カテゴリー: ゴルフ Page 1 of 5

薄利多売社会

■20190609(日曜日:雨)

 

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千歳マラソンスタート前の軍楽隊の演奏です。

 

■オーストラリアを訪問してみて驚くことは、いくつかありましたが、その一つが社会のあり方の違いです。人々は、あくせくしていません。たまたま接したした人々が、あくせくしていないだけかもしれません。その可能性は十分あります。しかし、そうだとはしても、生活の質の違いを痛感する場面が多かったのは事実です。

 

決して身に付けるものが高価なわけではありません。車も長く使い続けているものばかり。食事は質素というべきか、素っ気ないというべきか、日本の基準から見ると、手を抜いているとすら感じられるほどです。それでも彼ら、彼女たちは生活を楽しんでいるように見えます。

 

物価が高いので、贅沢はできないのかもしれません。500円以下で、ちょっと食事とはいきません。日本のように300円だ、400円だという値段で、牛丼が食べることはできないようです。最低賃金は、昨年から1300円超。日本から見ると50%増しほどです。雇用する方からすれば、大変です。

 

人々は老後の心配を、あまり深刻にしているようには見えません。気付かないだけかもしれません。日本でのように、全ては老後の心配ばかり、という雰囲気でもなさそうです。人並みに生き続けたければ、夫婦二人して、年金以外に2,000万円準備しろ、という金融庁の国民への警告などは、オーストラリアでは発せられていないようです。

 

老後の心配が無い国など無いはずですが、社会制度の違いや国民性の違いが、その落差を生んでいるのでしょうか。

 

他者とともに在れ

■20190519(日曜日:晴れ)

 

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Melbourne市内の交差点です。信号無しで、上手に対応しています。信号より、むしろ安全なのかもしれません。

 

■今日は新沼津カントリークラブ B クラスの月例です。最近は同じメンバーで競技に参加しています。久松さん、篠崎さん、そして今日は植松さんが都合で出られませんでしたので、3人でのプレイでした。雨も心配されたのですが、曇り空だったものの、幸い雨が降ることはなく、むしろ暑くなくてプレイをするにはちょうど良い気候でした。クラブヘッドの動きを少し理解できたおかげで、前回からはめちゃめちゃ酷いスコアを出すことはなくなりました。今日も OB は一度もなかったものの、 パーを取ることがなかなかできずに、 結局前半52回、後半は47回、合計99回で、なんとか100回を切ることはできたものの、とても満足できるスコアとは言えませんでした。 少しずつ改善されてはいるものの、フォームがしっかり自分のものになっていませんので、 今のままでは良いスコアは、出そうにありません。毎日の素振りを欠かさずに行い、ホームをしっかり自分のものにすることが、今一番しなければならないことのようです。

 

■さて今日の東京新聞「時代を読む」欄では、関西学院大学准教授・木戸理恵さんが「上野祝辞の意図」と題して書かれています。女性学・ジェンダー研究で知られる上野千鶴子さんの東京大学での祝辞が話題となりました。
祝辞ではスタートラインの不平等に触れ「頑張れば報われる」と思えるのが実は特権的なことだと説かれた。「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を〈中略〉助けるために使ってください」。

この部分は「高貴な義務」すなわち「特権的な立場の人には奉仕の義務がある」とする貴族的な思想と解釈され、注目を集めました。しかし木戸さんは、これを高貴な義務を果たす支配者のすすめとして受け取ることはできない、そこには能力主義批判が語られていると書かれています。

木戸さんは、

 

能力主義は、人を単体で見て「できる・できない」を決める。「できる」とされた人は優位な立場を「頑張ったから当然だ」と考え「できない」とされた人は劣位の位置を「自己責任」と引き受けさせられる。それは「誰の助けも借りない自力だけの勝負」をさせることで個々人を切り離す、孤独な主張である。しかも実際には、機会の平等はたてまえに過ぎず、様々な不平等があることが分かっている。

「つながりの中で生きたい」というニーズに、一人では生きられない弱者は気づきやすい。だが強者はどうか。「自分は勝ち組」という意識は、弱い他者への共感や連帯の感覚を鈍らせ、果ては自分の中にもあるかもしれない弱さへの想像力をも奪っていく。それは孤独ではないか。

