カテゴリー: 旅 Page 1 of 4

誰かのため

■20190102(水曜日:晴れ)

今朝の百澤神社の様子です。家族の健康を祈りました。

■今朝は走りました。9.93 km を走り昨日と合わせて通算14 km となり、残り29日85.99 km となりました。元日の昨日は走り出したものの、途中でトイレに寄りたくなり、結局4 km しか走れませんでした。それでも元日に無事にスタートしたことにほっとしています。昨日はNonちゃんとTakuと、そしてYukoさんも来てくれて、みんなで楽しくおせち料理をいただきました。Yukoさんが鼻炎などアレルギー症状が強く、少し体調が優れなくて元気がなかったのが気になりましたが、食事は取れていたようですのでその点はほっとしました。なんだかんだと四方山話をしながら、みんなで新しい年を祝うと同時に、健康で良い年にしようと語り合いました。

今午前10時42分ですか、今日と明日は箱根駅伝の日です。朝8時に東京の大手町を出発しました。青山学院の5連覇達成がなるかどうかが焦点です。一度でも優勝することは大変でしょうが、それを続けることはさらに困難なことに違いありません。大学は四年間しかありませんから、選手を育て続けないと良い成績は残せません。予選会のタイムを元に学連選抜チームが結成されますが、メンバーはそれぞれ良い記録を持っている選手ばかりです。記録から行けば良い順位が取れて当然のような気もするのですが、どういうわけか学連選抜がシード権の取れる10位以内に入ったという話を聞いたことがありません。 こんなことを考えている時に思い出すのが、堂場瞬一さんの小説「チーム」です。何度か再読しました。ネットによれば、

箱根駅伝の出場を逃した大学のなかから、予選で好タイムを出した選手が選ばれる混成チーム「学連選抜」。究極のチームスポーツといわれる駅伝で、いわば“敗者の寄せ集め”の選抜メンバーは、何のために襷をつなぐのか。東京~箱根間往復217.9kmの勝負の行方は――選手たちの葛藤と激走を描ききったスポーツ小説の金字塔。

と、あります。この中に私の心に残る言葉があるのです。

誰かのためを思って走る時、人は一段強い存在になれるのだ。

という言葉です。それぞれのチームのために走る選手と、それを持たない学連選抜の選手との違いを語っています。それは単に駅伝だけに当てはまることではもちろんありません。人生はもちろん自分のために生きるのですが、それだけでは大きな力は湧いてこないのでしょう。この小説は、ハラハラドキドキしながら、最後まで読み進めることができます。毎年正月に箱根駅伝の中継を見るたびに、この小説を思い出すのです。

2018お伊勢さんマラソン

■20181202(日曜日 晴れ)

 

川口市立飯塚小学校です。

 

 

■昨夜は、伊勢市駅で待ち合わせて、そのままホテルにチェックインしました。伊勢市駅JR側口から降りて2分ほどのところにあるコンフォートホテルです。荷物を置いて、その足ですぐに、3人で近くの居酒屋で一杯やりました。

 

 

21時少し前まで3時間近く3人で色々楽しく歓談しました。高崎での新しい生活を初めて3ヶ月がようやく経ったようです。Yukoさんも知らない土地で人間関係もない中で生活をするのはなかなか大変なことです。それでも明るい性格が幸いして皆さんの中に溶け込んでいる様子を知って一安心しました。

 

21時にはホテルに戻り、シャワーを浴びて22時過ぎには床に入りました。ところが、寝る段になって忘れ物をしたのに気づきました。こうした場合、いつも服用する睡眠導入薬を入れた箱を忘れてしまったのです。十分睡眠が取れるか不安だったのですが、スマートウォッチで睡眠の質を調べることで意外なほどにしっかりと睡眠をとっていることを確認していたので、以前ほどは不安を感じることなく寝ることができました。実際何度か夜中に目が覚めたのですが、その度にすぐにまた寝付けましたので、睡眠は十分取れたように朝感じました。

 

