2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2017年9月 Page 2 of 3

老婆の背中

20170920(水曜日:曇)

安東市河回村に咲き誇るコスモスです。

 

■昨日はソウルから帰国、そして帰宅後その足で医師会の理事会へ向かいました。まさに綱渡りの一日でした。そして今朝は走りました。18日に釜山で早朝に走ったのですが、トイレに行きたくなって途中で戻りましたので、たいした積み上げができませんでした。ホテルのフィットネスクラブで30分間走ったのですが、これはランニング・ウォッチが計測していませんので、記録に残っていません。

ということで、今朝は 9.51km を走り、これで総計 69.98km となりました。残り10日です。

■3泊4日の韓国旅行で一番印象に残ったのは、実は老婆の背中でした。あれは安東市で屋台のオバちゃんと仲良しになったときでした。安東駅から歩いて7分ほどでしたでしょうか、道路の路地の真ん中に屋台が並んでいました。Sunが目が合ったようです。勧められるままに屋台の日本で言うとアンドーナッツでしょうか、揚げたてを買いました。一個100円ほど。これが美味しいのです。中に入っている餡の甘いこと。量もたっぷり。本当に美味しかったのでう。

その手配師のようなオバちゃんととは記念写真を撮りました。そして買ったお昼ごはんをベンチで食べていると、すぐ近くのベンチに小柄なお婆さんが座っていました。背中が曲がった、これまでしてきた苦労の全部が背中に伸し掛かっているのではないか、と思えるような老婆でした。朝鮮戦争で逃げ惑った人々を以前テレビで見ましたが、そんな感じの年寄りでした。

苦労してきたのでしょうね。勇ましく軍事的にケリを付けてしまえ、みたいな風潮が蔓延していますが、悲しい思いをするのは、こんな人々なのです。

威勢のよい政治家というものほど、眉唾ものはありません。そう感じた韓国旅行でした。

帰国

20170919(火曜日:晴れ)

前夜宿泊したホテルの近くにある医大です。ホテルの一部はマンションになっていて関係者が居住しているようです。

■いよいよ今日で韓国での旅も終わりです。朝は6時に起きてホテルを出ました。7時前のバスで仁川国際空港へ向かうためです。昨夜泊まったのは、Nonちゃん御用達のホテル、Classic 500 という宿。ホテルとマン書を兼ねたような構造になっているようです。私たちは一部屋を三人で借りる形を取りました。一人7千円ほどです。

ソウルで宿泊したホテルです。日本で言うと、タワマンというやつでしょうか?

ホテル前の大通りを渡り、バス停で待つこと15分ほどでしょうか、無事にバスに乗ることができました。千ウォンです。50分ほどで空港に到着。帰国のための手続きに入りました。

仁川国際空港です。アジアのハブ空港として発展しています。

■こうして無事に日本に帰国しました。あっという間の三泊四日の旅でした。本当に楽しい旅でした。Nonちゃんガイドが良かったのかな?

(●^o^●) (●^o^●)

 また一緒に旅ができると良いですね。

 

安東市への旅

20170918(月曜日:晴れ)

河回村の様子です。

■今日は釜山市を離れソウルを目指す予定です。途中どうするかは未定でした。ユネスコの文化遺産になっている河回市へ行くことにしました。Wikipedia によれば、

河回村(ハフェマウル)は、大韓民国慶尚北道安東市にある集落。農村における両班の伝統的な生活様式を保存している「民俗村」であり、韓国の著名な観光地の一つである。「マウル」は朝鮮語の固有語で「村」を意味する言葉。 村全体が韓国の重要民俗文化財第122号に指定されているのをはじめ、多くの有形・無形文化財を擁する。河回村は2010年7月31日、慶州市の良洞村とともにユネスコの世界遺産に登録されている。

と、あります。

さっそくNonちゃんがネットで調べてくれて、交通機関を確認しました。ホテルからタクシーを拾ってバスターミナルまで向かいました。1時間弱でした。そこから高速バスで安東市までは2時間半ほど。高速バス網は、とても充実しているようです。

ホテルからタクシーで向かったバスターミナルです。ここで安東市行きの高速バスに乗りました。

8時半発の安東市行きの高速バスの切符です。日本円で1,600円ほどです。十分快適でした。

これが釜山から安東市へ向かう高速バスです。

 