 

そのように考えれば、受け取りたいのは「高貴な義務のすすめ」というより「他者とともに在れ」というメッセージである、と木戸さんは指摘しています。

 

新自由主義全盛の昨今ですが、その主義の目指すところは、まさに個人個人をバラバラにし孤独に陥れ、分割支配を容易にすることではないか、と私には思えます。支配者にとって最も恐ろしいのが、連帯であることは、 歴史を通じての不変の真理ではないでしょうか。

 

連休の終わり

■20190506(月曜日:曇)

メルボルンの夜明けです。
メルボルンの夜明けです。

■さて長かった10連休も今日で終わりです。 長い人では4月27日の土曜日から休みに入っていますが、私は4月28日の日曜日からの連休になりました。今年の連休の最大の出来事は、何と言ってもあやちゃんの結婚式でした。昨年はたくの結婚式が7月にあり、まだまだ先だ先だと思っていたら、あっという間に結婚式がやってきました。とにかく暑い夏でしたが、つい昨日のことのように思い出されます。

ところが今度はあやちゃんの結婚式が5月の連休に行われると連絡があり、これもまだまだ先だと思っていたのに、あっという間にその日が来てしまいました。ベンとは昨年の1月のメルボルン訪問、そしてたくの結婚式と2回会っていましたので、おおよその人柄は掴めていたのですが、やはり娘の連れ合いとなると見方も変わってきます。ただ会うたびに彼の真面目さと言うか、きちんとした人柄が感じられるので、 あとは信じて二人の幸せな未来を願うしか、親としてはできることはありません。あやちゃんにとっては、オーストラリアでベンと暮らすのが、一番幸せなことに違いないと思えてきました。

オーストラリアという社会が日本とどのように違うのかは、もちろん私には詳しく知りようもありません。 ただ私の感じた違いは、その気候の違いととても似ているように思われたのです。多分オーストラリア全体がそうなのでしょうが、メルボルンではとても乾燥しています。メルボルンから電車で1時間ほどのところにあるジーロングに住むジョーンズさんにお話を聞くと、オーストラリアでは自然災害といえば、落雷による火災だというのです。カリフォルニア当たりであれば、山火事となるのでしょうが、オーストラリアには山らしい山はありません。せいぜい小高い丘程度のものなのです。テレビで見るアフリカの草原に迷い込んだのではないかとすら感じてしまうのです。見渡す限り草原、ブッシュというのでしょうか、雷によってそこに火がついてしまうのです。日本では雷といえば、当然雨がつきものです。夏にしろ冬にしろ、雷といえば雨です。 ところがここオーストラリアでは、雷といえば火事なのです。 日本と比較すると、ほとんど湿気がないようなものなのです。ですから夏に気温が40°を超えたとしても、日陰に入れば、そよかぜさえ吹けばとても涼しく感じるようです。真夏でも風によっては寒くて海に入れない日もある、と添乗員の方がおっしゃっていました。

多分人間関係の違いも、この湿度の違いに似ているところがあるように私は思うのです。 それぞれが意識として独立し、他者に対してあまり干渉したり、妙につるんだりすることもないのではないでしょうか。日本ではどうしても、同調することを強制される、という雰囲気があります。自分はそうは思わなくても、なんとなく雰囲気と言うか、周囲の空気がそのように同調することを強いるのです。そうした同調をあまり気にならない人にとっては、日本は住みやすい国かもしれません。しかしながらそうした空気に合わせることが精神的にとても苦痛な人が当然いてもおかしくありません。そうした人たちにとっては、日本という社会は、とても住みにくいと私には思われるのです。

