カテゴリー: 旅 Page 1 of 6

代議員会

■20190623(日曜日:曇)

 

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ザ・キャピタルホテル東急のフロントです。さすがは一流ホテルです。

 

■土曜日、仕事終わってから東京へ向かいました。なぜか外来は大混雑で、診療時間を15分ほどオーバーしてしまいました。昼食をとり一息入れてから、駅まで歩きました。年に1回開催される日本眼科医会全国代議員会に出席するためです。北は北海道から南は沖縄まで、各都道府県から眼科医会の144名の代表が集まり、活動について、また予算について検討するためです。

 

私は昨年から参加するようになりましたので、今回で2回目なのですが、 雨模様だった昨年の会議から、もう1年が経ったのだと、時の経つ早さに感慨を覚えました。昨年はあと一か月でTakuの結婚式という、我が家にとっての大きなイベントが控えていましたが、あれからもう一年が経ったのです。今年は曇り空ながら、幸い私は雨に遭うことはありませんでした。

 

土曜日と日曜日にわたり、二日間の会議です。都道府県の代表者から提出された議案に対して、執行部が回答するという形で土曜日は終始しました。 17時から19時半まで議論が行われ、その後に皆さんで立食パーティーに参加して解散となりました。 明日の会議の開始時刻を確認し、電車を乗り継いでホテルに向かいました。 シャワーを浴びて床に入って、テレビでスポーツの結果を確認し、眠りについたのは12時近くになっていました。部屋に入ってから除湿をかけていたのですが、寝る時には切りました。夜中に暑さのために目が覚めて、28°に設定した冷房を、もう一度入れ直しました。これで眠りも少し深くなり、目覚ましで6時半に起きました。

 

シャワーを浴びてから1階に降り、朝食をとりました。7時前にはホテルを出て電車を乗り継ぎ、会場のザ・キャピタルホテル東急に到着。会議は9時から開始です。12時からお弁当を食べて、13時前から会議を再開し14時過ぎに、すべての議論を終えました。 副会長である私は、これでお役御免なのですが、川村会長は11月に再度東京で会合に出席しなければならないようです。本当にご苦労様でした。

 

競争よりも協力

■20190601(土曜日:晴れ)

Melbourne Flinders Street Railway Station 付近の様子です。

■いよいよ今日から6月です。水無月、梅雨の季節です。今朝は爽やかに晴れ渡っています。木曜日からは走らずに、日曜日の JAL 国際千歳マラソン参加に備えています。2014年から毎年参加している唯一のマラソンです。今年参加すれば6回目となります。2回目の2015年からはTakuと一緒に参加して走りました。Takuも最初は10 km でしたが、2016年からは二人揃ってハーフの部に参加しました。

 

昨年は就職もして、忙しい毎日でしたので、一緒に走ることはできませんでした。 就職して間もなく1年と半年が経とうとしています。ようやく少し余裕が出てきたのでしょうか、今年の10月に群馬県太田市で行われるハーフマラソンに、また二人で走ろうということになりました。 ひとりっきりで走るとなると、なんだか力が出なくなっていたのですが、10月にまた二人で走ることができると決まった途端、またやる気が出てきたのですから、人間というのは現金なものです。

 

■さて今朝の東京新聞朝刊の「あの人に迫る」は、 今最も注目される人の一人である「任 正非  Huawei 最高経営責任者」です。新聞を切り抜いたのですが、紙面の配列がとても大きいので、2台あるスキャナーのうち、首を振って読み取るタイプでないと入りきれませんでした。このタイプでは上から透明な樹脂板で紙面を圧迫して平らにしないと、きれいに読み取れません。 この週末は、今日の紙面から切り抜いた、たくさんの新聞記事を圧迫処理しておき、来週綺麗にスキャンする予定です。

 

任 正非さんは、 こう語っています。

 

幸せを生むのは競争よりも協力。

5Gになれば貧しい家の子もネットで勉強し世界の窓が開かれる。ネットのおかげで人間の想像力が刺激され、社会は空前の進化を遂げる。

 

