2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2018年8月 Page 1 of 4

夏の終わり

■20180831(金曜日:曇)

 

九州の菊池渓谷です。分け入った途端、空気が変わりました。

 

 

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨日は昼休みにロータリークラブの例会があり、仲間に会うことができました。クラブに入会当時は、例会に行くのが面倒で、嫌で嫌で仕方ありませんでした。ではなぜ辞めなかったのか、と言われると、よく分かりません。初代の会長を務められた森 延敏さんをはじめ、先輩たちに人間としての魅力があったからとしか考えられません。

 

 

そうなんです。人に会いに例会に出かけていたのです。奉仕の精神だとか世界平和だとか、いろいろキャッチフレーズはあるのですが、要は人なのです。それは、どこの組織も同じでしょう。理念や文化は大切です。それが無ければ続きません。組織運営の妙、という点も大事です。しかし最後は人です。つくづくそのことを感じます。

 

 

■さて今日で8月も終わりです。残すところ、あと4ヶ月になります。毎年同じことを言っています。気付いてみると、あと4ヶ月だ。あぁ、もう師走だ。昨年の今頃は、隣の消防署の取り壊しが始まり、駐車場と薬局の建築に向けて、いろいろ準備を進めているところでした。今となっては、隣に消防署があったことなど、写真で思い出さないと忘れてしまいそうです。

 

 

そこで写真を調べてみると昨年の8月1日には取り壊しが始まっていました。そして8月の終わりには、もう更地になっていたのです。西側にあった消防署が無くなったお陰で、風通しも日当たりも良くなりましたが、西日がきつくなりました。良いことばかりではありません。何より我が家のための用心棒的な存在だった消防署が無くなると、これは物騒になったのですが、今のところ泥棒の被害には遭っていません。幸いです。

 

 

Sunと二人で近所を歩きながら、住み始めた頃には、ここにホームセンターがあったのよね、とか、ここは洋服屋さんだったわね、と話すのですが、残念ながら写真もありませんので、思い出すのは、とても困難です。バイパスからの街の主要道路になっている興国寺城通りも、昔々は今のように歩道もしっかりとした立派な道ではなかったなずなのですが、思い出せません。

 

 

人間の記憶容量は、きっと一定なので、新しい情報が入ってくると古いものは席を譲るのでしょう。ごく一部が、どこかタンスの奥にでも仕舞われてしまい、ある時にふっと思い出されるのかもしれません。

 

 

 

善人の沈黙

■20180830(木曜日:曇)

 

九州旅行で立ち寄った渓谷です。

 

 

■今朝は走りました。もう月間の目標は達成しているのですが、少しでも積み重ねていくことで、目標を高く設定できないか検討するためです。いつものコースを走り、これで 106.99km を走りました。9月に入れば、これからは気温も下がり走りやすくなるでしょうから、目標を110キロにしても可能かもしれません。この10キロの違いは大きいのですが。

 

 

■昨日は仕事を終えてからNonちゃんとSunと三人で食事に出かけました。Sunが先日友人と出かけて気に入ったステーキ屋さんです。Nonちゃんの病院では、同僚の先生方が怪我や休暇でいないため、孤軍奮闘だったようです。予定よりも30分ほど遅れて到着しました。私は初めての店でしたので、興味津々という状態で注文しました。

 

 

サラダバーがあって、野菜を食べ放題できるところが気に入りました。どこへ行っても、Sunと二人でまずはサラダを頼むのが定番ですので、このお店でも同じように食事をしました。私はトンテキというのでしょうか、豚のステーキ、ポン酢おろし、という組み合わせでしたが、美味しく食べることができました。量も適量でした。

 

 

店は平日にも関わらず、結構混雑していました。

 

 

■東京新聞「こちら特報部」8月29日の記事は、とても興味深いものでした。「脱ネトウヨ 男性の告白」です。

 

 

私自身は、いわゆるネトウヨと呼ばれる人々の存在を身近に感じたことはありませんので、社会に対して、どれほどの力を持っているのか想像できないですが、相当に大きなもののようです。稲田元防衛大臣をはじめ、多くの政治家が、こうした人々を喜ばせる言動を繰り返すのは、そうした人々が積極的に投票に行くことが大きく影響しているようです。つまり左翼系の人々は、言葉は立派なのだが投票しない、というのです。

 

 

