2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2019年1月 Page 3 of 4

世界の旅

■20190111(金曜日:晴れ)

伊豆半島旅人岬から見た駿河湾です。

■今朝は走らずにゆっくり休みました。昨夜は静岡で勉強会があり3人の演者が、それぞれの専門分野において、とても参考になる講演をしてくださいました。19時からですので最後まで聞いて、さらに懇親会まで出席して家に帰ると、夜中になりそうでしたので、21時に講演会をあとにして帰路に着きました。 6時に目覚ましを合わせましたが、15分ほど前に目が覚めました。もう一度眠りに落ちてしまうと、今度は起きだすのが大変辛くなりますので、そのまま起きだしました。

金曜日は生ゴミの日ですので、Sunが準備してくれてあったゴミ袋を持って玄関を出ました。まだ外は真っ暗ですので、 階段の電気をつけて外へ出ました。ほとんどの家はまだ眠りの中ですから街灯の光が街を照らすのみです。雲のせいでしょうか月は見えませんでした。風もなく、とても静かな夜明け前の光景です。私はこんな時間がとても好きです。

帰ってきて朝食の準備をしました。昨夜は勉強会でお弁当が出ると思い、夕食はとらずに低血糖に陥らないようにと、お菓子を少し食べて出かけました。ところが勉強会ではお弁当は出ずに、講演会の後で立食パーティーの予定だということを知りませんでした。帰りの電車に乗る前に駅ナカのコンビニでサンドイッチを買って、トマトジュースとともに夕食代わりとしました。きちんとした食事をとらずに、お菓子のようなものばかりを食べていると、たった一回とはいえ、どうも胃腸の調子が狂ったように感じます 。やはり規則正しく食事をとることは、とても大事だと再認識しました。

今朝は 昨日のお昼のお弁当のご飯が半分残っていましたので、電子レンジで温めて、納豆と卵で食べました。コーヒーにアーモンドミルクを入れ、さらに先日購入したヨーグルト製造機で作った ヨーグルト75 グラムに蜂蜜を入れて朝食としました。 規則的にランニングをするようになる以前には、体質的にコレステロールが高くなりやすかったので、乳製品は控えめにしていたのですが、今では気にすることなく摂取しても、血液所見は正常範囲内に収まっています。やはり規則的に運動することは、とても大切だと実感しています。

■「兼高かおる世界の旅」で有名な旅行ジャーナリストの兼高かおるさんが五日、心不全のために亡くなられました。九十歳でした。日本人の海外渡航が自由化される前の1959年に紀行番組「兼高かおる世界飛び歩き」がスタート。1960年にタイトルが「世界の旅」となり、海外旅行ブームに先駆けた名物番組として1990年まで30年間の長寿番組となりました。 番組の始まった頃、1 ドルは360円。「夢のハワイ旅行」がクイズ番組の商品になるのも、まだ先のことだったのです。そうです。アップダウンクイズです。調べてみると、

『アップダウンクイズ』は、1963年(昭和38年)10月6日から1985年(昭和60年)10月6日まで、毎日放送(MBS)の製作により、毎週日曜日19:00 – 19:30(JST)に放送されていた視聴者参加型クイズ番組である。ロート製薬の単独提供(第1回放送より)、日本航空の協賛で放送された。

優勝者のみなさんが団体でハワイ旅行をする様子がテレビに映し出されると、まるで月でも旅行してきたかのように感じたものです。


日曜日の朝、家族と共にテレビで遠い世界を見るのが習慣だった方も多いだろう、と今朝の東京新聞筆洗には書かれています。私の家庭も、まさにこの通りでした。私が初めて飛行機に乗って海外旅行をしたのは、新婚旅行でした。つまり1982年だったのです。テレビで兼高さんの番組を見ていた1960年代、海外旅行などは夢のまた夢でした。番組の最初に流れる映像には、確かパンナムの飛行機が飛んでいたと記憶しています。「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」と説明が流れていました。今ではもうパンナムという会社は、なくなってしまったはずです。Wikipediaで調べてみると、

