2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

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統率力

■20181214(金曜日:晴れ)

2017年の伊勢神宮です。

■今朝は、よく晴れています。そして冷え込みました。三階から見ると、愛鷹山の向こう側に雪化粧をした富士山が、朝日に輝いています。昨日はSunと久しぶりに、歩いて5分の日帰り温泉に行き、ゆっくりと温まってから一杯やりました。残り少なくなった今年を振り返って、家族や仲間に起こった色々なことを語り合いました。平成30年は、我が家にとっても節目となる、本当に思い出に残る一年でした。あともう少しで、また新たな年が始まります。

 

■東京新聞「この道」欄は、川淵三郎さんです。今日の題名は「加茂監督」でした。ドーハの悲劇から、いく人かの代表監督を経て、加茂周監督に行き着くまでの経緯を書かれています。短い文章の中ですので、その中だけで判断するのは、もちろん早計に違いありませんが、それでも文は人なりですので、川淵さんの人柄がうかがい知れる内容だと思います。 正直と言うか、飾らないと言うか、自慢話にだけ終わるのではなく、その時々で自分の至らなかった点などを率直に書かれている点に、とても好感が持てました。

 

多くの人をまとめて新たな仕組みを作り上げるというのは、とてつもないエネルギーが要るに違いありません。川淵さん一人の力ではもちろんないのでしょうが、その中心にあって多くの人を統率する川淵さんの人間としての魅力の一端が十分に分かる内容です。

 

 

中傷CM

2017年の伊勢神宮おはらい横丁です。

■今朝は走りました。ただし寒さのためか、昨日も走った疲れのためか、起き出すのにとても苦労しました。つまりは布団の中で、ぐずぐずとなかなか床を離れることが出来なかったのです。とにかく冷えました。この冬一番の冷え込みではなかったでしょうか。夜中に一度起きて掛け布団を、もう一枚追加した程です。 通常よりは15分ほど起きだすのが遅くなりました。もういいか、とも思ったのですが、今日は天気が下り坂。明日の朝は雨の予報ですので、今朝は走っておかないと後が大変になります。ということで今朝も6.10 km を走り、総計45.59 km 残り20日で54.40 Km となりました。2018年そして平成最後の年の師走ですから、目標の100 km を、しっかりと走り切らなければいけません。

今朝の写真は昨年平成29年にTakuと一緒に、初めてお伊勢さんマラソンに参加した時の様子です。走り終わってから二人で伊勢神宮を参拝し、その日は伊勢志摩のホテルに宿泊したのです。もうあれから1年が経ちました。その間に、Takuは仕事を始め、そして7月には結婚式を挙げ、新しい家庭を持ったのです。平成最後の年、まさに大きな人生の転機でした。そして1年後の平成30年度お伊勢さんマラソンには、Takuと二人きりでなく、YukoさんとSunと四人で伊勢神宮にやってきました。1年の月日を実感しました。

■今朝の東京新聞「太郎の国際通信」は大変興味深い内容です。先日亡くなったジョージ・ブッシュ(父)氏が、レーガン政権の副大統領として大統領選挙に立候補した時の事を書かれています。木村太郎さんが1988年当時の、この大統領選挙を集配取材し始めた頃には、民主党のデュカキス候補が圧倒的にリードをしていたのですが、9月に再び米国で取材を再開した時には、ブッシュ候補が逆に大差でリードしていることに大変驚いたそうです。その支持率の逆転に大きく影響したのが、あるテレビテレビ CM だったのです。この CM は米国の選挙で相手候補を中傷する「ネガティブ・キャンペーン」の中でも最も「えげつないもの」として知られるようになったそうです。

この CM では、まずブッシュ候補の顔写真が現れ「ブッシュは死刑を支持する」と言い、今度はデュカキス候補の写真と共に、「デュカキスは死刑に反対するだけでなく殺人犯に週末の仮出所を認めた」。すると、いかにも怖そうな黒人の顔が現れる。それはデュカキス候補がマサチューセッツ州知事時代に、同州最高裁が週末仮出所を認めた、殺人罪で終身刑になったある黒人男性(ウイリー・ホートン)であり、その仮出所中に男女を襲い、男性を刺し女性をレイプした、と訴えたのです。ここで画面がデュカキス候補の顔に戻り、こう訴えたのです。「デュカキスの犯罪対策は凶悪犯に週末の出所を認めることだ」。