他者へのこうした暗黙の強制といったものが、良い方向へ働くことも、もちろん多々あるのですが、一旦誤った方向へ進め始めた時に、 その方向はおかしいと声を上げたり、矯正しようとする試みには、とても大きな壁が横たわっているように感じます。 戦後生まれ変わったかに見える日本ですが、諫早湾の干拓事業や、辺野古湾の埋め立て事業などを思う時、 この国はおかしな方向だと薄々感じてはいながらも、後戻りすることがとても苦手な国だということを痛感するのです。 一旦走り出した方向を止めることができるのは、未だに玉砕しか無いとすら感じるのです。新しい時代である令和に入っても、正直私は、この国の未来にとても暗いものを感じざるを得ないのです。この国にまず必要なのは経済改革ではなくて、精神的なカウンセリングではないかとすら私に思えます。

悲しいまでに凡庸

■20190424(水曜日:曇後雨)

京都の東寺の様子です。
京都の東寺の様子です。

■今日は初めての会議への出席でした。新沼津カントリークラブ2019年4月度理事・分科委員会です。今年から競技委員を仰せつかり、2月の月例から競技委員を務めていましたが、 本年最初の理事・分科委員会に初めて出席させていただきました。 ゴルフクラブの運営に関して、メンバーの中からボランティアを募り、より良いクラブとなるように皆さんが知恵を出し合うのです。今まで全く知らない世界でした。コースの整備計画に始まり、ローカルルールの作成、あるいはプレイヤーの服装基準に至るまで、誇りの持てる、品位のあるクラブとするためには、 様々な手間暇が必要になるのです。 仲間に加えていただいたことを大変嬉しく思っています。

現役としてまだまだ仕事をしなければならない立場ですので、なかなか平日に時間を取ることは難しいのですが、今日は思い切って出かけることにしました。岩崎理事長さんをはじめ、理事の皆さんとも、少しずつ顔なじみになり言葉を交わすようになりました。大変ありがたいことだと思っています。自分にできる範囲内で、お役に立てればと思っています。

平成30年度の新沼津ゴルフカントリー クラブ総入場者数は、4万人弱とのことです。 幸いなことに、一昨年、そして昨年と比較して入場者数は若干ながら増加しています。今年の1月から3月までが暖冬でしたので、来場者数も多かったようです。しかしながら最近では異常気象が頻発し、昨年の7月には週末に立て続いて台風が上陸したり、10月には営業日数30日の内、15日が雨となり、キャンセル数がなんと1,150名にも達しました。確かに昨年の7月に予定されていた、高度医療機器管理者講習会も台風のために延期となり、静岡県眼科医会の川村会長も中止と延期のための連絡に、てんやわんやだったようです。

■さて夏の参議院選挙が衆議院選挙との同日選挙になりそうです。我が国を率いる安倍晋三総理については、様々な批評がなされています。一度目の総理時代の失敗を糧に、徹底的に野党を脆弱化させるためにマスコミを動員し、実に巧みに政権運営をしている点は、野党も大いに見習うべき点です。分割統治の見本です。

しかし以下の記事を読むと、本当に暗澹たる気持ちに沈みます。世界から称賛される国民性の根っこにある、それは私達日本人の本性なのかもしれません。

「悲しいまでに凡庸」だった青年が日本政治の頂点に君臨し、この国の姿を変容させるまで 安倍晋三氏のルーツを探る

戦後の高度成長時代、日本は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)は、社会学者エズラ・ヴォーゲルによる1979年の著書により、天にまで上り詰めました。もちろん優れた日本人の特質が、この繁栄をもたらしたことは事実です。しかし、それは冷戦という特殊な世界環境の中で実現できたことだったのです。上記の記事を読む時、アメリカとの戦争に国を上げて邁進したこの国の国民性は、少しも変わっていないのではないか、と未来に不安を覚えるのです。

おフランス様

■20190421(日曜日:晴れ)

京都の清水寺です。
京都の清水寺です。

■今日は新沼津カントリークラブの B クラス月例です。 B クラスに陥落してからは、ゴルフの調子もさっぱりで、100を切るのは難行苦行になっていました。 昔はどうやって80台を出していたのか不思議でならないほど、調子の悪いことが続きました。どうしたらいいのか、さっぱり分からなくなってしまったのです。