1960年代後半頃より世界的に海外旅行が大衆化し価格競争が激化する中、高コストの経営体質を改善できなかったことや、1970年代にジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策「ディレギュレーション」の施行、その後の国内航空会社の買収の悪影響により次第に経営が悪化し、1991年12月4日に会社破産し消滅した。


その知名度を生かすべく、ブランドとロゴ使用の権利を引き継いだ別会社が同じ塗装とブランドで近距離国際線と国内線を運航し、形だけは一時的に復活していたものの、結局経営を軌道に乗せることはままならず、2008年2月一杯で運航停止となっており、現在同名の航空会社としての運航は行われていない。

と、あります。機体に描かれたあのパンナムのロゴを、もう見ることはできないのです。
兼高かおるさんは、まさに好奇心の塊のような方でした。 小田実さんのベストセラー「なんでも見てやろう」が出版されたのは1961年ですから、 まさに兼高かおるさんはそれを世界中で実践して回ったのです。ご冥福をお祈りします。

スカスカ

■20190110(木曜日:晴れ)

伊豆半島旅人岬の風景です。風のために白波が立っています。

■今朝は走りました。昨日の天気予報では、今朝はこの冬一番の冷え込みで、太平洋側でもマイナスになるのではないかと言われていましたが、思ったほどの冷え込みではありませんでした。水道管の凍結も起こらず、走った後のシャワーも無事に温水で浴びることができました。6.14 km を走り総計47.13 km 残り21日52.86 km となりました。ペースとしてはキロ6分13秒ですので決して悪くはありません。 昨夜は何度も目が覚めましたけれども、その度に再度きちんと眠れましたので目覚めは決して悪くありませんでした。昨夜は医師会の役員合同新年会。関係する4自治体の首長さんも来られて 、力を合わせて住民の健康・福祉を守ろうと話し合いました。

■今朝の東京新聞には、アメリカ・ラスベガスで8日に開幕した世界最大の家電見本市「CES」の様子が掲載されています。 題して「世界初 畳めるスマホ」「斬新デザインEV」。 中国企業の出展が昨年より2割減少しましたが、世界初の折りたためるスマートフォンを出品するなど存在感を示し、米国が警戒する技術面での中国の躍進を改めて印象付けた、と報道しています。こうした中国企業の躍進を伝える報道がしばしば見られる中で、日本の存在感の低下が心配されます。

一部報道などでは日本経済の好調さが伝えられていますが、実感として受け止められないというのが正直なところではないでしょうか。なぜこのような事態に陥っているのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんはメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその理由を「日本の産業構造がおかしくなったため」とし、この「負のトレンド」を反転させなければ国の繁栄と個人の成功はありえないと結んでいます。題して、

もはや先進国ではない。なぜ、日本経済はスカスカになったのか?

結論として、産業構造として日本は先進国から滑り落ちそうになっているというのです。そして、その原因を列挙しています。

  • 自動車の次として宇宙航空に本格進出できなかった
  • コンピュータ時代に合わせてOSやアプリなどソフトの分野で負けた、どころかコンピュータ関連の人材をバカにして育成もしなかった
  • バイオや製薬で世界のトップを走るだけの人材育成や投資をしなかった
  • 金融のグローバル化に全く対応しなかった
  • 英語での事務仕事ができず、香港やシンガポールにアジアのビジネスセンターの座を完全に奪われ、そのことを恥じてすらいない

つまり全体の戦略が全く違っていたということです。幾つかの指摘点は、私にも分かるほどです。テレビドラマ「下町ロケット」などを見ていて、日本のものづくりは素晴らしい、やはり日本でなければだめだ、と短絡的に思いがちですが、あの自動運転トラクターも、それを動かしているのはソフトウェアなのです。ソフトウェアの分野では日本はまさに敗北続き。 基本的な部分は全て借り物と言っても言い過ぎではないほどです。そして肝心なハードの部分においても、今まで見下していた、安かろう悪かろうの代表のような中国製品も、今では日本製品を超えるものが多く出現してきています。単なる自己愛的な日本の素晴らしさに酔いしれるだけでは未来は切り開けないのです。そのことを痛烈に教えてくれる指摘でした。

