2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2019年10月 Page 1 of 4

コンクリートから人へ

■20191031(木曜日:晴れ)

わが町の夜明けです。いつ出会っても心洗われます。

■今朝はゆっくりと休みました。今日は10月最後の日。いよいよ残り、あと2ヶ月というところまで来ました。色々なことがありましたが、振り返るのは、また後のことにして、とりあえずは今月も目標の月100キロ走を達成しましたので、ひと安心と言うところでしょうか。

さて今朝の東京新聞第2面には、「ダム事業のあり方は」と題して「核心」欄で、2人の政治家の方が意見を述べられています。民主党政権時、国土交通相だった馬渕澄夫氏は、この中で「コンクリートから人へ」の理念とは何かと問われて、こう答えています。

一度決めたら最後、膨大な費用を投じ続けるのは、官僚主導政治の最たるものだった。『人へ』というのは、無駄な公共事業をやめて財源を捻出し、教育や弱者救済などに充てるという思い。自民党政治の大転換を政治主導で行うというメッセージだった。理念は今でも正しいと思っている。

この馬淵氏が述べている理念は今でも大切なことであり、実現していない最大の政治目標に違いありません。

安倍政権になって以来、最も顕著なのは、ごく限られた特定の仲間だけに限って、極端な利益供与を公然と行い続けているという点です。身の丈発言で問題になっている英語検定試験にしてもしかり。民間試験業者の利益のためには、受験生への配慮などは一顧だにされていないのです。

彼らの頭の中には、自分たちへ利益供与している国民しか、目に入っていないのでしょう。これが戦後の日本民主主義の行き着いた終着駅だと思うと、暗澹たる思いに沈むのは私だけではないはずです。

東京オリンピックのためと称して湯水のように使われる税金のごく一部でも、人への投資へ回すことができれば、どれほど日本全体の底上げに繋がるかは容易に想像のつくところです。

れいわ新選組代表の山本太郎さんが言うように、このようなひどい日本を作り上げたのも政治なら、それを変えることができるのも、政治しかないのです。

ロカボ食

■20191030(水曜日:晴れ)

2019/10/22 早朝のハノイ・ノイバイ国際空港です。

■今朝は走りました。日曜日に、たくと2人でハーフマラソンを走りましたので、疲れがなかなか抜けませんでしたが、今月も明日を残すのみとなってしまいましたので、なんとしても今日中に残りの5キロを走って、月100キロ走の目標を達成しておかなければなりませんでした。これでなんとか今月も目標を達成でき、連続 56 カ月間、月100キロ走の目標を達成することができました。

先日のハーフマラソンで、自分自身の持久力や走力の不足を改めて思い知ったのですが、とりあえずは今の月100キロ走という目標を続けていくしかありません。もう少し異なったトレーニングを取り入れて負荷をかけないとダメなことは自分ではわかっています。高野コーチの指導が、やはり今の自分にとっては一番必要なのだろうと頭ではわかるのですが、現実にはなかなかそれを実行するのは困難なのです。

さて昨夜は、久しぶりに友人の古屋先生と夕食を共にしました。月に1回程度のペースで楽しく歓談する場を設けています。私がベトナムから帰国しましたし、またハーフマラソンも走りましたので先生もそんな話を聞きたいと、とても楽しみにしてくれていました。3時間以上2人で楽しくさまざまな話題について、食事とアルコールを交えて語り合うことができました。

その中で、炭水化物ダイエットの話が出ました。当然のことながら、小児科医である先生は、そうした食事療法については詳しくご存じでしたが、私自身が試してみて、記録をつけた自分の体重グラフをお見せしました。

二か月ほど前から、昼ごはんのお弁当についてくる白米の摂取量を3分の一程度に減らしました。あとは全く以前と変わらない食事と運動を続けているのですが、たったその1回分の白米の摂取量を減らしただけで、体重を示すグラフが見る見る右肩下がりに下がっていったのです。

これには正直私自身が一番驚きました。特段運動量を増やした訳でもありませんし、特別な食品を食べるようになった訳でもないのです。ただ昼ごはんの白米の量を3分の一に減らしただけなのです。確かに毎回の食事における炭水化物の量を意識して、増やさないようにしていることは間違いありません。元々野菜中心の食生活で、いわゆるベジタブルファーストの習慣がありますので、その点も影響しているかもしれません。

