20170824(木曜日:曇)

北海道旅行でも朝走りました。宿からしばらく走るとサイクリングコースがあったのです。せせらぎです。

■今朝は走りました。昨夜は寝苦しい夜でした。もう寝苦しい夜は来ないだろう、と思っていたら、何のことはありません、一昨日と昨日と二日続けて、まるで真夏のような夜でした。

今朝は起き出すのに一苦労でしたが、5時半には走り始めました。5.75km を走り、総計 84.76km  を積み重ねました。目標の 100km が見えてきました。

■さて今朝の東京新聞には、小池東京都知事が9月1日に墨田区の都立横網町公園で行われる、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断っていたことが判明した、という記事が一面を飾っています。

団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する、とあります。

どうも都議会で自民党の議員が一般質問で、

碑文にある六千名余という数字を、「根拠が希薄」としたうえで、追悼式の案内状にも「六千名余、虐殺の文言がある」と指摘。

知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた

と、あります。

あの石原都知事ですら追悼文は送っていた、というのですから、小池知事の行為は、いよいよ本性が現れた、と考えるべきでしょう。

もともと小池知事に深い思索があるようには思えません。歴史観、国家観です。小泉劇場の二番煎じというのが、一番実態に近い指摘でしょう。敵を作り、それを生贄にすることで自分がのし上がる、というパターンです。小泉総理が何をしたかと言えば、郵政事業を外資に開放したことと、派遣社員を増やしたことだけでしょう。

誰のために政治をしていたのか。国民はしっかり見ないといけません。全く同じパターンで都議会議員選挙が行われました。西郷隆盛のようです。新政府を作ったは良いが、新政府をどう運営し、どんな新国家を作るべきなのか、自分には具体像が何もないのです。

しかし自虐史観を声高に叫ぶ人々は、どうもいただけません。人の悪口を言うことで、自分を押し上げようとしていますが、普通の常識ある人間には、とても愚かしく見えるからです。その手の人々が大手を振って我が物顔に行動するのは、日本のためには少しもならないことを、多くの日本人は、そろそろ気づき始めている、と私には思えるのですが。