日本にも素晴らしい経営者の方が、たくさんいらっしゃるのでしょうが、 いま最も注目される経営者と言って間違いないでしょう。 いわゆる立志伝中の一人です。 貧しさや文化大革命といった、想像を絶する逆境の中から這い上がり、いまや売上高11兆5千億を超える巨大企業を一代で作り上げました。 こうした経営者のお話を聞くたびに思うのは、もちろん富という目的がなかったと言えば嘘になるのでしょうが、それよりも何よりも、その原動力には夢があり社会を変えたいという強い思いが、根底にあるように思います。

 

そうした思いを持った人々を何人生み出せるかが、その社会の活力となるのではないでしょうか。 そういった意味では、残念ながら今の日本は中国には到底太刀打ちできないように感じるのです。

 




帰国

■20190505(日曜日:晴れ)

オーストラリアの交差点です。繁華街でない限り信号無しで安全に往来しています。
オーストラリアの交差点です。繁華街でない限り信号無しで安全に往来しています。

■メルボルン空港発のJAL774便で、日本に戻りました。現地時間0時05発、日本時間8時30分到着です。現在一時間の時差がありますの、到着時には時計は9時30分となっています。入国手続きやWiFiルーターの返却が無事に終わったのが9時30分。ちょうど沼津駅行きの長距離バスが空いていました。いま発車を待っているところです。10時半出発の京成電鉄の長距離バスがありました。沼津北口に止まってくれます。何しろ思いキャリーバッグがありますので、階段の上り下りは大変なのです。バスで行くことができれば、これほど楽なことはありません。時間はかかりますが、今回の場合は急ぐわけでもありませんので、バスにしました。

沼津には予定より早く着きました。道路が空いていたようです。14時前には家に着くことができました。荷を解いて片付けをして、その間にカップラーメンを二人で分けて食べました。このスープ味が恋しいのです。とは言っても今夜は鶴ちゃんと四人での夕食会ですので、食べ過ぎは禁物です。

違いを超えて

■20190504(土曜日:晴れ)

1956年のメルボルンオリンピックのメイン会場です。
1956年のメルボルンオリンピックのメイン会場です。

■昨日は本当に忙しい一日でした。中華レストランでの夕食会を終えて宿に帰り、床に入ったのが12時近くでした。娘の結婚式に出席した後なのに、いまいちピンときません。戸惑っているというのが正直な心境なのでしょう。

さて今日はベンが、オーストラリアンフットボールの試合に招待してくれました。 オーストラリアンフットボールの試合は以前ジーロングのジョーンズさんのお宅で、テレビ観戦したことが一度あります。その時はルールもわからず、ただ見ていただけなのですが、今日はベンのお母さんと話しながら、ルールも少しずつわかるようになりました。

ローマオリンピックの前の大会がメルボルン大会だったことを、お母さんのお話で思い出しました。1964年の東京大会の前の大会がローマオリンピックであり、あのマラソンのアベベ選手が素足で走り、金メダルになったあの大会だったのです。私たちはその前の大会が、メルボルン大会であったことを、つい忘れがちです。今日オーストラリアンフットボールの試合が行われた会場は、収容人員10万人を超える、メルボルン大会のメイン会場だったのです。ベンのお母さんが、私に話してくれました。

私などの記憶では、オリンピックはローマ大会から始まっています。その前の大会である、メルボルンはどうしても見落としがちです。ローマ大会でのアベベ選手の激走が、あまりにも印象が強いためなのかもしれません。

今日は曇りがちで、時々雨が降る天候でした。気温も低く、競技場で見ていても少し寒いほどでした。ベンが買って持ってきてくれたビールを、それでも2杯も飲んでしまいました。スポーツ観戦をしていると、ついつい夢中になって、体温も上がってしまうのかもしれません。試合結果は残念ながら、ベンの応援するチームは、メルボルンのチームに負けてしまいました。ルールがよくわからない中での観戦でしたが、教えてもらいながら、少しずつわかるようになったので、最後まで楽しく観戦することができました。