政治家は自分に投票してもらってなんぼの世界です。それは当然です。ですから実際に投票してくれる人々が喜びそうな言動を取るわけです。ネトウヨと呼ばれる人々が大きな力を持って、大手を振って闊歩する状況というものが、戦後73年にして出現したわけです。

 

 

やはり真剣に、そうした状況を腑分けする必要があります。特に私は精神分析が必要だと思っています。政治や経済的観点からの分析も、もちろん大切ですし有効なのでしょうが、心の中にまで分け入らないと、分析自体がとても浮ついたものになっている気がするのです。なぜ他者を蔑み、全否定する言説が熱狂的に支持されるのか。なぜ自国の素晴らしさに陶酔し、他国を辱めようとするのか。

 

 

そのあたりの心理分析をしないと、ただただ否定するだけでは問題は解決しない気がするのです。投票を棄権している二千万人の「善人の沈黙」が、そうした状況をもたらしているかもしれません。

 

 

 

スマホの切り替え

■20180829(水曜日:晴れ)

 

阿蘇山に放牧されている牛たちです。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。二日続けて走りましたので、ここは休憩です。連日の厳しい残暑には、本当にびっくりです。とは言え、夜になれば吹く風も涼やかになってきましたので、窓を開け放っておけば、眠りにつくことが可能です。猛暑のピークだった頃には、窓を全開にしても暑さが湿気とともに体にのしかかる、という状態で、とてもベッドの上では眠れませんでした。床の上にゴザを引いて寝ていました。

 

 

日が暮れるのも早くなりました。今日の日の入りが18時14分ですが、夏至の頃には18時58分とありますから、44分も短くなっています。12月22日の冬至の時期になると、日の入りはなんと静岡で16時34分だそうです。仕事を終えるのが17時半。二階に上がってくるのが、遅くとも18時前ですが、17時半に日没するのは、10月に入ってからのようです。10月に入ると仕事を終える頃には、真っ暗になっている、というわけです。

 

 

逆に日の出を調べてみると、朝の5時に起き出して走り始めるのが6時前。9月15日なると日の出の時刻が5時32分ですから、暗闇の中を起き出して準備を始めなければならなくなります。そうなると起き出すのも一苦労となります。涼しくなるのは大変結構なのですが、良い事ばかりではないのは致し方ありません。

 

 

■さて昨日はスマホの契約会社を切り替えました。Tone モバイルから Line モバイルにです。以前からTLineモバイルにはデーター専用回線だけ加入していました。Tone モバイルも決して悪くありません。ただ機種の選択ができないのが困りものです。逆に初心者の方には分かりやすくて助かると思います。

 

 

どんなスマホを使えば分からない初心者の場合、二つのうちの一つを選択する Tone モバイルの方が親切だと思います。進歩の早いスマホの世界では、しかしながら、縛りのある2年間の間に、全く異なる性能の機種が続々と発売されますので、二年前には不満を感じなかった Tone の端末も、今ではとても使う気になりません。

 

 

今は人気の機種、ファーウェイ製の P10 lite を使用しています。カメラも十分綺麗ですし、処理速度も不満はありません。故障することも今のところは一切ありませんので、安心して使用することができます。ファーウェイ社の端末がアップル製のアイフォンを抜いて売上で世界第二位になった、というニュースがありましたが、そうだろうな、と得心しました。とにかく価格と性能のバランスが、とても良いのです。

 

 

MNPを利用して、端末番号を移行することにしました。結構面倒かと思って心配しましたが、Toneモバイルに電話して、解約と番号の移動を告げ、メールで以降のための番号を入手。今度はLineモバイルに電話して担当者に内容を告げると、ネット上で手続きをすれば無料でできますよ、と親切に教えてもらいました。夜にはLineモバイルから、新しいSIMカードを送りましたので、手続きをすれば新しい端末で電話も医療できるようになります、という案内メールを受け取りました。

 

 

30日が夜間待機当番ですので、その日まではToneの端末を使用して、来月からはデーターも電話もLineモバイルで済ますつもりです。殆どの処理はWi-Fi下で行いますし、私は電話は嫌いで、ほとんど使用しません。相手の都合を無視する電話は、性に合いませんし、あとで言った言わない、と揉め事の種になりますので、嫌なのです。掛かってくる殆どの電話が、セールスマンからの勧誘であることも電話に出ない理由です。

 

 

