝ている間も空調を掛けて、室温を一定にしてみたらどうだろう、と気付きました。ピンポン、でした。

動悸が嘘のように出なくなりました。夏の間と冬の間では、もちろん設定温度は違います。冬の間は、設定できる最低温度の16度。夏の間は、28度です。

空調使用前の冬には、体温調節機能の衰えから、今の室温は、一体寒いのか暑いのかが、判断できない時があったのです。寒いと感じて掛け布団を一枚増やしてみると、今度は暑くて眠れず一枚減らす、ということを繰り返していました。

5年前頃からでしょうか、そんな症状に苦しみ始めました。熟睡できないのです。睡眠の質が落ちると、体調には大きな影響が出ます。

何はともあれ、睡眠、食事、そして適切な運動が、健康維持のためには、必須事項のようです。これからも自分の体と、常に対話をしながら、旅立つまで、その変化を見つめていくつもりです。

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