■20210429(木曜日:雨)

3年前に家族4人で出かけた釜山港です。海産物が所狭しと売られていました。

■今朝は予報通り雨の朝です。昨日は仕事を終えてから、Sunと二人で歩いて5分ほどのところにある日帰り温泉に行って、ゆっくりと湯船に浸かりました。一杯飲みながら食事も済ませて、雨の降る前に帰宅しました。

歩いて行けるというのは本当にありがたいことです。愛鷹山を走る東名高速道路の上にあった保養施設・ニューウェルサンピア沼津へ、日帰り温泉を利用するために、以前はよく出かけたのですが、この4月に閉鎖され、今では歩いて行ける昨日の施設ばかりです。

ニューウェルサンピア沼津へ通っていた5年間ほどの間に、我が家にはいろいろなことが起こりました。進学のために、すでに家を離れていた3人の子ども達が、 それぞれに新しい進路を歩み始めたのも、この期間でした。

Nonは地元の病院に勤めはじめ、地域医療に取り組み始めましたし、Takuは念願の司法試験に合格し、法律事務所での仕事をはじめました。そしてAyaはオーストラリアに旅立ち、夢の実現に向かって挑戦する日々を開始したのです。そして何より、3人とも新しい家庭を持ったのです。

本当にあっという間の出来事でした。夫婦二人で食事を取りながら、この食卓で5人の家族が食事を共にしていた時期があったことなど、今では想像することも難しくなったと毎回思うようになりました。

末っ子のAyaが進学のために家を出たのが16年前ですから、その時から我が家は二人きりの生活に戻っていたわけです。今のこの家に5人で住み始めてから、 そしてAyaが最後に家を離れるまで、子どもたちと一緒に15年間暮らしたことになります。

終の棲家であるこの家において、子どもたちと一緒に暮らした時間よりも、夫婦二人で暮らしている時間の方が長くなってしまいました。 結婚当初は当然二人きりの生活でしたから、結局は元に戻ったということです。

なんだか慌ただしく毎日、毎日を、ただ懸命に送っていただけの日々でしたけれども、 こうして見ると、ようやく振り返る余裕ができたのかもしれません。 作家の倉田百三さんが、こんな言葉を残しています。

この世は無常迅速というてある。

その無常の感じは若くてもわかるが、

迅速の感じは老年にならぬとわからぬらしい。

─ 倉田 百三 ─
(『出家とその弟子』)

つまりは自分自身も老年の域に達したということでしょうか。

■さて午後から雨の中を、眼鏡店に注文してあった遠近両用のメガネを受け取りに行きました。前回作成したレンズは加入度数が強すぎて、読み取れる範囲が狭すぎて、使い物になりませんでした。遠近両用のメガネは初めての使用でしたので、作成の要領がよくわかりませんでした。

今回作った度数では、今のところ不自由なく遠近を見ることができ、満足しています。やはり近くが見えないと本当に困ります。軽い近眼状態にある今の自分の目では、手元を見なければ日常生活に不便はないのですが、近見の必要がない生活は、やはり存在しません。

ということで、今は作りたての眼鏡にて、この入力をしています。50センチ離れた画面に向かって打ち込んでいますが、慣れれば自分の目よりも鮮明に文字を見ながら入力が可能です。

手元のスマホも充分に読めるので、苛立ちもありません。あとは仕事の際に、この眼鏡で充分な明視空間を確保できるかが最後の関門です。

風雨の中なのでショッピングセンターも空いてるかと思いきや、なんと家族連れで大混雑。どこへも行けずに近場で時間を過ごそうとする家族が多かったのです。

人によっては大型連休に突入した人もいるのでしょうが、私はカレンダー通りの仕事です。しかも5月2日は休日当番日に当たってしまい、それまでは身動きが取れません。致し方ありません。そんな年もあるということです。