1時間半ほどで試合も終わり、皆さんと別れてホテルに向かいました。しばらくはこれで、Ayaとも会うことはできません。末永く仲良く暮らしてほしい、と願うのみです。

少し早めの夕食でしたが、色々迷った挙句、ホテル近くの日本食の居酒屋に入りました。食事を注文し食べ始めてみると、内容的にも量的にも、とても良心的で美味しく食べることができ満足でした。午後7時半頃にホテルに戻り、9時に予定されている、添乗員さんのお迎えを、待つばかりとなりました。

午後9時少し前に添乗員さんが来られて、一緒に車でメルボルン空港まで、送ってもらいました。預ける手荷物が重量オーバーで、追加料金を取られてしまいました。次回の旅行時にはキャリーバッグを新調して、こうしたことのないように工夫しなければいけません。手続きも無事に完了し、搭乗ゲートの8番に着いて、今こうして入力しているのは午後の10時10分です。出発までは、まだ2時間弱ありますので、長い長い待ち時間となりそうです。

今回の旅行はAyaの結婚式に出席する為でしたが、ベンの家族の皆さんとも会えて、本当に安心しました。他人同士が違いを乗り越えて、仲良く暮らすのは並大抵ではありません。まして国が違えば、難しさは格段に高くなります。2人が力を合わせて、違いを乗り越えて幸せな家庭を、ぜひ築いて欲しいと心から願った旅行でした。

結婚式

■20190503(金曜日:晴れ)

AyaとBen の結婚式が行われたお役所です。
AyaとBen の結婚式が行われたお役所です。

■今朝は朝7時に起きて走ることにしました。ホテルを出てトラムの駅まで行き、そこからトラムの路線に沿って走っていたつもりだったのですが、どういうわけか、コースを外れてしまいました。サザンクロス駅まで行って戻ってくるつもりだったのですが、いつまで走っても駅が見えてきません。これは道を間違えたのだな、と気づき方向を変えました。不思議なもので、大した距離を走っているわけでもないのですが、一旦街の中に迷い込んでしまうと、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのです。最後はグーグルマップのお世話にもなって、なんとか戻ることができました。6.3キロを走りました。貴重な積み重ねです。

この原因は後になって分かりました。反対方向に走り出していただけなのです。これでは目的地に到着できないはずです。

■帰って来てシャワーを浴びて、駅の中にあったスーパーで昨夜買っておいた、お寿司とサラダと、オレンジを二人で食べました。サラダは315グラム。本当にごった混ぜで、牛のためかと思えるほどの品数でした。

二人のための祝いのカードに書き添えを済ませ、あとは時間になったらトラムの駅に向かうだけです。こちらで行う結婚式というものが、どのようなものか想像もできませんので、その時を待つばかりです。

■13時にトラムの駅で待ち合わせることになっていました。駅で降りてしばらくすると、Ayaがやってきました。美容院に行き、見違えるように綺麗になって登場です。3人で指定の待ち合わせ場所に行くと、やがてBenがやって来ました。四人揃って公証人のいる役所に向かいました。

結婚式といっても、公証人の前で宣言を読み上げるだけのもので、特段趣向を凝らしたものでもありません。出席者は親族のみ。滞り無く終わりました。ベンのご両親、兄弟、姉妹が集まってくれました。こちらではこれが一般的のようです。式が終わってからは、みんなで隣にある公園に行き写真を取り合いました。綺麗な公園なのです。記念撮影にはうってつけです。

それからレストランに行き、二時間ほどでしょうか、みんなで歓談しました。兄妹の皆さんも久し振りでしょうし、私は英語で話すことには躊躇せざるを得ないので、楽しいはずのパーティーも、いささか難行苦行の思いと言った方が、実態を正確に言い表していました。それでもベンのお兄さん夫婦と歓談できたのは収穫でした。奥様は19歳までモーリシャス島で育ったとの事で、公用語はフランス語でした。英語も学校では習っていたようですが、こちらの来て英語を外国語として学び直さなければいけなかったそうです。

