■20191124(日曜日:晴れ)

境港駅です。

■昨日は朝、静岡から松江空港に到着し、レンタカーを借りた後に出雲大社に行きました。穏やかで暖かく風もほとんどない絶好の参拝日和でした。本当にたくさんの人々が来られていましたが、出雲大社自体は思ったほど大きなものではありませんでした。こじんまりしているという印象でした。

■さて今日は、まず境港市に向かいました。隠岐島へ行く船が出る、あの港です。そして、ゲゲゲの鬼太郎で有名な町でもあります。NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で一躍有名になりました。作者の水木しげるさんが生まれた町として知られています。

また駅の近くには「ゲゲゲの鬼太郎ロード」があり、これまた多くの観光客で賑わっていると聞きました。

写真にもある通り、駅前にはゲゲゲの鬼太郎の大きな絵が書かれています。向かって左側にあるのがJRの境港駅であり、正面は観光センターのようです。

駅前の駐車場にたまたま1台空きがあり、運良く止めることができました。まずは観光センターの中に入り、隠岐島へ渡る船の発着状況などを確認しようと思ったのですが、よくわかりませんでした。

外に出てきてみると、境港駅の前には、ゲゲゲの鬼太郎が机の前に座っているモニュメントがありました。

そうこうしていると、地元のボランティア観光案内の方が、ご一緒しませんか、と誘ってくださいました。おいくつぐらいでしょうか、もう70を超えておられると思いますが、4人で参加させていただくことになりました。

駅前からスタートし、しばらくすると、ゲゲゲの鬼太郎ロードが始まりました。長さは850メートルほどです。行政が提案されたそうですが、当初は商店街は猛反対で賛成する人は、1人もいなかったそうです。

結局のところ、商店街の一区画だけが行政の説得に応じて、ゲゲゲの鬼太郎モニュメントを設置することを承諾しました。今では年間300万人の観光客が訪れています。その経済的効果たるや想像を絶するものです。

全長850メートルほどの商店街は車道は車が2台、やっとすれ違えるかどうかの広さで、歩道をゆったりととってあります。両側には本当に一軒一軒商店が並んでいて、昔ながらの商店街という雰囲気が漂っています。

もちろん何軒か、所々歯が抜けたように空き地になっていたり、駐車場になっていたりしていますが、それでもぶらぶらと歩くのは、とても楽しいひと時でした。

そして一番突き当たりに近いところに、ゲゲゲの鬼太郎記念館がありました。ボランティアガイドをしてくださった地元の方には本当に感謝、感謝です。

ボランティアの方の話では、テレビ番組にもなった、水木しげるさんの奥様が書かれた「ゲゲゲの女房」は、実はほとんどを、ゴーストライターの方が書かれたそうです。世の中の本というのは、そうした場合が多いのかもしれません。少し割り切れない気もしないではありません。

■さて、車に戻って今度は松江城に向かいました。Sunのおすすめに従って、松江城の周りのお堀を巡る船に乗りました。船頭さんのお話では、現在60名ほどの船頭さんがいるそうですが、最近21歳という若さの方が加わったと喜んでおられました。

時期的には紅葉がほとんど終わりかけでしたので、少し色鮮やかさが落ちていましたけれども、それでも1時間弱、素晴らしい時を過ごすことができました。

船を途中で降りて松江城の大手門に向かいました。ここでも地元のボランティアガイドの方に、お世話になることになりました。女性の方でしたが、とても勉強熱心な方で、松江城の素晴らしさを熱心に教えてくださいました。

お礼を言って別れた後、城内の喫茶店で抹茶と和菓子を頂きました。

少し歩いて、次にたどり着いたのが、ラフカディオ・ハーン記念館です。松江といえば、なんといっても、ラフカディオ・ハーンです。

以前ラジオのNHK文化講演会で、ラフカディオ・ハーン記念館の館長をしておられる、ハーンのひ孫にあたられる小泉凡さんの講演を聞いたことがあります。

小泉八雲は14年以上でしたか、日本に滞在していましたが、そのうち松江にいたのは1年3ヶ月ほどにしか過ぎなかったのです。

凡さんのお話は、とても興味深く、いくつものことが記憶に残っているのですが、その中の一つにあるのが、まるで舞踏会のようだったというお話です。

小泉八雲は学生時代に事故で左目を失明し、右目も強度近視のために主力は0.1なかった、という凡さんのお話でした。しかし人間は一つの感覚が衰えると、他の感覚が研ぎ澄まされるものです。彼の場合は、聴覚でした。

松江の自宅で寝ていると、朝起きた時に松江大橋を渡る、地元の人達の下駄の音が聞こえてきます。そのカランコロンという音が、まるで舞踏会のように聞こえてきたというお話です。

八雲が英語教師として、島根県尋常中学に1890(明治23)年に赴任した際、名前のつづり「Hearn(ハーン)」を「ヘルン」と読まれたという。それ以来、生徒たちから「ヘルン先生」と呼ばれ、日本での愛称となった。本人も気に入っていたようで、妻のセツも八雲のつたない日本語を「ヘルン言葉」と呼んでいたそうだ。

「カラコロ」は、当時まだ木造だった松江大橋を下駄(げた)履きの人々が渡る音。八雲は『知られぬ日本の面影』の中で、松江に到着した翌朝に聞いた「大橋の下駄の音」を「忘れられない音」と描写している。

彼も魅了された音色ということで、観光スポットの名称などに「カラコロ」が冠されるのだ。