同氏が30日に亡くなり全米が喪に服したが、木村さんはこのテレビ CM のことが思い出されて、同氏をたたえる米マスコミの報道がむなしく思えてならなかったそうです。そう思ったのは木村さんだけでなく、ある保守派の論客が、こう寄稿しました。

ブッシュ氏は(無能とされた)デイヴィッド・スーター最高裁判事の任命したり、不必要な(湾岸)戦争を始めたり、増税しないと言いながら増税しただけなのに、今や聖人のようにあがめられている。(中略)しかし、ブッシュの最高の瞬間はウイリー・ホートンの CM だったのだ。

この寄稿によってブッシュ大統領の影の部分に光を当てることは、今の米国政治の教訓とするためにも必要だと思う、と木村さんは書かれています。米国は懐の深い国なのです。

統合

■20181210(月曜日:曇)

伊豆にらやまカントリークラブから見た駿河湾です。

■寒い朝でした。昨夜は冷え込みが予想されたので、新たに掛け布団を一枚余計に用意しました。眠り始めは良かったのですが、とちゅうから今度は暑くなりすぎて外しました。それでも、さすがに朝方の冷え込みは厳しかったようです。床を抜け出すのが、なかなか億劫で時間ばかりが過ぎていきます。えいや、とばかりに、起き出しましたが、布団の中は、やはり心地よいものです。

ということで、今朝は 6.13km 走り、総計 39.48km 残り 21 日 60.51km となりました。今月は日曜日に出かけることが多くなりそうなので、LSDの機会が最後の最後になりそうです。何とか、それまでに積み上げておかないと、最後に継続していた月100キロ走が途切れかねません。油断大敵です。

■現在使用しているエプソンのランニング・ウォッチは、記録によれば2014年の11月から記録を取り始めました。合計4回28.35 km が最初の記録です。そして翌月の2014年12月には84.02 km を走っています。初めて月100 km を超えたのは2015年3月に記録した100.38 km です。2014年11月からですから四年余り使用していることになります。 私もいくつかの製品を使ったことがあります。例えば Garmin 社製のランニングウォッチを、この EPSON 社製のものの前に使用していました。それぞれ良い点、悪い点がありました。 Garmin 社製のランニングウォッチは、とても人気がありますし走った様子を示す地図が Google 社製の地図を使用しています。一方 EPSON 社製のランニングウォッチは Microsoft の地図を使用しています。エプソンは、いつものことながら Microsoft べったりなのです。二つの地図を比較してみると分かりますが、マイクロソフトの提供している地図は Google 社製のものに比べて、ちゃちなのです。それだけは、いただけないと思いました。

たださすがに EPSON 社製の製品は作りがしっかりしていますので四年以上経った今でも、きちんと使えることができます。こうした製品の多くのものは充電するために取り付けるアダプターの接触が悪くなって使用できなくなることが多いように思います。結局記録を取り出すことができなくなって使用できなくなるのです。こうして四年以上走った記録を EPSON 社のサイトに記録を残していますので、例えば他のメーカーの製品を新たに使い始めると記録の集計が途絶えてしまいます。 つまりは囲い込まれているという状態です。もちろん EPSON の製品を使い始める前の記録も表計算に残してありますので、厳密には記録が無くなってしまうというわけではありません。 しかしできることなら記録をそのまま続けるほうが楽には違いありません。

ただ最近はいわゆるスマートウォッチと呼ばれる製品がたくさん発売されています。私の左腕にも装着されているのですが、心拍数、睡眠の質を含めて、様々な情報を取り出して集計してくれます。これはランニングウォッチにはない機能なのです。最近のスマートウォッチの中には、ランニングウォッチ的な機能も持ち合わせている製品がありますので、私のようにランニングの記録を残したいという人も、スマートウォッチだけでランニングの記録も、健康状態のチェックも、両方できるようになってきています。これから、この二つの分野の製品は多分統合されていくのではないでしょうか。技術の進歩は 製品分野の消滅につながるのです。

学習障害

■20181124(土曜日:晴れ)

 

川口市の浮間ゴルフ・クラブハウスです。土手の反対側にコースがあります。子供の頃、関東オープンゴルフが行われ、陳清波プロが優勝したことを覚えています。

 

 