なでしこ

■20190109(水曜日:晴れ)

伊豆半島から見た富士山です。頂上に雲がたなびいています。

■今朝はゆっくりと休みました。6時少し前に目が覚めて、目覚ましをかけた6時まで寝てしまうと、今度は起きるのが辛くなってしまいますので、そのまま起きだしました。朝食の準備をする前に、今日はビニールゴミの日ですので、玄関を出て所定の場所へ袋を運びました。年末の休みから今日まで、ビニールゴミを出す日がなかったので、今日は二週間分の量でした。他のどのビニール袋も満杯の状態でした。ここ静岡も東京同様に、二週間ほどまとまった雨がありません。乾燥しきった状態です。火事も心配ですし、風邪やインフルエンザの流行が気がかりです。

昨日は流行性角結膜炎の患者さんが一人来られました。検査で調べてみると陽性でした。アレルギーの患者も、すでに何名か来られています。予測では今年の花粉症はひどいようです。昨年夏のあの猛暑が、その原因です。私も以前は花粉症で症状もかなりひどかったのですが、還暦を過ぎてからでしょうか、症状はかなり穏やかになりました。以前は仕事をしながらも鼻水がひどく、ティッシュペーパーで 鼻をかんでいると何枚あっても足りませんでした。最後はタオルで鼻をかんでいました。最近はそこまで酷いことは、めったにありません。免疫学的にも人間的にも寛容になってきたのでしょうか。

■今朝の東京新聞「この道」は川淵三郎さんの連載71回目です。題名は「なでしこ」。 サッカーの日本女子代表チームに愛称をつけて応援したいという、サッカー協会のある女子職員からの提案がありました。川淵さんがキャプテンに就任した後、教会に提案制度を設けたのです。この提案があった時に川淵さんは最初、「そんなのつけても人気になるわけがない」と思ったそうですが、制度を設けた以上門前払いをするのはまずいので、一般公募をすることにしました。 集まったのは2700通。 「なぎなたジャパン」というのもあったそうですが、中でも多かったのが「なでしこジャパン」。「他の名前もピンとこないし、仕方がないか、で決めた」と川淵さんは正直に書かれています。

その後七夕の日に、澤穂希選手らになでしこの花をあしらった浴衣を着てもらって発表すると瞬く間に定着し、他の競技の代表チームは続々相性をつけるようになりました。「こんなになるとは思ってもいなかった」と、これまた川淵さんは驚いています。友人からは「ホントにいい名前付けたな。漢字で撫子。手を使ってはいけない子だよな」と褒められたましたが、

発表会見前に教えてくれよ。考えもしなかった。

川淵さんは、どこまでも正直な方のようです。2011年女子ワールドカップでの活躍は、未だに忘れることができません。決勝の相手米国には、それまでに20回以上戦って一度も勝っていなかったにも関わらずです。この年、東日本大震災に見舞われた日本を少しでも元気付けたい、という選手たちの思いが、この偉業をもたらしたのです。 最後に川淵三郎さんは、こんなエピソードも紹介されています。この偉業の後協会に、「女の子が股を開くな」「髪を染めるな」「いい気になるな」と信じられない内容の電話が相次いだ、というのです。これまでほとんどなかった女性からの電話が多かったそうです。

記者会見に慣れておらず、ふんぞり返ったような印象を与えたのかもしれないが、あぜんとさせられた。震災で人の心もすさんでいる、そう思わざるを得なかった。

と川淵三郎さんは、これまた正直に述懐されています。

AI

■20190108(火曜日:晴れ)