メールで要件を知らせて貰えば、必ず見ていますので、間違って迷惑メールに相手のメールが入っていないことを確認することだけ怠らなければ、問題は起きません。誰の時間も拘束することはありません。お互いハッピィーです。一分あれば一通のメールを書くことができますが、電話をし始めると一分では済みません。時間の無駄です。そして電話は不確かです。聞き違えもあれば言い違いもあります。もちろんメールにも書き間違いがありますが。

 

 

証拠にもなります。何日に会いましょうと言った言わない、と言い争うこともありません。メールを見せて、この日に会おうと約束しましたね、と言えば、全て解決します。「 Law and Order 」を観ていても、メールが決定的な証拠になる場面が結構あります。逆に言えば、恐ろしいことでもあるのですが。使い方次第でしょうか。

 

 

 

 

 

 

笑い

■20180828(火曜日:晴れ)

 

阿蘇山の様子です。いまだに噴煙を上げています。

 

 

■今朝も走りました。いつものコースを走り、これで月間目標の100キロを無事に達成することができました。100.85km です。これで2015年3月に月100キロを走り始めて以来、連続42ヶ月間連続して月100キロを走ったことになります。通算走行距離は、記録を取り始めてから 7,186km となりました。

 

 

7月、8月は歴史的な猛暑が続きました。つまりは走ることが大変だった毎日です。もちろん一度に長い距離を走るわけではありません。高野コーチの指導のとおりにLSDをきちんと続けなければならなかったのですが、暑さと右太ももの痛みのために、LSDは二ヶ月間取り組むことができませんでした。今朝もそうですが、走り終わるとドット汗が吹き出します。

 

 

私も以前走り始めた頃、気温の高い日曜日の昼間にLSDらしきことをしましたが、一度は熱中症になりかけましたし、一度は過呼吸症候群になってしまいました。それ以来、基本的に昼間走ることは極力しません。ほとんど朝のみです。

 

 

8月26日には札幌で北海道マラソンが開催されました。これまでは夏の間のマラソンというのは、季節外れということで、あまり注目されませんでしたが、2020年の東京オリンピックが真夏に開催されることから、にわかに夏のマラソンが注目を集めるようになりました。基本的には、夏の間はマラソン大会を開催するべきではない、と思います。何より選手への負担が大きいからです。

 

 

ということで、今月も無事に目標を達成できて、ホッとしています。しかしここまでくると、この目標達成をいつまで続けることができるかということが、最大の問題になってきます。今の自分の気持ちとしては、Ayaちゃんが目標を達成できるまでは、と勝手に思っていますが、そうでもしてゴールを設定しておかないと、とても自分だけでは続きそうもありません。

 

 

■さて今朝の新聞には訃報が溢れています。「ちびまる子ちゃん」で有名な人気漫画家のさくらももこさん。そして劇作家のニール・サイモンさんです。

 

 

今朝の東京新聞「筆洗」欄は、こう書き出されています。

 

 

笑い声のない家で少年は育った。父親はたびたび家を飛び出し、母親は泣いてばかりいた。息苦しい生活のなか少年が見つけた数少ない楽しみはチャップリンの映画だった。

笑いを商売にする人間は必ずしも笑いの絶えぬ家庭で育つものとは限らぬらしい。少年はやがて世界中に笑いを売るようになる。米劇作家の ニール・サイモンさん。26日、91歳で亡くなった。

 

 

チャップリンも、決して笑いに溢れた家庭に育ったわけではありませんでした。いや、むしろ逆でした。お二人の生い立ちには、共通点が観られます。決して偶然ではないのでしょう。心からご冥福をお祈りします。

 

 

 

市民ケーン

■20180827(月曜日:曇)

 

高千穂で泊まった民宿の窓からの風景です。

 

 

■今朝は走りました。いつものコースを 6.14km 走り、これで残り4日で 5.28km のところまで来ました。あと一回走れば、月100キロの目標達成です。右太ももの付け根の痛みも今朝は、ほとんどありませんでした。違和感は消えていないのですが、それがために脚が前に出ない、ということはありませんでした。完治までは、もう少しです。

 

 

■それにしても暑い日曜日でした。昨日は、あまりの暑さにさすがに出かける気がせずに、家にいて資料の整理や映画鑑賞に時間を費やしました。久しぶりに「市民ケーン」を観ました。ずいぶんと古い映画ですが、今でも斬新さは色褪せていません。