■今朝は不安の内に夜が明けました。胃炎を心配していたからです。午前中に19キロ走り、昼休み床屋へ行き、本屋さんに寄って、「すぐ死ぬんだから」を購入して、そして午後からはゴルフの練習に行き、夜はSunと一緒にお風呂に行き、その後ゆっくりと一杯やったのです。充実した一日でしたが、調子に乗って食べ過ぎ、飲み過ぎで急性胃炎を起こすのが、私の弱点です。

 

北海道旅行にSunと行った時に最悪の発作を明け方に起こしました。土曜日に二人で樽前山に登ったのです。頑張り過ぎと疲れも溜まっていたのでしょう。日曜日の明け方、下痢、嘔吐で七転八倒の苦しみでした。日曜日でしたので、ネットで当番医を探して治療してもらいました。点滴を二本、1,000cc してもらい、帰りの飛行機にもギリギリ間に合いましたが、もう大丈夫だろうと空港でお水をほんの少し口にしただけで、帰りの飛行機の中でトイレに駆け込み、腹痛に苦しみ通しでした。

 

誰しもきっと体の弱点があるのでしょう。疲れが溜まると、そこへ来るのです。以前の私なら扁桃腺炎を起こして高熱に苦しんだはずです。開業する前に勤務していた大学病院で扁桃腺を摘出してもらいました。それからは嘘のように高熱発作を起こすことが無くなりました。が、今度は胃腸炎を起こすようになりました。調子に乗るな、というお告げなのでしょう。

 

昨夜は不安な一夜でしたが、スマートウォッチによれば、「睡眠の品質は良い」、深い眠り2時間20分、浅い眠り2時間30分とあります。自分自身としては何だか寝付けない一夜で、ほとんど寝ていないのではないか、と錯覚しているのですが、実はきちんと寝ていることが分かります。実際寝覚めてみても、疲労感はありません。嫌な夢をみて、寝覚めても徒労感ばかりが残っているかのごとく感じていても、どうやらきちんと寝ているようです。スマートウォッチを購入してみて、睡眠判断ソフトで調べてみて良かったことは、その事が分かったことです。多少寝付けなくても慌てることはない、焦ることはない、ということが分かりました。

 

■今朝の東京新聞のこちら特捜部の記事には考えさせられます。「学習障害の子に、こう配慮を」です。知的な遅れはないものの、読み書きや計算などの特定の分野に困難がある学習障害(LD)の子は、40人学級に1−2人いるようです。周囲が少し配慮すれば問題なく学べるが、保護者が学校側に配慮を求めても「前例がない」と及び腰の対応になりがちです。

 

入学試験で答案用紙に書き込むのが苦手となると、時間内に試験を終えるのは難しくなります。ワープロ使用を認めてほしい、と交渉しても、学校側の返答は「特別扱いはできない」「他の学校で前例はありますか?」と拒否や戸惑いとなりがちです。学校側の困惑もよく分かります。

 

せっかくの才能を潰してはしまわないか、と私などは心配してしまいます。こうしたLDの子どもたちの中には、すごい才能を持っている子も多いのです。日本では学校に余裕が無いので、どうしてもお役所的な対応がなされてしまいます。国民の持つ才能をどれだけ活かせるチャンスを提供できるか、という点からの検証も、これからは、とても大切なことのように思えます。日本は人材しか資源が無いのですから。

 

 

 

憧れ

■20181112(月曜日:曇)

 

川口駅西口から見た東口の様子です。

 

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。2日続けて朝走りましたし、昨日は埼玉県川口市で行われた中学校時代の同窓会に出席し2次会に行ってカラオケまでしましたので帰宅が遅くなりました。月100 km 走の目標達成までは、まだまだ遠いのですが、ここは一回ゆっくり休み、また明日からの積み重ねをすることにしました。

 

 

■昨日はゴルフを欠席してまで出席することにした、同窓会に出席するために、まずは原駅 9 時 39 分発の電車に乗って三島駅まで行き、新幹線に乗り換えました。ちょうど三島駅に止まるひかりに乗れたのは良かったのですが、超満員で自由席では座席が一つも空いていませんでした。こんなことは初めてでした。急ぐ旅でもなかったので、こだまにすれば良かった、と後悔しましたが、良い勉強になりました。新横浜駅までは立ちんぼでした。

 

 

