■20210223(火曜日:晴れ)
■今朝は走りました。昨夜は夜間待機当番でしたが、21時30分頃患者さんが救急車で来られました。当番の内科の先生を受診し、こちらに紹介されてきたのです。夕方目が覚めたら目が痛くてどうしようもない、として受診されたようです。
80 歳を超えた高齢の女性で息子さんと一緒に来られましたが、移動手段がないということで救急車を呼んだようです。診察の結果、右目の上眼瞼裏側に小さな異物が入っているための眼痛でした。救急隊員の方も本当にご苦労様です。大変だと思います。
診療を終えて、すぐにお風呂に入って早めに休みました。今朝は6時に目覚ましを合わせていたのですが、4時半頃に目が覚めてしまいました。ウトウトとしたので、もう少し眠ろうかと思ったのですが、ここで寝入ってしまうと今度はたぶん起きられないと判断し、そのまま起きだして走ることにしました。
準備運動の後、4時55分から走り始め、今日は1時間36分4秒走り続け、14.41 km を積み重ねました。これで今月は7回のランで77.62 km を走り、月100 km 走までは残り5日で 22.37 Km のところまで来ました 。あと5日残っているとはいっても、28日は予定が入っていますので、実質4日しかありません。4日で22 km 超を走るためには、現実的には2日に分けて11キロずつ走るのが、最も実現可能性が高いと思います。幸い天気予報では、早朝に雨が降ることはなさそうですので、とにかく体調を整えて、最後まで目標達成に向けて努力するしかありません。
今朝は走り始めは、とにかくゆっくり少しずつを心がけてスタートしました。したがって最初の3キロはキロ8分弱というペースでした。小学校の校庭に入って、60分にタイマーを合わせ再度仕切り直しをしました。
その頃には体も温まり筋肉もほぐれてきましたので、少しずつ自然とペースも上がりました。タイマーを60分に合わせて走るのは始めてです。今日は天皇誕生日で休日ですので、仕事の開始時刻を気にする必要がありません。とにかくのんびりと長く走ることだけを考えていました。
1時間20分を過ぎた頃から、右膝に少し違和感を感じ始めました。右膝のランナーズ膝が私の弱点なのです。ハーフマラソンを走っても、15キロ辺りから違和感や痛みを感じることが、しばしばありました。まったく痛みが出なかったこともあります。
2018年の千歳JAL国際マラソンを走った時は、12キロ過ぎから痛みが出現し、それからゴールまでは、歩いては屈伸運動を繰り返すという辛い時間帯でした。
今日は幸い、自然と違和感も消失し、最後までスムーズに走り切ることができました。ハーフマラソンですと、今日の距離からあと6キロ強を走る必要があります。勢いで何とかなりそうな気もしたのですが、実際には結構厳しそうです。
そんなことを考えていると、午後になって大会実行委員会からメールが来て、今年の千歳JAL国際マラソンは正式に中止の決定がなされた、との連絡がありました。とても残念です。2014年から毎年参加していましたが、これで 2 年連続の中止となりました。昨年は第40回の記念大会でしたが、コロナウイルス感染のため、始めて中止となり飛行機や宿をキャンセルせざるを得ませんでした。
千歳マラソンだけは、何を置いても参加していましたので、本当に残念です。Takuと一緒に走った楽しい思い出もあります。走ったその日は、近隣の温泉に泊まり、ゆっくりと疲れを癒やすのも楽しみの一つでした。
来年こそは、ぜひとも再開できることを願ってやみません。
第50回の記念大会時に私は76歳になります。ハーフマラソンの部に、出場できるでしょうか。2時間半の制限時間内にゴールする必要があります。前半の10キロが、ずっと上りのコースですので、その点が高齢者になると更に厳しいかもしれません。
でも良い目標になりそうです。その年になっても千歳マラソンだけには参加できることを目標に、走り続けのも悪くありません。実現可能である適切な目標を設定することが、より良い日々を送るコツですから。
■さて今朝の東京新聞「太郎の国際通信」欄では、「米国の旧作人気」と題して木村太郎さんが書かれています。木村さんは昨年の特別定額給付金で自宅のテレビを買い換えたそうです。 コロナウイルスの為に「巣ごもり」時間を少しでも快適に暮らしたいという思いから、大型でインターネットが接続できるいわゆる「 Smart TV」を買ったそうです。
そうしてみると、ネット配信の番組ばかりを見るようになったそうですが、新作よりも古い映画やテレビ番組を選んでいることに気付きました。最近の映画やテレビ番組も、もちろんいいのですが、やたらに人が殺されたり、気持ちを暗くさせるようなものが多いので、敬遠してしまったとのことです。
その点古い映画やテレビ番組は、ハッピーエンドに向かう展開も予想されて安心なのでしょうか、映画なら「ローマの休日」、テレビシリーズなら「ルート66」など、1950年から60年代の作品を見るようになったというのです。
木村さんは自分が年を取ったせいでそういう嗜好になったのかと思っていたら、米国でも別の理由で急速に人気が集まっていることを知ったのです。ある保守系のニュースサイトには、こんな記事が書かれていました。
テレビの古い番組は、米国がまだ正気で、警察官が愛され、トイレが男女別になっていることが問題にならなかった時代を思い出させてくれる。
左右の対立から暴力事件が多発する米国の現実では、伝統やしつけなどが否定され混乱しているなかで、
昔の連続番組『パパは何でも知っている』などは、道徳的な家族を見せてくれるだけでなく、私たちが過去にどんな生活をしていたかを音声と映像で見せてくれるのだ。我々が過去30年で失ったものを。
と、この記事の筆者は書かれています。 筆者が生まれる前に放送を終えている「パパは何でも知っている」の番組を通じて、半世紀以上前の米国の姿を初めて知り、改めて現代の混乱を慨嘆しているようなのです。
「今走っている方向を考え直して U ターンし、いま来た道を戻ることもできるのだ」と、もう一度米国社会を彼が考える「良き時代」のように戻したいと言うが、米国社会の現実はそう簡単ではない、と木村氏は結んでいます。
さて今の日本に当てはめて考えてみると、いったいいつ頃の時代に戻りたいと多くの日本人は考えるでしょうか。一億総中流化と言われた、あの時代でしょうか。
がむしゃらに多くの日本人が働き、右肩上がりの経済成長を遂げていた、あの頃の日本が桃源郷のように思えるのは、労働者の4割が派遣労働に従事し、1年先あるいは半年先の生活ですら、不確定な毎日を送っている現実が、そうさせるのでしょう。