ところが先日練習をしていて、あることに気づきました。クラブヘッドのソールというのでしょうか、底の部分が地面と平行になるようにスイングをすると、クラブを格段にスムーズに振り切れることに気づいたのです。手首を今までよりも、手前ではなくて向こう側に折るような気持ちでボールを捉える、と言えば分かりやすいかもしれません。 そのように意識してスイングをすると、打った球の方向が格段に安定しました。 前半では残念ながら一ホールだけ OB をたたき、スコアが9となってしまいました。これがなければ、というやつです。フェアウェイからの第2打だったのですが、つま先上がりの傾斜がありました。ここでもやはり平行に振ればよかったのですが、それが出来ずに、ボールは大きく右に曲がりOBになってしまいました。しかしそれ以外のホールでは、本当に安定していました。ボールを捉える時のクラブヘッドの角度が、安定していたからでしょう。 私にしてみれば大きな進歩です。結局のところスコアは50回と49回、合計99回となんとか百回を切ることができた程度なのですが、その内容は明らかに今までとは異なっています。

もう一点の注意点はスイングのトップの位置で、左肩越しに右足つま先を見るようなイメージ。今日はこの二つで、格段の進歩を遂げたように自分では思います。合計4つのショートホールのうち、続けて3ホールがパー。最後のホールもパットが数センチ外れてボギーとなりましたが、こんなことはめったに起こりません。 しかも驚くことに、一度もワンオンしていないのです。 つまりは寄せて1パットだったわけです。これも私にしてみれば驚くべき進歩です。次回がとても楽しみです。

■先日の東京新聞「週刊 ネットで何が・・」という記事では、「おフランス様」高まる反感、と題して書かれています。ネットでは「たたいて OK な対象」のコンセンサスが生まれたらバッシングが加速する、フランスにその役が回ってきてしまった、とあります。

先端的な考えを持つ日本人は、何かにつけてフランスを引き合いに出し、日本は遅れているという主張を展開します。「女性は40代以降からより素敵とされ若い女性だけをちやほやする日本とは違う」「夫婦はデートをする」「移民に寛容」などと同国の先進性や日本との違いを述べるのですが、これに反発する人もいます。

ガソリン価格の高騰から大暴動になった際、マクロン氏が「ガソリンが高いなら電気自動車を買えばいい」と発言したとの記事が拡散。マリー・アントワネットの発言とされる「パンがないならケーキを食べればいい」を連想させ、「さすがフランス人が言うとリアリティーがあるな」との声が出る。

確かにマクロン大統領は、いかにもエリート然としていて、お高くとまっていると多くの人が感じるのではないでしょうか。 大統領としてのその発言は、どこかの国の首相とは違って、格調高く、教養にあふれていることは間違いありません。しかし、どうも鼻につくことも間違いないのです。何か嘘っぽく感じるのです。 しかしこれは何もマクロン大統領に限った話ではありません。先日 NHK BS で放映された、映像の世紀において、19世紀末から20世紀初頭におけるパリの様子を映し出していました。 当時、万博も開催されています。英国留学に向かう途上で、夏目漱石もこの万博を見学しているのです。

動く歩道に象徴される、科学技術の進歩が、まさにバラ色の未来を感じさせていた時代だったのです。 しかし同じ頃、フランスはベトナムを始めアジアで過酷な植民地支配を行っていました。どれほど多くのアジアの民が彼らのために悲惨な生活を送っていたかを考える時、彼らが誇らしげに語る、自由・平等・博愛は、まさに偽善以外の何ものでもないのです。欧米諸国が繁栄と発展として語る19世紀から20世紀にかけての歴史は、 まさに身勝手な、偽善に満ちた歴史に他ならないのです。私たちはそのことを、しっかりと見つめなければなりません。

失われた世代

■20190414(日曜日:曇)

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沼津市松川沿いの桜と菜の花です。

■今日は新沼津カントリークラブの 桜花杯Aクラス月例です。 昨年 A クラスからB クラスに私は陥落してしまいましたので、出場することはできないのですが、今年から競技委員を仰せつかりましたので、そのために参加です。スタートする前に参加するメンバーの方々に、ルールなどを説明する役割です。 気温も低く風もありましたので、いささか寒かったのですが、念のために少し余分に着て行きましたので、無事に役割を終えることができました。最後の3組だけ、松本副支配人のやり方を真似て、競技委員としての役割を初めて務めることができました。先月初めて立会いをしたのですが、その時はただ一緒にいただけで、何の説明も自分ではしなかったのですが、今日は松本副支配人に促されて役割を無事終えることができました。 そして月例競技参加者が全員スタートした後で、甲野藤さん、船戸さんの3人で、ラウンドすることができました。