ところがある、がんセンターの病院食の話になって大変驚きました。その病院では毎回の食事に白米が150グラムも出てくるというのです。1日150グラムの間違いではないかと最初は思いました。なぜなら、低炭水化物食、いわゆるロカボ食と言われるものでは、1日の炭水化物摂取量を120グラム程度とされています。

炭水化物を多く取れば当然血糖値は上昇しますし、それによって分泌されるインシュリンの量も多くなります。私の読んだある本によれば、癌細胞の栄養源はブドウ糖のみであり、またインシュリンは癌細胞の増殖を促進するそうです。糖尿病の患者さんではガンの発生率が他の方に比べて高い、というのは間違いのない事実のようです。

そんなことを本で読んでいたので、この癌センターでの病院食の白米量には大変驚きました。何か深い理由があるに違いありませんが、私の知っていた常識と真逆でしたので本当に驚きました。

身の丈

■20191029(火曜日:雨)

27日のマラソンで走ったコースです。国道354号線。行き先は、古河・館林です。

■日曜日に、たくと一緒にハーフマラソンを走ってから2日目です。今日の写真は、その時の様子です。スタートして5キロほどのところです。上州太田スバルマラソンのコースは、運動公園をスタートして国道に入ると、一直線に10キロ走って、また10キロ戻ってくるという、とてもシンプルなコース設定となっています。これほど分かりやすいコースを走ったことは、私は1度もありませんでした。

今回の参加は初めてでしたので、走り終わるまでコース設定が分かりませんでしたが、途中の陸橋を除けば、アップダウンもほとんどなく、走りやすい道のりでした。

ただし、大きな国道を通行止めにして実施しますので、制限時間が他のマラソンに比べて厳しいように思いました。幸い、制限時間に引っかかることはありませんでしたけれども、途中で故障を起こしたり、何かトラブルがあれば棄権ということになったり、あるいは歩道を走らなければならなくなったかもしれません。紙一重でした。

こじんまりとした大会でしたので運営は、良く言えば初々しい感じでしたが、関係者のユニフォームを着た方に、わからないことを質問してみたのですが、その方もわからないということが何度かありました。こじんまりしたとは言っても、1万人近くの方が参加するわけですから、多くの情報を担当者全員で共有するというのは容易ではないと思います。

ブームにすらなって、全国で開催されているマラソン大会も、かなりの部分で運営が赤字となり、継続が難しくなっていると言われています。安全面の配慮などを考えると、相当な人手がかかりますし、地域興しとしてのマラソン大会も曲がり角に来ているのかもしれません。

地方都市

■20191028(月曜日:晴れ)

東武東上線太田駅前です。ビジネス・ホテルが思ったより多く、さすがはスバルです。

■昨夜はさすがに、ゆっくりと休むことができました。週末から忙しない時間でしたが、充実した時を送ることができました。高崎という街にお邪魔したのは初めてでした。群馬県は県庁所在地は前橋市ですが、高崎市という新幹線の止まる大きな街がもう一つあります。

たくの家から新幹線の駅まで行く間、タクシーに乗りましたが、運転さんのお話では子供達は東京に学校へ通うために出てしまうと、もう高崎には戻ってこないという場合が多いようです。まるで沼津でのお話を聞いているような気がしました。つまりは地方都市では、どこでも同じようなことが起こっているということです。

東京はまるでブラックホールのように日本中から人を吸い寄せているのです。帰る途中で立ち寄った東京駅の混雑ぶりは本当に凄まじいものでした。繁栄していると言えば、繁栄しているのでしょうが、こんなところに長居はしたくないというのが正直な実感でした。

今日配信されてきた、田中宇の国際ニュース解説 無料版 2019年10月28日 http://tanakanews.com/を読むと、これから先の人類の未来が、かなり暗そうなことが想像できます。

もちろんこの田中宇さんの記事が完全に正しく、そのまま未来を予測しているかどうかは、私には判断できません。ただ本当のように思える、ということしか言えないのです。私のような素人でも、大きな歴史的曲がり角に、いま来ているのではないかという予感はするのです。

金利が歴史的な低さにある、という指摘はよくなされるのですが、ということは少なくとも現在の状況が、歴史的な非常事態にある、ということは間違いなさそうです。現在のシステムがご破算に近い状態になった時、その次にやってくる世界とは一体どんなものなのか想像もできないのですが、決して明るくないことだけは間違いありません。