■11時には無事に安東市のバスターミナルに到着しました。ここから河回村(ハフェマウル)へ、どのように行けばよいのか。バスターミナルで何人かの人に尋ねたのですが、要領を得ませんでした。Nonちゃんが訊いて回ってくれました。観光案内所が安東駅の近くに有ることが分かりました。そこでバスターミナルから再度タクシーを拾って安東駅へ向かいました。

 そして何とか駅に到着。歩いてすぐのところにある日本語の通じるという観光案内所に行きました。しかし残念ながら日本語は通じませんでした。でも英語が分かる係の方がいてくれましたので、何とか知りたいことを伝えることができました。

安東駅です。駅の字が、「驛」になっています。

 私達が行きたいのが、河回村(ハフェマウル)であり、ここからさらにバスに乗って行かなくてはならないことが分かりました。バスの出発までには、50分ほどの余裕が有ること。そしてNonちゃんが食べたい地元の料理を食べられる美味しい店が場所も分かりました。途中にバス停が有りますので、キャリーバッグを引きずって駅を後にしました。

駅から歩いて5分ほどでしょうか。道の真ん中でお店を開いていました。トッポギを買いました。韓流ドラマで、よく出てくる食べ物です。

Sunが目が合ったのが運の尽き。仲良しになった韓国のオバちゃんです。

買い求めた品をベンチで食べました。天気も良く、最高の昼食でした。

■さて時間になりバス停へと急ぎました。バスはもう一度先ほどのバスターミナルへ戻る形で目的地の世界遺産の村へと向かいました。

世界遺産の村に到着です。途中バスの上下動が酷くて驚きました。

世界遺産の文字が刻まれています。

さて村中を見て回ろうと思って歩き始めたのですが、さすがに徒歩ではきつそうだと気付き電動三輪車を借りるために戻りました。

これが、その電動三輪車です。私が運転しました。スクーターを運転したのは、30年以上前のことです。

あの崖の上から見る村の様子が最高のようです。

心懐かし農村の風景です。

■こうして世界遺産の村の見学も楽しく終え、バスでソウルへと向かいました。16時発の高速バスです。料金は 1,600  円ほどです。十分快適でした。3時間弱で到着です。

今夜のソウルでのホテルです。Nonの御用達のようです。

 さっそく夕食に出かけました。バスの長旅の連チャンでしたから、さすがに疲れました。ホテルから歩きました。Nonちゃんは、勝手知ったる道で、どんどん歩いていきますが、私とSunは付いていくだけで精一杯でした。

ここもNonの御用達の焼肉屋。ただし牛肉ではなくて豚肉でした。

まずは乾杯です。入れ代わり立ち代わり多くのお客さんが来店されていました。

Nonちゃんと美味しくいただきました。

■こうして長かった一日も終わりました。好天にも恵まれ最高の1日でした。みんなNonちゃんのおかげです。だてにお金は使っていないようです。

(●^o^●) (●^o^●)

 明日は、もう帰国の途につく日です。

 

 

海雲台

20170917(日曜日:雨)

海雲台の海です。雨にけぶっています。韓国有数の保養地です。

■朝から雨でした。海雲台には、2012年に家族で一度訪れました。

海雲台(ヘウンデ)は、韓国釜山広域市海雲台区の地名。とくに、1.5kmにわたって砂浜が続く海雲台海水浴場(韓国語版)(海雲台ビーチ)や、海雲台温泉(韓国語版)のある海岸一帯を指す。

海岸沿いにはホテルや飲食店が立ち並ぶ。高級ホテルや外国人専用のカジノ、免税店もあり、釜山を代表するリゾート地として知られる。

 

■さすがに今朝は疲れました。目覚ましを7時に合わせてあったのですが、気付きませんでした。8時近くに起き出しました。Sunと相談しましたが、台風の影響でしょうか、雨も結構降っていますので、少し早めに昼食を取ることにして、それまではのんびりしましょう、ということなりました。

 私は起き出して、まずは散歩です。以前2012年に家族五人で釜山を訪れました。もう5年前でした。2012釜山の旅です。あの時の記憶をもとにホテルを出て歩き始めました。

 部屋から見えた海の方向へ歩き始めました。少しずつ記憶が蘇ってきました。海水浴場として、とても有名の海雲台です。写真を見ると海水用シーズンには、ものすごい数のパラソルが砂浜を埋め尽くすようです。