今ではもちろんバイリンガルという事になるのですが、わたしがいつも興味を持っていたのが、夢を見るときにどちらの言葉で夢を見るか、という疑問です。彼女の場合はフランス語でした。英語の発音は、どちらかと言えば日本人のものに近いので、むしろ私たちには聴き取りやすい程でした。もうすぐ二歳になる女の子のなんと可愛いこと。

お兄さんとは、スポーツの話題で盛り上がりました。オーストラリアにはオーストラリアンフットボールと呼ばれる、独特のスポーツがあります。私たちから見ると、サッカーとラグビーのごちゃまぜのようなスポーツです。これがオーストラリアでは、とても人気があるそうです。以前ジーロングのジョーンズさん宅にお邪魔した際に、一度テレビで見せてもらいました。ルールはさっぱり分かりませんので、何をしてるかは理解できませんでした。お兄さんは、それ以外にも沢山のスポーツしたようです。バスケットボールが一番好きだったようですが、怪我をして現在は休養中とのこと。

お仕事は物流関係の分野のようで、日本でいうと日本郵政株式会社の様な会社に聞こえました。parcel が多いと言っていましたから、郵便の部門ではないようです。オンラインショップの発達と実店舗の消滅は、どこの国も同じようです。現在宿泊しているホテルがあるのは、メルボルンでも中心地に近いので、立派なお店が文字通り所狭しとヤラ川沿いに立ち並んでいます。昼も夜も一日中多くの人でごった返しています。オンラインショッピングなど、どこ吹く風といった様子ですが、確実に変わってきているようです。

■さて一旦ホテルに帰り、着替えをしてから再度ヤラ川沿いの中華レストランに向かいました。

歓談

■20190502(木曜日:晴れ)

ジーロング駅の今朝の様子です。
ジーロング駅の今朝の様子です。

■さて、今日で零和も掴め二日目を迎えました。今現地時間朝の7時45分ですが、ようやく夜も明けて明るくなりましたが、こちらは冬に向かっている時期ですので、夜明けがとても遅く感じます。足元を気にせずに安心してジョギングするとすれば、今の時期ですと7時ぐらいが良いように、こちらでは思います。季節の関係、そして緯度の関係もあるのでしょう。何しろオーストラリアはダウンアンダーなんです。

昨夜はAyakaとベンと4人で日本食を楽しみました。18時30分にサザンクロス駅改札近くで待ち合わせて、予約していた飲食店、花菱 Hanabishi に向かいました。19時から21時近くまで、本当に楽しく語らうことができました。もちろんベンとの会話は英語になりますので、難行苦行、四苦八苦となるのは致し方ありません。でも昨年7月にBenがたくの結婚式に出席するために来日してくれた頃に比べれば、自分なりにかなりストレスが減ったように思います。毎日昼休みに聞いていた、ラジオ英会話の時間が、役に立ったのでしょう。

何をそんなに話し合ったのかと思い出してみると、多くはさもない、ささいな事だったように思います。誕生日は8月31日生まれですから私と同じ8月生まれ。姉と兄の三人兄弟の末っ子であるところも、私と全く同じ。話は盛り上がりました。ご両親も、その前の世代もオーストラリア生まれとのこと。ただ、母方の祖父でしたか、アイルランドからの移民と言われていたように思います。

なぜそんなことが気になったかというと、今日Sun と一緒に市内見物をしていて、セントパトリック大聖堂を訪問していたからです。建物がとても歴史がある立派なものであったことは言うまでも無いのですが、玄関前の広場に銅像が建っていました。近づいてよく見てみると、オコーナーとアルファベットで書かれていました。そうです、オコーナーといえばアイルランド系の名前の特徴です。家に帰って少し調べてみる必要があるようです。

