2019出雲日御碕(ひのみさき)灯台から

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小倉

■20200322(日曜日 曇り時々雨)

たくと宿泊したホテルです。

■さて、今日で山口の旅も終わりです。始まってしまえば、あっという間の3日間でした。今日は飛行機の出発が19時35分と遅めの便しかありませんでしたので、1日をどう有効に利用するか知恵の絞りどころです。

まずは金子みすゞ記念館に行くほど見せました。カーナビにセットして宿を出たのが8時半過ぎでした。記念館が9時から開館されることは、ネットで確認してありました。所に到着してみて、残念だったのはコロナウイルス感染の関係で閉館中だったのです。

金子みすゞは、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に生まれました。仙崎は漁港の街でした。「大漁」の詩が思い浮かび、なるほどと納得しました。

みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館。

みすゞが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されている。

と、Wikipedia にある記念館を訪れたのですが、コロナウイルス感染症騒ぎの中で、残念ながら閉館中で、見学はできませんでした。

実家であった書店の中に記念館があります。

この通りは商店街であり、往時には多くの人々が行き交ったに違いありません。

どの地方の商店街も衰退の一途です。人通りが、ほとんどありません。

記念館は閉鎖されていましたが、玄関までは見ることができました。

中庭には、みすゞの像が飾ってありました。

劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。

■さて記念館が休館中でしたので、そのまま関門海峡を俯瞰できる場所を求めてスタートしました。途中で「道の駅 センザキッチン」に立ち寄りました。仙崎はすぐ沖に青海島を望む漁港でもあり、観光地でもあるのです。遊覧船が出ていました。

建物は木を基調にした落ち着いた雰囲気で、海の幸、そしてジビエも豊富にあり、飽きることがありませんでした。

秋吉台

■20200321(土曜日 晴れ)

伊香保温泉への道です。

■今日は岩国から萩へ向かう予定です。昨夜は割烹旅館「白為」ならではの美味しい夕食をいただき、本当に満足でした。6室しかない旅館なのですが、キァンセルが相次ぎ、結局宿泊客は私たち二人だけでした。地元の日本酒3種類を試してみて、一番気に入った銘柄を二合いただけるプランでした。

今朝のニュースでは、昨日のニューヨーク市場で、ニューヨーク州知事が全ての労働者に自宅待機を命じたとの報道を受けて、900ドルのげらくを記録しました。投資家が手元にドル紙幣を確保しておきたい、と気持ちが募っているようです。株や債権への信頼が崩壊しつつあるのです。リーマンショックの際も叫ばれた、「キァッシュ イズ キング」というわけです。

■さて宿をあとにして、まず目指したのが秋芳洞です。かの有名な鍾乳洞です。

秋芳洞(あきよしどう、「しゅうほうどう」の読みは誤り、詳細は後述)は、山口県美祢市東部、秋吉台の地下100-200Mにある鍾乳洞で、約1KMの観光路をもって公開されている。鍾乳洞としては日本最大規模。

洞奥の琴ヶ淵より洞口まで、約1KMにわたって地下川が流れ下っている。 1990年前後の洞窟探検家による琴ヶ淵から奥への潜水調査の結果、東方約2.5KMにある葛ヶ穴まで連結し、総延長は8,850Mに達した。

2016年7月からのの山口大学洞穴研究会と秋吉台科学博物館でつくる「秋吉台カルスト洞窟学術調査隊」の測量調査によって総延長は10,300Mに伸び、現在日本第3位にランクされている。

1926年以前は滝穴(瀧洞)と呼ばれていた。特別天然記念物。秋吉台国定公園に属する。

百枚皿です。

■さて秋吉台を走り抜け、宿へ向かう途中で、「道の駅 萩シーマート」に立ち寄りました。

秋吉台です。

道の駅には、可能な限り立ち寄る、という方針で旅しています。北海道でも九州でも、どこでも道の駅です。その土地、その土地で海の幸、山の幸が楽しめてドライブ旅行の大きな楽しみの一つです。