 

 

『市民ケーン』(しみんケーン、原題: Citizen Kane)は、1941年公開のアメリカ映画。RKO配給。監督・製作・脚本・主演はオーソン・ウェルズ。モノクロ、119分。

オーソン・ウェルズの監督デビュー作。「バラのつぼみ」という言葉を残して亡くなった新聞王ケーンの生涯を、それを追う記者が取材した関係者の証言から回想形式に描かれる。主人公のケーンが実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしていたことから、ハーストによって上映妨害運動が展開され、第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞にとどまった。

しかし、直線的な時間配列を再構築した構成や、パン・フォーカス、長回し、ローアングルを多用した映像表現などにより、現在に至るまで世界映画史上のベストワンとして高く評価されている。英国映画協会が10年ごとに選出するオールタイム・ベストテン(The Sight & Sound Poll of the Greatest Films of All Time)では5回連続で第1位に選ばれ、AFI選出の「アメリカ映画ベスト100」でも第1位にランキングされている。

 

 

と、Wikipediaにあります。名画中の名画なのでしょう。観終わって感じたのは、母の愛、ということでした。幼児期に養子に出され、母親の愛を得られずに成長したケーンの愛を求めての人生、とも言えそうです。

 

 

アメリカのテレビドラマ、例えば「Law and Order」などを観ていて思うのは、アメリカでは人は自由なのだ、ということです。何事にも自由、そして自分の欲望に忠実に進もうとする。それを縛るのはただ一つ。法律だ、ということです。したがって法律無しでは夜も日も明けない。多民族国家ゆえ、共通の暗黙の了解と言ったものは期待できません。常に法律なのです。そのことが、よく分かります。弁護士が何十万人も必要なはずです。

 

 

精神科医と弁護士が生活の必需品なのです。日本とは全く異なる社会なのでしょう。どちらが良いとか優れている、という問題ではありません。違っている、ということを理解しておくことが必要だ、ということです。

 

 

女優

■20180826(日曜日:曇)

 

 

 

■今日は一日ゆっくりとしようか、出かけようか迷いました。8月最後の日曜日です。でも結局家で、のんびりすることにしました。とにかく暑いのです。以前のように酷暑とは、さすがになりませんが、それでも十分暑いのです。幸い曇り空ですので、午前8時5分現在気温は、それほど上昇していないようです。

 

 

テレビもラジオもかけていませんので、静かな中でのひとときです。新聞をゆっくりと読みながら、残しておきたい記事を切り抜きました。先日切り抜いておいた記事は重しを敷いてしわを取っておきましたので、スキャンにかけました。そしてエバーノートに保存しました。昔は切り抜きを不要の広告の紙に貼り付けて整理していましたが、紙は劣化しますので時間の経過とともに読むのが困難になっていきます。

 

 

自分が旅立った後に、こうしたデジタル遺産をどうするか、という問題があります。もちろん使用料を払ってデーターセンターに保存しているわけですから、旅立てば誰かが引き継がない限り、消去されて終わりです。整理が不要だ、といえば合理的ですが、魔法のように跡形も無くなってしまうのも、ちょっと寂しい気がします。

 

 

自分の父親は、こんな資料を集めていたんだ、こんな内容に興味を持っていたんだ、と子どもたちがしみじみと振り返る時間を持って欲しい、と願ったりもするのですが、忙しい中ではかえって邪魔のようにも感じます。綺麗サッパリ消え去るのが、江戸っ子の流儀ではないですが、飛ぶ鳥跡を濁さず、とも言えます。

 

 

多少の遺産を残して、少しばかり有難がってもらう程度が、ちょうど良いのかもしれません。多くを残せば喧嘩の元になります。それぞれが自分の力で生きていけるだけの教育は付けたつもりですが、棚ぼたというものは誰にとっても有り難いものです。それがもとで諍いが始まっては本末転倒です。でも世の中は、本末転倒に溢れています。

 

 

■今日の新聞記事の中では、日曜日ですから、やはり読書欄です。「中江有里さんの三冊の本棚」では、副題としてーー「女らしく」って何ーーと題して、三冊の本が紹介されています。一冊目が「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」です。もちろんまだ読んでもいないのですが、私が思い出したのが、「高峰 秀子  (著) わたしの渡世日記」です。朝日新聞社 (1976)です。私が23歳のときです。ネットによれば、