 ところが今日は雨。季節外れもあって、閑散の一言でした。それでも1992年に歩いた道を少し思い出しました。Nonによれば、こちらに来る度に街は発展し、様相が変わっているそうですから、二度目の私には分からない変化がたくさんあるのでしょう。

海雲台の様子です。巨大なホテルが林立しています。季節には、凄い人混みなのでしょう。

 大通りから脇に入ると、庶民的なお店が並んでいます。同じように見える飲食店が、まさに軒を並べています。まるで浅草の雷門の通りのようでした。

一つ路地を入ると昔ながらのお店が軒を接して並んでいます。まるで浅草の雷門です。

 ホテルに帰り二人に連絡しました。二人共のんびりと寝ていました。結局渡しはそれからホテルの4階にあるトレーニング・ルームで5キロ走りました。隣を走り始めた韓国人の若者と話をしました。ソウルから来ているようです。釜山マラソンってあるのですか、と尋ねましたが、ご本人は走ることには興味が無いのか知りませんでした。

 このランニングマシーンは使用の仕方が分からずに困りました。ペース、スピード、距離と設定項目があるのですが、キロ6分で走ろうと思って設定しようとするのですが、画面に現れる数字は、さっぱり理解できません。

ホテルのフィットネス・ルームです。ソウルから来た青年と話をしました。

 無事に釜山でのトレーニングも終わって部屋に戻りました。ホームページを更新しなければなりません。幸い韓国はIT先進国です。Wi-Fiは、どこでも当たり前に自由に使用できます。今年出かけた北海道の支笏湖畔のホテルでは、係の人にWi-Fiはないのですか、と尋ねた時に、そんなものは利用できません、という回答にたいへん驚いたことを思い出します。

 ところが、どっこい困ったことが置きました。ワードプレスのディレクトリーに入ろうとすると、このサーバーでは権限が無いので認証できません、と突き返されてしまいます。aiaiganka.com 本体には問題なくログインできるのですが、なぜか、その下のディレクトリーにあるワードプレスにログインできないのです。原因は分かりません。仕方ないので、こうして aiaiganka.com 上で更新しています。

■さて昼ごはんの時間です。やっと海鮮鍋のお店に入ることができるかと思いきや、これが満員で入れませんでした。Nonが思い切ってタクシーで出かけよう、と言い出しました。このあたりは決断が早いのです。我が娘ながら肝が座っています。

 そして辿り着いたのが、ロッテのデパートでした。地下一階は文字通りデパ地下でした。色々な食事のお店も並んでいます。見ているだけで楽しかったのですが、結局私は冷麺や餃子などを食べました。担当のオバちゃんが何とも親切で明るい方で、本当に楽しい昼食でした。

デパ地下の喧騒です。入ったお店のオバちゃんの、何とも笑顔が素敵でした。

ロッテデパートの前で。ちょっと一息ついて。コーヒータイムです。Nonちゃんと、こんな風に時を過ごすことができるなんて、本当に幸せです。

 

 さて昼食が終わってNonがデパートでお土産を買うというので、私とSunは、近くの Bexcoという幕張メッセのような建物に入りました。2030年には釜山で万博が開催されるようです。

日本で言えば幕張メッセのようなものでしょうか?
大勢の人がやってきていました。一階の会場では生活用品市のような催し物があり、抽選で景品が当たるのか、大勢の人だかりがありました。

こちらは、いわゆるフィギャーというのでしょうか?
愛好者が熱心に見ていました。

2030年には釜山で万国博覧会が開催されるようです。
大したものです。

 

■さて夜はお店を予約しておきました。海鮮鍋です。昨夜は満員で席がありませんでした。20時に予約しておきましたが、さすがに今夜は満員ではありませんでした。

念願の海鮮鍋が食べられました。これが、そのお店です。
2012年に食べて感激しました。

韓流ドラマに出て来る焼酎を飲みました。

これが海鮮鍋です。
美味しいのです。最後にラーメンの麺を入れて食べました。最高でした。

 

 

 

 

 

韓国旅行

20170916(土曜日:曇)

道営野塚野営場の海岸です。宿から神威岬へ向かう229号線、通称雷電国道沿いにありました。

■台風18号が近づいています。今日には九州地方に上陸する可能性があり、九州に発着する航空便に影響が出そうです。そんな中で、この連休はNonちゃんとSunと三人で韓国旅行の予定です。