京浜東北線で川口駅まで行き予定通りたどり着くことができました。Kouheiちゃんとの待ち合わせまで、1時間近く時間があったので駅から歩き始めました。西口で降りて一直線の道を歩き始めました。幅があり、ゆとりのある歩道を歩きながら、かつて住んでいた団地のあった場所に向かいました。途中、川口市立西公民館を発見して驚きました。昔、家から駅に向かうときに歩いて5分ほどの所にあったとても大きな建物だったのです。ところが今では周りに高層ビルが建ってしまい、目立たない存在になってしまったのです。もちろん昔のままではなく、何度か建て替えられたに違いありません。それでもあまりの目立たなさに拍子抜けがしたほどでした。

 

 

以前団地として住んでいた場所に、その後に建った高層マンションを写真に収めました。マンションの前の道路を挟んで建てられたビルには、医療モールがあり、整形外科小児科、そして皮膚科が同じビルの中に開設されていました。団地に住んでいた頃、3歳頃から19歳までですが、二階の窓から道路越しの風景をよく見たものです。その頃には、まだ畑があり、キャベツを栽培していて、モンシロチョウが湧くように飛んでいたことを覚えています。そして、その医療モールの横の細い横丁を入っていくと妙仙寺というお寺がありました。小学校の頃、夏休みにはこの寺の境内で山ほど蝉を取ったことをよく覚えています。

 

 

その横丁で、映画の撮影が行われたのです。吉永小百合さんの映画です。キューポラのある街でスターになった吉永さんが、浜田光夫さんとコンビを組んで撮影されていたシリーズ物でした。妙仙寺の塀の上に登って、たくさんの野次馬に混じって撮影風景を見ました。はっきりと脳裏に焼き付いています。

 

 

さて、街をぶらぶら歩き荒川の土手の方へ向かいました。ある交差点にたどり着くと標識がありました。浮間ゴルフ、こちらと書かれてあったのです。ゴルフハウスは荒川の土手の手前にあり、土手を越えて荒川の河川敷にゴルフコースが広がっています。階段を上り、土手まで登ってみました。

 

 

土手に登って真西の方向を見ると、そこには母校、川口市立西中学校はあるのです。残念ながらそこまで行く時間がありませんでしたので、荒川沿いの写真を東西にわたって何枚か撮りました。東の方向を見れば、京浜東北線の走っている鉄橋が見えるのです。その風景は映画「キューポラのある街」でも登場しています。

 

 

時間も押し迫ってきましたので、慌てて土手を下り、また駅に向かって歩き始めました。駅へ向かって歩いて少し路地に入った所に川口市立飯塚小学校のあることが分かりました。以前Sunと歩きながら見つけた、あの頃のままでした。二宮尊徳像も当時のままに設置されていましたが、50年前とは向きが逆になってるように思いました。かつては小学校の校舎玄関脇にグラウンドを見つめるように立っていたのです。朝礼がある時には、かならず尊徳さんが、みんなを見つめていたのです。

 

 

さて、時間も押し迫ってきたので急いで駅に向かいました。考平ちゃんの携帯に電話をして三、四分遅れることを詫びました。こうして、待ち合わせの時間の12時よりも5分弱遅れて辿り着きました。場所は川口駅東口前にあるビルの玄関にある時計台の下です。無事待ち合わせも終わり2人で同窓会の会場に向かいました

 

 

 

 

働き方改革

■20181103(日曜日:曇時々雨)

 

山の上ホテルの玄関です。

 

 

■今日は文化の日で休日です。

 

1946 (昭和 21 )年、日本国憲法が公布されたことを記念して、1948 (昭和 23 )年に制定された国民の祝日。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている

 

と、あります。明日は振替休日で私にとっては2日続きの連休ですが、明日は休日当番日。朝の8時から17時まで籠の鳥です。

 

今日は仲良しのゴル友 長倉さんとプレイすることができました。本当にゴルフは難しいの一言です。今日は4番のミドルホールでOBを連発して、11も叩いてしまいました。最近は100を切るのが大仕事になっています。本当に困ったものです。昔のほうが、ずっと上手かったように思えるのですから、情けない話です。

 

■さて今日は、ゴルフ場に黒い背広を着た一団が待機していて、何事かと思ったら、自動車のライトを作る、某大手企業の取締役員会コンペが行われているようで、そのための待機の社員のみなさんのようでした。サラリーマン勤めをしたことが無い私には、想像できない世界ですが、とても奇異に感じました。

 

10名以上のみなさんが、ただボーと一日外で待機していなければいけない、というのは、ある意味で残酷です。仕事をしているなら、それは致し方ないと思いますが、自分の会社のお偉方のために貴重な休日を一日潰さなければいけない、というのは家族にとっても負担です。