 

 

その高峰秀子が文庫本で2冊800ページにおよぶ自伝を書きたいように書いたのだから、おもしろくないはずがない。当時の「週刊朝日」の名物編集長だった扇谷正造がくどいて書かせた。

 

と、あります。連載中にも評判になり、ラジオ番組で司会者との対談が放送されていました。毎朝ラジオを聞きながら朝食を準備するのが日課だった母のお陰で、学校へ出かける前に朝食を取りながら、そんな放送を聞いた記憶が今でも残っているのです。2015年12月31日に旅立った母ですが、新聞の日曜版の読書欄の記事を読みながら、過ぎ去った母との日々を思い出す、ということも、まるで連想ゲームですが、貴重なひとときです。

 

 

しかしながら、この本の表紙を飾る有馬稲子さんの若かりし日の写真の、なんと魅力的なこと。「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグといえば、的外れでしょうか。ショートカットの髪型は、1957年封切り当時、セシルカットとして大人気だったそうです。

 

 

 

 

 

人格者

■20180825(土曜日:晴れ)

 

 

 

■今朝は走りました。昨夜は蒸し暑く寝苦しかったのですが、以前のような熱帯夜というわけでもなく、それなりに眠ることができました。スマートウォッチの計測では昨夜の睡眠時間は、6時間30分で、そのうち深い眠りは5時間5分、浅い眠りが1時間25分という結果でした。しかしこの記録をよく見ると、5時に起き出してからも浅い眠りとして計測されているので、浅い眠りに関しては参考になりません。どうも以前のスマートウォッチほど、賢くないようです。

 

 

いつものコースを走り、6.15km を積み重ね、残り6日 11.42km となりました。今日は右太ももの痛みが、前回よりも軽かったことで、とても楽でした。走りながら嬉しくなりました。これが続いてくれると良いのですが。

 

 

■東京新聞の連載記事、「この道」では現在、俳優の小松政夫さんが執筆されています。今日の題名は「カツ丼と天丼」です。

 

 

植木等さんの付き人件運転手として芸能界に入った小松さんの七転八倒記です。植木さんが過労のために体調を壊し入院しました。快気祝いのゴルフ大会の帰り道、植木さんがゴルフ場では食事があまり取れなかったから蕎麦屋に寄ろう、と言い出します。そしてカツ丼と天丼を注文するのです。病み上がりでよく食べるな、と小松さんが思っていると、植木さんはこう言ったそうです。

 

 

いけね。医者に油もんは止められていたんだ。おまえ、この丼も食べなさい。

 

 

そう言って、二つとも小松さんの方へ押しやったのです。自分は最初から食べるつもりもないのに、お腹をすかせた小松さんが遠慮するのを見越して注文したのです。親父さんの心遣いに泣きながら丼をかきこんだそうです。

 

 

植木等さんは、テレビや映画で見る、あの無責任男からは想像もできない、人格者だったようです。やはり大切なのは行動です。耳に心地よいことを言う人はゴマンといます。総論賛成各論反対は、世の常です。自分がみんなを取りまとめなければならない立場に立った時、言葉では威勢の良いことを言って応援してくれていた人も、実際に自分に負担が回ってくると、掌を返したように態度を変える人は、そこいらじゅうに溢れています。

 

 

本当に信頼できる人は、なかなかいないものです。つくづく、そう思います。ですから、もし本当に信頼できる人と巡り合ったら、何を差し置いても、その人を大切にすることが、よりよい人生を生きる道だと、私は心から思うのです。

 

 

台風20号

■20180824(金曜日:雨)

 

 

 

■昨夜から今朝にかけて、台風20号の影響で風雨が強まりました。予想していたよりは雨も降らずに肩透かし、と思っていたのですが、寝る頃になって雨風ともに激しさを増しました。四国に上陸しましたから、西日本は大変だったようです。

 

 

■12月2日に開催される、「野口みずき杯 2018中日三重 お伊勢さんマラソン」に昨日エントリーしました。Takuと私の二人です。YukoさんとSunも応援で参加してくれます。昨年はTakuと二人で出かけました。今年は四人で参加することができそうです。

 

 

伊勢神宮の商店街を走り抜けるコースは、なかなか魅力的です。みずきさんとハイタッチを、昨年は二回もすることができました。天候にも恵まれて、本当に良い思い出になっています。今年は、どんな大会になるのか、今から楽しみです。ただしTakuは仕事がありますから、日曜には東京へ帰らなければなりません。致し方ありません。

