■20190822(木曜日;晴れ)
夕張駅への線路が、ここで終わっています。今年の4月に廃線となりました。
■夕張支線が廃線になったのは、今年のことです。ネットによれば、
北海道夕張市内を南北に貫く石勝線夕張支線(新夕張~夕張間16.1km)が4月1日に廃止された。1892年11月、前身の北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として開業してから126年と5か月での終焉となった。JR北海道の路線廃止は、2016年12月に廃止された留萌本線留萌~増毛間以来となる。
最終日の様子は、「3両編成に500人、170%の乗車率だった最終列車」とあります。石炭輸送から生活のための鉄道に役割を変えていた夕張支線でした。最盛期には夕張だけで高校が6校あったそうですから、往時の繁栄がしのばれます。
石炭から石油への時代の変換は、いかんともし難い流れだったのでしょう。炭鉱事故で多くの方が亡くなられたのは、様々な映画に頻出する場面で知ることができます。そうした方々の犠牲の上に、私達は高度経済成長の時代を謳歌できたのです。手を合わせて感謝するしかありません。
■今朝は走らずにゆっくり休みました。昨日は二人だけの誕生パーティを開いて、ゆっくりと夕食を楽しみました。語り合うのはやはり、これまでの30年です。新しく開業した医院の運営と、子育てに追われた30年でした。二人ともよく頑張りました。当たり前のことですが二人とも全く初めての経験でしたので右往左往の連続でした。二人とも若かったから乗り切れたに違いありません。
開院当初は患者さんも少なく、はっきり言って暇な毎日でしたが精神的には疲労感いっぱいでした。この先どうなるのやら見当が全くつかなかったからです。 8月に開業し、その年いっぱいは本当に暇でした。そんな日が永遠に続くのではないかと感じました。年末には、用意していた運転資金も底をつき始め、 このまま続けていけるのかどうか、本当に不安になったことをはっきり覚えています。
年が明けて、ある時から突然患者さんが激増しました。花粉症の季節がやってきたのです。勤務医をしていた頃には、そんなことは気づきもしなかったのですが、花粉症の威力をまざまざと見せつけられました。 その後の30年間、大きな事故も無く、無事に乗り切れたのは、ひとえにSunや病院スタッフのおかげだと感謝しています。何が起こるかわからないのが医療の世界です。これからも注意一秒怪我一生の思いで、毎日を送るしかありません。
そして子どもたちも、無事に自立して家を離れていきました。一人また一人と家を離れていくことは、当然のこととは言え、二人きりになってしまうと、また振り出しに戻ってしまった双六のような思いがしました。
今になると、もっともっと子どもたちとの時間を大切にしておくべきだった、と後悔するばかりですが、こればかりは切りがないのでしょう。その時は、いずれやって来るものなのです。