まず、地方都市から没落していく今の日本の状況を見ていると、ある種のカナリアのような役割を、地方都市が果たしつつあるのかもしれないと危惧しているのです。

2019上州太田スバルマラソン

■20191027(日曜日、晴れ)

太田市の運動公園野球場です。ランナーと家族で溢れています。

■昨日は診療が終わって、午後から電車に飛び乗り、何度か乗り換えた後、群馬県の東武鉄道太田駅に到着しました。原駅から三島駅まで行き三島駅で新幹線に乗り換え、品川駅で降りました。JR上野東京ラインからJR宇都宮線古河行きに乗り換え、埼玉県は久喜駅に到着しました。JR駅で一旦降りて、東武伊勢崎線に乗り換えて 「りょうもう21号 赤城行」 で16:15【太田】駅着となりました。

たくが予約してくれてあった、東横イン太田駅南口店に行くと、たくが待っていてくれました。まだ夜の5時前でしたので、お店もあまり開いていませんでしたが、たくが適当なお店を見つけてくれました。さっそく17時を過ぎた所でホテルを出て、2人で駅前の居酒屋さんに入って、11時近くまで飲んで食べてお喋りをしました。明日は2人とも8時スタートで、ハーフマラソンを走らなければなりませんので、今夜は12時前には休むことにしました。5時間以上二人で話し込みました。たくが人の話をよく聞いてくれるからです。

明日の朝は5時半起床と決定しました。明日の朝食はホテルのものを取らずに、コンビニで購入した、おにぎり一個とお茶で済ますことにしました。

■さて今朝は5時半に予定通り起き出して準備を始め、朝食を取ってホテルを出ました。会場までのシャトルバスが発着しているスバルの工場の従業員用駐車場にたくの車で行く予定だったのですが、ホテルのフロントで確認してみると歩いても大したことがないし、ホテルの駐車場に車を置いておいても構わないという了承をもらいましたので、15分程の道のりを、駐車場まで歩いて行くことにしました。

歩いているうちに困った事態が生じました。便意が生じてきたのです。途中ホテルにでも入って用をたそうかと思ったのですが、適当な場所がありません。本当に困ってしまったところで、駐車場についてみると、簡易トイレが二つ用意されていることに気づきました。地獄に仏とはこのことです。さっそく利用させて頂き、これで安心して走ることができる状態となりました。

バスに乗って十分ほどでしょうか、スタートの公園までたどり着き、まずは貴重品を預けることにしました。1時間以上の余裕がありましたので、ゆっくりと準備運動し、周囲を見て回ることもできました。やがてスタート時間の8時となり、一時間半、二時間以上というタイム別のプラカードの後ろに、ランナーたちが並びました。

■そして午前8時にスタートの号砲が鳴りました。ところが私の並んでいたところから、スタートラインまで辿り着くのに3分以上、時間がかかってしまいました。今回のレースは、国道354号線を主なコースとして走りますので、交通規制を長期にわたり続けることが難しく、マラソンランナーに対する時間制限が大変厳しいのです。5箇所に関門が設けられ、時間制限を超えると、そこでランナーは道路を走ることができなくなります。ということで、私も制限時間を気にしながら走ることになりました。

コース自体は、とても分かりやすく、一直線に走って、折り返し点を、そのまま、またまっすぐ戻ってくる、というもので、途中陸橋を超えるところで、若干のアップダウンがあるものの、ほとんど平坦なコースと言えます。

天候は曇り。暑くもなく、寒くもなく、ちょうど良い天候でした。結局2時間17分34秒をかけて20.593kmを走りました。記録を見てみると18キロのところまでは結構いいペースで走っていたのですが、最後の2キロ、かなりペースダウンしてしまいました。本当に苦しい2キロでした。歩いて、そして元気を取り戻して走ろうかと何度も思ったのですが、どこまで走り続けられるか頑張ってみようと思い、そのままゴールしてしまいました。

本当に疲労困憊。消耗し尽くしてのゴールでした。あとで話を聞くと、たくも同様に、かなり苦しかったようです。たくの場合は仕事が忙しく、あまり走る機会がなかったようですから、致し方ありません。