自分自身のプレーについてみれば、去年からの最悪の状態からは脱したようです。49、47回で合計96回と、90の目標を切ることはできませんでしたけれども、何より嬉しかったのは、1度もトリプルボギーを叩かなかったことです。全ホールをボギー以下で回れば90回を切ることができるのですが、それは今の自分にはなかなかの難事です。トリプルボギーを叩かなければ、そこそこのスコアで回ることができるのです。

パーは2度しか取れませんでした。3番のショートホールでティーショットを右の崖下に落としてしまったのですが、2打目のリカバリー・ショットが30cm に寄っての OK パーでした。もう一ホールのパーは、8番のミドルホールで、第二打をバンカーに入れてしまったのですが、リカバリーショットがこれまたピンそばに寄ってオッケーパーでした。 グリーン周りのアプローチは、一度だけ9番アイアンでのアプローチがオーバーしてしまい、2パットしてしまいましたが、それ以外は1パット圏内に寄ったのは収穫でした。短いパットを外してパーを逃したのは、今後の課題です。

■東京新聞「時代を読む」欄には、ーー「失われた世代」の声聞いてーーと題して関西学院大学准教授 貴戸理恵さんが書かれています。 団塊ジュニア世代(1970年代半ば頃の生まれ)が「若者」ではなくなる時代を迎えた、と書き出されています。この世代の特徴といえば、氷河期世代、あるいはロストジェネレーションなどと呼ばれ、学卒時の最初の就職が深刻な経済不況と重なり、日本的企業採用システムである、新卒一括採用の機会を逃し、正規雇用に参入するのが難しかったのです。結果として、非正規雇用率が高く、結婚し子供を持つ割合が低く、家を離れず親元に留まり続けるものが多くなったのです。 この世代の受難は、2000年代の官主導的な雇用規制緩和や、若年雇用を抑制することで中高年の雇用を守った企業の採用行動など、人為的に押し付けられたものなのです。

この世代を代表する作家の雨宮処凛さんは、「社会の実験台にされ、見捨てられた」。 妊娠に適した年齢を過ぎて「子供を残せなかった」という意味で、「自分たちは『絶滅危惧種』」とすら書いています。貴戸さんは、こうも書かれています。

私たちは「いい学校→いい会社というレールに乗れば安定」とする「昭和」的価値観を刻印されたまま、レール自体が半壊する実態に直面した。時代は「レールにとらわれるな」と「平成」的価値観を称揚し、独創性を発揮して市場競争を勝ち抜くことを要請した。しかしそれが可能だったのは条件に恵まれた一握りだった。「敗者」とされた人は自己責任論を内面化し、心を病んだ。不安定な雇用のもとで、働く権利を主張する運動家ユニオン、支援活動を生み出したのもこの世代だ。社会は世代の声に耳を傾けてほしい。それは「団塊ジュニアおひとりさまの老後」を豊かに構想すると同時に、次の世代の生きづらさを減じるヒントとなるはずだ。

今わたくしたちは、これからの自分たちの社会を、どう作り上げていくかを、真剣に 考える必要があるのです。他者を貶めて悦に入っている場合ではないのです。

ソメイヨシノ

■20190324(日曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブの、ソメイヨシノです。
新沼津カントリークラブの、ソメイヨシノです。

■今朝は、5時半に目覚ましを鳴らしました。昨日は、Sunと二人でニューウェルサンピア沼津に出かけて、ゆっくりとお風呂に入りました。そして、いつものお店「象の仔」で、これもいつものメニューを、いただきました。サラダの大を二つと、私はオムライス、Sunはナスとスズキのバルサミコ酢、そして食後のホットコーヒーです。ワンパターンですが、美味しくいただきました。お店が混雑していて、マスターとゆっくり話す時間もありませんでした。

