■20200731(金曜日:雨)

高崎観音駐車場から見た高崎市内の様子です。

■今朝は走らずに休みました。今日は7月の最終日です。もう7月が終わり、明日から8月になります。月間目標の100キロは、もう走り終えていますので昨日、今日と休養し、明日月始めの日に頑張って積み重ねの第1歩を踏み出すつもりです。

■昨夜は静岡県眼科医会理事会が静岡市で行われ出席しました。理事会があるのだから、会場に出かけて出席するのが当たり前だ、と今までは思っていたのですが、会場に行ってみるとほとんどの理事はリモート出席、つまりZoomでの出席の形を取っており、実際に会場に来られたのはたった5名でした。

確かに浜松から来られる理事の先生方は、新幹線に乗って静岡駅までわざわざ来なければなりません。私は家から駅まで歩き、そこから東海道線の各駅停車で静岡駅まで行くのが通例です。片道で一時間以上かかりますので往復ですと二時間以上、なかなかに大きな負担です。これが家に居ながらにして会議に出席できるのであれば、その方がずっと体も楽ですし、時間の無駄もありません。

出席人数があまりに少ないと、会議を主催し進行役を務めている川村会長も寂しかろうと思って出かけたのですが、やはりこれからは時代の流れとしてリモート会議が主流になっていきそうです。

■さて、今朝の新聞を読むと、台湾の李登輝元総統が死去した、という記事が第一面に掲載されています。97歳でのご逝去です。「台湾民主化の父」と形容されています。

日本統治時代の1923年、台北県生まれ。日本時代は、岩里政男(いわさと・まさお)という名前を使用。京都帝国大学に学び、学徒出陣を経験されたそうです。1988年、台湾総統に就任。戦前から台湾に住む本省人としては最初の総統になりました。

それ以降、本格的な民主化に着手し、43年間続いた戒厳体制を最終的に終わらせ、憲法改正や終身議員の退職。立法院(議会)改選、総統直接選挙の導入などを次々に進めました。

外交面では台湾と中国を特殊な国と国の関係とした「二国論」を提起。中国は李登輝氏を台湾独立派の中心人物とみなし、さまざまな圧力をかけました。

李登輝氏が親日派であることは有名です。しかし、これだけの人物ですから彼の褒め言葉をそのまま真に受けて、日本人は舞い上がってはいけないのでしょう。李登輝氏には中国本土と向き合わなければならないという大きな仕事がありました。日本を褒め称えてくれる言葉の中には、中国政府との対比という意味で語られた言葉もあるはずです。

マレーシアのマハティール元首相も同様に親日派で有名でしたが、心の底から日本を模範と考えていたかどうかは大いに疑問です。戦前、日本がアジア諸国で行った残虐行為を彼らは実際に見ていたのです。そのことを私達日本人は決して忘れてはならないのです。

新型コロナウイルス感染対策において、戦前のインパール作戦が引き合いに出されることが多くなってきました。多くの日本兵士が戦いで倒れたのではなく、物資の確保も考えずに作戦を遂行したことによって、多くの兵士が餓死した、あの戦いです。

戦(いくさ)において最も大切な要素である兵士を大切にできない軍隊のあり方、指揮する人間たちのありようなど、今コロナウイルス感染対策を立案し、実行している人たちにも同じ過ちが繰り返されているのではないか、という危惧があるのです。「失敗の本質」が繰り返されているのです。

敗戦によって日本は生まれ変わった、と言われますが、本当にそうだったのでしょうか。危機が訪れる度に、その本質が露(あらわ)になってくるのを見るのは実に恐ろしい思いです。