市内を歩いていて、ある建物を見つけました。メルボルン大学医学部付属眼科、耳鼻科病院です。こちらでは公的な社会保険で賄われる医療費には、眼科と耳鼻科と、そして歯科の費用は含まれないとのこと。つまり、この3科にかかった時の費用は、ほとんど自費診療ということになります。とても高額のようです。オーストラリアにおける歯科医師の収入が、日本のそれと比較して圧倒的に高額であることが、マスコミで話題になるほどです。いつしか日本でも、そんなことが起きることがないように祈るばかりです。■九時半にサザンクロス駅で列車に乗りました。みどりの窓口で往復切符を二枚買ったのですが、係の人の話を聞いてもどのプラットフォームでのたら良いかが聞き取れませんでした。プラットフォームは16Nというところまではわかったのですが、その16Nが、どこにあるのか、二階に登ってその奥に、と言われたことしかわかりませんでした。案内板を思案げに覗いていると、現地の方が親切に教えてくれて事なきを得ました。50分ほどでしょうか、列車に乗って、ジーロング駅に到着しました。その手前の駅が北ジーロング駅でしたので思わず焦りましたが、隣の座席に座っていた現地の方に確認したところ、ジーロング駅ではないよ、と教えて貰って安心しました。駅を出て駅前の広場で写真を撮り、今ジョーンズさんが来るのを待っているところです。予定よりも1本前の列車に乗りましたので、20分以上早く駅に着いています。途中雨が降っていましたが、現在10時36分ですが、雨も上がり少し青空も見えていきました。風は冷たいのですが寒いということはありません。幸運です。さて今日一日どうなりますことやら。列車はほぼ十分おきぐらいに、メルボルンとの間を往復しているようです。オーストラリア16ドルの往復運賃でした。マイティーと呼ばれる、スイカのようなカードで無事に問題なく購入出来ました。途中で係の方が来てカードをチェックしていました。十分なチャージがされているのかどうか、チェックしているのでしょう。

パパとママが、到着時刻よりも少し遅れて駅に迎えに来てくれました。エミリーの家によって新しく買った家のようですが、そこで子供達に会って車で近くに観光客目当てのチョコレート工場、ちょうどハワイで行ったようなチョコレート工場に立ち寄って、ご馳走してもらいました。

夕食はポテトチップスとフィッシュアンドチップスと鶏の唐揚げでしたが、油っこい物ばかりで日本人には辛い内容でした。

でも子供たちがみんな集まってくれたのには本当に驚きました。エミリーは今仕事を休んでいて子育てに専念中。子供を預けると一日で一人140ドルかかるということで、とても預けて仕事をする事は経済的に合わないようです。英語での会話は骨の折れる作業でしたが、持参したWiFiルーターとポケトークおかげで、かなり救われました。a Japanese secret weapon と私は勝手に命名していましたが。しかし本当に英語は聞取りが大変です。毎日練習あるのみです。

フォードの現地法人に勤めているパパも人員整理にあってしまい、今夜のシフトが最後とのこと。明日からの仕事が、どうなるかは行ってみないと分からないということでした。40人ほどの従業員が整理されるそうで、誰に仕事が残って誰がお払い箱になるのか、未だに連絡が無いのもこの国の特徴でしょうか。

ただパパは経済的な知識がしっかりしていて3箇所に不動産を持っているようで、今開発ブームで土地も家も値上がりしているとのこと。駅に降りてびっくりしたのはビルが建設中だったことです。住宅地の開発も盛んで今まで牧場だった所が住宅地に変わっていました。どんどん土地が値上がりしているようです。メルボルンへの宅地開発ということです。

夜の7時20分の電車に乗ってジーロング駅を出発しました。サザンクロス駅に着いたのは夜の8時35分頃。二階にあるスーパーマーケットでサラダと巻物と果物を買って、今トラムを待っているところです。夜のちょうど9時。雨がパラついていますが、幸い止んできました。トラムに乗ってcasino駅で下車。いつもの道をヤラ川沿いに歩いて五分ほどでホテルに到着です。気疲れのする一日でしたが、来て良かったと感じたジーロングでの一日でした。