今日は在宅医療に関わる先生方とのコンペでした。年に二回開催されています。医師会の理事会で、いつも顔を合わせているのですが、本当に楽しい仲間です。天気も最高でした。今朝は7時前に出かけようと駐車場に行ってみると、なんと車のフロントガラスが凍っているんです。真っ白で先が何も見えません。本当に驚きました。温風を出し始めて、少しずつ溶けるのを待つしかありませんでした。 スタートするのに5分から10分ほどかかったでしょうか、3月も終わろうとしているのにこの冷え込みには本当に驚きました。ただ日中は日差しにも恵まれ、暖かな春の日和でした。風もそれほど吹かなかったので、一日を通して最高のゴルフ日和でした。

今月は機会に恵まれゴルフをすることが多かったのですが、これでしばらくはゴルフともおさらばです。走ることに専念して、6月の千歳マラソンに備えなければいけません。今年もTakuは参加できませんので、Sunと二人で北海道に出かけ、北海道の大自然と美味しい食材を楽しんでくる予定です。

大の仲良し白石先生と。
大の仲良し白石先生と。

■今日は夕方から、Sunと2人で、バイパス沿いの桜の開花模様を、確かめに歩きました。まだまだ満開には程遠く、ぐるっと見渡しても一輪か二輪の花を、見つけることができるのみでした。

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今週の末には、TakuとYukoさんが沼津にやって来て、桜と富士山を楽しむ予定です。これまで、あまり天候に恵まれずに、富士山が綺麗に見えることが、ありませんでした。今回は是非とも、ちょうど良い巡り合わせになってくれれば、と心から願っています。

バイパス沿いの沼川べりで、鴨の親子が楽しんでいました。

バイパス沿いの沼川べりで、鴨の親子が楽しんでいました。
地元の誇りである、白隠禅師に因んでいます。

地元の誇りである、白隠禅師に因んでいます。

著作権

■20190321(木曜日:雨)

椿です。
椿です。

■今日は春分の日。昨日は東京でも気温が20°に達して、さくらの開花宣言がされるのではないかと、皆さん楽しみにしていましたけれども、残念ながらもう一息でした。今日は一転、雨の一日でした。とは言っても気温が高いおかげで、寒さに凍えるということはありませんでした。今日はロータリークラブの大の親友、大村さんと久松さんと三人でゴルフを楽しみました。空模様が心配だったのですが、8時7分にスタートできたので、14時前には上がることができ、お風呂に入って会計をする頃になって雨足がひどくなりました。運の良い男の代表である大村さんのおかげで、雨も待ってくれたようです。

敬愛する大村さんと久松さんと、本当に楽しい一日でした。
敬愛する大村さんと久松さんと、本当に楽しい一日でした。

■昨日は夕食を終えて、ほっと一息。土曜日に再放送されている、刑事コロンボ・ベスト10の予約をしようと番組表を見ていて驚きました。 NHK BS で、黒澤明監督の映画が、こっそりと放映されているのです。予約したのは3作品。「七人の侍」、「椿三十郎」、そして「用心棒」です。 黒澤監督は、1998年9月6日に亡くなっているので、今年は没後21年になります。没後10年には BS で黒澤明監督作品特集を行ったはずです。 1910年3月23日生まれなので、前回の特集は生誕100年だったかもしれません。

著作権の期限は、日本は1971年1月1日より原則、死後50年を採用していました。その後、2003年の法改正により映画の著作物だけが原則、公表後70年となりました。さらに2018年12月30日施行のTPP11法改正により、原則、死後70年となったのです。

ベルヌ条約7条によれば、加盟国は、著作権の消滅までの期間を最低でも著作者の死亡から50年としなければならない、とされています。著作者の死後50年まで著作権を保護する趣旨は、著作者本人およびその子孫2代までを保護するためであるとされています。

