■20220513(金曜日:雨)
■今朝は雨です。昨日から本格的な避難生活が始まりました。2階の改装工事のため、3階に移動したのです。全ての生活用品が移動しましたが、台所もお風呂もありませんので、いつもとはだいぶ違う生活です。
今朝はとりあえずポットでお湯を沸かし、コーヒーとリンゴ半分ずつと、私はヨーグルトを食べました。困るのは包丁・まな板などの調理器具、食器やお箸などが、どこへ仕舞ったか見当がついていないことです。
何とかかき集めて、無事に終えました。洗面台とシャワーは、30年以上使用していなかった3階のものを、整備し直しました。立派に利用できるようになりました。何事も手入れが大事だと、痛感しました。
テレビはSunの寝室が一番落ち着きそうなので、そこへ取り付けました。狭い空間の仮住まいなので、テレビを観ることは、ほとんど無くなりそうです。
今朝の朝食も、廊下で一人スマホでラジオを聞きながら、食事を取りました。そして昔々を思い出していました。子供の頃、朝食を母が作ってくれていた台所・食卓で流れていたのは、ラジオ放送でした。もちろんスマホではありません。本物のラジオです。
ラジオのパーソナリティが、様々な内容の事を語っていました。子供心に興味深く聞き入ったこともあります。未だに鮮明に覚えているのは、女優の高峰秀子さんが書かれた自伝「わたしの渡世日記」です。確か週刊朝日に連載後に、1976年出版されました。
ネットで調べてみると、
『わたしの渡世日記』というのは、『週刊朝日』の昭和 50 年 5 月 23 日号~11 月 14 日号に掲載された。西暦で言うと 1975 年であって、高峰秀子( 1924 年~ 2010 年)が 51 歳の時である。
と、あります。連載中にしても、もう大学生ですから、休みで家に戻っていた時に聞いたのでしょうか? その後、本を買って読みましたが、大変面白い本でした。高峰さんの、人柄と文章力の為せる技です。日本映画の草創期から黄金期にかけての物語でしょうか。
朝食はたいてい、目玉焼きとご飯、そして味噌汁だったように記憶しています。慌ただしく食べては学校へ向かいました。そんな母が亡くなって、もうまる6年が過ぎました。こんな時に、思い出すものなのですね。
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