■20210603(木曜日:晴れ)
■今朝は走りました。昨日の朝は走ろうと思いながら、疲れのためか起きだすことができませんでしたが、今朝は無事に起き出すことができました。
天気予報では今日の夜から激しい雨となり、金曜日は一日中大荒れの天気のようです。今日走っておかないと、積み重ねが延び延びになってしまいます。
ということで、今朝は39分42秒、5.92km走り、今月は2回のランで11.80kmを積み重ねました。残り27日で月100キロ走の目標までは、88.20kmを残しています。
今朝は校庭にたどり着いてから、タイマーをいつもより1分だけ長く設定しました。21分です。大した違いではないのですが、自分の体にとって、どの程度の負荷が無理なく続けられるものなのか、色々試行錯誤をしてみようと思っています。
■沼津西ロータリークラブ創立30周年記念誌のための原稿を、事務局から依頼されましたので、2016年-17年度に務めた会長職を振り返ってみました。毎週発行した週報を読み直したのですが、まず驚いたのが、たった5年前の自分が、今よりずっと体力があって、元気だったということです。
マラソン大会にも参加していますし、3時間以上の LSD も行っていたようです。この5年間での体力の衰えは、それまでの状況とは全く異なるようです。
フルマラソンを完走しようと、定期的に走り始めたのが59歳でしたが、今思えば信じられないほどに元気でした。先月は色々な事情で月100キロ走が達成できませんでしたが、ひょっとすると、二度と達成できないのではないかという不安を、ひしひしと感じます。
今年の8月で68歳になりますが、90歳で亡くなった父の晩年を思い出しています。自分自身の脚でトイレに行くことすら、難しくなってしまった父の晩年の姿です。
決して運動嫌いではなかった父。ウォーキングを晩年まで欠かしませんでしたが、やはりそれだけでは負荷として足りないということなのでしょう。その姿が網膜に焼き付いて離れないのです。いずれ自分も、そうなるのかと思うと、恐ろしさに震える思いです。
誰もが避けては通ることができない問題です。究極の理想である、ピンピンコロリが誰にでも可能であるわけがありません。ひょっとすると、意に反して無理やり生きながらえさせられてしまう可能が大なのです。
端から見れば、そこまでして生きながらえる意味があるのだろうか、とさえ思ってしまうような状況を、しばしば散見します。しかし命ばかりは、お迎えがくるまで、待つしかないのです。
毎日、毎日、自分にできるだけのことをなし、目標に向かって少しずつ、一歩一歩前に進む。
人事を尽くして天命を待つ、とは、そうしたことを示しているのでしょう。