コースは大変単純明快なコースでした。スタートの運動公園野球場脇の道路から主要幹線道路に出てからは、本当に真っ直ぐ、ずっと走るばかりです。私が5キロ地点に到着する少し前に、もうトップランナーが折り返して帰ってきていました。すごいスピードです。ダントツの一番でした。

私も18キロメートル付近までは順調にペースを刻んでいたのですが、残り5キロとなって少しペースを上げようかと思ったのですが、そうはいきませんでした。しかも残り2キロになった時点からは本当に苦しく、足が前に出なくなりました。

それでも沿道には家族連れで応援してくださる方もいて、可愛い子供さん達が手を振ってくれたことには大変勇気付けられました。今回のコースは会場の工事のためにコースの距離が若干短く設定されていましたが、それでも、かかった時間は、正式なハーフマラソンと変わりませんでした。つまりはペースが落ちていたということです。今の自分の力ではこの辺りが限界のようです。

トレーニングが足りません。やはり高野コーチが言うように LSD をもう少し、しっかりやっていかないと、ハーフマラソンはおろかフルマラソンなど遠い夢のような現状なのでしょう。

ようやくがゴールにたどり着き、貴重品を預けるテントを目標に競技場に戻りました、たくも走り終えて着替えを終わっていたようです。これから抽選会の終了まで、この芝生の席でしばらく休憩です、スバルが提供してくれた型乗用車が一番の目玉景品です。抽選の結果40代以上ハーフマラソン完走者の中から男性の方が当選されていました。乗用車が景品になるなんて、さすがはスバルマラソンです。台風の影響でここ太田市のスバル工場も操業を一時停止していたようですが、再開されて日常が取り戻されたようで、私も安心しました。

さて、抽選も終わりましたのでシャトルバスで駐車場まで戻り、そこから宿泊したホテルまで歩いて戻り、たくの車に乗って、たくおすすめの高崎にあるスーパー温泉までドライブしました。たくの運転する車に乗るのは本当に久しぶりです。昨年1月からこちらで仕事について毎日のように運転してるようですので、すっかり運転にも慣れたようです。

スーパー温泉に到着し2人でゆっくりとお湯に浸かりました。第1駐車場は満車で第2駐車場に車を停めて入館することができました。自分自身はかなり消耗していましたので、あんまり長湯すると少し気分が悪くなってきましたので、水風呂に入り直して最後はリラックスできました。

また車に戻りたくの家まで車で十分ぐらいでしたでしょうか、初めてお邪魔しました。少し休んでからタクシーを呼び、ゆうこさんと3人で、高崎駅西口近くにあるお店に向かいました。3人で少し遅めの昼食を2時間ほどかけて、ゆっくりと食べました。ビールの美味しかったことは言うまでもありません。ゆうこさんもようやく落ち着き元気を取り戻したようです。私も安心しました。

もっとゆっくりしていたかったのですが、さすがに疲労困憊でしたし、明日のことも考え、お土産を駅ナカのお店で購入し、16時47分発のはくたか号で東京駅に戻りました。高崎駅から東京駅までは小1時間でした。そして、今度はこだまに乗り換え三島駅に到着。豊橋行きに乗り換えて、ようやく家にたどり着いたのが19時半過ぎでした。

5時半に起きてから長い1日でしたが、本当に充実した時間でした。昨日の晩は、たくと2人きりで5時間以上話し込みましたが、これからのこともあり、じっくりと話すことはできて本当に有意義な週末でした。たくも忙しい毎日にも関わらず、時間を取ってくれたことに心から感謝しています。

12月にも、またお邪魔することになっていますので、その日まで、自分自身、体を大切にして一緒に楽しめるように心掛けるつもりです。本当に有意義で、楽しい週末でした。

たきび

■20191026(土曜日:晴れ)

今朝の富士山と愛鷹山です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は関東地方を中心に激しい雨が降り、千葉市では土砂崩れのために犠牲者が出ました。千葉市緑区と報道されていましたが、私の同級生たちにも、やはり緑区に住んでいる友人がいましたので、心配になりました。緑区と言ってもかなり広い範囲でしょうから、詳細は不明ですが、これほど千葉で何度も大雨が降ったという記憶はありません。

飛行機は成田空港に着陸できず、東京へ向かう電車は不通になってしまい、乗客は移動のための足を求めて右往左往している様子がテレビに映し出されていました。恐ろしいものの代表に、昔は地震・雷・火事・おやじと言ったものですが、絶滅したのは最期の親父だけのようです。