朝の6時に待ち合わせてホテルのレストランに向かいましたが、エレベーターを降りてみてビックリ。朝食を待つ人で長蛇の列だったのです。ほとんどがマラソンに参加する人のように見えました。昨年のホテルでは、このようなことはなかったように記憶していますが、このホテルは駅から近いので、それだけ、お客さんも多いようです。20分少し待って、ようやく席に着くことができました。

 

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帰国

■20181023日(火曜日:曇)

 

 

ハノイオペラ座前の交差点です。向かって右にあるのが、アメリカのヒルトンホテルです。

 

■朝の5時にハノイのコニファーホテルを出て、ハノイ・ノイバイ国際空港から帰途につきました。羽田空港には15時に到着。京浜急行線と東海道新幹線を乗り継いで、我が家にたどり着いたのが18時前でした。Sunがお風呂を入れておいてくれました。これは有り難いことでした。何しろベトナムでは、ゆっくりと湯船に浸かることはできないからです。暑い国ですからシャワーでも不自由はないのですが、疲れが取れません。

 

ゆっくりとお風呂に入り、素麺と握り寿司、そして味噌汁があり、これ以上の夕食はありませんでした。海外旅行の後は、これが一番です。

 

■先週の木曜日の午後に家を出て、6日間の支援の旅でした。今年も終わってみれば、あっという間でした。バクザン省の職業訓練センターには3年続けての訪問でした。トゥイ所長さんとも、すっかり顔なじみになりました。お元気そうでなりよりでした。

 

金曜日の夜に最後の夕食を共にしました。そして大釜会長から、来年からは知り合いがいるニンビン省に支援活動に行きたいので、来年はこちらには来ることができない、と伝えた時の所長さんの表情には、落胆の影が一瞬よぎりました。それでも顔色をほとんど変えなかったのは、さすが所長さんです。私としては大変残念なのですが、これも致し方ありません。

 

 

家庭訪問

■20181020(土曜日:曇)

 

「バイディン寺」です。東南アジア最大の仏教寺としてベトナム人の注目を集めています。

 

Day 2 終日家庭訪問 8軒

No1 ゴー・バン・チュック ラオス国境で従軍。難聴と体の痛み。

 

80歳 五人の子ども。一人はハノイで入院。枯葉剤原因ではない。

 

 

一人は死亡。原因は枯葉剤。子ども達三人と同居。二人娘。他の家に嫁いでいる。残りの一人息子と同居。農業で生計を立てている。豚を飼っている。周囲の野菜で飼育。5−6ヶ月で出荷。

毎月170万ドン支援金あり。1972年頃帰郷。

 

 