今日は仕事が終わってから成田空港へ向かい、Nonちゃんと待ち合わせて釜山に向かいます。無事に現地に到着できると良いのですが。

韓国へは家族で何度か訪れました。最後はみんなで釜山を訪れたときでしょうか。TakuとSunで九州へ行きヤフードームで野球を観戦した後で、船で釜山に渡りNonとAyaと待ち合わせました。

NonとAyaは韓国料理が大好きで、二人で何度も出かけていたようです。お気に入りのチヂミの店に案内してくれて、みんなで舌鼓を打ちました。海岸沿いの結構立派なホテルだったことを覚えています。

今回は節約旅行のようですから、宿もそれなりのようですが、美味しい海鮮鍋が楽しみです。家族で一緒に旅行に出かけられるというのは、本当に嬉しいことです。とにかく無事に返ってくることが最優先です。どんな旅になりますことやら。

■診療が終わって、逃げ出すようにKumiちゃんに来るまで原駅まで送ってもらいました。そして東海道線、東海道新幹線、そして品川からは京浜急行電鉄で成田空港まで一直線でした。

第一ターミナル南ウイング四階J カウンターで、Air Busan 航空の手続きを済ませました。Nonちゃんは少し遅れてきたので、あとからでした。

いわゆるLCCというやつです。私は乗るは初めてですが、NonとSunは以前にも利用したことがあるようです。

17時30分出発の予定です。手荷物検査など、国際便に搭乗するためには、何だかんだと、やはり2時間はかかってしまいます。飛行機はエアバス社の A-321-200 でした。200人乗りでしょうか。

LCCだから愛想も何もないのかと思っていましたが、そんなことはありません。客室乗務員は優しく綺麗な方ばかり。ただ冷房の関係で毛布をお願いしたら、販売しています、との返答でした。

台風18号が近づいているために、出発も心配だったのですが、幸い空港も雨は降っているものの、風も強くなく、まだそれほどの影響は感じませんでした。お腹を空かせていたのですが、Seafood Fried Rice を出してくれました。美味しかったです。サンドイッチが入る程度の大きさの容器に、チャーハンが入っていました。ちょうどよい量でした。

釜山空港に着いてから、現地を勝手知ったるNonちゃんが案内してくれました。

最初はタクシーで行こうか、と相談していたのですが、ちょうどバスが出るところでした。バスで50分ほど。海雲台駅までです。バスの運転手さんは、とても親切でした。Nonがホテルのパンフレットを見せると、スマホで調べてくれて、それを写真に撮っておきなさい、と助言してくれました。

バス停が近づくと、わざわざ私達のために案内をしてくれて、バックを下ろすのを手伝ってさえくれました。本当にありがたいことです。

雨の中を歩きながら、夕食をとる店を探しました。昔家族で寄った店は、大入り満員で入れませんでした。違う店にしました。

雨の中、ようやく見つけたお店です。土曜日の夜といういうこともあり、どの店も満員です。主要道路には人が溢れていました。

 

 結局ホテル近くのお店で夕食を取りました。少し高めのお店でしたが、日本に比較すれば十分格安です。

 韓国料理は、とにかく健康的です。野菜が中心ですし、釜山のためもあるのでしょうが、海の幸が盛り沢山です。つまりは健康的だ、ということです。

ようやく乾杯です。まずはビールです。その後、韓国ドラマでおなじみの焼酎も飲みました。

これが今夜の料理です。真ん中がアワビの刺身です。

■ホテルに入ったのが、22時を過ぎていました。シャワーを浴びて床に入りました。なかなか寝付けませんでしたが、12時過ぎには流石に眠りにつきました。

向田邦子

20170915(金曜日:曇)

神威岬の青空です。この花の名前を調べなければ、と思いながら、未だに知らずじまいです。

■今朝は走りました。Sunが風邪を引いて辛そうなのですが、私もひいては大変なので、注意しています。今朝も起きて、少し喉がイガイガするような気がしたのですが、うがいをして水を飲んだら楽になりましたので、走り始めました。

結局 5.68km を走り、今月の総計が 56.82km となりました。

今では朝の5時では、まだ薄暗い状態です。だんだん起き出すのが億劫になってきそうです。

■昨日購入した本が届きました。「思い出のマーニー」と「思い出トランプ」です。妙な組み合わせのようですが、向田邦子さんの本は、まだ一冊も最後まで読んでいません。

 