さて、今朝の東京新聞30面、東京どんぶらこは新井薬師(中野区)を特集しています。「今昔記」には、

童謡たきびの詞は、児童文学者・巽聖歌が昭和初期から住んだ現中野区上高田の自宅近くで、この欅の落ち葉焚きの風景を見て創ったとされる。

と、あります。また、こう続けて書かれています。

渡辺茂の曲を得て、真珠湾攻撃の翌日、ラジオで放送されたが、軍部から差し止められた。「敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は堆肥に」などの理由だったとされる。広く知られるようになったのは戦後で、小学校の教科書に採用された後のことになる。

今では考えられないバカバカしい理屈が、大手を振ってまかり通るような社会が、二度とやってこないことを切に祈るばかりです。それには私たち一人ひとりが政治というものを、しっかりと考えなければいけないのです。人任せはいけません。

テレビドラマ

■201901025(金曜日:雨)

ハノイオペラハウスです。フランス植民地時代に建設されました。

■今朝はゆっくりと休みました。火曜日の夜に帰国し、お風呂に入ってカレーを食べました。帰ってきて一番したかったことが、それだったのです。金曜日、土曜日、月曜日、そして、火曜日に休診にしましたので、その分がまとめて、一昨日の仕事となりました。つまりは大忙しだったということです。昨日は午前中だけの仕事でしたが、それでも、大混雑でした。

明日には仕事が終わったら、すぐに新幹線東武線を乗り継いで、群馬県の太田市まで行かなければいけません。2019上州太田スバルマラソンに翌日出場するためです。たくが色々探してくれた末に、この大会がハーフマラソンでもあり、またコースがフラットで完走も楽ではないかということで出場を決めました。

2014千歳JAL国際マラソンに初めて2人で出場してから、何度も一緒に走ることがありましたが、最近はたくも仕事が忙しく、また結婚もしたので一緒に走る機会がありませんでした。昨年12月に一緒に走った、お伊勢マラソンが最後だったでしょうか。

本当に日曜日が楽しみですが、昨日の朝走り、そして午後からは少しゴルフの練習をしましたが、頑張りすぎたかもしれません。いささか腰痛と体のだるさが残ってしまいました。今日一日はとにかく休養に努め、明日の朝も走る事なく体力の回復を待つしかありません。

■今朝の東京新聞、私の東京物語はトワエモアの白鳥英美子さんが「オーディションに応募」と題して書かれています。白鳥さんのご家庭では、

我が家では、もっぱら海外テレビドラマを中心に、家族揃って見るのが好きだった。「パパは何でも知っている」、「うちのママは世界一」、「アンタッチャブル」、「ローハイド」などの他にも大抵の海外のものは見ていたような気がする。

これを読んで、我が家もそうだったなぁ、と感じることができるのは、現在65歳以上の方ではないでしょうか。まだまだ日本のテレビ局では魅力的な番組を作る力が、なかったのかもしれません。テレビドラマといえば、アメリカのものがほとんどだったように思います。「事件記者」は、日本のテレビドラマとしては食い入るようにして観た懐かしいものの一つですが、アメリカドラマの頃よりも後の事のように覚えています。

アメリカという国が、まるで天国のような理想郷に思っていたのは、私だけではなかったはずです。内情としては人種差別問題など、多くの問題を抱えていたにもかかわらず、アメリカという国は本当に輝ける国だったのです。ある意味、ようやくアメリカもごく普通の国の一つになった、と言えなくもありません。

トランプ大統領が誕生し、世界の警察官の役割を放棄しようとしています。色々な論評があることはもちろんですが、ごく真っ当な方向だと私には思えるのです。これからは地域ごとの大国が中心となって、話し合いを重ねながら安定を模索していくという世界が、広がっていくのでしょう。確実に言えることは、戦争は減る方向にある、ということです。ご近所で戦争が起きて喜ぶ国は無いのです。

強欲

■20191024(木曜日:曇)

ベトナムのある農家です。玄関前の様子。脱穀された稲粒を干しています。正面にザボンの実がなっています。大きなザボンの実を、いつも分けてもらいました。

■今朝は走りました。昨日の朝は走るつもりでいたのですが、さすがに疲れが溜まっていたのでしょうか、起き出すことはできませんでした。今朝は5時に起きだし、準備の後にいつものコースを6.08km走り、これで残り7日25.77kmのところまで来ました。