巨大なアンコウには、びっくりしました。9,800 円でした。アンコウ鍋、美味しいのでしょうね。

さて宿に着いて評判の岩風呂に入りました。今日のホテルは、思ったほど閑散としているわけではありませんでした。外国からの観光客は、さすがに眼にしませんでしたが、日本人の客で充分普段どおりに見えました。

のんびりと夕食を楽しみました。

こうして無事に一日が終わりました。

錦帯橋

■20200320(金曜日:晴れ)

伊香保温泉の宿から見た風景です。

■昨日は仕事を終えて一休みしてから、富士山静岡空港へ向かい、北九州空港へFDAで舞い降りました。海上に埋め立て空港として造成された空港の周囲には、ほとんど何もないような状態ですが、唯一のホテルである東横インに宿泊しました。

食事を取る店も空港内に三件だけあるのみで、どうしようかと思いましたが、ホテルで無料のカレーライスを出してくれると知って驚きました。空港で夕食を取り、送迎バスでホテルまで行き、チェックインした後、さらにカレーを少々いただきました。明日に備えて早めに休みましたが。

北九州空港のホテルから見た連絡橋です。

■さて今朝は9時からレンタカーを借りて山口県に向かう予定です。ホテルの裏になるレンタカー店に行き、予約してあったアクアを借りて出発進行です。目的地は錦帯橋です。Wikipedia によれば、

日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。藩政史料には「大橋」と表記されることが多く、また「凌雲橋(りょううんばし)」、「五竜橋(ごりゅうばし)」、「帯雲橋(たいうんばし)」、「算盤橋(そろばんばし)」などとも呼ばれていた。「錦帯橋」という美名は完成後に定着した説が有力とされている。文書による初出は宇都宮遯庵の記述した文書内である。

5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートルで、主要構造部は継手や仕口といった組木の技術によって釘は1本も使わずに造られている。石積の橋脚に5連の太鼓橋がアーチ状に組まれた構造で、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として知られる。また美しいアーチ形状は、木だけでなく、鉄(鋼)の有効活用がなされて初めて実現したものである。杭州の西湖にある堤に架かる連なった橋からヒントを得て1673年に創建された。西湖の錦帯橋とは2004年に姉妹橋となっている。現在そのほとりには錦帯橋友好の石碑が建立されている。

1950年(昭和25年)の台風で全て流失したため、現在の橋は1953年(昭和28年)に建造当時のまま復元されたものである。

桜の名所として、吉香公園と共に日本さくら名所100選に選定されている。

グーグルマップで調べると北九州空港から錦帯橋までは3時間弱と出ましたが、急ぐ旅でもないのでのんびりと一般道を行きました。まずは137キロほど走って、「道の駅 ソレーネ周南」で一休みです。

販売されている海の幸、そして山の幸が新鮮で、しかもとても廉価なのです。びっくりしました。惣菜やお弁当の豊富なことも驚きでした。いくつか惣菜を買って、隣接する施設でいただきました。本当に素晴らしい食材でした。また立ち寄ってみたい思いでいっぱいです。

■さて、さらに64キロを走り、錦帯橋に到着です。到着したのは午後2時前でした。最高の青空です。ただ一つ残念だったのは、桜の開花には数日早かったことです。明日には咲き始めるのではないか、とはガイドさんのお話でした。

  • ケーブルカーを降りて市内を見渡しました。

ボランティア・ガイドの方が案内と説明をしてくださいました。退職後にガイドを始められたそうです。

とても勉強されている様子が私にも分かりました。

ケーブルカーに乗り岩倉城に向かいました。ケーブルカー駅から見晴らす景色は、とても見事でした。これで桜が満開なら、絵も言われぬ風景でした。それでも吉田兼好が言うとおり、

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

雨に向かいて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。

なのです。つまりは想像力を働かせろ、ということです。明日になったら、この桜の木々は、どれほど美しく咲き誇っているのだろうか、と想像する心。錦帯橋から眺める桜の無数の蕾を見ながら、明日の様子、明後日の様子を想像する心こそが、美を愛でる心ということなのでしょう。