奥さんは元気。70歳。

■Day 2 n2   表 7

ダム・グォック・ホン  79歳 男性 ラオス国境で従軍

10年 1966−77年 従軍。100万ドン 毎月支援金

子ども4人 男1人 知的障害あった ⇒ 39歳で死亡、孫が同居

女の子 3人、結婚して付近に住む、別世帯、農業をしている。

現在夫婦で同居、血圧高く脳の血流悪い 頭痛、人民委員会近くの病院に月に一度通院

妻は病気がち、78歳

支援金と娘達の支援で生活、農業していない

今の家は80年前に建てた。

■Day 2 n3   表 8

メイ・バン・ダン 80歳 娘さん1982年生まれ と一緒

1966年から南部で従軍、枯葉剤被害者、娘とともに認定されている。

父 200万ドン、娘 80万ドン 月の支援金

妻は死んだ。父 よく見えない。HT、内服。娘は話せず、言葉理解できない。仕事は手伝えない。この娘の将来のことが一番心配。自分のことができるのみ。

7人 息子 2 娘 5 三番目の娘。

末っ子夫婦と娘3一緒に暮らしている。農業のみで生活。父の年金。毎月400万ドンあり。

父は別居。症状があるのは、娘3のみ。

枯葉剤被害者が集う機会はない。

■Day 2 n4  表 5

ファン・バン・ルォオン

月190万ドン支援金、他の収入無し。本人には目が霞む。枯葉剤障害は自分のみ

夫婦と障害のある子と暮らし。妻70歳。子ども達 4人。娘一人が知的障害あり、枯葉剤とは関係ない。息子さん夫婦は農業するもコメは少し。息子さんは43歳。

他の三人には障害なし。後の二人の行方は分からない。

■Day 2 n5  表 9

ファン・バン・ナン 68歳。

従軍でフエに行っていた。奥さんと二人。写真の二人。

夫 枯葉剤被害 片目は見えない。右手と左足不自由。

月530万ドン支援金。高血圧薬のみ服用。5−10万ドン薬代。

子どもはいない。養子を一人。男子。40歳。

妻は夫の面倒見て終わり。養子と妻同居。娘三人。農業。食べるだけ。

教育費がかかる。

10年間従軍。

■Day 2 n6  表10

チャン・ズイ・チュン  28歳 男性 生後から脚の萎縮、歩けなくなった。自分の事はできない。座れない。話すこともできない。言葉を理解できない。兄がいる。問題なし。

月150万ドン。オレンジの栽培。金にならない。兄が同居。奥さんと子ども二人あり。34歳。

父は10年前に死亡。

■Day 2 n7  表11

ディエン・ティ・ルアン 63歳 寝たきり  二人の息子 一人行方不明の妻と孫二人と暮らしている。

170万ドン 女性兵士として従軍 夫は二年前に死亡。

12年前より寝たきり。話はできた。悲しくて泣いている。

腹痛、

■Day 2 n8  表12

ゴー・バン・チュック 80歳 月180万ドン 支援金

娘さん 42歳 話せない。枯葉剤被害者。

五人の子どもがいて、末っ子の家に住んでいる。

1976年から父は寝たきり。奥さんは77歳、娘と夫お面倒をみている。

夫は自分で食事は取れるが、娘は介助が必要。

ビンディン省で7年間従軍。

ラオスの国境で従軍。

末っ子は農業に従事している。

支援金 本人200万ドン、娘 90万ドン

五人のうち、一人は死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタート

■20181019(金曜日:曇り)

 

Day 1  職業訓練センター 午後から被害者宅家庭訪問 4軒

 

■午前中

 

さて、いよいよ今日から活動開始です。7時に起きて朝食を済ませ、ホテルを9時に出発。施設までは15分ほどです。

 

 

9時前に施設に到着。歓迎を受ける。トゥイ施設長さんがこれまでの活動をパワポでデモしてくれた。ビデオで流しながら、これまでの活動で接したうちの二人の被害者が死亡したことを報告。

 

新谷さんが褥瘡予防に尽くした方も昨年亡くなったとのこと。もう一人オレンジの服を着た女性もガンで亡くなった。

 

私が挨拶をし、三年目の訪問で暖かく迎えもらったことを感謝。

 

今回持参した医薬品などを贈呈。千ドルの現金とリハビリ機器の贈呈をする。眼科医検診をしている間に、機器の組み立てを行う。合計四台の組み立て。

活動の様子をまとめたビデオを流している。これを送ってもらいるか確認。VAVA の副会長が来られた。

 

今年の家庭訪問は、12 軒。

 

子ども達は人数が少なかったのは、それぞれが仕事に出かけているため。

 

友くん、よっちゃんたちで機会を組み立てた。11時前に四台の機器が完成。二台の自転車器具と上半身のトレーニング機器。

 

 

 

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職業訓練センターに到着すると、トゥイ所長さんが、私達のこれまでの活動をスライドにしてまとめてくれました。

 

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お礼とご挨拶を私からさせていただきました。

 

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多くの方から寄付を頂きました。感謝、感謝です。

 

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今年は例年の寄贈品、医薬品などの他に施設からのご希望でリハビリ機器を寄贈しました。これまでにいただきた寄付金を原資にしました。そして運営費として現金 1,000 ドルも寄付することもできました。

 

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現地で購入した機器を若手の隊員で組み立てました。出来上がり、さっそく施設の入所者で試しています。とても楽しそうです。

 