27日の日曜日に2019上州太田スバルマラソンを走りますので、21キロ強を積み重ねることができます。そうなれば、残り3日で5キロを走れば良いことになりますので、なんとか今月も目標の100キロ走を達成できそうです。

今朝の写真は、支援の旅で何度も見かけたベトナムの農家の庭先の様子です。脱穀した米粒を干すために玄関前の庭先に広げてあります。そして庭には必ずと言っていいほど、ザボンの木が植えてあります。ベトナムはザボンの国でもあるようです。どこへ行っても、おもてなしはザボンの実です。これが甘くて、とても美味しいのです。

■さて、今朝の東京新聞第1面の「税を追う」特集は、大変興味深いものです。若手研究者を育成する、国立大学法人、総合研究大学院大学の学長らによるハワイ視察の訪問先の7割が観光地や土産店だった問題で、約200万円の視察費は教職員の人件費削減などで捻出した余剰金から流用されていたことが分りました。

長谷川真理子学長ら執行部は、人件費削減を進める一方、自分たちの報酬や賞与は引き上げていました。2017年に行われた説明会では、長谷川真理子学長が現在の本学の財政状況は本当に大変なことなので、ご理解頂いた上で、皆さん一緒に頑張ってほしいと話したそうです。

説明会から間もなく女性職員は短時間勤務への移行を聞かされました。「やめろって言われてるようなもの。これでは生きていけませんよ」。短時間勤務になると年収は300万円から180万円に減り、再就職先を探すほかありませんでした。東京新聞が入手した、視察の日程表を見ると絶句し、女性職員はこう語りました。

観光地ばっかり、なんのための視察なんですか。やりたい放題ですね。

と、ため息をついた。

私だって、ずっと総研大で働き続けたかったですよ。でも、頑張っても搾取されるだけ。

最後は消え入るような声で呟いた。

ーー悔しい。

現政権が推し進めてきた社会の縮図のような話です。組織のトップが、みんなのためを考えるのではなく、自分の懐ばかりを優先し、強欲さを募らせていく。多くの人々の生活が壊れていく、まさに美しい国、日本の完成です。

日常

■20191023(水曜日:晴れ)

ハノイ最後の夕食を楽しんだレストランです。

■昨日帰国し、その足でニューウェルサンピア沼津へ行き、お風呂にゆっくりと浸かりました。ベトナムでの宿泊ホテルにも湯船がなかった訳ではないのですが、周囲を水浸しにしてしまうことを心配し、落ち着いて湯船に入る気にはなりませんでした。

17日夜にベトナム入りし、最初に宿泊したニンビン省のホテルは、できてまだ日が浅い綺麗なホテルでしたが、シャワーを浴びて驚きました。湯船はなく、シャワーを浴びるところだけが、ガラスの扉で隔離された空間だったのですが、排水口が適切に配置されていない為に、お湯が周囲にどんどん漏れ出てしまったのです。

シャワーを浴びた後には、バスルームが水浸しという状態になってしまいました。これまでの宿泊客がホテルに苦情を言わなかったのか、それとも苦情を受け付けているにも関わらず、修理しようとしなかったのかは不明ですが、とにかくこれではどうにもならないと部屋を替えてもらうことにしました。

バクザン省の定宿では、こうしたシャワー室のトラブルはありませんでしたが、湯船が浅くて、しかもお湯の出てくるシャワーの排出口の所が壊れているためか、お湯があちらこちらに飛び出してきて、これまた部屋中を水浸しにしそうな勢いだったのです。つまりは、どちらのホテルも、落ち着いてゆっくりとシャワーを楽しむということはできませんでした。それだけに、日本に帰ってきて湯船に浸かってゆっくりと温まる、その時間のありがたさは格別でした。

今朝は目覚ましを5時に合わせて走るつもりでいたのですが、さすがに起き出す元気はありませんでした。日曜日にたくとハーフマラソンを走りますので、3日前から休養モードに入るのですが、そうなると走ることができるのは今日しかありません。現在のところ、残り8日で31.85kmのところまで来ていますが、予定としては目標に達していません。