あすはいよいよ、Ayaちゃんの結婚式です。

新しい時代

■20190501(水曜日:曇り)

メルボルンのコンビニで見かけたサンドイッチです。一つ7ドル、550円ほどでしょうか。
メルボルンのコンビニで見かけたサンドイッチです。一つ7ドル、550円ほどでしょうか。

■さて、今日からは新しい時代が始まりました。令和です。昨日はあやちゃんと一緒に1日楽しく過ごしました。平成最後の1日でした。日本では大騒動だったと思いますが、ここメルボルンでは何事もないように、日常が過ぎ去っています。

今朝は6時に目覚ましを合わせて起き出しました。そしてメルボルンの街を40分程走りました。ヤラ川の川沿いを、ゆっくりと走ったのです。6キロを積み重ねました。今日から、また100キロの積み重ねに向かって、毎日を送らなければなりません。

先月は体調不良と旅行のために、危うく連続月100キロ走の記録が途絶えるところでした。なんとか連続記録を途絶えさせることなく、今月を迎えることができました。一旦途切れさせてしまうと、糸が切れた凧のようになってしまいます。続けることが何よりも大切なのです。

さて今日も一日、歩き回った一日でした。まずペンギンを見る事が出来ると聞き、セントキルダービーチに向かいました。トラムで20分ほどでしょうか。ところが着いてみて現地の人に聞いてみると、日中は魚取りにベンギンは出掛けていて、見ることは無理だと知りました。

Ayaちゃんとの再会

■20190430(火曜日:晴れ)

街を歩いていて遭遇したインド料理のお店です。
街を歩いていて遭遇したインド料理のお店です。

■昨日ようやくメルボルンに到着し、0時を過ぎて休むことができました。ホテルはパンパシフィックメルボルンホテル。昨年1月に初めてメルボルンで宿泊したホテルよりも、かなり立派なホテルでした。昨夜は添乗員の松岡さんのお手伝いで、無事にチェックインが出来ました。毎日百ドルのディポジットが請求されるようです。つまり保証金でしょうか、何もなければ日本に帰って早々にクレジットカードの口座に返金されるそうです。

今朝は7時に目覚ましを合わせておきました。こちらでは、ほとんど夜明けの時間という空の様子でした。7時にホテルを出て、周囲の様子を見に散歩をする予定です。カフェがあれば入って、モーニングを食べようと思っています。

さてシャワーを浴びて八時過ぎにホテルを出ました。ぶらぶらと街を散策するためです。気候はとても爽やかで、湿度がとても低いのでしょう、日差しの下を歩いていると少し汗ばむほどですが、日陰に行くと風が冷たく感じるほどでした。ホテルの隣がコンベンションセンターでしたので、とてもわかりやすい場所にありました。ホテル自体が高く、名前がどこからも見えますので、迷子になることはなさそうでした。

ホテルを出るとすぐヤラ川があり、それに沿ってしばらく歩くと、大通りに出ました。そして懐かしい、あの市電、トラムが見えたのです。メルボルンはトラムが縦横無尽に走っており、しかもほとんど無料なのです。ちょうど通勤時間帯に当たったためでしょうか、多くのビジネスパーソンが急ぎ足で通り過ぎていました道路も広く、歩道も広いので、自転車通勤の方も結構見受けられました。

オーストラリアは、これから冬に向かうところです。街路樹は色づき始めています。爽やかなそよ風が、暖かな日差しと相まって、とても気持ちの良い気候です。行き交う人々を見ていると、半袖の人もいれば背広を着ている人もいる、という具合で本当に人それぞれです。人種も様々ですし、多様な街であることがよく分かります。

