20180128(日曜日:曇)
■昨日はSunが出張でいなかったので、Nonちゃんに声を掛けました。一緒に夕飯を食べない、と。返事がずっと無かったので、忙しいのだろうな、とは思っていたのっですが、土曜日の昼過ぎになって、一緒に行っても良いよ、という返事が来ました。
ということで、一緒に夕飯のお寿司を食べて、そのあと話が弾んだのですが、混んできたので場所を移して喫茶店で話しました。3時間近くも話し込んでしまいました。色々な事があるようです。当たり前です。言葉にすることで解決策が見つかることもありますし、ただそれだけで気が晴れることもあります。
会う度に成長する我が娘に嬉しい限りなのですが、これからも様々な壁が待ち受けているだろうことを想像すると、まぁ、のんびりと一つずつ乗り越えて行って欲しいものだ、と願うばかりでした。
■さて今週から飲み始めた漢方薬「抑肝散」が効き始めたようです。昨日もNonちゃんに言われたのですが、その個人の体質に合った漢方薬に出合うと、ピッタリと効き目が実感できるそうです。
私の場合は今年の冬から起こった体の変化です。寝ていて暑かったり寒かったりの変動が、とても激しいのです。床に入る時は当然寒いので、毛布や掛け布団を始め十分な暖を取って眠るのですが、夜中になって、今度は暑くて眠れなくなります。最初はなぜ眠れないのか戸惑ってしまったのですが、原因が分かってからは、次第に薄着にしたり、毛布を外したりと工夫しながら付き合うコツを覚えました。
たぶん自律神経系の調節機能が加齢と共に落ちているための現象だと判断しています。まぁ、付き合うしか無い、と諦めていたのですが、ここ数日の抑肝散の服用で、その寝ている間のジェットコースターのような上下動が、何処かへ消え去ったようなのです。まだまだ経過を見てみないと効果について断定するのは早計だとは思います。単なる偶然かもしれません。
何はともあれ、しばらくは服用を続けてみるつもりです。子ども達の癇の治療に抑肝散は使用されて来たようですが、もちろん私が癇癪持ちだ、という訳ではありません。それでも、ひょっとすると、老いては子に帰る、という言葉もありますから、自分もただそれだけなのかもしれません。
■さて今日は、ぶらっとゴルフに出かけようかとも思ったのですが、色々な仕事が溜まっているので仕上げることにしました。それに、ゆっくりと落ち着いた時間をとることができるのは、どこへも出かけない日曜日しかありません。
今朝は走ることもせずに、6時半に目覚ましを掛け、起きてからは新聞を取ってきて、コーヒーを入れてトーストを焼いて、Ayaちゃんに買ってもらったピーナッツバターをたっぷり付けて、ゆっくりと新聞を読みながら、いただきました。穏やかで芳醇な時間が、ゆったりと流れていく感じが心地よいのです。
毎日こうした時間ばかりになることが良いかどうかは難しいところでしょうが、少なくともたまには良いものです。テレビはつけません。テレビをつけた途端にタイマーが掛かったように時間が規則正しく動き始めるような気がするからです。日常の時間です。
日曜日の新聞は、いつも書評欄などの文化面が充実しています。書評欄を読むと、自分の知らない本当に素晴らしい本が、山のようにあることが分かります。どれもこれも読みたくなるのですが、そう思っているうちに一週間が終わってしまいます。
ここ数日は、「死ぬほど読書 (幻冬舎新書)丹羽宇一郎著 Kindle 版」を読み進めています。これもどこかの書評欄で見つけました。丹羽さんのような読書家では、もちろん私はありませんが、それでも読書の楽しさや、その意味するところは、少しだけ分かるような気がします。
読書することで養分を自分に与え続けないと、とても干からびてしまうのが分かるのです。日常だけに追われてしまうと、あっという間に5年や10年が経ってしまい、その間の心の栄養不足が自分自身の精神を貧弱なものにしてしまいます。
丹羽さんは、再読をあまり勧めてはいなかった様に思いましたが、私は大いなる楽しみの一つとしています。例えば、「青が散る」とか、「地中海のほとり」です。最近では、「嫌われる勇気」でしょうか。それぞれ与えてくれるものは異なっていますが、毎回異なる場面が心に残ります。
あと何冊そうした本に巡り会えるか分かりませんが、どんな著者の、どんな世界に巡り会えるか、とても楽しみです。