 

いや父親などいないほうが良い、というのならいざ知らず、やはり家族とともに過ごす時間は、とても貴重です。子ども達がいるのなら、なおさらです。仕事といっては、帰宅は子ども達が寝た後ばかり、というのでは、家族の絆も築けません。欧米のように家族で過ごす時間を、何よりも大切にする人々から見ると、大変異様な光景に違いありません。

 

働き方改革といわれています。安くこき使おうという、経済団体の底意がミエミエなのが安倍内閣らしいのですが、それでも改革は必要です。家族で過ごす時間は、取り返しがつきません。仕事が暇になってから一緒に過ごせば良いのだ、という方もいるかもしれませんが、たぶんそれでは遅すぎます。家族にとっても臨界期があるのです。

 

退職して「終わった人」になった時、必要としてくれる人が誰もいなくなった、となるのは必然です。家族のあり方も含めて、我々は働き方を見直す必要があります。

 

つまらないことに社員を巻き込むべきではないと思います。日本の偉い人々は、どうもそのあたりが欧米の偉い人たちと違います。欧米の偉い人々は、本当に能力があります。一人でも、堂々と渡り合える人が偉くなるのです。お付きの人々を引き連れないと渡り合えない偉い人は、もう退いてもらった方が日本のためではないでしょうか。

 

 

 

ハノイへ

■20181022(月曜日:晴れ)

 

 

ニンビン省へ

■20181021(日曜日 晴れ)

 

 

s_20181021

 

■今朝は走りました。 朝5時半に 起きてホテル前の広場を 5周しました。 これで 5 km 強を積み重ねました。 朝から蒸す天候で走っていても汗が滴り落ちました。途中からにわか雨が強まり、テントで雨宿りをしました。

 

昨日は一日をかけて8軒の家庭訪問を実施。朝の7時にホテルを出発し3時間をかけて最初の家庭に到着してから、最後の訪問が終了したのが、ちょうど午後7時でした。半日掛かりでした。さすがに疲れました。

 

 

 

旅程をみると走れそうな朝は、今朝だけなのです。何とか起き出して走り始めました。

 

今回初めて遭遇したのですが ホテル前の広場で 盆栽や木製家具の 販売展示会を大々的に開催していました。周囲の地域から多くの業者が集まっていました。

 

 

彼岸花

20170924(日曜日:晴れ)

彼岸花です。年に二回、測ったように咲き誇る花には、いつも驚かされます。

■今日は久しぶりに久松さんと二人でゴルフを楽しみました。本当に久しぶりです。信頼できる友人の一人として、久松さんには何度も助けてもらっています。公認会計士として多忙な毎日ですが、こうして一緒に遊んでくれることに感謝しています。

 

悪病神

20170909(土曜日:曇)

北海道支笏湖畔の様子です。渡辺淳一さんの小説「無影灯」で一躍有名になりました。

■今朝は走りました。今日はNonちゃんとディナーの約束。Nonと三人で楽しく食事をする予定です。そう思ったら元気が出てきました。ということで、目覚ましに気付かずに、5時15分に起き出したのですが、準備運動をしてからスタートしました。寝起きですので、最初の3キロほどは、どうしても体が重くて思ったように脚が前に出ません。

それでも折り返し点の百澤神社を過ぎてからは、次第に速度も上がり、結局 10.08km をキロ6分29秒で完走しました。これで今月は、38.06km を積み重ねました。

■さてサピエンス全史を読み進めていますが、ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってきて暴虐の限りを尽くすのですが、初めて彼らが上陸した時に、現地の人々は香炉を持って彼らの後をついて回った、という記載があります。ヨーロッパ人は自分たちが特別待遇を受けている、と勘違いたのですが、実は単に彼らが臭くて堪らなかっただけだったようです。

ヨーロッパ人は不潔で悪臭いっぱいだったのです。現地人の方が、よほど衛生観念が発達していたのです。しかしながら、その後ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘を初め、現地には無かった伝染病のためもあって、殆どの人々が死に絶えるという恐ろしい事態が発生したのです。まさにヨーロッパ人は悪病神だったのです。

1500年代以降、ヨーロッパが拡張し、新世界が征服されたのですが、いまだに欧米人たちは世界にとって悪病神であり続けているように私には見えるのですが。

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