■20191130(土曜日:晴れ)

松江城です。

■今朝も、ゆっくりと休みました。昨夜はベトナムはればれ支援隊の忘年会を開催し、10月に行った支援の旅の総括を行いました。会計報告も行われ皆様から集めた旅費から、思ったほど現地で経費がかからなかった為、少しお返しすることができました。

大釜会長が手術を終えたばかりで体調がすぐれず、食事が一緒に取れなかったのは大変残念でした。奥様も来年で80歳になられるということで、会の運営の第一線からは退きたい、という申し出でしたが、これも致し方ありません。

残されたメンバーでできることを続けていくしかなさそうです。とりあえずは新年会を開いて、また話し合いましょう、ということで別れました。

家に帰り、あまりの冷え込みに、風邪でもひいたのかと心配しましたが、Sunの助言に従って葛根湯を一服飲んで、早々に休みました。今のところ体調は問題なさそうです。

■さて、今朝の新聞の第1面は、中曽根康弘元首相死去、と大々的に報じられています。「101歳、戦後政治の総決算を掲げ、自主憲法意欲、国鉄民営化」と、あります。さらに「政治主導で原発推進」とも書かれています。日本の原子力発電の父とも呼べるのでしょうか。

冷戦末期の国際情勢の中でレーガン大統領と親密な関係を築かれた印象が、とても強く残っています。戦後政治の総決算を掲げつつ、原子力発電の推進を行ったとあれば、目指すところは、原子爆弾を自前で持ち、米国の核の傘から脱し、対米従属から脱却するのが最終目的だったのでしょうか。

ただ一つ残念だったのは東京新聞の記事の最後の一節です。

本誌は福島第1原発事故後の2012年、こうした日本の原発導入の歴史を追った通年連載「日米同盟と原発」の取材のため、東京の事務所を訪ねて証言を求めたが、高齢を理由に応じてはもらえなかった。

福島における悲惨な原発事故を目の当たりにして、原発推進の父であった中曽根氏の思いを聞いてみたかったと思うのは私だけではないはずです。

今トランプ大統領が登場し、米国一極支配の世界情勢が大きく変わろうとしています。アメリカだけに忖度していればよかった時代は終わろうとしています。そうした意味では、今こそ求められている日本政治のテーマが、戦後政治の総決算であることは明らかです。

対米従属のもと、いわば「見ざる、言わざる、聞かざる」で戦後を送ってきた日本人が、これからどのように自分たち自身の知恵で国を運営していくのか。まさに正念場に差し掛かっているのではないでしょうか。