20170828(月曜日:晴れ)

神威岬の様子です。訪れた前日、そして翌日も曇り空だったようで、この日だけが青空に恵まれました。それが積丹ブルーの源です。

■昨日の夜半を過ぎてから、まるで季節の扉がにわかに開いたように、吹く風がすっかり変わってしまいました。昨夜は涼しさのおかげで、ぐっすりと休むことができました。本当にあまりに急な変わりように驚くばかりです。

サハラ砂漠に旅した旅行記を読んだことがありますが、あれだけ暑いと、本当に何もする気が起こらない、と書いてありました。想像するしか無いのですが、数日前の暑さを思うと、分からないでもありません。

さて今朝は気持ちよく起き出して走り出すことができました。9.55km を走り、これで今月の総計は、100.44km と目標の 100km を超えることができました。この暑い8月に、よく目標が達成できました。とちゅう北海道での食あたり事件もありました。蒸し暑いと熟睡できませんから朝起きだして走るのは、結構辛いのです。

我ながら、よく目標を達成できたと、ほっとしています。こうしたものは、いったん諦めて止めてしまうのは簡単ですが、再度挑戦するのは、本当に大変です。

■さて今朝の東京新聞の読書欄、「発言」に興味深い投稿がありました。愚妻についてです。

私は単純に、愚妻というのは男尊女卑の典型で、自分の妻を愚かな妻と、夫がへりくだって他者に自分の妻を紹介する時の言葉、とばかり思っていました。ところが、国語学者の大野晋氏の執筆助手を務めていたことのある大野陽子さんというかたが、以下のような投稿をされていました。

国語学者の大野晋先生に、この愚妻という言葉に付いてお聞きしたら、「『愚』は妻のことじゃないよ。自分のことさ。「愚僧」って言葉があるだろう」。そういえば狂言や時代劇で、僧が自分のことをへりくだって「愚僧」と言うのを耳にしたことがある。「愚」は男性の自称で、「愚妻」とは単に「私の妻」の意だという。思いもよらない事だった。

そして大野陽子さんは、

何を質問してもユーモアを交えてたちどころに答えを返してくださった大野先生。生き字引という言葉がぴったりの先生が亡くなられて九年になる。「日本語練習帳」「日本語と私」「日本語の源流を求めて」ーーー。先生の残した数々の魅力的な本を、多くの方に読んでいただきたいと今改めて思う。

と、結んでいます。

「日本語練習帳」を始め、何冊かの本に挑戦したこともある私ですが、最後まで読み通すことはできなかったように記憶しています。再度挑戦してみたくなりました。