27日に21キロ超を走りますが、それでもまだ10キロ足りないのです。となると、明日いつものコースを走って積み上げておく必要があるようです。27日にハーフを走り、翌日また走るというのは現実的ではありませんので、そうなると29日からの残り3日間で10キロを走るという計算になります。3日間で10キロですから、決して無理な数字ではないのですが、その前に1度走っておけば、何があっても目標の達成は出来そうなのです。

■さて、今日からはまた日常が始まります。金曜日、土曜日、月曜日、火曜日と、実質4日間の休診でしたので、簡単に言えば、その分今週忙しくなるということです。今年の支援の旅の様子も、きちんとまとめておかないと、2月にはまた沼津西ロータリークラブの例会で報告をしなければなりません。記憶の鮮明なうちに資料をまとめておかないと、後になってしまうと何が何だか分からなくなってしまうのです。

帰国

■201901022(火曜日:曇)

ハノイ・ノイバイ空港29番搭乗口です。8時10分発のベトナム航空便で帰国しました。

■今朝は4時に目覚ましを鳴らして起き出しました。いよいよ日本へ帰国する日です。17日午前中に仕事を終えて、その足で原駅まで行き、新幹線そして京浜急行を乗り継いで、羽田空港国際線ターミナルに到着したのが、つい昨日のことのように思い出されます。

今日は5時にフロントで全員集合し、バスでハノイ・ノイバイ空港に向かいます。8時10分発VN384便で日本に帰国する予定です。5時出発予定がバスの到着が30分近く遅れ、ひやひやしましたが、これもベトナム時間の一つでしょうか。トゥンくんが急に体調を崩して、起き出すことができないという連絡が入り、慌てましたが、タインさんが空港まで同行してくれました。

空港に到着してみると、受付カウンターの混雑ぶりに驚きました、ベトナム人、日本人を含めて、たくさんの乗客が並んでいるのです。無事に受付も終了し、荷物も預け、搭乗口入口でタインさんとも最後の別れを告げて、29番ゲートに向かいました。手荷物検査を済ませてみると、29番ゲートは目の前にありました。検査に時間がかかり、出発搭乗ゲートに到着したのは30分ほど前でした。

他の皆さんはまだ買い物が足りなかったようで、お店を探して、チョコレートを購入しているようでした。私も見て回ったのですが、小さな板チョコレートが8ドルもするのは驚きました。ベトナムでのお土産を何にするかは難しいのですが、これといったものがないのです。日本では各地にお菓子を中心にお土産がたくさんあるのですが、残念ながらベトナムでは、コーヒーぐらいしか思い当たるものがありません。

このベトナムのコーヒーは、これを好む方は大変美味しいと言われるのですが、正直言って私はあまり美味しいとは思えないのです。あの独特のコーヒーの濃さが、どうも私の舌には合わないのです。

皆さんは、旧市街地で雑貨品を購入するのをとても楽しみにされていました。スカーフとかバッグとか、そういったものです。とても安くて選ぶのが楽しいようです。今年は私はその買い物には付き合いませんでした。私にとっては毎年同じように見えるからです。またそうしたものに興味のない私には、あんまり楽しい時間とは言えません。

そこでホテルにチェックインした後は、私だけ別行動をとり、ホテルから歩いてスーパーマーケットに行ってお土産品を買うことにしました。記憶では昨年も泊まったコニファーホテルからビンマートというスーパーマーケットまで歩いても、それほどかからなかったように感じていたのです。

ところがこれは完全な誤解でした。バスで買い物に行ってバスで帰ってきていたために、近くのように感じていただけだったのです。ホテルでスーパーの場所を確認して出掛けたのですが、一向に到着する様子がありません。そこでお巡りさんに聞いてみたり、もう一度ホテルに戻りフロントの方に聞いたのですが、結局スーパーマーケットにはたどり着けませんでした。

17時半頃にホテルに戻り、まだ皆さん、買い物から戻っていませんでしたので、パソコンに向かって資料の整理を行いました。昨日訪問した6軒の被害者家族の資料を整理していたのです。名前と顔が一致しなくなってしまうのです。写真ももちろん取ってあるのですが、写真に名前を記入することができませんので、早いうちに整理しておかないと、どの写真の方がどの名前だったかが、ごちゃごちゃになってしまうのです。なんとか整理も終わりそうになったところで、大釜さんが帰ってきました。18時30分から夕食をとるために出発するということでした。

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