■20191018(金曜日:曇り)
■昨日は午後から新幹線と京浜急行を乗り継いで羽田空港に到着し16時35分発のベトナム空港便でハノイノイバイ空港に到着しました。現地時間のちょうど夜8時頃でした、日本時間では夜の10時となります。現地の気温は25度。蒸し暑いという程ではありませんが、台風一過すっかり秋らしくなった日本とは、やはりかなり差があります。
タインさん、息子さんのトゥン君、そして運転手さんのチュンさんが出迎えてくれました。早速バスに乗って、まずはハノイ市内に向かいました。道路は毎年整備が進み、ところによっては片側五車線の道路もありました。軽く夕食として牛肉フォーを食べました。1年ぶりのベトナム食でしたが、この店のフォーはとても美味しかったのです。
どういうわけか、牛肉フォーしか置いていない店が多いのです。私としてはチキン・フォーが希望なのですが、行った先々で牛肉フォーしかありませんでした。
さて、それからもう一度バスに乗り込みニンビン省のホテルに向かいました。ホテルに向かうハノイ市内の様子は、道路の周辺に高層ビルが立ち並び、昨年よりもさらにいっそう大都市化しかしているようでした。ハノイを抜けてからは有料高速道路が整備されていて、車は順調に目的地に向かうことができました。
ホテルに着いたのは現地時間23時30分。三星のホテルということで、とても立派なホテルでした。810号室に一旦みんなで集まり、支援物資の確認をしました。ようやくベッドに入ることができたのが、零時半を回っていました。明日はフロントに9時に集合し、活動の開始予定です。
「「「 活動開始 」」」
■昨日は飛行機バスと乗り継いて、夜中の12時前にホテルに着きました。さすがに皆さん疲労困憊でした。今朝は7時に目覚ましを合わせ、これから朝食を取るために一階におります。外は曇り空、幸い雨は降っていないようです。
ホテルは三星の立派なホテルなのですが、昨夜シャワーを浴びて見て驚きました。排水が全くと言っていいほどできないのです。つまり、シャワーを浴びると、浴室中が水浸しになってしまうのです。床の傾きが排水口とは反対方向になっているのです。一見、作みはとても一派なのですが、これはいただけません。今日は苦情を告げてみる予定です。9時にはフロントに集まって出発ですので、それまでに朝食をとる必要があります。
少食を取りに食堂へ行きました。仲間の皆さんに話を聞くと、それぞれの部屋で問題があったようです。私の部屋は浴室だけでしたが、電気系統に問題があり、スマホの充電ができなかったり、ショートを起こして、湯沸かし器が壊れてしまったり、電灯の金具が外れだりと、多事多難です。このホテルには4泊しますので、なんとか対策を建てる必要がありそうです。
上の写真は家庭訪問出発前の撮影ですが、ビンさんの困惑した表情には、状況の厳しさが反映されていることが、今にしてみれば明らかです。この後、ビンさんは行方をくらましてしまい、二度と会うことはありませんでした。なぜ段取りがきちんとできずに、そんな事態になったかの説明は一切ありませんでした。
01 | ブー・フェー・ホアン |
02 | ディ・ヴァン・カイ |
■Day 1 一軒目 ブー・フェー・ホアン
ブー・ フェー・ ホアンさん。2011年生まれの男の子。動くことはできず、生まれてからずっと、寝たきりの生活です。今は祖母と一緒に2人で暮らしています。祖父が従軍し枯れ葉剤を浴びた。父は亡くなったが、母は家出をして現在家にはいない。枯葉剤を浴びた祖父の妻である祖母と2人で残り暮らしている。父は5年前に死去、母は生後2ヶ月で家出をした。周囲の方から母乳を集めて、祖母は孫を育てた。祖父の軍人年金と枯葉剤被害者への支援金を合わせ1ヶ月90万ドン(約 4,215 円)で生活している。祖母には子供が外に4人いるが、経済的に苦しく支援はない。椅子に座らせて時折、外に連れだしている。食事はお粥、流動食のみ、祖母が作って与えている。診察も受けることなく、薬の服用もしていない。自分自身では、食事の要求もできない。会話は出来ない。祖母は57歳。ホアンさんは枯葉剤とは関係なく身体障害者支援金を受けている。
2 軒目 ディ・ヴァン・カイ
2番目の家庭は1999年生まれのディン ヴァン カイさん、20歳。兄は健在。ハノイで仕事。父は58歳従軍中に枯れ葉剤を浴びたが障害は無い。祖父が枯葉剤被害者で、すでに死亡。支援金は無し。父が仕事で生活。100万ドン。言葉は理解出来る。知的障害はない。本人は枯葉剤被害者認定無し。身体障害者補助のみ。家から病院まで10キロ以上。両親で交替で子供の面倒を見ている。
■昼飯を食べて、午後の活動を確認した時に驚くべきことが発覚しました。ニンビン省枯葉剤被害者協会のビンさんに活動の手配を依頼していましたが、人民委員会などの役所の許可が取れていないことが判明したのです。ボランティア活動をするためには、観光と違い、許可を得ないといけないのです。ところが、その許可が下りていなかったのです。
役所の担当者の方が来られてパスポートを確認し、活動の目的などを事情聴取されました。午後の活動は結局中止となり、相談の結果みんなで世界遺産の見学に出掛けました。夕方になり連絡を取ったものの、結局明日からの活動も許可は出ないとことになり、急遽昨年まで活動をしていたバクザン省職業訓練訓練センターの所長さんに連絡を取りました。
Thuy所長さんも私たちの申し出を喜んで受け入れて下さり、急遽明日の午前中にバクザン省へ移動することになりました。3時間の道のりです。明日の午後は職業訓練センターでの活動、そしてその後は可能であれば被害者家庭の訪問ができるかどうか、いま問い合わせを急遽しているところです。
ボランティア活動のためとはいえ、被害者の家庭を訪問するためには、人民委員会、被害者協会などの許可が必要な為に手続きに時間がかかるのです。今年はそういった面での手配が十分できていなかったことになります。支援隊の皆さんはお忙しい中、時間を作り、参加費を捻出した上での参加ですので、活動もしっかりせずに帰るわけにはいきません。支援物資を寄付や、支援金をいただいた皆さんの期待を裏切るわけにもいきません。大釜支援隊会長をはじめ、みんなで知恵を出し合って、残された時間内で、いかに有効な活動ができるか話し合いました。
こうした非常事態の時にこそ、仲間の団結と助け合いが何より大切なのです。非難し合っているだけでは、何の問題も解決しません。前向きに事態と取り組むしかないのです。