■20191017(木曜日晴れ)
■いよいよ旅立ちの日がやってきました。あれからもう1年が経ってしまったのです。今日は午前中の仕事を終えた後に新幹線、そして京浜急行の電車を乗り継いで羽田空港まで行く予定です。ベトナム枯れ葉剤被害者支援の旅2019です。
昨夜はのんちゃんと3人で夕食をとりましたが、思い返してみると初めてベトナム支援のために出かけたのは2008年でした。あの時はノンちゃんもあやちゃんも参加しましたので、家族4人での旅でした。11年前です。その後色々なことがあって、結局今も残っているのは、家族の中では私1人だけになってしまいました。
あの当時の支援隊の仲間も様々な理由から別れてしまい、結局今年出かけるのは八名となりました。何事も続けるというのは大変なことです。隊員の皆さんも高齢化が進み、活動すること自体が体力的にも難しくなってきています。
被害者の家庭訪問をするとなると、バスで回って、さらに家まで歩かなければなりません。例えば膝が痛いとなると、これが結構負担になるのです。昨年は山奥に住んでいる被害者宅を訪問したのですが、施設からバスで、なんと3時間もかかりました。家の玄関先まで車で行くことができないので、途中でバスを降りて、そこから15分ほど山道を歩いた事もありました。膝の痛みを抱えた高齢者には、かなりの負担なのです。
今年の支援活動が、どのようなものになるのか。昨年とは異なった地域を訪問する予定ですので、楽しみでもあり不安でもあります。
■さて、今朝の東京新聞「私の東京物語」欄では、あのポップデュオ「トワエモア」の白鳥英美子さんが「愛すべき阿佐が谷」と題して書かれています。白鳥さんは神奈川県の横須賀で生まれましたが、お父様の仕事の関係で3歳の頃に、杉並区の阿佐ヶ谷にある会社の寮へ家族で引っ越されてきたそうです。白鳥さんはこう書かれています。
私の家から杉並第1小学校までは歩いて10分ぐらいの距離だ。学校のそばには神社とお寺が道を隔てて並んでいた。大きな銀杏の木があった神社では、放課後ランドセルを木の幹において友達と馬跳びをしたり、お寺の方では、かくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ。世尊院という名のそのお寺は、今では境内のあった場所に道路が開通し、駅から早稲田通りに繋がる中杉通りとなっている。
なぜこの記事が目に止まったかといえば、私も同様の経験をしていたからです、京都生まれの私は3歳頃まで京都にいたのですが、父の仕事の関係で東京を経て、埼玉県の川口市の団地に引っ越しました。
今でも自分では、埼玉生まれの埼玉育ちのような気持ちでいます。3歳から19歳までの時期を川口市で過ごしましたので、そう思っても不思議ではありません。
白鳥さん同様、近くのお寺や神社で過ごした時間が、今でも私にとっては貴重な思い出となっているのです。川口市飯塚町にあったその団地も、今では区画整理でマンションとなってしまい、家族とともに過ごした家は、もうどこにも無くなってしまいました。あとかたもありません。
まさに方丈記が何百年も前に描いた、そのままです。きっとこれからも同じことが繰り返えされていくのでしょう。
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