■20200415(水曜日:晴れ)

ソレーネ周南の裏手の風景です。心休まる里山です。

■今朝も走りました。昨日に続いていつものコースを走り、これで今月は8回のランで53.60km。残り15日で46.39kmのところまで来ました。今朝は6.44kmをゆっくりと走りました。とはいっても、キロ当たり6分22秒で走っていますので、自分としては決して悪いペースではありません。

今朝の最低気温は7度とのことで、走るにはちょうど良い条件です。空も晴れ渡り、空気も澄み渡り、本当に走るには絶好の季節です。今朝は走った後にいつものとおり、ストレッチをしたのですが、額から汗が滴り落ちてきました。これまでは走っても、そこまで汗が出ることはありませんでしたので、気温も少しずつ上がってきているのでしょう。

走っている間の40分余りの間に、人と行き交うことはほとんどありませんので、東京などと違って、コロナウイルスの感染を心配する必要はありません。家に引き込もらなければならない東京の人々は、本当に大変だと思います。

特に子供さんたちは外で遊ぶのが当たり前ですから、家の中にいて、もしもゲームばかりをしているとしたら本当に可哀想です。そんな生活を押し付けている大人達の責任を誰も問いませんので、これも困ったものです。

東京都における営業自粛に伴う補償問題において、いわゆる接客業、風俗業の方にも保証するかどうかの問題が提起された時に、某テレビタレントが自分が払った税金がそんな人達に行くのは許せない、という趣旨の発言をしたそうです。こうした発言を聞くと、この某タレントにおける決定的な想像力の欠如と他者への思いやりの無さを感じざるを得ないのです。

その点における第一人者が安倍総理に違いありません。ひょっとすると安倍総理は、国民が生活に困っているという現実が想像もつかないのかもしれません。つまり生まれてからこの方、お金で困ったことも、生活に行き詰まったこともなかったのでしょう。そうであれば当然のことながら、他者が、そのような問題で苦しんでいるということまで、想像することはできないのです。

安倍総理の大学時代の恩師が安倍晋三という人間について、二つの無があると言ったのは有名な話です。「無知」と「無恥」です。しかし、私がマスコミを通じて、安倍総理の言動を見て感じるのは、むしろその点よりも、欠落しているのは、国民生活への想像力と、そして何より国民に対する愛情だと思うのです。そう考えないと総理の言動は理解できません。

国民に対する愛情が欠落した指導者を頂いている国民ほど、不幸なものはありません。この7年間に、いかに国民が幸福から遠ざけられたかは、このコロナウイルス感染問題で露になったと私には思われるのです。

つまり、この7年間の間に多くの日本人は、きっと日本は強靭になる、豊かになるという夢を見てきただけなのです。ところが消費税の増税によって経済は落ち込み、さらにコロナウイルス感染で、日本の現状がまさに剥き出しになりました。化けの皮が剥がれただけのことなんです。夢の終焉です。

これは東京オリンピックが無事に終わったとしても、その後に待っていた現実なのかもしれません。いい加減、私たちは目を覚ますべきなのです。国民を幸せにするフリだけをしている指導者を、交代させねばなりません。