 

 

右太もも内側の痛みが完全に癒えていませんので、だましだまし走っている状態ですが、12月までには安心して走ることができるように回復させなければなりません。無理をしないで安静が第一なのでしょうが、毎月100キロの目標を達成しながら安静が必要ですので、なかなか難しいのです。

 

 

ただ走っているだけで痛めたようではなくて、どうもゴルフがいけなかったようです。体をひねる、捻転するスポーツですから、年を取って、年甲斐もなく一生懸命練習したりすると、体を痛めるのかもしれません。日常には全く不自由はないのですが、負荷がかかると痛みます。しばらく付き合うしかないようです。

 

 

 

オスプレイ配備

■20180823(木曜日:曇)

 

 

 

■今朝は走りました。昨日は走り始めようとしたところで雨が降り出し、結局走らずじまいでした。今朝は蒸し暑い中で、いつものコースを走り、これで今月は16回走り、82.42km を積み重ね、残り8日で 17.57km残となりました。あと三回走れば目標達成です。今月は歴史的な暑さが続きましたので、大変でしたが、何とか達成できそうです。

 

 

■ 今朝の東京新聞によると、10月から横田基地にオスプレイ5機が正式配備になりました。沖縄以外で初めての配備です。

 

 

オスプレイはプロペラの向きを変えられる「ディルトローター」方式の航空機です。画期的な航空機なのですが、その分不安定で、世界中で事故を引き起こしています。首都東京のど真ん中とも言える横田基地に、そんなオスプレイを配備するアメリカの意図は何なのか。日本人の反発を引き起こすのは分かりきっているのに、です。

 

 

沖縄への配備については、他人事のように知らん顔をしている本土の人々も、横田基地なら話は別です。他人事ではないからです。わざと日本人を怒らせるように仕向けている、と考えるのが正常です。田中 宇さん流に考えると、自立を促し、日本をアメリカ追従から引き離したいトランプ大統領の親心、とでも言えるのでしょうか。ちょっと皮肉にすぎるかもしれませんが。

 

 

色々な意味で戦後の日本は、本来ならきちんと向き合うべき問題にほっかぶりをしたままで、経済発展に専心した、ともいえます。いずれは精算しなければいけない問題なのです。果たして日本人に、それができるのかどうか。カウンセリングが必要だと、私には思えますが。

 

 

断線

■20180822(水曜日:晴れ)

 

 

 

■今朝は5時に起きて走るつもりで準備を進めていると、雨が降り出しました。空模様を見ると東の空には、ところどころ青空も覗いています。少し待てば雨も止みそうでしたが、いったん走ろうと決めて、水をさされた後というのは、心が萎えてしまいます。

 

 

ということで走るのは中止し、ホームページの更新をすることにしました。ところがネットが繋がらないのです。原因は分かりません。ルーターの電源を入れ直したり、いろいろ試したのですが、うまく行きません。これは困りました。

 

 

以前にも、こうしたことがありました。その時は、無線LANルーターの、さらに大本のルーターの電源を一度落とした後に再度起動すると接続できるようになりました。

 

 

どうしてだか分からないのですが、数ヶ月に一度程度そうした事が起こります。こうして接続できなくなって痛感するのは、インターネット無しの生活などできない、ということです。

 

 

実際に仕事をするためのレセコンと呼ばれるパソコンもインターネットに接続されない限り使用できませんので、仕事になりません。スマホがありますので個人的な連絡は、それだけでも間に合うといえば間に合うのですが、仕事にならないと、そんなことは言ってられません。

 

 

スタッフが機器を再起動をして、何とか再接続できるようになりました。光ファイバーが導入され、高速通信が可能なのですが、繋がらなければ絵に描いた餅です。

 

 

サイバーテロでネットへの接続が不通になると、本当に社会は立ち往生になるに違いありません。しかも、これからはIoT と言って、全てのものがインターネットに接続されることで、全てのものが強調し合って活動することができるのですが、一旦その協調が崩れると社会は大混乱に陥ります。それは社会的な基盤にまで及びます。実に危うい社会になりそうです。

 

 

■台風の影響もあって、全国で酷暑が再燃しています。そして明日からは台風20号の影響が、まともにやってきそうです。

 

 

 

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