帰りがけ、写真を撮ってもらった若者グループの一人と。明るい若者たちでした。

■のんびりと散策の後、「旅館 白為」に落ち着きました。6室のみのこぢんまりした旅館ですが、落ち着いた佇まいは、ただものではありません。新型コロナウイルス騒ぎで、キャンセルが相次ぎ、今夜宿泊したのは、私達二人だけ。独占でした。

地酒を用意してくれました。三種類から私達が選んだ二種類を、2合ずつ提供してくれました。

主な地酒には5種類あるそうですが、女将が用意してくれた三種類の中には、かの有名な獺祭が選択肢にはありませんでした。女将の趣味でしょうか。

辛口の2銘柄は、甲乙つけがたい美味しさでした。

次々から次に出てくるお料理の見事なこと。2時間かけて、ゆっくりといただきました。

私達以外のお客さんがキャンセルされたのは、旅館にとっては大変な災難でしたが、こうしてこの旅館を独占できたのは、私達には至福の時でした。

近代化

■20200315(日曜日:晴れ)

3月15日の榛名湖の様子です。雪に覆われていることに驚きました。

■昨日は新幹線を乗り継いで、たくと待ち合わせて、車で伊香保温泉まで送ってもらいました。高崎駅から両毛線に乗り換え、高崎門前町駅で下車、無事に待ち合わせることができました。たくの家から最近駅なのです。

昨夜は温泉に浸かって、ゆっくりと食事を共にして家族水入らずでした。たくの仕事も今のところ順調のようで安心しました。健康と生活のことが、やはり親としては一番心配です。

■さて今日は榛名湖のロープウェーに行くことにしました。当初は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」を見学する予定でしたが、帰りの電車の関係で難しそうだ、という判断でしたが、せっかく青空が戻ったので榛名湖ロープウェーを優先しました。

ところがどっこい、そうは問屋が卸してくれませんでした。榛名湖までの道路が一面の雪景色だったのです。

この写真では道路は安全そうですが、シャーベット状の場所が多かったのです。

もう少しで榛名湖、というところで右手にロープウェー乗り場への案内板が見えてきましたが、運行停止のようでした。そのまま進んで、榛名湖管理事務所へ向かいました。

すんもたくと一緒で嬉しそうです。でも太陽が眩しいのです。一面の銀世界でした。
榛名湖ロープウェーも運行停止でした。

■榛名湖についてみて、その雪景色に驚きました。榛名湖の標高は、1,084m とありますから、山中湖の 980m よりも高いのですから、べつだん天変地異というわけではないのですが、それでもその違いには驚くしかありませんでした。

そのためか、観光客はほとんどいません。管理事務所もコロナウイルス感染症のため閉鎖という張り紙がありました。

記念写真を撮ってから、時間をみて調べると富岡製糸場と絹産業遺産群にも立ち寄る時間は充分ありそうだという事になり、カーナビをセットして出発しました。

まるで箱根駅伝のコースを駆け下りるように、下り道をドライブしていると、急激な景色の変化に、またまた驚きました。あっという間に雪景色が消え去り、どこにでもある里山の風景が出現したのです。

■富岡製糸場と絹産業遺産群には11時過ぎに到着。市営の無料駐車場に止めて、ぶらぶら歩き始めました。最高の青空です。上信電鉄上州富岡駅 、富岡市役所などなど青空のもと、三人で楽しく散策すると15分ほどで到着しました。

上信電鉄上州富岡 駅です。

たくの法律事務所の親分である高橋伸二先生が、富岡製糸場を愛する会を立ち上げ、いわば生涯を掛けて勝ち取った世界遺産です。本当に地元の宝です。

工場内は見学できませんでした。

ただ残念ながら新型コロナウイルスの関係で、工場内は見学できないとのこと。見学料はしっかり取られましたが、一年以内ならその券で無料見学できる、ということでした。でも一年以内に再訪することは、残念ながら無さそうです。

記念撮影です。親ばかです。(●^o^●)

見学者は思ったよりも少なく、のんびりと見て回りました。近代化を急ぐ明治時代。人々は追われるように、必死になって欧米から科学技術を学ぶ必要がありました。国の存続そのものが掛かっている、過酷な時代背景が有りました。