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上の写真でトゥイさんが持っている額は、枯葉剤被害者救済に尽力した、赤いナポレオンこと、ヴォー・グエン・ザップ(ベトナム語: Võ Nguyên Giáp, 漢字:武元甲、1911年8月25日 – 2013年10月4日[1])は、ベトナムの軍人、政治家。ベトナム共産党政治局員。ベトナム人民軍 (QĐND) 総司令官です。

 

■午後  家庭訪問 四軒

 

No1     表の1   被害者名 グエン・ティ・ホイ  女性 1983年生まれ 父も枯葉剤被害者

 

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父と娘 皮膚にコブのような腫瘍多数。

 

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地域の人民委員会幹部同行 支援活動は足りていない、日本からの援助に感謝している。

 

■父の話

 

いつも笑顔で過ごしている。家の仕事を手伝っている。後ろ向きに考えても仕方がない。ここまで来ていただいて感謝している。

 

母は9年前に死んだ。6人の子供あり。症状があるのは、四番目のこの娘だけ。国の援助金のみ。兄弟の支援無理。月の支援金 父親と娘で全部で200万ドン。農業で自給自足に近い。

 

父親はフエ、くアンチ省で従軍。枯葉剤のひどい場所だった。父親は1953年生まれ。皮膚症状は終戦後、1977年時点では症状は無かった。それ以後出現。

 

娘は生まれた時点ではお尻に大きな腫瘍。摘出。病弱。6歳から小さい腫瘍のみ、次第に増大した。知的障害あり。自分のことはできる。父を手伝うことはできる。普段は腫瘍は痛まない。

 

支援金 200万ドン。

 

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■No2  表 2 グエン・ティ・チン 女性  1978年生まれ 40歳 

 

 

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 自分では自分のこともできない

。知的障害あり。鍵をかけた部屋で住んでいる。彷徨する。月45万ドン支援金のみ。農業で自給自足。両親は今のところ元気。父は1952年生まれ。母は59歳。

 

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 父はクアンチから南の地域で枯葉剤を浴びた。従軍は5年以上。父は今のところ障害がないので枯葉剤支援金なし。子どもは、6人。チンさんは第一子。他の子供達には障害なし。15歳までは普通に過ごしていた。それまでは学校へ行っていた。症状が出て病院で枯葉剤障害者と認定された。

 

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■No3 表の四番目 

 

ハー・ティ・ニン

 

二人兄弟 父は10年前に死亡。 自分のことはできない。母が面倒を全て見ている。今日は期限が悪く洋服を破ってしまい、裸でいた。

 

100万ドン 月の支援金。お兄さんと本人。本人は妹。

 

33歳。 1985年生まれ。

 

兄は異常なし。

 

■No4 3番目

 

グエン・バン・ティユ

 

1978年生まれ  現在は弟と二人、兄弟だけでVAVAの支援金で建てた家で住んでいる。四人兄弟の二番目。男性。

 

話すことはできない。父の親戚の女性が二人の面倒を見ている。

 

毎月111万ドンの支援金。両親はすでに死去。弟は、建築土木の仕事をしている。

 

 

 

 

 

 

 

アジアとともに

■20180812(日曜日:曇)

 

カトリック平戸ザビエル記念教会です。

 

 

■今朝は走りました。いつものコースを 6.14km 走り、これでようやく月100キロ走の計画に追いつきました。合計39.65km となり、残り19日で 60.34km となりました。

 

 

先週はSunと二人で夏休み。九州旅行を楽しみました。レンターカーを使っての結構目いっぱいの移動旅行です。計算すると毎日220キロ超を走ったことになります。借りた車はホンダのフィットでした。リッター当たりの平均走行距離が25キロの旅でした。ですので、最初に満タンの状態でスタートして、最後に車を返却するまで給油する必要がありませんでした。ハイブリッド車は違います。

 

 

■昨夜は富士山静岡空港から帰宅したのが、21時半頃。窓を開け放って荷物を整理したら、さすがに疲れて、それからお風呂に出かける元気はありませんでした。今夜のお楽しみです。

 

 

