■20200411(土曜日:晴れ)
■今朝も走りました。いつものコースを6.44km走り、今月は通算6回のランで40.68kmを積み重ね、残り19日で59.31kmの所まできました。
走り終わった後、いつもの通りストレッチをして家に戻ったのですが、右臀部の痛みがいつもより強くてまいりました。朝食を取った後に、痛み止めのロキソニン一錠を服用しました。
どこか筋あるいは腱を痛めたのかもしれません。普段の生活では、そんなに不自由はないのですが、右脚のストレッチはやめた方が良さそうです。
■さて今朝の東京新聞朝刊「筆洗」欄には、コロナウイルスの蔓延によって外出が制限され、夫婦で共に過ごす時間が長くなることに従って、女性に対する家庭内暴力が、世界的に急増しているという内容が書かれています。さまざまなことを考えさせられる内容だと思います。
そもそも夫婦と言っても単なる他人です。異なる家庭に育ち、異なる教育を受け、異なる家庭内文化を受け継ぎ育ってきた2人が、一つの家庭の中で生活してる訳です。
角突き合わせるという言葉がありますが、まさに夫婦こそそんな状態でしょう。常識が違うのです。いい意味でも、困った意味でも、その通りなのです。首を傾げることもしょっちゅうです。
長く一緒に過ごせば、次第にそれが融合しあって、お互いの常識が作り上げられて行きます。どちらかが知ってか知らずか、譲り合うことで2人の新しい常識が作り上げられていくのです。
そして、いつの日か、お互いの存在が空気のようになっていく訳です。あるいは、君子の交わりは淡きこと水のごとし、と言いますが、夫婦もそうなれば理想なのでしょう。
そこに至るまでに何年の月日が必要なのかは、それぞれの夫婦によってもちろん異なるのでしょうが、多分20年、30年という単位ではないでしょうか。
私ども夫婦は1982年に結婚しましたので、今年で39年目に入りました。私は19歳で下宿するために家を出ましたので、両親とは19年しか、一緒に生活していません。まさにその倍の時間を夫婦で過ごしてきた訳です。
3人の子育てもほぼ終わり、この1月には初めての孫も誕生しました。夫婦2人きりの生活に戻って、もう10年ほどになりますでしょうか。お互いの生活のリズムも出来上がり、それぞれがそれぞれの社会的役割を果たしながら、1日、1週間、そして1ヶ月が過ぎていきます。
今の私にとって最も大切な存在は、言うまでもなく連れ合いです。それは空気や水が生きていく上で不可欠なように、私にとっては欠くことのできない存在なのです。お金では買えない唯一の存在と言っても良いほどです。
そこには38年の月日が、しっかりと詰まっているからです。
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