同窓会

20170914(木曜日:曇)

樽前山登山道です。とても狭い上に滑落を防ぐ防御壁がありません。ご覧の通り、あと言う間に転げ落ちそうです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は昔、昔に勤務していた病院のOB会があり、現在幹事役を仰せつかっていますので、無事に終わってホッとしています。今まで、こうした準備をしてくださっていた原先生が、転居したため私にお鉢が回ってきたのです。

以前に比べたら出席者が減りました。皆さん高齢化した、ということが一番の原因なのでしょうが、こうした会への出席自体に人気が無くなってきたのも事実です。会社の忘年会なども、そのようです。

しかし私などは、還暦を過ぎて逆にこうした会の大切さを痛感しています。高校の同窓会の幹事役を、還暦年度が司る、というしきたりがあります。浦和高校も同様でした。その御蔭で何度も浦和に出かけました。私が行かなくても大勢に影響ないのですが、出かけてみてたくさんの収穫がありました。

卒業後、これまで交流のなかった、そしてそれぞれに別々の人生を歩んできた同期生たちと、また付き合うようになったからです。そうしてみて思ったことは、そうした同窓会に出席できるのは、健康でなければいけない、時間にも経済的にも余裕がないと、とても出席などできない、ということです。

つまり自分は気づいていなかったかも知れないが、それなりに充実した人生を送ってきた、ということです。人生は上を見ても下を見ても切りがありません。同期生の中には億万長者もいますし、東大の教授になった仲間もいます。どちらと比較しても自分は、あまりぱっとしないことは確かですが、それでも、それなりにきちんと生きてくることができた、ラッキーだったと心底思えるのです。

またOB会であれば、年齢的に大先輩の話も聞くことができますし、これからの自分の人生を考える際にも、とても貴重な情報を得ることもできます。自分自身も、そうした年齢になった、ということです。

 

新型アイフォン

20170913(水曜日:晴れ) 

積丹半島の神威岬です。この日は青空に恵まれました。空と海が見つめ合っているようでした。

■今朝は走りました。昨日は沼津でもかなり激しい雨が降りました。家の中で仕事をしているために、私自身はそうした天候のことは実感できませんでした。夕食後にニュースを見ていると沼津駅前の様子が放映されていましたが、横殴りの激しい雨でした。

今日で今月も13日が経過。そこで思い切って今朝は 9.38km の長めのコースを走りました。データーを入力したパソコンの画面には、50km 達成おめでとう、という文字が踊っています。53.14km を積み重ねました。やっと折り返し地点を回ったところです。

■さて今日は早朝にアメリカで、アイフォンの最新版が発表になりました。初代アイフォンが発売されて、ちょうど10年。まさに世界を変えた10年でした。アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏は、本当に創造的な人でした。それも世間に受け入れられる、という点も忘れていないところが凄いのです。ですから世界を変えることができたのです。

世の中の流れから隔絶した自己満足のような製品を作ることはありません。半歩先を行って世界を変えてきたのです。

ITの天才として並び称されるビル・ゲイツ氏とは、ちょっと趣が違います。ゲイツ氏は仕事の世界を変えてしまった。それはもちろん私達の生活も変えたのですが、どちらかと言えば、広く世間に普及させた、という点で世の中を変えました。パソコンの基本ソフトMS-DOSにしても、彼の独創であったわけではなく、急遽他社の製品を買収して、改良後にIBMとの契約を勝ち取った、という面があります。

標準ソフトとなったオフィスも、似たような製品は、それまでにも開発されていたのですが、標準を握った自社のウインドウズに最適化して市場を独占しました。まさに20世紀最高の経営者、と言われる所以です。

いまでは慈善財団の領袖として夫婦で世界中を飛び回っています。ロータリークラブが取り組むポリオ撲滅運動にも、多額の援助をしてくれています。分野は違えど、いまだに世界を変革し続けている、とも言えます。生き方という面でも、とても聡明な人なのでしょう。

夢は天才

20170912(火曜日:雨)

神威岬の様子です。駐車場から、かなり歩きました。上り下りの道を、ちょうど万里の長城のように歩きました。

■今朝は天気予報どおりに雨。生ゴミを出した後には、朝食を取りながら、のんびりと朝刊を読みました。

東京新聞6面には、先日死去が報じられた俳優の土屋嘉男さんの記事が掲載されていました。何と言っても映画「七人の侍」での利吉役が忘れられません。26歳の時だそうです。もともとは山梨大学医学部に入学したのですが、俳優への夢捨てがたく、俳優座の研究生になりました。そこで出会ったのが、当時利吉役を探していた黒澤明監督でした。トイレでたまたま隣になったのが縁だそうですから、運があったのでしょう。