著作権を何年まで保護するかは、大いに議論があるところです。しかし死後50年もすれば、それで十分ではないでしょうか。子孫2代までとベルヌ条約にありますが、 子孫に不労所得をそれほど残す必要があるのでしょうか。某監督の息子さんが、記念館を作ると言って、何度も資金を集めては、おじゃんになっているのは、どうしたことなのか。子孫のために美田を残す必要があるのでしょうか。優れた作品ほど、公共財産なのです。どんな天才でも、先人の作品から学んで作品を創造しているのです。全くの独創作品など、この世にはあり得ません。没後50年で、創作者に対する敬意は、十分に払われたことになると私は思うのです。

アメリカ・ファースト

■20190317(日曜日:晴れ)

新沼津カントリークラのクラブハウスから見た伊豆半島です。
新沼津カントリークラのクラブハウスから見た伊豆半島です。

■今日は新沼津カントリークラブの B クラス月例でした。昨年 A クラスから B クラスに陥落して、もうすぐ1年になろうとしています。10年前に会員になった時には、ハンディ24からスタートしましたので、今の18はまだまだスタート地点に比べれば、ましと言えなくもないのですが、 B クラスへの陥落は、ショックといえばショックなのです。 自分が上達していた頃のことを考えると、どうやって上達していたのか、不思議でならないのですが、同じようにプレイしているつもりでも、スコアは悪くなるばかりなのです。骨格も筋肉も硬くなり、同じようにクラブを振っているつもりでも、全然別のスイングになっているに違いありません。少しでも改善しようと、自分なりに工夫して、改善しているつもりなのですが、 波があまりに大きすぎて、1日を通してみると、惨憺たる有様です。スイングをいじればいじるほど、事態は悪化するばかりです。 考えていても仕方ありません。練習あるのみなのでしょう。

■さて今日の東京新聞、「今週のことば」欄は、真宗大谷派養蓮寺前住職の中村薫さんが 、「アメリカ・ファースト」と題して書かれています。 中村さんはこう書かれています、

アメリカのトランプ大統領は、政治経済など全てに強い国を作ろうとしている。自国さえ良ければ良いということである。ヨーロッパでも極右主義の台頭が目立つ。日本も「美しい国 日本」に国粋主義が見え隠れする。その世界的な流れが、自他の差別により、格差社会を生み出している。一部の豊かな人々と、その日の生活に苦慮する人々がいる事実。また、諸外国の移民問題。ファースト主義は、平等社会を願うものとはほど遠い。

中村さんの言わんとしていることは、私にもよくわかりますし、正論だと思います。しかし、どこか違和感を私は感じるのです。まずトランプ大統領がアメリカの大統領として、自分の国の政治経済など全てに強い国を作ろうとしているのは、当たり前のことです。もしもある国の政治的指導者が、自分の国を弱くしようとしていたら、それは国を売ろうとすることに他なりません。 自国さえ良ければ良いのではなくて、まず自分の国を豊かで強くすることが、アメリカ・ファーストだ、とトランプさんが考えているのだとすれば、これ以上まっとうな政治家は私には考えられないほどです。

ヨーロッパでも極右主義の台頭が目立つ、と批判的に書かれていますが、ヨーロッパにおける極右主義というのは、グローバリゼーションに対抗して、まず自国民の利益を優先すべきだ、と考え行動している人々とも言えるのです。 移民に対して差別的、あるいは排他的だと非難する論調がマスコミには目立つのですが、これもはたして本当に現実を把握した上で、発言しているのかどうか、私には大変疑問です。何百万人という移民たちが、津波のように押し寄せている状況を想像すると、とても綺麗ごとだけで済むとは思えないのです。経済が右肩上がりに成長し、いくらでも労働力を吸収できるような社会であれば、円満に事は進むのかもしれませんが、そうでない限り、起きている現実というのは、簡単に言えば職の奪い合いになっているはずです。

グローバリゼーションや移民の流入によって、ごく普通の白人労働者の皆さんが、 職にあぶれて生活に困窮する事態になった時に、その人々には能力がないからだ、と突き放すことが果たしてアメリカの政治家として正しい行動なのでしょうか。誰もが特別優れた能力を持っているわけではないのです。普通に学校を卒業し普通に就職して普通に家庭を持って生活している人々が、困窮するような社会が、果たして正しい社会なのでしょうか。