10時半にあやちゃんがホテルに来て、今部屋でお土産を分配しているところです。分配が終わったら、これからあやちゃんが去年から住み始めた新しい家に3人で向かいます。

さてホテルの前でタクシーを拾って行くのかと思っていたら、あやちゃんがこちらで契約しているDDという会社の車を手配してくれました。口座を登録してあるので、その場でお金を払う必要もありません。こうしたサービスでは、uberがとても有名ですが、オーストラリアではさらに別のサービスがあるのです。両者の違いはと言えば、それは価格です。さらに安い値段で利用できます。私たちが利用した車は26歳のインド人の方が営業されていた車でした。会計士の免許を、こちらで取られた、やはりインド人女性と、2年前に結婚されたそうです。2年間大学で勉強し、1年間の実務経験を経て、資格を得たとのことです。数字に強いインド人のことですから会計士は、おてのものでしょう。

メルボルンの街を歩いていると、インド人と思われる外国人が多いことに驚きます。もちろんその他のアジアの国からと思われる外国人の方もとても多く、それは日本の比ではありません。昔、学校で習ったオーストラリアの白豪主義というのは、今では全くの死語のようです。オーストラリアは物価がとても高く、日本から来てみると、なにを買うにも一旦手を止めて、考え込んでしまうほどです。

カーネギーという場所にある、新しい住まいに着くまでに、20分ほど車に乗ったでしょうか。静かな落ち着いた、郊外の住宅街という佇まいでした。こちらでは住宅費は週払いだそうで、月額に直すと16万円ということで、かなりの負担です。

メルボルンでは家賃が上昇して、適当な値段の住まいを探すのが、次第に困難になりつつあるようです。二人とも車を運転しないので、トラムの駅が近くでないと生活に困ります。そうして見つけたのが、いまの住まいです。大通りで車を降りて、少し中に入った所にある家に、ようやくたどり着きました。

ところがここで、ひと騒動が起きました。家の前でスマホの紛失に気付いたのです。慌てて通りに戻りましたが、すんでのところで車を取り逃しました。仕方なく家に入り、一息つくとリュックのポケットにスマホが入っているのに気付きました。いつ、しまったのか記憶に無いのですが、とにかく見つかって良かったです。万が一タクシーに置き忘れたとすると、今回のサービスでは、直接ドライバーに連絡を取るのが難しかったようなのです。そうなると大変でした。本当にラッキーでした。

さて、家から3人でぶらぶら歩きながら、昼食をとるレストランを探しました。結局、日本式ラーメンの店に入りました。私はとんこつラーメンを注文し、四川ラーメンと激辛ラーメン、そして餃子という昼御飯となりました。

食べ終わっていったん家に戻り、婚姻届に必要な書類を書き揃えました。新しい家は二階建て。日本から見ると、造りがとにかくちゃちです。ぞんざいというか、いい加減というか、地震も無いためか、それでも何の問題も無いようです。

さて、必要な書類も書き終わり、今度は電車に乗って、明日利用するサザンクロス駅まで行きました。駅の近くのスーパーでお土産を買いました。先年も利用したスーパーですが、精算が自動というか自分で行なう方法なので、慣れない高齢者は大変そうです。その後にホテルに帰り、一休みしてから夕食を食べに、再度出かけました。

メルボルン

■20190429(月曜日:晴れ)

今回宿泊したパン・パシフィック・ホテルです。
今回宿泊したパン・パシフィック・ホテルです。

■昨日は沼津から新幹線で東京へ行き、皇居を見学してから成田に泊まりました。ちょうど皇太子ご夫妻がお出かけになるところに出くわし、手を振ることができましたが、残念ながらお顔を拝見することはできませんでした。ご家族でのワゴン車に乗ってお出かけでしたが、窓が締まっていた為に、お顔を拝見することはできませんでした。

