■20210602(水曜日:曇)

松濤館でのお出迎えの生花です。

■今朝は走るつもりで、目覚まし時計を4時半に合わせてあったのですが、その前に目が覚めてしまいました。そのまま起き出して、準備をすればよかったのですが、もう少し休もうと寝入ったのが仇になりました。

結局今日は走らずじまいで終わってしまいました。やはり連日走るのは、ちょっと辛いかもしれません。

■さて、昨日の東京新聞10面では、「昭和遠近、短歌に見る時代相」では、歌人である島田修三さんが「蓬(ヨモギ)餅」と題して書かれています。副題は、「おやつは自家製だった」となっています。

中村規子の歌集『かざぐるま』(1981年)からの一首を引用され、病む作者のために、母親が蓬餅を手ずから作ってくれている場面を示しています。

病みて臥す 冬のまひる間 コトコトと 蓬(よもぎ)をすりて 餅作る母

島田さんのご家庭でも、自分が小さかった頃には近所の多摩川の土手に行って、草むらからの新芽を摘み、祖母が餅を作ってくれた様子を書かれています。祖母の作る餅は一種の縁起物でもあったろう、と島田さんは書かれています。

明治生まれの祖母や、大正生まれの母は、子供のために、おやつを手作りしてくれました。早春の頃にはかき餅、晩秋や冬には、しばしば麦こがしを食べました。それから、春秋のお彼岸には、母親が大量のおはぎを作ってくれました。

そして、日々のおやつの主役は、おむすびでした。学校から帰って、お腹が空いたと言うと、母親は朝炊いたごはんの残りで、おむすびを握ってくれたそうです。昭和の子供のおやつは、ほとんど自家製だったのであると、最後に島田さんは結ばれています。

私が子供の頃のおやつは、何だったのだろうかと思い出してみると、食堂の棚にしまってあった、煮干をよく食べたことは覚えています。煮干しが好きだったのです。

を摘んできて、母が餅を作ってくれたことも覚えています。今ではコンビニやスーパーへ行けば、何でも揃っていますので、手作りすることは、あまりないでしょう。よし悪しは別にして、それが時代の変化なのです。