道の駅「くるら戸田」から見た空です。

■今朝は走りました。昨夜はあまり寝付けなくて、夜中に目が覚めて、あれこれ考え事で時間が流れてしまいました。以前でしたらイライラしたのでしょうが、スマートウォッチによる睡眠分析ができるようになってからは、自分で思っているほどは不眠症になっているわけではない、ということが分かって、イラつくことも減りました。今朝は5時45分に目覚ましをかけて起きようとしましたが、寝付けなかったせいもあり起きだすまでに少し時間がかかってしまいました。それでも不思議なもので6時半から走り始めてみると、今朝はとても足取りが軽くスムーズに走り続けることができました。

結局6.14 km を走り合計40.99km 残り23日59.00 km となりました。月100 km の目標に向かって順調に積み重ねができています。昨日が仕事始めでしたが、明日からは新年会などが続きます。夜出かけなければならないことが続きますので、朝のランニングも順調にはいかないかもしれません。なんにしても新しい年に1月からしっかり目標を達成していきたいと思っています。

■今朝の東京新聞「筆洗」は、こんな俳句の引用から始まっています。

かなしみの片手ひらいて渡り鳥

そして、こう続けています。

昨年、最も印象に残った句の一つである。句のでき栄えもさることながら、うなったのは詠んだのが人工知能(AI)だったことである 。ーー

北大の俳句 AI。 膨大な過去の俳句を取り込み、学ばせた結果、ここまで成長している。

とあります。この後触れられているのが昨日から行われ始めた山手線での自動運転試験の解説です。こちらの方はまだまだ発展途上のようで、運転手さんのように臨機応変に状況に適応することは難しいようです。 しかしいずれは AI が運転手の代わりを務める日がこないとも限りません。将棋の棋士をまず打ち破り、手が広いことから当分 AI が囲碁の棋士に勝つことは難しいだろうと言われていましたが、それもあっという間に 人間を追い越してしまったようです。私もこれには大変驚きました。果たして AI がどこまで進むのか。先日の NHK BS 特集番組で、あのサピエンス全史の著者 ユヴァル・ノア・ハラリが、こう語っていました。

AI によって人はホモ・デウス、神になる。

そんな日が来るのでしょうか。

さつまいも

■20190107(月曜日:曇)

戸田港からみた駿河湾です。

■今朝はゆっくりと休みました。連休最後の日曜日、昨日は朝10 km 走りましたので、今日は休養日です。 12月15日に家庭で手軽に焼き芋を作れる器械を買いました。ネットで調べて評判も上々なので試しに購入したのです。「ドウシシャ 焼き芋メーカー ホットプレート 温度調節機能 付き 平面プレート 付き SOLUNA WFS-100」 。7000円弱でした。ゴル友の坂口さんから自家製のさつまいもをいただきました。せっかくですから美味しく頂かなければ勿体ないので、試してみようと思ったのです。 最初は設定に手間取りましたが、3段階ある温度調節のうち一番高いものに設定し40分熱すれば、普通の大きさのさつまいもならば、とても美味しく出来上がります。少し太めであれば、もう5分か10分追加した方が美味しく出来上がるようです。

手軽に自宅で焼き芋が食べられるというのは、とても楽しく嬉しいものです。Sunと二人でお昼ご飯に食べました。残っていたおせち料理も、ついでに2人で平らげました。これで正月も本当に終わりです。 こうして焼き芋を身近に、また頻繁に食べるようになると、サツマイモの効用を語るネットの記事が目に留まるようになりました。食物繊維を多く含み、ビタミンも豊富なさつまいもは、体にとっても、とても有益な食品です。江戸時代に飢餓を救う食物としてさつまいもの普及が行われた、という歴史は学校でも習ったように思います。今でも青木昆陽という名前は忘れられません。ネットによれば、

青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日(1698年6月19日) – 明和6年10月12日(1769年11月9日)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。サツマイモの普及を図り、甘藷先生と呼ばれる。