(●^o^●) (●^o^●)

監督の勧めで監督の家に居候をしながら撮影所に通いました。なかなかの才人で、音楽や文才にも恵まれ、『クロサワさーん!』が有名です。その本にサインして記者に贈呈したそうですが、添えられていた言葉が、「夢は天才である」。黒澤明監督の著書の題名でもありますが、土屋さん自身、この言葉を胸に夢を追い続けたのだ、と記事の最後にありました。

歴史に残る大俳優とは言えないかもしれませんが、とても豊かな味わい深い人生があったことが、その記事からも伺えます。こうした機会に本を読んでみたくなりました。

 

長生きは幸せか

20170911(月曜日:曇)

積丹半島の美しい海です。最高の青空でした。

■今朝は走りました。昨日は新沼津カントリークラブで楽しい時間を過ごしましたが、いささか疲れました。それでも昨夜は早めに休んで今朝に備えました。

5.69km を走り、これで今月は総計 43.75km を積み重ねました。兎にも角にも、積み重ねていくしかありません。

■土曜日はNonちゃんと夕食を取りましたが、フィットネスクラブに入会したようで、トレーナーの作成してくれたプログラムに基づいて、鍛錬を初めたようです。90分単位で行うようです。

私自身は、残念ながらそうした機会がないので、完璧な自己流です。走る前後のストレッチも自己流、走る距離も、何もかにも自己流です。本当はそれではいけません。

ただ今のところは、それが自分には合っているようで、特別の筋トレなどもしていないのですが、腹も出ることもなく、腰回りの筋肉は次第に増加しています。体脂肪率は低下し、13% を超えることは無くなりました。

血液所見も、以前のように悪玉コレステロールが高いので乳製品は控えよう、といった食事制限は一切する必要が無くなりました。早寝早起きだけを心がけています。単純そのものです。

■先日の東京新聞に、みんなの広場という紙面で、「長生きは幸せか」という特集を掲載していました。実に不思議な特集です。なぜかというと、長生きは喜ぶべきことなのは当たり前だ、とこれまでは考えられてきたからです。なぜなら、長生きできることは稀なことだったからです。宝くじに当たるようなものですから、当選して喜ばない方がおかしい。長生きも、これまでは宝くじに当たるようなものだったのです。

ところが平均寿命が男女とも80歳を超え、人口の四分の一が65歳以上という、超高齢化社会になると話は違ってきます。俗に言うピンピンコロリで全ての人が旅立てるのなら、こんな質問は愚問でしょう。そうはいかないから、こんな質問が俄然重みを持ってのしかかって来るのです。

私自身も両親や、平均寿命からすればまだまだ若い姉をガンで亡くしました。死というものが本当に身近なものとして、まるで霧の中から死神のように現れてきたのです。そして私にこうささやき始めたのです。「次はお前の番だ」と。

歌人の岡井隆さん、作家で医師の久坂部羊さん、そして社会学者の立岩真也さんが、それぞれの立場から意見を述べられています。

ただ一つだけの正解など、もちろんありません。久坂部羊さんが言われているように、幸せの定義は自分の心が作るもの、ですから、他者が幸・不幸を決めることはできません。しかし現実は、そんな通り一遍の話を飛び越えているのです。医療の進歩は想像を超えています。昔なら、とっくに旅立っている人々が、いわば生きながらえています。

それは素晴らしいことなのですが、生きていれば良い、と言い切れないところが苦しいところです。

自分はどうするのか。考えても、考えなくても死はもう背中まで迫っているのです。在原業平が辞世の句として詠んだように、

ついに行く 道とはかねて 聞きしかど

 昨日今日とは 思はざりしを

なのです。

と、いうことで、私自身は毎日アーモンドを10粒食べて、22時には床に入って、朝5時には起きて、毎月 100km を走り続けているのです。他に取るべき道など私には思い浮かびません。頼まれた役は極力引き受けて、与えられたチャンスは極力逃さないようにして、健康に気をつけて、家族や仲間と仲良く楽しく過ごすしか、私には取るべき道は残されていないように思えるのです。

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