桑の木です。蚕の餌になる葉を収穫します。

明るい部分に光を当てれば、「坂の上の雲」になるでしょうし、暗い部分に光を当てれば「女工哀史」となるはずです。どちらも同時並行で人々を駆り立てたのでしょう。

今では想像もできない時代環境だったに違いありません。お雇い外国人技師のフランス人技師が家族とともに来日して指導にあたっていました。今では想像もできない高額の年俸で雇っていたわけです。貧乏国にとっては大きな負担でした。それでも知識も技術もない東洋の一小国が生き延びるには、そうせざるを得なかったのです。無慈悲な厳しい時代でした。

欧米諸国によって中国を始めアジア諸国は、散々なひどい目にあっていました。泥棒や人殺しなど、なんとも思わない連中だったのです。自由・平等・博愛は、アジア人には当てはまらないのです。

テレビのCMを観ていると、モデルを務める欧米の白人の、なんと多いこと。劣等感の裏返しです。いつまで、そんなことを続けていくのか。本当に残念なことです。

■さて無事に見学も終わり、昼食を取るために高崎駅方面に戻りました。少し遅い昼食でしたが、イタリアンを希望したところ、たくが美味しい店を知っていました。到着してみて驚きました。お客さんが長蛇の列を作っているのです。14時近かったのですが、その混雑ぶりには驚きました。

最初はテーブル席をお願いしたのですが、それではいつになるかわからずにカウンター席に変更し、ようやく席に付くことができました。

注文したパスタを見て、そして食べてみて納得しました。なるほど人気店になるはずだ、と分かりました。食事も無事に終え、高崎駅に向かいました。

16時半近くの「とき号」に乗ることができ、あっという間に東京駅です。東海道新幹線こだま号が出発したばかりで、30分ほど待つ必要がありました。ホームの待合室に入りました。いつもでしたら、いつもまにか長い列ができているのですが、この日は出発の5分前に並び始めても、ゆうゆうと席につくことができました。本当に人出が減っているのです。

不要不急の外出を自粛するようにという政府の要請は、経済に深刻な影響を与えているようです。日銭商売は、本当に大変だと思います。政府の対策が必須です。

こうして家に辿り着いたのが、17時半過ぎでした。楽しかった週末も、あっという間に過ぎ去りました。

月の友

■20200314(土曜日:曇のち雨)

境港駅前の様子です。鳥取県なのです。

■一昨日、昨日と2日続けて走りましたので、今日は休養の朝です。天気予報によれば9時過ぎからは、静岡県東部でも雨。関東地方も山沿いでは、午後から雪になると報じています。

群馬県に住んでいるたくのところへ、すんと一緒に遊びに行く予定なのですが、車で行くか電車で行くか、2人で悩んでいるところです。なにしろ雪道を運転するのは恐ろしいので、どうやら電車で行くことになりそうです。

東名を通り横浜から圏央道に入って、八王子経由で高崎へ行こうかと思っていたのですが、八王子近辺では雪になっているかもしれません。こちらはノーマルタイヤでしか運転していませんので、万が一にも雪道になってしまうと、ニッチもサッチもいかなくなってしまいます。電車で行くのが正解でしょうか。

新型コロナウイルスの蔓延を考えると、人が集まる駅は避ける方がリスクは少ないのでしょうが、雪道でスリップするよりは危険性は少ないのでしょう。

■さて今朝の東京新聞、「今昔記」には多摩川駅界隈の様子に関する記事が書かれています。隅田川と小名木川が合流する水辺に設けられた芭蕉庵史跡展望庭園、その入口にある句碑にはこう記されています。

川上と この川下や 月の友

奥の細道の旅を終えた芭蕉が、門人杉風らの尽力による3番目の芭蕉庵で暮らした晩年の句です。

庭園より少し上流にあった武家屋敷から川面に張り出した五本松近くに船を浮かべ、同じように月を眺めているであろう友に思いを馳せた句だそうです。

この句に接して思うことは、果たして自分に、こうした友がいるだろうか、という思いでした。もちろん俳聖であった芭蕉と私とでは比較にはなりませんが、同じような思いを抱いたとしても不思議ではありません。もう私も晩年なのですから。