旅行中も暑苦しい夜でした。ホテルですと冷房を入れないと寝付けないのですが、高千穂で泊まった民宿「暖心(のごころ)」では、寝る時には冷房をかけていたのですが、夜中に目が覚めて、思い切って窓を開け放して冷房を切りました。

 

 

女将さんの話では、このあたりでは夜は冷房を入れることは殆ど無いようですが、今年は例外とのことでした。ただ冷房を入れて寝ることで家族三人が全員風邪を引いたそうです。山の中ですから、昼間どれほど暑くても、夜は冷えるのです。私が泊まった部屋は、東と南に窓がある構造なのです、風が抜けずに窓を開けるだけでは寝付けないだろう、と心配して冷房をかけたのですが、杞憂でした。十分涼しく、明け方には寒いほどに冷え込みました。

 

 

昨夜は我が家に帰って、いつもの部屋で寝たのですが、冷房など必要ありませんでした。いや扇風機すら必要なく、熟睡できました。我が家が一番快適です。単なる慣れなのでしょうけれど。

 

■今日は一日家でゆっくりしました。午前中は青空も覗きましたが、午後からは黒い雲が空を覆いはじめ、時折激しい雷と雨が降る天候。今日は新沼津カントリークラブの月例ですが、とてもプレイどころではない、という天候になってしまいました。

 

旅の間の記録をまとめる作業で一日終わってしまいました。写真と記憶を頼りに、記録をまとめるのですが、記憶とはいい加減です。順番に思い出そうとするのですが、どちらが先立ったか後だったか、あるいはどこに行ったのかさえ分からなくなります。

 

その点GPS機能付きのスマホでの写真撮影は、情報整理に大変役立ちます。つまりは写真を撮ったのは、どこどこで何時何分だったか、という情報が間違いなく記録されますから、それを辿れば良いわけです。

 

ベトナム支援の旅でも、そのことを痛感しました。インタビューの記録をもちろん取るのですが、全く理解できないベトナム語での会話と印刷された資料では、誰を、どの順番で話を聞いたのか、後になると全く分からなくなります。写真に記録された情報が、あとで大変参考になります。

 

そういった機器のなかった以前の話を支援隊の仲間に聞くと、全くと言っていいほど、情報が残っていません。うろ覚えの雲をつかむ様な話の連続になってしまいます。それでは人様に活動の内容をお話することはできません。単なる思い出話でしか無いからです。もちろんそれはそれで大切な内容なのですが、聴衆を前に話すようなものではありません。

 

やはり記録係がいて、きちんとした記録を残していかないと、単なる個人の思い出づくりに過ぎなくなります。難しい問題です。

 

■ということで、なんとかまとめた旅の記録は、こちらからどうぞ。

 

⇒ 2018九州旅行

 

 

 

平戸城

■20180811(土曜日)

 

 

 

■朝6時に起きて大浴場に入る。湯舟の周囲を水槽が取付けられていてサカナと亀が泳いでいた。しかし悪趣味だ。バブル時代の悪乗りそのままといった情景だった。手入れも行き届いていないので汚れで水槽の中が良く見えなかった
 
 
朝食はバイキング。トビウオンの干物、アゴと呼ばれる名物料理も美味しかった。
 
 
まずはザビエル教会に行く。信者の人が清掃作業に従事していた。とても立派な建物だった。
 
 
平戸城を見学。鎌倉時代から続く650年の松浦氏の統治下、周辺諸国との貿易で繁栄を享受した平戸の歴史は、沖縄とも重なり興味深かった。
 
 
城からは360度の見晴らしが楽しめた。
 
 
九十九島へ行く予定だったのだが、道路事情を勘案して取りやめた。西海橋公園に行って渦潮を見た。
 
 
福岡空港に向かった。鳥栖インターで渋滞という案内があったので心配したが、福岡に帰るのには全く問題無かった。
 
 
途中のガソリンスタンドで満タンにする。35リットル補充。リッター25キロトすると900キロ弱走った計算。毎日200キロ走った計算。よく走った。
 
 
■こうして2018九州旅行も無事に終わろううとしている。いま午後6時10分福岡空港で更新している。18時40分発のFDA便で静岡空港に向かう。
 
 
 