今朝は6時に起きて食堂に行き、朝食をとって8時のバスで成田空港へ向かいました。ホテルは外国の方も含めて、大入り満員でした。空港からバスで15分ほどのところにあるホテルでしたが、昨日の送迎バスも満員で大変な混雑でした。朝食を取るために開始時刻よりも十分ほど早く、食堂に行ったのですが、もう満員で長蛇の列でした。準備も無事終わり8時の送迎バスに乗ることができました。

昨夜と違ってバスはスムーズに空港に到着。先ずは予約してあったWiFiルーターと話題の自動翻訳機ポケトークを受け取りました。J-WiFiから昨日確認のメールを受信。その中のQRコードをかざすだけで、受け取ることが出来ました。ポケトークがどの程度の力を発揮してくれるか不安ですが、それを話題に話しが盛り上がれば、それで十分元は取れるはずです。

出国手続きなどの審査も顔認証のおかげもあって、スムーズに進み、9時には出発ゲートに到着することができました。75番ゲートです。JL773便です。座席は50Gと50Fです。日本時間10時半に出発して現地に到着するのは、21時55分。長い旅です。

■さて、ようやくホテルに到着しました。日本時間で22時20分、こちらとは現在1時間の時間差がありますので、メルボルンではもうすぐ30日になる頃です。平成も明日一日で終わりということになります。もちろん、ここメルボルンでは特別な感慨があるわけでもありませんし、催し物があるわけでもありません。

飛行時間は予定では9時間半でしたが、10分ほど早く着いたようです。飛行機はボーイング787で、乗客数は200名ほど。乗っていても足元のスペースも私には十分ですし、乗り降りもとてもスムーズにできますので、このぐらいの大きさの飛行機が一番乗りやすいかもしれません。

飛行中に映画を3本も見てしまいましたが、中でも、「グリーンブック」はとても良かった映画でした。人種差別を扱った定型的といえば定型的な内容ですが、さすがによく練られた脚本のおかげでしょうか、飽きることがありませんでした。人種差別問題は本当に深刻な問題なのですが、そこをいわば逆手にとって、こうした優れた娯楽作品を作り上げるところが、アメリカの懐の奥深いところではないでしょうか。いつも感心するばかりです。正面から取り込んでいます。日本では、アイヌの問題、そして沖縄の問題も、多くの日本人には、他人事なのです。

入国審査も終わり、到着口に行くと、JTBの案内を持った女性の方が待っていてくれました。

旅立ち

■20190428(日曜日:晴れ)

昨年旅した釜山港の様子です。
昨年旅した釜山港の様子です。

■さて今日から連休の始まりです。昨日は午前中に仕事を終えて、ほっと一息。朝から雨が降っていましたので、走るどころではなかったのですが、午後4時過ぎ頃でしょうか、雨雲も過ぎ去り青空が見えてきました。寒冷前線が通過したのか、雷も鳴っていました。月100 km の目標に向かって、残り12キロのところまで来ていましたので、少しでも積み重ねておこうと、雨上がりの 凛とした空気のなか走り始めました。 ところが何が悪かったのか不明なのですが、あまりの脱力感に走るところか歩くのも辛くなってしまいました。

おとといの夜にロータリクラブの次年度の委員長会議があり、皆さんと一杯やったのですが、会場の居酒屋さんがやたらに寒く感じていました。他の皆さんもそう言っていたので、自分だけが変だとは思わなかったのですが、風邪をひいてしまったのでしょうか。右の背筋が痛むのも単なる寝違えかと思っていたのですが、関係があったのか。とにかく走り始めて、あまりの辛さに、最初歩き始め、そして途中からは道端に座り込んでしまいました。なんとか2.44 km を積み重ね、総計90.43 km。残り2日で9.56 km のところまで来ました。 通常であれば何という距離でもないのですが、さすがにこの体調では無理をするわけにはいきません。

今日は成田に泊まって、明日の飛行機でメルボルンに行かなければならないからです。 Ayaちゃんの結婚式に出席するためです。 Takuの結婚式もそうでしたが、まだまだ先の話かと思っていたのですが、あっという間にその日が近づいてきました。

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