移民の多くは結局のところ、安い労働力として、経営者や資本家の利益を極大化させているだけかもしれません。 移民の人権を声高に主張する人々の中には、 人権を単なる隠れ蓑にしている人々も、いるやもしれません。 グローバリゼーションを推し進めないと、国は貧しくなり、国民は貧乏になるばかりだと主張している人々の中には、 結局のところ私利私欲を満たしているだけの人々が、結構いるように私には思えるのです。危ない、危ないのです。

球春

■20190310(日曜日:曇り後雨)

春が近づいてきました。

■今日は記念すべき日曜日でした。新沼津カントリークラブの松本副支配人から、クラブの競技委員を引き受けてくれないかと、先月依頼されました。競技委員とは、そもそも何をするものなのか、よく理解していない私が引き受けるのもおこがましいのですが、お話をお聞きして、大好きなクラブのために何かお役に立てるのであれば、と思い切って引き受けることにしました。自分が月例競技会に出場するたびに、スタートする時に協議員の方が、その日の注意事項、ローカルルールなどについて説明してくれているのですが、自分がその立場になってみると、全く様相が異なります。助手席に乗ってドライブを楽しんでいるのと、自分自身が運転する違いに似ているかもしれません。

畠山副委員長・針谷委員・船戸委員そして私の四人で行いました。アウトとインに2人ずつ配置し、スタートするたびに、その組の皆さんに確認事項や、注意点の説明などを行うのです。私は畠山副委員長とペアになって、アウトコーススタートに立ち会いました。実際には今日は畠山さんが全て説明してくださいましたので、私はただその様子を、聞いているだけでしたが、いずれは自分で行わなければならなくなりますので、真剣に聞いていました。今日は幸いにも暖かで風もほとんどない気候でしたので、競技委員の任務を果たしている間も、寒さに震えるということはありませんでしたが、これが冬の日であれば、かなり大変だろうなと想像しました。もちろんクラブは、寒さ対策として、しっかりとしたロングベンチコートを用意してくれてありました。幸いにも今日は、それを使用することはありませんでした。

全ての組の皆さんがスタートした後で、競技委員だけでプレイする機会をいただきました。針谷さんはご都合でお帰りになりましたので、畠山さんと船戸さんの3人で回りました。3人で楽しくラウンドすることが出来たのは、望外の喜びでした。こうした機会を与えていただいたことに感謝するばかりです。

■今朝の東京新聞「筆洗」欄には、野球にまつわるお話が書かれています。「グローブの土手を叩いて春よこい」。野球俳句が得意な、作家のねじめ正一さんの句です。 オープン戦が始まり、まさに球春の季節となったことを告げています。 それだけで特別な季節や浮き立つ気分を表す言葉は、野球の本場米国には見当たらぬそうで、おそらく日本生まれの表現かもしれない、と書かれています。球春の語源は不明だそうですが、「春風やまりを投げたき草の原」という正岡子規の句と、関係があるのではないかとも言われているそうです。1890年(明治23年)4月の句で、「まり」とは野球のボールのこと。当時、野球に夢中になっていた正岡子規が作りました。

アメリカには野球を描いた映画がたくさんありますが、日本にはあまりないように思うのは、映画について私が詳しくないからでしょうか。先日もクリント・イーストウッド主演の、「人生の特等席」という映画を見ました。これは野球のスカウトを職業としていた主人公を、クリント・イーストウッドが演じ、その娘さんとの父娘の関わりを描いています。父と娘と野球という組み合わせは珍しい、とある解説には書かれていましたが、確かにあの「フィールド・オブ・ドリームズ」を始め、野球といえば、どうしても男の世界と思われがちですので、この映画は希少価値があるのかもしれません。

父と息子はキャッチボールの思い出を共有していることが多いはずです。映画の中では、父の投げたボールを、娘がホームランを打つ場面が描かれていました。やはりキャッチボールでは、治りが悪いのかもしれません。息子とキャッチボールをした思い出は、私にとっても、大切な財産の一つになっています。

今日初めてご一緒した競技委員のみなさん。畠山さん、船戸さん。楽しい一日でした。

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