と、あります。
さて今日から仕事の開始です。また新しい一年が始まります。とにかく事故を起こすことなく無事に一年を過ごしたいと思います。 昨年同様、また今年も色々なことが起こると思いますが、家族全員が健康で充実した毎日を送れることを心から願っています。 私自身は昨年から新たに務めている 役割をきちんと果たして行くことが、まず第一です。5月にはAyaちゃんに会うためにオーストラリアに行く予定です。毎日毎日を大切に送りたいと考えています。

■昨日はネットで見た中国製の格安パソコンを注文しました。Chuwi Lapbook SE Laptop 4G+32G EMMC+128G SSD $299.99です。GearBest.com というサイトで注文しました。アマゾン・ドット・コムではありません。このサイトからは初めての購入です。このパソコンを製造、販売しているのは、例の中国深センで創立された会社のようです。値段からすると、とても使い物にならない、と思いそうですが、ネットで評判を確認すると、なかなかの製品なのです。

特に気に入ったのが、キーボードが素晴らしい、という内容です。打ちやすいキーボードというのは、なかなか手に入らないのです。特にノートパソコンでは、そうです。狭い空間にキーボードを押し込めるためもあるのでしょうが、とても打ちにくいのが通例です。最近は音声入力で文章を作ってから貼り付ける、という作業が最近は多いのですが、それにしても、快適な入力は有り難いのです。

到着までに2週間ほどかかるようですが、到着が楽しみです。ウインドウズ10になってからは、日本語化の問題も無いようですので、最初に立ち上げた時に日本語を選択すれば、問題なく使用できるようです。どうなりますことやら。しかし深セン恐るべしです。

分散協調型制御技術

■20190106(日曜日:曇)

新沼津カントリークラブ13番ホールです。上りの長いミドルホールです。

■今朝も走りました。昨日は三月並みの暖かい一日でしたが、天気予報では今日は一転して冬の寒さに逆戻りのようです。朝5時半に目覚ましをかけて起きだしました。6時に目覚ましをかけて準備をして走り始めれば、周囲は明るくなり、ペンライトを持って走る必要はないのですが、そうなると帰ってきてから時間があまり取れません。と言って5時半に起きて走り始めると、今の時期ですとまだ暗くて危ないのです。今朝は10.62 km 走り総計34.84 km 残り25日65.15 km となりました。

今週末の土曜日からSunと二人で北海道へスキー旅行に出かける予定です。毎年一度は必ず出かけるようにしています。サホロリゾートスキー場で滑るのですが、千歳空港で降りて JR 線に乗り、新得駅まで行きます。そこからはホテルのバスが迎えに来てくれていますので、20分ほどでホテルに到着です。以前は帯広空港まで行き、そこからクラブメッドのバスでリゾートまで行っていたのですが、 最近はクラブメッドを利用することはなくなりました。クラブメッドに隣接するホテルに宿泊し、同じスキー場を利用してスキーを楽しんでいます。

昨年の地震によって JR 線が一時不通になっていましたが、現在は開通しているようです。千歳から新得まで2時間ほどでしょうか、現在順調に運転しているかどうか、今でも少し不安な面もあります。北海道で鉄道を維持するのは本当に大変だと思います。多くの道民は鉄道を利用するよりも車を利用しています。つまりは鉄道を維持、管理することが経営的にとても大変だということです。実際続々と廃線が北海道では相次いでいます。 北海道をドライブしていると、あちらこちらで廃止された駅舎や線路を容易に見ることができます。 映画「鉄道員(ぽっぽや)」も、今では映画の中でのみ存在しているようです。

■さてお昼前になり、Sunに体調も落ち着いたようなので、二人でドライブに出かけました。伊豆半島を海岸沿いに南下したのです。

その様子は、2019恋人岬の旅、でどうぞ。

地震

■20180105(土曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブの11番ホールです。

■今朝はゆっくりと休みました。Sunの調子がいまいちなので、昨日はのんびりと寝正月を決め込みました。今年の正月は今日まで暖かく、風もあまりない穏やかな天候に恵まれています。九州の熊本では、また地震が起こり不安な出発となりました。日本列島は本当に地震列島だと実感します。