■さて仕事が終わってから電車を乗り継いで高崎まで行きました。たくと会って伊香保温泉に宿泊するためです。新幹線を乗り継いで高崎駅で下車。両毛線に乗り換えて高崎問屋町駅で降りました。駅前でたくと待ち合わせて車に乗せてもらい、伊香保温泉の旅館に向かいました。

沼津から東京を経由して高崎に行きましたが、途中も雨が降り、寒々しい天候でした。それでも車に乗った時には雨が降っている状態でしたが、伊香保温泉に近づくにつれて、周囲が雪景色に変わっていくのに驚きました。

今日は朝から車で行こうか、電車にしようかと2人で散々迷ったのですが、雪景色を見て電車で来たことにホットしました。スタッドレスを履いていない私の車では、この雪道を運転するのは危険極まりないからです。たくの車はスタッドレスを履いていましたので、安心して宿へ向かうことができました。

宿についてやっと一息つきました。最初の予定では伊香保温泉ではなく、草津温泉に宿泊する予定でしたが、天気予報を睨みながら雪が降るという予想から、とても車で行くのは無理と判断し、草津よりもずっと標高の低い伊香保温泉に変更しましたが、実に正しい決断でした。

あの時間であの天候では草津温泉に着くのは、いつになるか想像もできない状況でした。宿に着いたのは17時30分近かったのですが、明るいうちに着けたのは本当に幸運でした。チェックインを済ませて、夕食は当初の19時半から19時に変更してもらうことができましたので、ゆっくりとお風呂に入って、ちょうど良い頃合となりました。

宿泊した「ホテル木暮」という旅館は、とても由緒のあるホテルのようで、たくによれば伊香保温泉の湯量の約4割を使用する権利を持っているとのことで、たくさんの湯船があるのには驚きました。いくつものを湯船に浸かり、しっかりと温まって、部屋に戻ることができました。

19時から夕食を取ることができましたが、3人でゆっくりと話をしながら夕食をとることができたのは、本当に幸せな時間でした。

3人でゆっくりと歓談することができました。

旅の終わり

■20200211(火曜日:晴れ)

新さっぽろ駅前です。

■今朝は7時に起きて朝食を取りに31階のレストランに行きました。展望が素晴らしいのです。ゆっくりと朝食を取ったのち8時59分電車で新千歳空港へ向かいました。

30分程で新千歳空港駅に到着。電車は満員でした。車内の案内では、札幌から新千歳まで、新しいダイアでは1時間に5本があり、さらに便利になるようです。

札幌雪祭り

■20200210(月曜日:晴れ)

新さっぽろ駅前です。

■午前中にゲレンデで滑った後でホテルに戻り、風呂に入ってバスを待ちました。新得駅からJR線に乗って新札幌駅に到着したのが1545分。時折雪が横殴りに降る中を投宿先のホテルエミシアに向かいました。

歩いて3分の距離ですが、降る雪の中を歩くのは、なかなか大変でした。一面の雪景色。風情があります。ただし、これから電車に乗って雪祭りを見に行くとなると話は別です。

でもここでめげてしまい、見に行くのは明日で良いや、となった場合、明日はもう出かける元気が出ない可能性の方が高くなりそうです。天気予報によれば、明日の札幌の天候は曇り時々雪だからです。

めげそうな気持ちにムチを入れてホテルを出ました。地下鉄で30分程です。大通駅で下車して、4番出口から地上に出ました。テレビ塔から一直線に続く大通り公園のど真ん中に出ました。

雪祭り、真っ盛りです。しとしとと雪が降る中、雪像を見て歩きました。

スキー

■20200209(日曜日 晴れ)

サホロスキー場です。

■昨日、富士山静岡空港からANA便で新千歳空港に到着。新千歳空港には18時前に到着し、JR線で千歳駅まで行き、駅から歩いて2分のところにあるJRイン千歳でチェックインしました。そのまま駅前の居酒屋に2人で繰り出しました。