 
 
 

菊池渓谷

■20180810(金曜日)

 

 

 

■朝8時半にのごころを出て 阿蘇に向かった。 阿蘇記念館に車を停め しばらく散歩した。阿蘇スカイラインをドライブして菊池渓谷へ向かった。

 
 
1330分に平戸に向かった。着いたのは1710分近く。長かった。高速道路を2時間走りどうし。疲れた。
 
 
高速を降りてからの道程が長かった。
 
 
 
 

別府温泉

■20180809( 水曜日)

 

 

 

■ 昨日は福岡空港に9時前に着き レンタカーを借りて旅を始めた。2年前に訪れた由布岳を訪れて登り始めたのだが暑くて途中で諦めた。 そこで 見えた 鶴見岳に登るケーブルカーに登ろうと決めた。由布岳から車で5-6分別府方面に向かったところに ケーブルカーがあった。 全長1800 M 全長1800メートルある九州随一のケーブルカーとのこと。鶴見岳は1300 M を超える 標高。 由布岳は1500 M を超えている。 別府湾が一望でき 、はるかかなたには四国も見ることができた。

 

 

■ 朝9時に起きてホテル前の海岸べりの堤防を30分ほど走った。

 

⇒ 2018九州旅行

 

 

九州の旅 別府温泉

■20180808( 水曜日)

 

 

鶴見岳から見た別府湾です。

 

 

■ 今日から夏休みを取って、すんと二人で九州旅行に出かけます。 昨年は北海道の積丹半島へ行きましたが今年は九州旅行にしました。

 

 

台風13号が接近しており、今夜から関東地方は大荒れのようです。ところが7時16分の時点では全くそのような 様子は無く、 風もほとんどないうえ、爽やかな青空で、とても台風が近づいているとは思えません。

 

 

■朝の5時に起きて準備をし、富士山静岡空港へ向かいました。7時35分発福岡空港行きのFDA便です。家からは愛鷹スマートインターまで10分、そして東名高速道路を経由して、1時間30分で十分カウンターまでたどり着けます。手続きをして、搭乗を待つばかり。天気も、今のところ台風の影響はありません。

 

 

福岡空港に到着し、レンタカー会社に連絡し迎えを待ちました。どの車種があたるか当日にならないと分かりません。ハイブリッド車を希望しておきました。灰色のホンダフィットでした。

 

 

今日は、由布岳経由で別府温泉に宿泊です。福岡空港から由布岳までは、高速道路を通らずに一般道を行きました。急ぐ旅でもないからです。2時間ほどです。最速の行程なら120キロ、1時間33分とグーグルマップが教えてくれます。

 

大分県玖珠町の様子です。福岡から由布岳への道の、ちょうど2/3 を過ぎた辺りです。

 

 

山道をのんびりとドライブするのも悪くありません。渋滞することなどありませんから、苛つくこともありません。のんびり行けばよいのです。

 

「道の駅ゆふいん」です。昨年に続いて二度目の訪問です。

 

 

遅めの昼食を取って、由布岳に向かいました。

 

 

由布岳です。前回は霧の中でしたが、今回は姿を見ることができました。

 

 

由布岳の全容を見ることができました。爽やかな気分になりました。ただ暑さもあって、とても頂上まで登ろうという気は起きませんでした。そこで見えたのが、別府ロープウェイです。そうしよう、と二人で決めて、再び車に乗り込みました。

 

 

別府ロープウェイで鶴見岳の頂上駅に到着しました。これから頂上を目指して歩きはじめました。

 

 

頂上までは結構ありました。

 

 

鶴見岳の頂上に到着です。別府湾が一望できました。

 

 

それにしても見晴らし最高でした。右手に由布岳、そして左手に別府湾が望めるのです。

 

 

別府温泉の宿から見た別府湾です。美しい日の出を見ることができました。

 

 

今日の旅は、これで終わりです。美味しい食事とビールで、楽しいひと時を過ごしました。

 

 

⇒ 2018九州旅行

 

 

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