宗教学者の山折哲雄さんが、ある本の中で指摘していました。 哲学者和辻哲郎さんの著書「風土」の中で、台風については詳しく分析されているが、地震について触れていない、というのです。山折さんによれば、和辻さんが自分自身の説を説き進めるのに、台風は都合が良かったが、 地震はそうではなかったのではないか、と指摘しています。 なんにしても、スーパーコンピューターなどの発展で、気象情報はかなり前もってわかるようになりましたが、地震の発生だけは未だに難しく、結局は後講釈みたいな説明ばかりになっています。運が悪かったと諦めるしかないということです。地震が日本人の精神を規定している割合はかなり大きいと思います。

井上陽水

■20180104(金曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブから見た伊豆半島です。

■1月4日は仕事始めです。今朝の東京新聞「筆洗」には、仕事始めを迎える人々の思いをユーモラスたっぷりに書いてます。〈三日食う雑煮で知れる飯の恩〉〈飯は良い物と気のつく松の内〉。二句はいずれも江戸期の川柳集「柳多留」。江戸の人も、さすがにお正月の雑煮続きにちょっとげんなりしていたかもしれぬ 、とあります。 カレンダーの関係で今年は私の仕事始めは来週の月曜日からです。年末は押し詰まるまで結構忙しいんですが、年始はあまり患者さんをやってきませんので、スタートはのんびりです。

今朝は走りました。10.21 km を走り合計24.21キロとなり残り27日75.78 km となりました。今朝は最初からきちんとペースを刻めたように思いました。キロ7分からスタートし最後の方はキロ6分ペースで走ることができました。 今月もまた目標を達成するべく少しずつ積み重ねていくつもりです。

さて今日の東京新聞の記事の中で一番興味を惹かれたのは、文化娯楽面でした。「あせない井上陽水」。あの井上陽水さんが1969年にデビューして今年で50周年になるそうです。井上さんの歌を一度も聞いたことがない、という人は少ないと思います。 私の中で初めて井上さんの歌が登場するのは、大学時代テニス部の先輩が何かの席で、「氷の世界」を歌っているのを聞いた時だと思います。 透明感のある歌声は、男性離れした声、とでもいうのでしょうか、不思議な歌声でした。 1973年に「夢の中へ」がヒット、アルバム「氷の世界」は日本で初めて売り上げが100万枚を超えた、とあります。

Wikipediaによれば、井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 – )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。本名・井上 陽水(いのうえ あきみ)。旧芸名:アンドレ・カンドレ。福岡県嘉穂郡幸袋町(現・福岡県飯塚市幸袋)生まれ・福岡県田川郡糸田町育ち。血液型はAB型。

つまり現在70歳になっています。七十歳の井上陽水さんて、ちょっと想像しにくいと思うのは自分の年齢のためでしょうか。 このインタビュー記事を読むと、井上さんはとてもシャイな人間に見えます。

20代から30代の頃は、ステージに出るのが恥ずかしくて、本当に嫌だった。大勢の前で歌うなんてとんでもない、仕事を間違えたと思っていました。でも年を重ねると、自然と羞恥心がなくなってきましたね。

と語っています。父親が歯科医師で、誰に言われたのでもなく跡継ぎだと思い込んでいたそうです。

僕は本当に勉強ができなかった。 学生時代の勉強はつまらない時間でした。人間に優劣をつけて社会のサイクルにはめ込む。人間という集団である以上、しょうがないと思いながら、大学受験に3回も失敗した。4浪はちょっとーーという思いもあり、。それがスタートでしたよね。

若い頃の井上さんを知らない私などは、テレビのインタビューなどに答えている最近の井上さんしか知りません。その様子は、とても軽妙洒脱な、何か落語家さんを思わせるような、そんな井上さんなのですが、この記事を読んでも、年を重ねてから、何か突き抜けたような、そんな人間性を感じてしまいます。そう思って井上さんの曲を聞き直してみると、輝きが一層増すのかもしれません。