新千歳駅からの電車の中で、一歳半の子供を連れた若い夫婦とお話しました。長崎で生まれ大手薬局チェーンに就職し7年間静岡で勤務していました。薬剤師さんでした。

長崎から家族で札幌雪祭りを見学するために来られたそうです。孫を持つお爺ちゃんとしては、ついつい子供さんに目がいってしまうのです。

さて千歳駅前の居酒屋で乾杯です。毎年二回は必ず千歳に来ています。スキーとマラソンです。真冬と初夏という正反対の季節ですが、どちらも素晴らしいのです。

■今朝は7時に起きて一階のレストランで朝食を取り、910分発の電車で南千歳駅に行き、スーパーおおぞら号釧路行きに乗り換えました。

今1040分現在、占冠とトマムの間を順調に疾走中です。雲一つない青空です。昨年末、私自身白内障の手術を受けました。混濁が取れて、こんなにも鮮明に見えるものかと驚いていましたが、こうして北海道の雪と青空を見ると、その感激も深まりました。

■1120分発の送迎バスで十勝サホロリゾートに到着。新得駅から12分ほどでした。チェックインを済ませ部屋に入って、レンタルスキー一式を借りるために、さっそく受付に出向きました。

無事に手続きも終えて、リフトに辿り着いたのが、12時50分でした。ゲレンデで滑るのは一年ぶりです。

ゲレンデに立って、まず感じたのは、本当に寒いのです。空は晴れ渡り日差しも充分なのですが、マイナス20度の気温では致し方ありません。風が吹き渡る度に、何枚も着重ねた衣類を突き抜けるように、寒さが身に染みます。

夜のニュースによれば、北海道は19年ぶりの寒さに襲われているようです。異常に寒いのです。じっとしていられません。と言って、ずっと滑り続ける訳にもいきません。日向ぼっこで時間潰しが出来ない寒さなのです。

■1330分にはゲレンデにあるレストランで軽く昼食を取りました。私はラーメン、Sunは山菜蕎麦でした。美味しかったです。

再度滑り始めたのですが、手の指先が寒さで痺れて来ました。15時にはホテルに戻りました。さっそく風呂に入って、湯船と水風呂を交互に繰り返すアイシングを3回しました。筋肉内に溜まった老廃物を除去するためです。疲れの残り方が、全然違います。

■1730分から夕食としました。バイキング形式のレストランにしました。北海道の幸満載です。無料でステーキが注文可能でした。しかし届いたステーキを見て驚きました。その量と美味しさにです。さすがは北海道です。

昨夜の居酒屋の食事にはガッカリしたので、嬉しさが格別でした。居酒屋の料理は、すっかり安っぽくなってしまいました。以前は、その新鮮さ、その価格、その彩り、何もかにも、さすがは北海道と感激していました。ところがデフレの元で何もかにもが、すっかり劣化し、ちゃちに成り果てたのです。

国のトップが、その典型です。しかし、それは国民の劣化でもあるのです。本当に悲しいことです。

そしてマスコミは隣国の揚げ足取りばかり続けています。国民の目をそらすためです。これが日本の本当の姿なのです。

この7年間で日本は、すっかり落ちぶれてしまったのです。テレビを見ているだけでは、そのことに気づくことはありません。相変わらず日本は、アジアの最先進国だと思い続けているのです。

サホロへ

■20200208(土曜日:晴れ)

千歳駅前です。夜7時で気温は、マイナス12度でした。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝も今朝も強い冷え込みで寒い朝となりました。旭川では最低気温がマイナス30度を超えるような信じられない気温を記録しています。まさに極寒です。

昨日の朝はニュースによれば東京でもマイナス 2 度の気温を記録しましたが、幸い我が家では水道管も凍ることがありませんでした。毎年冬に一度か二度は水道管が凍って、朝お湯が出ないことがあります。

ランニングが終わって、熱いシャワーを浴びようと裸になってお風呂場に入るのですが、いくら待ってもお湯が出てこない時ほど心細いことはありません。それが今年は一度も起こりませんでした。暖冬に違いありません。

昨年の冬は掛け布団の選択に困った記憶があります。寝る時にかけていた掛け布団で暑すぎて夜中に目が覚めたり、逆に薄手の掛け布団で眠った時には寒くて目が覚めたり、布団の中に入った時と朝起きるまでの間に、何度も掛け布団を替えなければならないことがあったのです。

気温に対する体の適応能力が落ちているのです。昔はそんなに困った記憶はありません。そういう意味では、昨年に比べれば、夜中に布団の中で右往左往した記憶が、今年はありませんでした。

暖冬だったためなのか、自分自身が体の変化に気づき、対処のための要領がわかってきたためなのかは分かりません。

■今朝の東京新聞「未来を探る」欄では、「返信したら人類滅亡? 未知との交信」と題して書かれています。宇宙人が発した電波を探す実験が世界中で進行中です。

これまでにも宇宙人からかもしれない電波信号もキャッチされていますが、有名なのは「Wow ! 」シグナルだそうです。知的生命を探していたアメリカ・オハイオ州立大の電波望遠鏡が 1977 年、突然強い信号を受信しました。自然界では珍しい周波数の電波で、宇宙人が通信する時に使うと考えられていました。人工的な電波かもしれないと、データーを見た天文学者は、あまりの驚きに記録用紙に「Wow ! 」とペンで書き込みました。そこから、こう名付けられたそうです。

ここの信号は 72 秒間観測されましたが、それ以来二度と受信はできていないようです。宇宙人からのメッセージとも、自然の現象とも言われていますが、結論は出ていないようです。『知的生命の電波ではなくても、未知の現象だ。探す価値はある』との指摘もあります。

私も読みましたが、宇宙人とのファーストコンタクトがテーマの中国のSF小説「三体」では、異星人への返信で人類が危機的な状況に陥ってしまう様子が描かれていました。

物理学者の故スティーブン・ホーキンス博士は、宇宙人に返信することについて反対していました。高度な文明であれば地球が滅ぼされてしまう可能性があるからです。

何にしても遥か遠くの話ですので、想像もできませんが、夢いっぱいであることも間違いありません。この広い宇宙に、生命体があるのが地球だけだ、と考える方がおかしいのですから、私達と同じような人類が、きっとどこかに暮らしているのでしょう。

鉄道

■20200202(日曜日:晴れ)

■さて今日は初孫の顔を拝みに出かける予定です。今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。

上の写真は昨年の2月に出かけたスキー旅行の様子です。千歳に泊まって次の朝、南千歳駅からスーパーとかち号に乗って、新得駅まで行ったのです。そして新得駅からは、バスでサホロのホテルまで送ってもらいました。

ここ数年、恒例の新年スキー旅行です。スキー場には長居はしません。疲れ果ててしまうからです。昔は何日でもスキーができたのですが、今は丸一日滑れば、もう充分滑った気になってしまいますから、それだけ歳をとったということでしょうか。

JR北海道は経営面で、とても厳しい状況にあるようです。それは容易に想像することができます。何しろ広大な土地に人が住んでいるわけですから、東京辺りで想像するような混雑する電車というのは、札幌周辺以外はあり得ないでしょう。つまりそれだけ収益力が低いということです。

もちろんそれは鉄道の必要性が低いという意味ではありません。そして、線路の補修にとても手がかかります。大雪が降ったりすれば維持管理がとても大変です。厳しい自然状況の下では当然のことです。つまりそれだけ経費がかかるということです。

収入は少なめで、維持管理に経費がかかれば、経営面で苦しいのは当然です。自然に任せれば良い、市場が結論を出してくれるのだというのは、あまりに短絡的な考え方です。

東海道新幹線というドル箱を言わば、国からタダ同然で譲り受けたJR東海が経営面で優等生であるのは、これまた至極当然のことです。

鉄道という国民の財産を考えれば、国全体としてバランスをとることが大切なのではないでしょうか。国鉄民営化は手放しで賞賛されがちですが、もう一度、国全体としての視点が取り戻されなければいけないと私は考えています。

都会だけが繁栄していれば良いというのは、あまりにも近視眼的な発想です。もし大きな災害が大都市を襲った時に、日本は司令塔を失った、本当に無秩序な国に陥ってしまいます。取り返しがつきません。今だけ良ければ良い訳ではないのです。

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