初打ち

■20190103(木曜日:晴れ)

昨日見た愛鷹山の虹です。今年は良いことがありそうです。

■今日は同級生でもありゴル友でもある長倉さんと今年初めての初打ちとなりました。昨日は3時過ぎからあられが降る天候でしたが、今日は風もほとんど無く日差しもあって最高のゴルフ日和でした。梶河ご夫妻と四人で楽しくプレイをすることができました。 箱根駅伝の復路が戦われていましたが、長倉さんのご都合は今日しか空いていなかったので思い切って出かけました。

フォームの改造が、まだ十分なレベルに達しておらず、安定しないプレイでしたが、それでもここ数回そうであったように、めちゃくちゃにぶれるということはなくなりました。 先日坂口さんと一緒に回って教えてもらった要点を、今日は忘れることなく反復したのが良かったのだと思います。17番ホールの第3打7番ウッドが今日一番の当たりでした。上りの長い距離のミドルホールでしたが、見事にワンピンほどの距離にオンしてパーのチャンスだったのですが、残念ながらパーパットを外してしまいました。 前足上がりのホールで何度かミスショットを続けてしまったのが、今日の一番の課題となりました。もう一度レッスンを再読して、頭の中に叩き込んでおかないといけないようです。とにもかくにも、暖かくほとんど無風という最高の天候でプレイできたのは幸先の良い出だしでした。今年は良い事がありそうです。

誰かのため

■20190102(水曜日:晴れ)

今朝の百澤神社の様子です。家族の健康を祈りました。

■今朝は走りました。9.93 km を走り昨日と合わせて通算14 km となり、残り29日85.99 km となりました。元日の昨日は走り出したものの、途中でトイレに寄りたくなり、結局4 km しか走れませんでした。それでも元日に無事にスタートしたことにほっとしています。昨日はNonちゃんとTakuと、そしてYukoさんも来てくれて、みんなで楽しくおせち料理をいただきました。Yukoさんが鼻炎などアレルギー症状が強く、少し体調が優れなくて元気がなかったのが気になりましたが、食事は取れていたようですのでその点はほっとしました。なんだかんだと四方山話をしながら、みんなで新しい年を祝うと同時に、健康で良い年にしようと語り合いました。

今午前10時42分ですか、今日と明日は箱根駅伝の日です。朝8時に東京の大手町を出発しました。青山学院の5連覇達成がなるかどうかが焦点です。一度でも優勝することは大変でしょうが、それを続けることはさらに困難なことに違いありません。大学は四年間しかありませんから、選手を育て続けないと良い成績は残せません。予選会のタイムを元に学連選抜チームが結成されますが、メンバーはそれぞれ良い記録を持っている選手ばかりです。記録から行けば良い順位が取れて当然のような気もするのですが、どういうわけか学連選抜がシード権の取れる10位以内に入ったという話を聞いたことがありません。 こんなことを考えている時に思い出すのが、堂場瞬一さんの小説「チーム」です。何度か再読しました。ネットによれば、

箱根駅伝の出場を逃した大学のなかから、予選で好タイムを出した選手が選ばれる混成チーム「学連選抜」。究極のチームスポーツといわれる駅伝で、いわば“敗者の寄せ集め”の選抜メンバーは、何のために襷をつなぐのか。東京~箱根間往復217.9kmの勝負の行方は――選手たちの葛藤と激走を描ききったスポーツ小説の金字塔。

と、あります。この中に私の心に残る言葉があるのです。

誰かのためを思って走る時、人は一段強い存在になれるのだ。

という言葉です。それぞれのチームのために走る選手と、それを持たない学連選抜の選手との違いを語っています。それは単に駅伝だけに当てはまることではもちろんありません。人生はもちろん自分のために生きるのですが、それだけでは大きな力は湧いてこないのでしょう。この小説は、ハラハラドキドキしながら、最後まで読み進めることができます。毎年正月に箱根駅伝の中継を見るたびに、この小説を思い出すのです。

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